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189.ふらりとあそこまで


 日曜日の朝、霧島家のリビング。

 ソファーに座らされた隼人は渋面を作っていた。


「……まだ終わらないのか?」

「おにぃ、動かないで!」

「ひめちゃん、あまりキメ過ぎずふんわり流した方がよくない? 沙紀ちゃんはどう思う?」

「ふぇ!? えぇっと、どれも新鮮な感じで印象も違ってくるといいますか……」


 隼人は姫子を中心に、かれこれ30分以上髪を弄られていた。

 時折服も別のものへと変更させられ、さながらちょっとした着せ替え人形状態。

 オシャレにこれといったこだわりもなく、されるがまま。

 見苦しくなければそれでいいだろうというのが本音なのだがしかし、きゃいきゃいと楽しそうに騒ぐ彼女たちに水を差すのも気が引ける。それに、別にイヤだというわけじゃない。


 改めて目の前の3人を見てみる。

 ゆったりとしたカットソーにスキニーパンツを合わせた、少し大人っぽさを意識した姫子。

 緩く編まれたサマーニットとパネルスカートを合わせた、高校生らしいカジュアルな姿の春希。

 そして昨夜コンビニに出掛けた時と同じ、余所行きの少しオシャレなワンピースの沙紀。

 妹、幼馴染、妹の親友。

 3人とも、身内の贔屓目無しに可愛いとは思う。

 隼人が彼女たちの傍にいるのは、たまたまそういう近しい関係だったからだ。

 特に春希は再会してから私服にも気を配るようになり、どんどん魅力的になっていくのを間近で見ている。

 そのことを考えると、眉間に皺が刻まれていく。


「これでよし!」


 その時姫子の満足そうな声が、思考の沼に嵌りかけた意識を掬い上げた。


「お、いつもより男っぷりが少しだけ上がったかなー?」

「結構普段と雰囲気変わって、ちょっぴりドキリとしますね~」


 どんなもんよと胸を張る姫子。どうやら納得のいく仕上がりになったらしい。

 隼人はやっと終わったかという解放感と共に、整髪剤でいつもと違う感覚のする髪を一掴み。随分長く伸びてきている。

 思い返せば最後に散髪に行ったのはいつだったか?

 考えることしばし。


「今度、俺も美容院に行ってみようかな……」

「「「っ!?」」」


 ポツリと零れた呟きに、驚きを示す3人。


「は、隼人が色気づき始めた、だと……!?」

「おにぃ、今朝なにか変なもの食べたの!?」

「お、お兄さんが都会の色に染まっていく……」


 隼人は彼女たちの反応に「……なんだよ」と唇を尖らせれば、珍しく春希が「まぁまぁ」と宥めすかすのだった。




◇◇◇




 初秋の日差しは随分柔らかくなったものの、まだまだ夏が名残惜しいとばかりに熱気を孕んでいる。

 歩けばじんわりと汗ばむような陽気だ。しかし絶好の行楽日和でもあった。

 最寄り駅はどこかに出掛けようとしている人々を、ぺろりと呑み込んでいく。

 そんな中、隼人と沙紀は券売機に並んでいた。


「えぇっと、今いる現在地の駅は……駅は……どこだろ……」


 蜘蛛の巣のように細かく張り巡らされた路線図を見て、ぐるぐると目を回しそうになる沙紀。

 隣で切符を買い終えた隼人が、その姿を見て助け舟を出す。


「180円の切符を買うといいよ」

「あ、ありがとうございますっ」

「俺も最初、路線図を見て迷子になったもんだ」

「あはは、色んな駅だらけで乗り換えとかも複雑で混乱しちゃいますよね」

「そうだなぁ、俺もまだまだ慣れてないよ」


 お互い苦笑を零しながら改札を抜けると、そこでは先行した姫子と春希が遅いと言いたげな顔で待っていた、沙紀と顔を見合わせ、肩をすくめる。

 そしてホームに出ると同時に電車がやってきたので、これ幸いと乗り込む。

 車内は座席が全て埋まり、手すりに摑まる人が散見される程度に混んでいた。


「すぐ乗れてラッキーでしたね」


 一安心とばかりに安堵の笑みを見せる沙紀。

 すると何かに気付いた様子の春希が、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「沙紀ちゃん、これ逃しても5分後には次の電車がくるよ」

「えっ!?」


 沙紀は信じられないとばかりに目をぱちくりさせ、隼人と姫子の方へと視線を投げてきたので「こっちは数分刻みの時刻表だから」と応えれば、少し恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。田舎と都会の電車本数は、比べ物にならないのだ。


「ま、それはさておき沙紀ちゃん、こういう時ICカードあると便利だよ」

「それって、改札にピッとかざしたりするやつ?」

「ボクはスマホのモバイルアプリを使ってるよ。ポイントも溜まるしね」

「へぇ~、私もそれ使おうかな……」

「うんうん、ぜひ。っていうかおにぃは何で作らないのさ?」

「それは……」


 妹にジト目を向けられ、言葉を詰まらせる。

 あまり必要性を感じない、というのが正直なところだ。最近バイトや病院の見舞いも電車賃をケチって徒歩だから、なおさら。

 さて何て答えたものか――そう思い、頭をガリガリと掻いていると、春希が顔を覗き込んでいることに気付く。


「もしかして原付買うから? だから電車は別に、って感じ?」

「いや、それは違う。普段電車使わないから別になくてもいいかなぁって」

「おにぃさ、あったらあったで便利だし、作るだけ作っておけばいいのに」

「まぁ、そうかもしれないけどさ、めんどくさくって」


 あははと曖昧に笑って誤魔化す隼人。

 はぁ、と呆れたため息を零す姫子。

 すると、春希が疑問を投げかけてくる。


「普段使わない、といえば原付もそうじゃない?」

「む、確かにな。普段歩いていける距離に色んな店があるし、駐輪場だって限られてる。おまけに維持費もかかるし、出掛ける時は電車を使った方が安いし便利だし」

「わ、隼人自分で言ってて夢がないぞー」

「ははっ、でもさ――」


 そこで言葉を区切り、窓の外へと目を移す。

 すると雲1つない晴天の西の空の麓に、富士山が見えた。

 それを瞳に映しながら、胸の内を零す。


「もし原付があればさ、今日みたいな日にふらりとあそこまで行けるなって思うとさ、わくわくしてこないか?」


 大した理屈じゃない。

 子供っぽいことを言っている自覚もあった。

 それに果たして1人でそこまでいけるかどうかも疑問だ。


 だからあははと照れくさそうに笑っていると、ふいにくいっと袖を遠慮気味に引かれたことに気付く。


「姫子?」

「……ぁ」


 姫子だった。

 しかし当の姫子本人は、言われて初めて自分の行動に気付いたのか、驚きと戸惑いの表情を浮かべている。

 そしてぷいっとそっぽを向きながらも、縋るような、甘えるような声色でポツリと言葉を零す。


「……そん時はあたしも連れてってよね」

「あぁ、わかったよ」


 そう言って隼人がくしゃりと姫子の頭を撫でれば、「もー、髪が乱れる」と文句を言いつつも、満更でもなさそうな顔を見せる。


「でもひめちゃん、原付は2人乗り禁止だよ?」

「はるちゃん、デリカシーっ!」

「み゛ゃっ!?」


 そんな姫子を春希が揶揄えば、頬を膨らませながら脇腹を抓られるのだった。

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