187.手を伸ばせば、すぐ届く
コンビニからの帰り道。
行きとは違い、随分と沙紀との会話は盛り上がっていた。
「コンビニってすごくたくさんのものが売ってて、目移りしちゃいますよね」
「気付いたら余計なモノを買ってたり、とかな」
「わかります! 私も先日付き添いで行っただけなのに、姫ちゃんが嬉々としてアイスを選んでいて、つい」
「俺もこないだ目の前の客が串から揚げ買ってるの見て、ついつい買っちゃったよ」
「まぁ! お兄さんもそんなことあるんですね!」
「ははっ、まぁな」
今まで疎遠気味だったとはいえ住民全員が顔見知りの田舎の同郷、それに妹の友達。各所で話題によく上るし、お互い人となりはわかっている。
打てば響くようなやりとり。まるで今までずっとこうだったと錯覚するほど、会話の歯車は滑らかだ。
それにこうして今までになく近い距離感で話をしていると、沙紀という少女の今まで知らなかった一面も見えてくる。
笑う、怒る、驚く、拗ねる――コロコロと表情が良く変わり、感情豊かなその顔は、きっと今まで姫子の前でも見せてきたものなのだろう。
それが今、こうして隼人の前でも見せてくれている。
なんだか不思議な感覚だった。
しかもこれは沙紀自身が望み、引き起こした変化だ。
あの日。祭りの後。
隼人と春希に向かって自らの想いを高らかに謳い上げた時の眩い姿はとても鮮烈で、忘れられそうにない。
あの時のことを思い返し目を細めていると、沙紀が不思議そうな顔で覗き込んでいることに気付く。
「お兄さん?」
「ん? あぁ、こうして今、沙紀さんと一緒なのが不思議な感じがしてさ」
「……そう、ですね。月野瀬にいた頃、ほとんど話したことありませんでしたから」
「それがこうして肩先並べて夜のコンビニにお買い物だ。夏休み前には想像も出来なかったよ」
「私もです」
沙紀はクスリと笑って、一歩前に出る。
そして両手を後ろに回して指を絡め、マンションの方へと見上げた。
「きっと、春希さんのおかげですね」
「春希の?」
「グルチャに誘ってくれたり、月野瀬にもやって来てくれて、色んな場所に手を引いて連れて行ってくれたから……だからそれまで閉じこもってばかりいた私の世界が一気に開けて、思い出したんです」
「思い出した?」
「自分が変われば世界が変わるって。だからほら、私は今、ここにいるんです」
「……っ」
くるりと振り返った沙紀が、ふわりと微笑む。
とても綺麗な顔をしていた。その真っすぐな眼差しに、思わず目を細める。
そして沙紀は茶目っ気たっぷりな声で、歌うように言葉を綴る。
「まぁいきなりの引っ越しでしたもんね、大変なことだらけですよぅ。毎朝お布団から這い出るのに苦労したり、ゴミ出しもついうっかり忘れて溜めてしまったり、こないだは洗濯機回してた他のことやってたら干し忘れて夕方だったり!」
「ははっ、うっかりさんだ」
「勉強も大変だし、周りは知らない人だらけだし、他にも覚えることもいっぱいで目が回ってばかりです……だけど、ここにはすぐ近くに姫ちゃんや春希さん、お兄さんがいます。それに――」
そう言って沙紀はスッと手を隼人の前に、照れくさそうに伸ばして来た。
「手を伸ばせば、すぐ届く」
「……」
凛とよく通る、意志の強そうな声色だった。
隼人は思わず息を呑み、大きく目を見開く。
そのさり気ない所作が、どうしてか祭りの神楽を舞う姿と重なり、目が離せない。
しかしこれは神楽と違い、神様でなく隼人に向かって舞われており、そして同じ舞台に立っていた。
だからそうするのが当たり前だとばかりに、吸い寄せられるようにして沙紀の手を掴む。
少しひんやりとして柔らかく、すっぽりと包み込めてしまえそうな、小さな手だ。
それが彼女が女の子だと、異性だということを、強く意識させられる。
ドキリと胸が跳ねる。
今までの沙紀を考えると意外な行動だ。
その沙紀はといえば、目をぱちくりとさせていた。
まるで自分の行動こそが意外だった言わんばかりのように。
互いの視線が絡まるも一瞬。
沙紀はくるりと身を翻し、そのままぐいっと隼人の手を引っ張り勢いよく駆けだした。
「い、行きましょう、お兄さんっ!」
「さ、沙紀さん!?」
背中越しに声を掛ける。ちらりと覗く沙紀の耳は赤い。
そして沙紀は照れ隠しのように、矢継ぎ早に言葉を投げる。
「お兄さんっ、夜中のコンビニって、今日みたいによく行くんですかっ!?」
「頻繁にってことはないけどっ、牛乳買い忘れたり、ゴミ袋切らした時とかっ」
「姫ちゃんや、春希さんとかと一緒にっ!?」
「一緒に行ったり、いかなかったり、時には2人にお遣い頼んだりっ!」
「あはっ! 日常の一部なんですねっ!」
「そうだなっ!」
「じゃあこれからは、私も、そんなお兄さんの、ありふれたいつものに、入れてくださいねっ!」
「……ああっ!」
そしてとある横断歩道が見えてきた。
信号はまだ青が点滅し始めたばかり。
十分に赤までに渡り切れる。
マンションはもう目と鼻の先、いつもなら一気に駆け抜けるところだ。
だけどこの不思議な時間を引き延ばすかのように、名残惜しむかのように、どちらからともなく足を止めた。
そこでお互い肩を並べながら、はぁはぁと乱れた息を整える。
沙紀は真っすぐに正面を見据えながら、ポツリと呟く。
「お兄さんが最初だったんですよ」
そう言って沙紀はぎゅっと繋がれた手を握りしめた。
私はここにいますよ、と自らを主張するかのような力強さで。
「自分が変わると世界が変わるんだって、教えてくれたの」
「……え? それってどういう……」
真剣な声色だった。
だけど隼人は間抜けた声を返すだけ。
何のことかと思って沙紀の横顔を覗いてみれば、どこか遠くを見つめ、とても大切な何かを確かめるような、懐かしむような眼差しが目に移り釘付けになる。
だからそれが沙紀にとってとても大事なことなのだということだけはよくわかった。
必死に記憶を探る。
だけどいくら考えても思い当たる節はなにもない。
すると沙紀は眉間に皺をよせ小首を傾げる隼人を、さも当然だといった様子でくすくすと笑う。
「ふふっ、秘密です」
「あ、ちょっと!」
そして青になると同時に走り出す。
先ほどから沙紀に振り回されてばかりだ。
隼人が「なんだよもぅ」と拗ねたように声を漏らせば、「あははっ」と揶揄うような声が返ってくる。
だから抗議とばかりに、繋がれた手をぎゅっと強めに握り返すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます