6―64  皇帝ニコラウス3世


 ドリスにとってはハインツの下で働いた日々こそが、騎士としての自分の栄光の全てだった。


 ハインツに付いていけばもう一度栄光を取り戻せるのではと思うのは、ドリスの勝手な思い込みで、ハインツ自身そんな考え等無い事はドリスにも分かっていた。


 ハインツも、ロナルドも、ニクラウスもただレーン高原で死ねなかった代わりとなる死に場所を求めているだけだった。


 自分はいったい何をしているのか。

 ドリスは空になったコップに酒を注ぎながら、再び溜息を付いた。

 

 王国にはもういられない。


 いっそ南の自由交易都市にでも行って傭兵にでもなるか等と考えてながら窓の外に目を向けたドリスが、路地の陰から此方を覗く警邏隊らしき二人組を目に止めた。


 ドリスの部屋はレンガ造りの宿の三階であったが、カーテンの陰に隠れながら下を見ると、反対側の路地にも此方を見る警邏隊の制服を着た二人組を見つけた。


 ドリスが“魔力感知”を働かせると、既にドアの外に6人、一階のフロア―に10人が待機しているのが分かった。


 安宿の木製のドアが蹴破られるのと、ドリスが窓から夜の街に飛び降りるのとがほぼ同時だった。


 落下するドリスが、地面から伸びた石の柱の上に膝を着いて着地する。

 下で警邏隊の制服を着た兵士たちが、けたたましく警笛を吹き鳴らした。


 ドリスは構わずに石の柱を湾曲させながら伸ばすと、石の柱がドリスを乗せたまま隣の建物の屋根に突き刺さった。


 屋根に飛び移ったドリスが一気に反対側迄駆け抜けると、一階分低い隣の建物の屋根に向かってジャンプした。


 空中を舞うドリスの体を竜巻が包み、ドリスがバランスを崩して地上に落下した。


 とっさに“物理耐性”を全開にして、背中から地面に叩きつけられた衝撃を何とか耐えたドリスの首に抜身の剣先が当てられた。


「元エールマイヤー公爵騎士団のドリス・リーゼンだな。貴様に聞きたい事が有る。警邏隊の本部まで来てもらおう」


 バーンの言葉を聞きながら、ライナーが歯噛みするドリスを睨みつけて満足げに拳を握りしめた。


  ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼


 ステファンはバルバロスでケリーを送ってからアンヘルに帰ると言って、先にロランドを飛立って行った。


「帰ったらアデルの奴をぶん殴ってやる。まさかあそこから負けるとはな」


 何と特級魔物狩競争は、最終日ニナ隊が4匹フレイムタイガーを狩ってトータル6匹で逆転優勝したらしい。


 アデルたち『白い鴉』は獲物に出逢えないままセレーン河まで辿り着き、川から這い出してきたユニークの巨大な蛇の魔物、ヨルムンガンドに遭遇したが、対象でないのでさっさと撤退したらしい。


 マルコ隊、オルテガ隊も一匹ずつ追加出来ただけだった。


「せめてユニークの魔物でも狩ってれば、格好が付いたのによ」


 ケリーはブリブリ怒っているが、無駄な危険を犯さないのはさすがアデルだとマリウスは思った。


 エルザが昨夜2千の兵を率いてエール要塞からやって来た、ビルシュタイン将軍の副官ディルクと、先に千の兵でロランドの救援に来ていたグレーテに指示を出していた。


「ロス湖の調査結果は逐一連絡してくれ。『禁忌薬』がどのような影響をもたらすのかもっと詳しく知りたい」


「はっ! 承って御座います」


 あれだけのリザードマンや多くの水棲魔物が出て来たので、もうロス湖にはそれ程魔物がいるとは思えないが、聖騎士達も見つかっていないので、大規模な部隊で調査に向かう事になっていた。


「ロス湖の魔物が全て居なくなったとなると、新たに別の問題が出て来る」


 エルザがマリウスを振り返って言った。


「別の問題ですか?」


「うむ、今までロス湖のリザードマンがある意味防衛線になっていた。リザードマンがいなくなってしまうと、北の国境に通路が開けてしまう事になる」


「北の国境というと……?」


「ユング王国との国境だ」

 エルザがにやりと笑って言った。


 ユング王国と早急に手を結ぶ必要があると言っていたのは、そう云う意味もあるのだとマリウスも理解した。


 ユング王国が帝国に従うなら、新たに帝国が侵略して来る道が開けた事になり、防衛のための要塞の建設などの必要が出て来る。


 逆にユング王国と手を結ぶことが出来れば、当面の帝国の脅威は無くなる。


「それにバシリエフ要塞とリカ湖にリザードマンが移ったのなら、エールの防衛の心配は無くなったが、同時に移住者たちが通る道も無くなってしまったという事だ」


「あっ! そうですね。それは拙かったですね」


 さすがにそこまではマリウスも考えが及ばなかった。

 移住者を受け入れるとアレクセイ達に言ったのに、彼らが移動する為の道を潰してしまっていた。


「大スタンレーの麓を通るルートもあるが、あの道は険しい山越えの上に、エンシェントドラゴンの支配地だ。移住者が移動する為にはやはりユング王国を経由するのが一番安全であろう」


 エール要塞の兵士の為にマリウスは、集めて貰った木切れ5百本に“魔物除け”を付与して置いて来ていたが、移住者の移動の為にもっと沢山作っておいた方が良かったかもしれない。


 ユング王国との交渉が上手くいかなかったときの用心に、月末に最初の支援武具を送る時に、何か持ちやすいものに付与して、一緒に送ろうとマリウスは思った。


 国の政治を動かすという事は、状況の変化に瞬時に対応できる能力が必要なのだろう。


 マリウスはエルザが意外な程先を見て物事を考えているのに少し驚いていた。


「いずれにしてもユング王国との関係が重要になる。すぐにロンメルと協議して対応を決める」


 マリウスはハティに乗るとエルザを後ろに乗せて言った。


「エール要塞には寄らなくてよろしいですか?」


「ああ、もうエールは大丈夫であろう。ベルツブルグに帰ろう」


 マリウスが頷くとハティが大空に駆け上がった。


  ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼


「行っちゃったね。あれがアースバルトの若様か」


 アセロラが空を見上げながら呟く。


「どう見てもただの子供だけどな。あんな子供がたった一日でスタンピードを食い止めて、帝国軍を追い返して、帝国の要塞まで落としたなんて話、多分喋っても誰も信じてくれないだろうな」


 ジオも空を見上げながら言った。


「ただの子供だよ。普通の良い子だよ」


  アセロラがジオに答える。


「そうだね。ていうか、その話は他所でしちゃ駄目だって奥方様に言われたろ」

 パメラが二人を窘めた。


「俺たちはお役御免らしいからもうじき王都に帰るけど、アセロラはどうする」


「そうだね、私も久しぶりに王都に行ってみるか。弟子の顔も見たいしね」


「弟子って、医術師の弟子かい?」


 パメラがアセロラに問い返すと、アセロラが笑って言った。


「40年会ってないからもう爺さんになっているだろうね、噂じゃギルドのグラマスになったらしいから、少しくらいなら面倒とみてくれるだろう」


 アセロラはそう言いながら、マリウスが去った南の空を見上げて呟いた。


「そう云えばアデリナはどうしてるだろう。ちゃんとご飯食べれているかな」


 アセロラはエールハウゼンに残して来た娘の事をふと思い出していた。


  ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎


 大陸の北西に位置する大国、エルドニア帝国の帝都リバーティアは、北の海に面した人口150万人を抱える巨大な城塞都市であった。


 リバーティアの中央に聳える、黒を基調にした荘厳な宮殿に今、敗戦を知らせる使者が到着していた。


「一体何を言っているの! もう一度正確に報告しなさい!」


 使者の報告に静まりかえった宮殿内の大広間で、宮廷顧問官ミーシア・ドルガニョヴァが柳眉を吊り上げて使者を問い質した。


「はっ! エール要塞を取り囲んだわが軍は突然の魔物の襲撃を受けて壊走いたしました。バビチェフ将軍、アレンスカヤ将軍、アニキエフ将軍は行方不明。また、魔物の群れはそのままバシリエフ要塞を襲い、要塞守備軍も撤退、現在魔物がバシリエフ要塞を占拠しております。なおユング王国軍は全軍戦場を脱走し帰国した模様です。ただ御一人健在のマカロフ将軍が攻城軍とバシリエフ要塞守備軍の生き残りの兵1万8千と近隣の村の避難民を連れて、ロマニエフの城まで退かれました」


「生き残りが1万8千だと! 他の者は皆死んだと申すのか?」


「たった一日でバシリエフ要塞が魔物に落ちただと! そのような事が有り得ぬ!」


「ユング王国軍が脱走しただと! それは謀反か?」


「マカロフ将軍は何故兵を引いたのだ? バシリエフ要塞を死守すべきではなかったのか?」


 やっと使者の言葉を理解出来た君臣たちが一斉に怒声を発して使者を攻めたてる。

 宮殿内の大広間である。


 使者は膝を着いて頭を伏せたまま、無言で罵声を浴びていた。


「静まれ! 皇帝陛下の御前であるぞ!」


 軍務卿ヴァシリー・リヴァノフ侯爵の一喝で再び広間が静まり返る。


 リヴァノフ侯爵が高い玉座に座るエルドニア帝国皇帝ニコラウス3世の前に進み出て、膝を着くと頭を垂れる。


「陛下。此度の敗戦、軍を預かる者として伏してお詫び申し上げます。しかしこの戦、もしや我らは教皇国の姦計に嵌められたのでは御座いませんか?」


「何を申すリヴァノフ侯! 負け戦の言い訳は見苦しゅうございますよ!」


 皇帝の傍らに立つミーシアがリヴァノフ侯爵を睨みつける。


「我らはエール要塞をただ囲っていれば、教皇国の兵がスタンピードを起こしてロランドとエールを落すと云う話であった筈。それが何故わが軍の方が魔物に襲われる事になったのか、得心のいくご説明を願いたいミーシア殿」


 リヴァノフ侯爵もミーシアを睨みつけた。


「余の旗はどうした?」


 それまで玉座で肘掛けに頬杖をついて、眉間に深い皺を寄せて目を閉じていた皇帝ニコラウス3世が目を開いた。


「は、旗で御座いますか?」


 リヴァノフ侯爵が何を言われたのか良く解らずに、不覚にも思わず皇帝に問い返してしまった。


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