10.約束、な


 二階堂春希は高嶺の花であり、その行動は皆に注目されている存在だ。

 春希自身もそうあるべきと行動してきたし、その価値を正しく理解しているはずだ。


 彼女から何の用件もなく男子に話しかける――それだけで周囲に様々な憶測を呼んでしまう、特別な事だった。


「二階堂さんが転校生に?」

「まさか、好みだとか……」

「いや、転校生だから何か用事があるに違いない、そうであってくれ!」


 周囲から興味や妬み混じりの視線やヒソヒソ声が聞こえてくる。

 既に注目の的になっていた。もはや無かったことにするには難しい。

 それは隼人も春希も、嫌が応にも理解させられる。


「ええっとその、アレ、アレです。アレのことです」

「アレ……? 二階堂?」


 だというのに、春希は先と変わらず涼し気な顔のまま「アレ」を連呼する。まったくもってアレである。


 しかし傍から見れば、むしろ隼人が何故わからないのかと責めたてられているような構図になってしまっていた。だが隼人には、それが今まさに自分の失敗に気付き、全力で誤魔化そうとしているのだと、わかってしまう。


(そういえば……)


 かつての事を思い出す。

 子供の頃、春希が調子に乗って牧場と畑を隔てる木柵に上って歩いていたら、急に壊れてしまった事があった。


 幸いその時は近くで農作業していた大人達のお陰で羊も逃げることもなく事なきを得る。

 木柵が腐りかけていたのが原因で、春希に責任も怪我もなかったのだが、その時の春希は自分がやらかしてしまったと思い込み、今のように『アレだよアレ、アレがああなっていてアレ……』とひたすらアレを連呼していたのだった。


 澄ました顔をしているものの、隼人には今の春希は、その時のはるき・・・と全く同じものに見えた。ついでに言えば助けを求めるような瞳まであの頃と一緒である。


(……ったく)


 隼人はくつくつとした込み上げる笑いを堪えながら、さてどうしたものかと言葉を選ぶ。


「あぁ、アレだな。今朝、俺が花壇で頼まれたやつ」

「っ! そ、そう、それです。早めに済ませておきたくて……今、大丈夫ですか?」

「わかったよ」

「あ、鞄も一緒にお願いしますね」

「へいへい」


 とっさのアドリブだった。

 しかしこれで、『頼まれごとを早く済ませたいから急かしている』という図に作り替えることに成功する。

 周囲も「なーんだ」「だよねー」といった安堵(あんど)の空気が広がり、興味を失っていく。


 隼人の主観で春希はあからさまにホッとしたような顔をつくり、誤魔化すようにさっさと教室を出ていった。やれやれとため息を吐く隼人に、ニヤニヤした様子の森が話しかけてくる。


「役得だな、転校生・・・

「はは、うっせぇよ」




◇◇◇




 春希と共に向かったのは、旧校舎にある、こじんまりとした何もない部屋だった。

 広さはおよそ教室の4分の1ほど。細長く板張りで、歴史を感じさせられるうらぶれた場所だ。しかし床はチリ一つなく、しっかりと手入れされた形跡がある。


「……ここは?」

「んー秘密基地。この辺って資料置き場にしか使われてないからさ、誰も来ないんだよね」

「基地にしては何も無さ過ぎだろう」

「あは、確かに。今度何か持って来よう。避難所シェルターも兼ねてるしね」

避難所シェルター、か」


 周囲の目が無いせいか、春希は先日の自室と同じくガキ大将モードになる。

 スカートの事などお構いなしに、ドカリと座って胡坐(あぐら)をかく。一瞬迷いはしたものの、さすがに靴下まで脱ぐのは躊躇ためらったようだった。


(これ、教室の皆には見せられないな)


 隼人はこめかみを押さえつつも辺りを見渡す。


 板張りの何もない小さな部屋。

 秘密基地にしては寂しい場所。

 喧騒を離れる為だけの避難所。


 空き部屋にしても資材も何も置いていない、窓が付いているだけの殺風景な部屋だ。


「……どうしたんだ、ここ?」

「たまたま見つけたんだ。鍵もあるよ?」

「いいのかよ」

「バレなきゃ大丈夫。隼人も座ったら?」

「ったく」


 春希の前に腰を下ろした隼人は、同じく胡坐をかいて向かい合う。


「それで? 一体どういう了見だ?」

「あ、うーん……なんていうかね……」


 唸りつつ、歯切れの悪い返事をする春希。何かを躊躇ためらっているようだ。

 先ほど春希は隼人を誘った。

 普段の仮面を装いつつも、軽率な行動とも言えた。しかし、何かを強く訴えてくる瞳が、強く印象に残っている。それほどまでに何か言いたいことがあるのだろう。


「笑わない?」

「ものによる」

「笑ったら貸しだよ」

「あぁ」


 春希の真剣な目が隼人を捉える。隼人もその想いを受け止めようと向き直る。


「実はボク…………友達とお昼を食べるのが夢だったんだ」

「…………は?」


 思わず間抜けな声が出た。

 それを呆れられたと勘違いした春希は、柳眉りゅうびを吊り上げて抗議する。


「もう! ボクにとってはすっごく重要なことなんだよ! ボクってほらさ、あんなだから……誰かと食べるとかで揉め事とか起きちゃったこともあったし……だからずぅ~っと1人だったから、その……」

「…………」


 最後の方の語尾は消え入りそうになっていた。

 春希の言ったことは容易に想像できる。

 先ほどまでの教室での光景と、避難所と呼んだこの空き部屋。

きっと、そういう事なのだろう。

 この部屋でずっと1人でお昼を過ごしてきたかと思うと胸が痛む。


(まったく……っ!)


 隼人はその痛みを誤魔化すようにボリボリと頭を掻き、鞄から弁当を取り出した。


「そうか、ならこれからは毎日夢が叶ってしまうな」

「隼人……」

「違うのか?」

「ううん、違わない。じゃあこれはボクからの貸しってことで!」

「安い貸しだな」

「あは、じゃあ10回で貸し1つにしよう」

「それだと春希の貸しが貯まる一方だろ……特に用事が無ければ昼はここに集合、そういう約束でどうだ?」

「約束……そっか、約束……うん、約束だよ、隼人!」

「お、おう」


 春希はキョトンとした様子で目をパチクリさせたかと思うと一転、子供のように無邪気な笑顔を咲かせた。感情を抑えきれないのか、興奮気味の春希は額がくっつきそうなほど隼人の下へと詰め寄ってくる。


(ち、近すぎるだろ!)


 見た目は美少女の春希である。それは隼人も認めざるを得ない事実だ。

 そんな春希が、他の人には絶対見せないであろう満面の笑顔を、こうまで近付けられてしまうとドキドキしてしまうのは仕方ないことだろう。


 隼人はそんな胸中が春希に知られてしまうのは、なんだか悔しい気がした。


「離れろって」

「あ、ごめんごめん」


 だから多少強引に春希を押しのけると、ぶっきらぼうに右手の小指を差し出した。

 自分でも子供っぽい事をしているなという自覚があった。


「約束、な」

「うん、約束。えへっ」


 絡まる小指。些細な秘密の約束。互いに零れる笑い声。

 また1つ、あの時のように、2人の間に思い出が生まれるのだった。

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