1-7   グランベール公爵


 マリウスの福音の儀の翌朝、朝食を済ませて執務室に入ったクラウスを、騎士団長のジークフリートが待っていた。

 

「待たせたなジーク、それでオットー・ベルハイム司祭の行方はつかめたか?」

 クラウスの問いにジークフリートは難しい顔で首を振る。


「申し訳御座いません御屋形様。昨日の若様の福音の儀の後、誰も司祭の姿を見た物が居らぬ様で。現在市街を隈なく探索させておりますが、いまだ発見の報告はございません」

 

 クラウスはジークフリートの報告に、押し黙ると眉間に皺を寄せた。

 マリウスの福音の儀の後姿を消した。


 偶然だとは思えない。

 嫌な予感が胸の内に湧いてくるのを、抑える事が出来ない。

 

 ジークフリートが報告を続ける。

「教会の捜索から帰った騎士たちの報告によると、オットーは教会の裏の小屋で独り暮らしをしていたそうですが、小屋には着替えも金や貴重品の類も、聖書まで全て残っていたそうです、何も持たずに姿を消したようです」


 余程いそいでいたのだろうか、それとも誰かに攫われたのか。

 

 何のために司祭を?


 クラウスの考えを読んだ様にジークフリートが言った。


「どの関所の兵も、ベルハイム司祭や怪しい者が通るのを見ておりません。まだ街に潜伏していると思われます」

 

 辺境の街であるエールハウゼンは、城塞都市とまでは言わないが、それでも魔物の襲来に備えて周囲を柵や高い塀で囲っており、四か所ある門には関所を置いて衛兵を常駐させており、夜間は門を閉ざしている。

 

 部屋がノックされ、執事のゲオルクがホルスの来訪を告げた。

 直ぐに此処に通すよう告げると、ゲオルクが出て行く。


 部屋に入って来た家宰のホルスは、ジークフリートを一瞥すると、クラウスに向き直る。

 

 眉間に皺を寄せたホルスの顔をみて、クラウスは悪い知らせだと予想する。

「御屋形様、某も気になって騎士団に同行し教会の捜査を見て参りましたが、非常に不味い事態の様で御座いま。」


「何があった」

クラウスが話を促す。


「教会を隈なく探索したところ、祭壇の奥に隠し部屋が有るのを発見しました。そこでこの様な物を見つけました」


 そう言ってホルスは、手に持っていた金属製の筒の様なものを、クラウスの机の上に置いた。

 

 クラウスはそれを手に取って眺めた。

 何か術式らしいルーン文字が表に刻まれている。


「これは?」

 クラウスの問いに、ホルスが答える。


「どうやら、壁を盗聴する魔道具のようです」

 

 クラウスは、無言で眉を吊り上げた。

 二人は既に昨日、マリウスのギフトについてクラウスから打ち明けられている。


 必ず秘密を厳守せよ命じられて、まだ一晩しかたっていない。

 重苦しい空気が執務室を包んでいた。

 

 三人は暫く無言でいたが、やがてクラウスが口を開く。

「引き続き探索は続けてくれ、街の内外は勿論、四方の領境にも捜索の範囲をひろげよ」

 

 子爵領と言っても、僅か一郡、東西40キロ南北30キロ程の広さしか無い。

 司祭が何らかの方法で柵の外に抜け出したのであれば、一晩駆ければ


 おそらくオットーは見つかるまい。

 クラウスはそう思うと、眉間の皺を更に深くなる。

 

 やがて重苦しい空気に耐えかねたように、クラウスが溜息を付く。


「抜かったわ! 全て後手に回ったようだ。やはりマリウスの、ギフトは漏れたと考えるべきか?」

 

 クラウスの言葉に、ホルスが答える。

「ベルハイム司祭が、周到に準備していたのであれば、少々腑に落ちぬものが有りますが」


「腑に落ちぬとは?」

 ホルスの言葉にクラウスが重ねて問う。

 

 ホルスは考えを整理する様に、ひと言ひと言言葉を区切りながら話始める

「司祭は此度の事を、予め予測していたのでしょうか?我ら一同ですら、まったく予測してなかったと云うのに」


「うむ、確かに」

 クラウスも正直其処に引っかかっていた。

 

 誰が、このような辺境の領主の息子にゴッズのギフトが与えられる等と、予想できたであろうか。


 家族は勿論の事、王都の司祭や認証官でさえ驚愕していたというのに。

 オットー・ベルハイムの如き二等司祭が、あまりにも鮮やかに自分達を出し抜いたという事に、どうにも納得のいかない思いがクラウスにはあった。


 そしてそれは二人にとっても同様であった。

「誰かが裏で糸を引いているという事か?」


 ホルスの言葉にジークフリートが問い返す。

「例えば?」


「グランベール公爵とか」

 クラウスは暫く考えていたがやがて首を振る。


「ありえんな。確かに公爵閣下は猜疑心の強い方ではあるが、このアースバルト家の嫡男のギフトをそれ程気にするとは思えん。なにより閣下は誇りを重んじる御方、そのような小細工を弄するとは思えん。まして奥方」


 クラウスはそこまで言って、顔を顰める。

「エルザ様なら、気になればとっくにここに飛んできて、私を締め上げおるわ。」

 

 クラウスの言葉にジークフリートが苦笑して言った。

「確かにあのお方ならそうでしょうな」


「それでは辺境伯家でしょうか?」

 ホルスの問いにクラウスは頭を振った。


「あの魔女殿の考える事等見当も付かんが、正直公爵家以上に我が家を気にかけているとは思えん」

 

 少々自嘲気味だが止むを得ない話である。

 両家とも国内最大の貴族である。


 アースバルト家の様な、僅か一郡の主、数百の兵しか持たない小領主を、気に掛けるとも思えなかった。

 

「ジークはどう思う」

 クラウスは気を取り直して、ジークフリートに話を向ける。


「そうですな、やはり一番怪しいのは教会ですかな」


「教会か、何か根拠はあるのか」

 

 クラウスの問いにジークフリートは得たりと話始める。


「福音の儀の後、街を出たのは王都の司祭の一行のみ。その馬車にベルハイム司祭を隠して脱出させたのなら、関所の衛兵の目もごまかす事が出来ます」

 

 ジークフリートの言葉に、ホルスが切り返す。

「確かに王都の司祭様と認証官殿を載せた馬車なら、関所の兵士も中を改めることは出来んが、それだと認証官も仲間という事になる。誓約を交わした認証官がその様な事をするであろうか」


「確かに、認証官がその様な企みに加担するとは思えぬが、例えばそれが王家の命であれば……」


「待てジーク、其方王家と教会が手を結んで我が家を探っているとでも言いたいのか?」

 

 話がでかすぎる、とクラウスが呆れる。

「あくまで可能性の話で御座る」


 ジークフリートも本気で思っているわけでは無い。

 今の時点で考えても答えは出ない。

 圧倒的に情報不足である。

 

「とりあえず対応はどうすべきか」

 クラウスは二人に、意見を促す


 ホルスとジークフリートは、彼が少年時代から共に育った、彼の守役達である。

 

 ホルスはレアの官吏として、妻のマリアと領内の開墾、治水、道路の整備等、子爵家の行政を差配してくれている。


 ジークフリートはレアの槍士として、常に戦場では先鋒を駆け、魔境の魔物の侵入を防ぎ、エールハウゼンの治安を守り続けている。

 

 クラウスは二人とも、自分の様な小領主には、過ぎた宝だと思っている。

 云ってみれば、子爵家始まって以来の危機に、頼るのはこの二人しかいない。


「やはり若の護衛を厚くして、関所の取り締まりも強化すべきかと」

 ジークフリートの意見に、ホルスが難色を示す。

 

「それもやり過ぎると、却って疑惑を招く事に成りかねん、それよりマリウス様のギフトは、レアと云う噂を、市民に広めるのが得策かと」


「ただ直近の護衛が息子達だけでは、心許ない。せめてクルトをマリウス様の御傍に置いてはいかがでしょう」

 

 副団長のクルトはアドバンスドの剣士だが、その恵まれた体躯と、獣人の身体能力の高さで、ジークフリートとも互角に戦える、騎士団随一の戦士である。


 いずれ、ジークフリートの後を継ぐのは彼だと言われている。

 ジークフリートの提案に、クラウスも関心を示す。


「クルトの護衛なら申し分ないが、副団長を抜いてしまっては、其方の負担が増えるのでは?」


「なんの、まだまだ隠居する年でも御座いません。若の代で御家がさらに飛躍するのであれば、その日まで先陣を駆けたく存じまず」

 

 既に髪にちらほらと白髪が混じり始めているジークフリートの大見得に、ぬかしおるはとクラウスは、からからと笑う。


「それでは、クルトをマリウス様の新しい剣術指南に付ける、という事に致しましょう。それなら不自然でないかと」


「うむ、其方らに任せる。マリウスの事くれぐれも宜しく頼む」

クラウスはそう言って二人の守役に頭を下げた。




 グランベール公爵家当主、エルヴィン・フォン・グランベールは、昼食の後の茶を楽しみながら、公爵騎士団軍師アルベルト・ワグナーの報告を聞いていた。


 大きく開かれた絹のシャツの胸元から、逞しい胸襟が覗いている。

 短く刈り込んだ黒髪と、太い眉が精悍さを増している。

 

「クラウスの倅は、レアの付与魔術師のギフトを得たのか。なんとも中途半端なギフトだな。司祭からギフトは受けなかったのだな?」


「其の様な報告は、受けておりません」

 公爵とは対照的に、痩せた小男であるアルベルトは、報告書を捲りながら答えた。

 

「レアのギフトを得たのに、莫大な金を払ってまでミドルのギフトを得る必要は無いと云う事か」


 レアの格闘家のギフトを持つグランベール公爵は、付与術師と云うジョブに今一興味をひかれなかった。

 

 足を組んで、背凭れに凭れ掛かり目を閉じる。

 ギフト次第では、エレンの嫁ぎ先に考えても良かったのだが。


 エレン・グランベールは公爵の一人娘である。

 マリウスと同じ今年7歳で、春に福音の儀を受ける手筈になる。

 

 エルヴィンは、アルベルトの眼鏡の奥の細い目が、自分を見つめているのに気づく。


「どうしたアルベルト、何か気になることがあるのか?」


「二点ほど、一点は些か情報が流れるのが早すぎるかと」


「故意に噂を流しているという事か」


 実直さが取り柄のクラウスには、似合わない小細工だが、何せあの家には、ホルス・ワルシュスタットと云う食えない狸がいる。

 

「して、もう一点は?」


「はっ。エールハウゼンの教会司祭が福音の儀の後、行方を晦ませたようです。現在騎士団が出動して領内を探索中とのことで御座います」


「街の司祭が? しかし福音の儀を執り行ったのは王都本部の司祭と聞いていたが?」


「ハイ、間違い御座いません。最高認証官エレーネ・フォン・ベーリンガーの立ち合いで、儀式を執り行ったのは、王都本部のアーゼル・ミューラー一等司祭です」                     


 そう、王家の最高認証官である、エレーネ・ベーリンガーが派遣されて来たのも驚いたが、司祭が失踪とは。


 何やらこの公爵家の寄子の家で、自分の与り知らぬ事が進行しているらしい。


 グランベール公爵は、八つ当たりする様に、空になったティーカップのハンドルを指で弾いた。


 チン、と音を立てて飛んできたハンドルを、ひょいっと首だけ動かして躱したアルベルトは、何事も無かったかの様に言った。


「いかが致しましょうか?」


「引き続き、エールハウゼンにて噂を集めさせよ、領境にも斥候を放ち、通る者を監視させよ。それとアースバルトと、王家の認証官との繋がりを徹底的に調べるのだ!」

 

 この鉄血のエルヴィンを侮る者あらば、何時でも鉄槌を下してくれる。

 そんな主の姿に、若い軍師は満足げに頷くのだった。

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