190.フラれてやんの


 電車に揺られること20分と少し、目的地へと到着した。

 世界でも有数の乗降客数を誇るこの駅は、さながら複雑な要塞か巨大な迷路のようでいて、列をなした人の群れが川のように絶えず流れている。

 何度か遊びに来てはいるものの、気を抜くとどこかへ流されそうになり、未だ慣れそうにない。

 ましてや初めてここを訪れた沙紀は、完全に圧倒され目を回していた。


「わ、わ、わ、人がっ!?」

「あはは、沙紀ちゃんこっちだよー。はい、手」

「うぅぅ~」


 人波に呑み込まれ、どこかに連れ去られそうになる沙紀。姫子に助けられ、そのまま迷子にならないようずっと手を繋いでいる。

 いつもとは逆の構図に隼人の頬が緩む。

 それでも駅ビル内に溢れているお店や広告が珍しいのか、視線をきょろきょろとあちらこちらへ彷徨わせる沙紀は、正にお上りさん。

 そんな後ろ姿を温かく見守っていれば、くすりと微笑みを零す春希と目が合った。


「沙紀ちゃんにもあんな子供っぽいところあるんだね」

「はしゃぐ気持ちはわかるな、俺もそうだったし。でもそれだけじゃなくてさ」

「うん?」

「遠慮とかしないで、俺たちにも素の顔を見せてくれるようになったんじゃないかなって……あの日、宣言してくれたように」

「…………そっか。そうだね、うん、きっと」


 そう言って春希は、少しだけ眉を寄せて小さく笑った。





 やがて待ち合わせ場所である、鳥のオブジェが見えてきた。


「鳥さんのオブジェ! ね、ね、姫ちゃん、鳥さんのオブジェ本当にあるよ!?」

「あたしさー、これ初めて見た時、想像よりかなり小さいって思ったんだよねー」

「確かに! 有名なのにね!」

「「ねーっ!」」


 今までテレビやネット越しでしか見たことのなかったシンボルマークにテンションを上げる沙紀。それに釣られる姫子。

 そこへきゃいきゃい騒ぐ2人の意識の外から、「やぁ」と気安い声を掛けられた。


「今日は一段とオシャレだね。良く似合ってるよ。いつもより少し大人っぽいかな?」


 振り返り、きょとんとした表情になる姫子。

 ビクリと固まり、目をぱちくりさせる沙紀。

 2人の視線の先に居るのは、いつもよりキラキラ度が増した一輝だった。人好きのする笑みをにこりと浮かべ、ひらりと手を振っている。

 見つめ合うことしばし。

 やがて状況を把握した姫子が「あ!」と声を上げた。


「一輝さん! もしかして髪切ったりしてません?」

「よく気付いたね。えっと、どうかな?」

「似合ってますよー、前よりイケメン度が上がってる感じ? あたしも一瞬誰かわかんなくて、もしかしてナンパ!? って思っちゃいましたもん!」

「あはは、ナンパって。姫子ちゃんくらい可愛ければ、よく声を掛けられるんじゃない?」

「いやー、ないない、全然ですよ。それより髪は美容院にいったんですか?」

「うん、姉さんのおススメの店を教えてもらってね」

「わぁ! お姉さんいるんですか!? どんな方です!? 写真とかあります!? 会ってみたいなぁ」

「え、えっとそれはその、機会があったらで」


 一輝が姉がいるということを漏らせば、姫子が目を輝かせた。

 たじたじになる一輝。

 どうにか誤魔化そうと視線を走らせ、そして隣にいる沙紀に気付く。


「ところで隣の子は……?」

「あ、こちら沙紀ちゃん! 昔からの親友なの。で、沙紀ちゃん、こっちの方は一輝さん。おにぃの友達!」

「ふぇ!? む、村尾沙紀です……その、初めまして……」


 沙紀はいきなり話の水を向けられて、驚きつつもぺこりと頭を下げる。


「改めて初めまして、僕は海童一輝。そういえば君も、こないだお菓子司しろに来てくれてたよね?」

「え? えぇっと……」


 そうだったかな、と困ったような顔を作る沙紀。

 するとお菓子司しろという単語に反応した姫子が、ぐいっと問い詰めるように一歩前に出る。


「そうだ、一輝さんもあそこでバイト始めたんですか? あの時は驚きましたよ、もぅ!」

「たまにヘルプに入るくらいだね。あの日はたまたま人手が足りないって聞いてさ」

「へぇ、でも結構堂に入ってましたよ? あの時みたいにホストっぽい接客してたら人気になると思います!」

「あはは、アレは姫子ちゃんたちだったから。他のお客さんにやったら怒られちゃうよ」

「あーなるほど、同僚おにぃの妹への特別サービスみたいなものね」

「僕としては隼人くんの妹だからじゃなくて、友達だからこそって思って欲しいんだけどね」

「へ?」


 そう言ってぱちりと片目を瞑る一輝。

 姫子は一瞬面食らうものの、はたと何かに気付いた様子でパチンと手を鳴らす。


「あはっ、今度はさっきのナンパの続きですか? 一輝さんおもしろーい!」

「……お気に召したようでなにより」


 愉快気な笑い声をあげる姫子。

 一輝の口元が少しだけ引き攣るも、すぐににこりとした仮面笑顔を貼り付ける。


「そういや今日、恵麻さんたちも来るんですよね?」

「あぁ、伊織くんと伊佐美さんなら、もうすでにあそこに」


 一輝が顔を動かせば、その先には伊織と伊佐美恵麻の姿があった。

 2人はお互い緊張で身体を強張らせながら、赤く染め上げた顔を俯かせ、視線も互いにずらしている。

 しかし、しっかりと手を繋いでいた。

 それを目に捉えた姫子は、みるみる瞳を輝かせ、沙紀を引っ張る形で突撃していく。


「きゃーっ! 恵麻さん恵麻さん、彼氏さんと仲が深まりました!? どこまでいったんですか!? キスくらい――」

「ひ、姫ちゃん待ってよぅ~っ、この方たちが例の恋人さん!?」

「あ、あはは……」


 すると姫子に気付いた伊佐美恵麻は、ぎこちない笑みを浮かべながらひらりと手を振り彼女を出迎えた。沙紀を交え話を盛り上げていく。

 あっという間のことだった。

 その様子を眺めていた一輝が苦笑を零していると、背後から春希が揶揄うような声を投げる。


「あーあ、海童ってばフラれてやんの」

「……そうだね、友達になるのも難しそうだ」

「ていうか海童、もしかしてひめちゃん狙ってんの?」

「まさか! そんなんじゃないよ。面白い子だし、もっと仲良くなりたいとは思うけどね」

「ふぅん? まぁひめちゃん可愛いからなぁ……ね、隼人?」

「……俺に振るなよ」


 妹の話題を向けられて、何とも言えない表情になる。

 揶揄いの目は隼人にも向けられていた。


 ガリガリと誤魔化すように頭を掻き、場を仕切り直すためにコホンと1つ咳払い。

 そして、ジッと一輝を観察してみる。

 一見いつもと同じようでいて、しかし具体的にどこがどうとか言えないものの、普段より爽やかさが増しているような印象を受ける。

 きっと姫子が出掛ける時に気合を入れたような何かが作用しているのだろう。

 なるほど、と1人納得しながら一輝に尋ねてみる。


「あーその髪、美容院だっけ? その……」

「隼人くんが美容院……あぁうん、今度教えるよ」

「すまん助かる、サンキュ」

「ははっ、これくらいなんてことないよ」


 一輝は一瞬驚きを見せたものの春希たちのように揶揄うでなく、むしろ彼女たちにちらりと視線を走らせ、どこか納得した声色で言葉を返す。

 それがなんだか心の中を見透かされた感じがして、背中をむず痒くしていると、となりの春希がポツリと呟いた。


「隼人のそれって、もしかして沙紀ちゃんが切っ掛け?」

「さぁな、どうだろ……自ら変わろうとするところに影響を受けたのかもしれないな」

「……そっか」


 隼人が照れくさそうにそう言えば、春希は少し困ったような顔で曖昧に笑った。

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