219.実は


 ただ開いた扉の前で、茫然と目の前を眺めるだけしかできなかった。

 雑誌やネットで見た時そのままの華やかな女の子――愛梨が少し肩身を狭そうにしつつ、沙紀と頭を下げあっている。どうやら沙紀と愛梨が事前に連絡を取り合って、ここへ姫子を連れてきたようだ。それはわかる。

 いつの間に2人が知り合いに? どうして自分に何の用が? 様々な考えが頭の中をぐるぐる駆け巡る。今一つ、この状況が呑み込めない。


「あの、外から見えちゃうので……」

「姫ちゃん、こっち」

「あ、はいっ」


 姫子が立ち呆けていると部屋の中へと促されて沙紀の隣、愛梨の対面へと腰掛ける。


「……」「……」「……」


 互いに俯き、顔色を窺い合う。

 会話はなく、緊張の糸だけが張り詰められていく。

 人気モデルである愛梨とこうして向かい合っている状況は、確かに異例なことだ。

 しかし、本当にそうだろうか?

 身近な人たちと愛梨の関係について思い巡らす。

 愛梨と仲のいいMOMOは一輝の、兄の友達の姉だ。

 そして浴衣を買いに行った時、愛梨とMOMO2人のプロデューサーが春希になにかしらアプローチを仕掛けていたことを思い返す。


「二階堂春希さん、でしたっけ……」

「っ!」


 愛梨の口からポツリと呟かれた言葉で色々繋がる。

 そして脳裏に浮かぶ名前があった。


 ――田倉真央。


 春希の事情はよくわからない。だけど春希についての話だということが容易に想像出来た。

 もし春希が母娘との関係が上手くいっているのなら、あれほど霧島家に入りびたりはしないだろう。

 姫子にとって、春希は特別な存在だ。それに再会して以来、その演技の凄さを、輝きを、目の当たりにしてきている。

 遅かれ早かれ、誰かに見い出されることだろう。尊重すべきは春希の意志。

 だからこそ、姫子としてはまずその立場を明確にしなければと、使命感に燃える。


「あ、あのっ、言っておきたいことがあるの!」

「っ!」「ひ、姫ちゃん……?」


 意を決し少しばかり心拍数の上がった胸をぎゅっと押さえ、顔と声を上げる。

 沙紀と愛梨の視線が突き刺さりたじろぎそうになるも、ごくりと喉を鳴らし弱気と共に色々なものを呑み下す。


「あたし、はるちゃんの味方だからね!」

「っ! そ、そうですか……」


 姫子の言葉に、愛梨はあからさまに動揺から目を泳がせ表情をくしゃりと歪ませる。

 思わず罪悪感に駆られるが、しかしこれは譲れない一線だ。

 キッと目に力を入れ愛梨を見つめれば、愛梨は恐る恐るといった様子で尋ねてくる。


「てことはやはり……でも彼女、前に一輝くんをフッていますよね?」

「へ?」

「…………え?」


 そして姫子は意外な愛梨の返答に、間の抜けた声を上げてしまう。

 愛梨もそんな姫子の反応に、目をぱちくりさせる。

 沙紀はオロオロと互いの顔を見るばかり。

 何かが噛み合わなかった。


「待って! えっと……はるちゃんが一輝さんを……? 初耳、なんだけど……」

「人伝だけど、そんなことがあったって……」

「え、いつ頃?」

「夏休み前くらい……」

「うーん、そんな素振りとか全然なかったと思うけど……」


 春希と一輝が一緒だったときのことを思い返す。

 プール、買い物、秋祭り。

 初めて会った映画館の時から一輝が揶揄い春希が突っかかる――そんな、なんだかんだ気の置けない友人同士のじゃれ合いのような関係が思い浮かぶ。

 仲は良いだろう。しかしそこに一輝からの恋愛の色は汲み取れない。春希からは言わずもがな。

 腕を組み、「むむむ」と唸る。

 しかし、火のない所に煙は立たぬ。

 何かしら姫子のしらないところで何かがあったのかもしれない。

 そう思うと、やけに胸がもやもやしてしまう。


「よし、じゃあ本人に聞いてみよう!」

「え!?」「姫ちゃん!?」


 言うや否や姫子はスマホで春希のアドレスを呼び出し、スピーカーに。

 やけに神妙な表情の沙紀や愛梨が見守る中、ややあって通話が繋がる。


『あれ、ひめちゃん? どうしたの?』

「はるちゃん? えっと今、外なの? ちょっと聞きたいことがあったんだけど」

『ん、ちょっと待ってね、恵麻ちゃーん――』


 スピーカー越しに外の喧騒が聞こえてきた。タイミングが悪かっただろうか?

 そういえば昨夜、文化祭の衣装でどうこう言っていたことを思い返し、バツの悪い顔を作る。

 ならば質問は簡潔にしなければと思考を回す。


『お待たせ! で、聞きたいことってなに?』

「はるちゃんってさ、一輝さんのこと好きなの?」

『は?』「「っ!?」」


 姫子のストレートな物言いに、動揺混じりの驚きの声が上がる。沙紀と愛梨は叫び出さないよう、それぞれの口を押えている。

 反論はすぐさま返ってきた。


『いや、まったく、これっぽちも! ていうかひめちゃんがどうしてそんなことを聞いたのか、不思議なくらいなんだけど!?』

「ちょっと一輝さんがさ、はるちゃんに告ったって話を聞いて。それでどうなのかなーって思って」

『あぁ、それ……お互い変なのに言い寄られないようにって感じのアレ。だからボクは海童のことなんて、心外、前々、毛ほども思ってないから! それだけは覚えといて!』

「う、うん、わかった」


 早口で、そしてやけに迫力のある真剣なまでの気迫に、姫子はうんうんと頷く。沙紀と愛梨も同様だ。

 ともかく、事情はわかりすっきりとした。

 文化祭の準備に忙しい中応えてくれたことに一言告げてから通話を切ろうとした時、意外過ぎる言葉が春希から飛び出す。


『ひめちゃん、もしかしてその、海童のことが好き、だったりするの……?』

「へ?」


 思わず素っ頓狂な声が漏れる。

 一輝を? どうして?

 あまりに突飛な問いかけにぐるぐると思考を空転させると共に、一周回ってなんだかおかしくなってきてしまった。


「あははははははははっ!」

『ひ、ひめちゃん!?』「「っ!?」」


 いきなり笑い出した姫子に驚く声が聞こえてくる。沙紀と愛梨も目をぱちくりとさせている。

 姫子は目尻を拭いながら言う。


「あたしと一輝さんが? ないない! 面白くていい人だとは思うけどね。そもそも――一輝さん、そういうのは当分勘弁だって言ってたし」


 最後の方はしんみりとした言い方になってしまっていた。

 姫子はかつてプールの時、それだけモテるのにどうして彼女を作らないのか聞いた時のことを思い返す。

 それから秋祭りの騒動の時、どうしてそう言ったかのかの理由を思い知った。とても傷付いているということも。それはどこか、共感を覚えるところでもある。


『そっか。うん、いきなり変なこと聞いて悪かったね、ひめちゃん』

「ううん、こっちこそ、はるちゃん」

『じゃあボクはこれで。衣装の打ち合わせがあるから』

「うん、またね」


 通話を終了させ、ふぅ、と疑問が晴れて清々しいため息を吐く。

 そして正面に向き直ると愛梨がやけに困ったような、ともすれば泣き出しそうな顔で訊ねる。


「一輝くん、今は恋愛とか興味ないって言ってたんだ」

「うん。その、色々あったみたいで、そういうのはしばらくはいいやって。……あたしもその気持ち、わからなくはないかなぁ」

「そう、なんですね……」


 すっきりとした姫子とは裏腹に、愛梨の顔が曇っていく。空気も重々しくなる。

 姫子がさすがにこれは困ったとばかりに「えぇっと」と呟き、助けを求めるように隣の沙紀を見れば、沙紀はちらりと愛梨を見た後、おずおずと口を開く。


「その、姫ちゃん。実は今日ここに呼んだわけなんだけど、実はお兄さんや春希さん、一輝さんたちの高校の文化祭について、のなんだ」

「え、あ、うん。えぇっと、それとどうして愛梨、さんが……?」

「そ、それは私から説明します!」


 ふいに愛梨が声を上げる。

 緊張の感じられる、硬い声色だ。

 その瞳は姫子が今まで見たことのない、真剣味を帯びていた。


「実は私――一輝くんのことが好きなんです……っ!」

「……え!?」


 そして続く言葉に、姫子は今日特大の驚きの声を上げた。

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