6―65 未来への帰還
皇帝の傍らに立つミーシアが、得たりとばかりにリヴァノフ侯爵を睨みつける。
「無礼者! 陛下の御言葉を問い返すとは何事。分を弁えられよ、リヴァノフ候! 良いかリヴァノフ候、バビチェフ将軍は此度の戦に皇帝旗を託されておる。皇帝旗の所在を即刻確かめよ! 万が一負け戦に皇帝陛下の御旗を放り出してきたのであれば、貴殿の責は免れぬと思え!」
威丈高とリヴァノフ侯爵を罵るミーシアに、侯爵が拳を握りしめてぶるぶる震えながら答えた。
「直ちにイヴァン・マカロフを召喚し、皇帝旗の所在を確認いたします」
ミーシアは侯爵に一瞥をくれると、居並ぶ諸侯の中の一番前に立つ三人、帝国第1騎士団長ブラソヴィチ・レバノフスキー将軍と外務卿パーヴェル・マクシモフ伯爵、ラウル・アベラール枢機卿に視線を向けてから、皇帝に向き直ると言った。
「陛下、王国に対する備えとバシリエフ要塞奪回の為、至急レバノフスキー将軍に軍を授けてロマニエフに向かわせる事を進言致します。またユング王国の真意を正す為、マクシモフ伯爵を至急、王国に差し向けるべきかと存じます」
ニコラウス3世は玉座に腰掛けたままミーシアを見上げると無言で頷く。
「アベラール枢機卿猊下には、ぜひ今後の対応について教皇猊下の御指示を承って頂きたいですわ」
ミーシアがアベラール枢機卿に嫣然と微笑んで言った。
「承って御座います、ミーシア様。直ちに教皇猊下の御意向をお伺いする使者を本国に送りましょう」
アベラール枢機卿がミーシアに恭しく礼を取ると、それまでの重苦しい雰囲気が晴れて、君臣たちが思い思いに口を開き始めた。
「我らは王国に敗れたわけではございません、偶々魔物災害に遭ってしまっただけの事で御座います!」
「戦場から逃げ出したユング王国は赦せませんな。厳しく処断すべきではありませんか?」
「マカロフ将軍は何故ロマニエフに退いたので御座いましょう、避難民など放っておいてバシリエフ要塞を奪い返すべきであったのではありませんか?」
「まったく、未だ2万近くの兵を率いながら不甲斐ない。それでも帝国の将軍か!」
皇帝が立ち上がり片手を上げて見せると、再び君臣たちが静まり返った。
皇帝ニコラウス3世は君臣たちを見下ろしながら口を開いた。
「皆の者、安堵致すが良い。余が望む限り何れエールもロランドも我が帝国のものになる。ただ少し日延べしたに過ぎぬ」
君臣たちが跪くのを一瞥し、退席していく皇帝の後をミーシアが付き従っていった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
ベルツブルグの城の中庭にハティを下ろすと、中からエレンが飛び出してきた。
「マリウス! お母様! お帰りなさい!」
後ろにマヌエラやガルシア、帰路の途中で“念話”で連絡を受けてベルツブルグに引き返したクラウスやクルト、ノルン達がぞろぞろと城の中から出て来た。
「ロランドの街を守ってくれたのね」
「うん、騎士団の人や冒険者に犠牲が出てしまったけど、街は何とか守れたよ」
「帝国軍を退けて、バシリエフ要塞を陥落させたというのは本当なのかマリウス?」
クラウスがマリウスに尋ねた。
既にエルザから“念話”で報告が届いているので、皆話は知ってはいるが、マリウスから直接聞きたいらしい。
ノルンやエリーゼ、アメリーやミハイルたちも後ろで聞き耳を立てている。
「はい、エルザ様の考えた作戦が上手くいって、帝国軍は撤退しました」
マリウスは言葉を濁したが、クラウスは満足そうに頷いた。
「よくやったマリウス。たった一日で全て解決するなど、誰も思いもよらなかったぞ」
「まったくで御座る。儂は兵をまとめてロランドまで救援に向かう処だったが、思いもよらぬ肩透かしで御座ったわ」
ガルシアがからからと笑う。
呼び戻したクラウスたちとマヌエラにベルツブルグの守りを任せて、ガルシアは手勢の500を連れて、ロランドに向けて出立する心算だったらしい。
同時に公爵領全土に今朝徴兵が発布される予定であった。
クラウスも“念話”でジークフリートに援軍の出兵を命じていたらしいが、全て慌てて取り止めにしたそうだった。
「たった一日で8万の軍勢を打ち破り、難攻不落のバシリエフ要塞まで陥落させてしまうとは。かの英雄マティアス・シュナイダーにも劣らぬ功績で御座いますね」
感嘆の声を漏らすアメリーにエルザが言った。
「此度のマリウスの手柄は残念だが公表はせぬ事にする。マリウスの村で『禁忌薬』の解毒薬を完成させた事も当分極秘だ。皆その心算でいて来れ」
既にこの件もエルザが連絡済みなので、皆が残念そうに頷く。
マリウスがスタンピードを誘導して帝国軍を壊滅させたことも、カサンドラが解毒薬を完成させたことも当分秘密にすることになっている。
特に下級とは言えエリクサーの件を教皇国に知られるのは、新たな紛争の種になるというのがマリウスとエルザ、ステファンの一致した意見だった。
「マリウス!」
皆に愛想笑いを浮べるマリウスの腕をエレンが引っ張ると、突然エレンが両手でマリウスを抱きしめた。
「え、エレン?」
「良かった。少し元気になったのね。昨日お話した時とっても辛そうだったから心配してたのよ」
昨夜エレンから“念話”が届いていたが、マリウスは戦いの光景が頭から離れず、上手くエレンと会話できなかった。
「あ、心配かけて御免。少し疲れていただけだよ」
「うん。マリウス、お疲れ様。ロランドを守ってくれてありがとう」
「うん、でもエレン。公爵様が怖い顔で見ているから、取り敢えず離して」
エレンがガバッとマリウスから離れると、真っ赤になって振り返る。
皆の後ろでエルヴィンが、鬼の形相でマリウスを睨んでいた。
クラウスたちも目が点になっているが、ノルンとエリーゼがやれやれと云う様に肩を竦めた。
マリウスは、エレンの御蔭で心が少し軽くなっていくのを感じていた。
「マリウス様!」
人垣を割って、マーヤが前に出て来た。
「ロランドを守って頂いてありがとうございます。それとマリウス様、御免なさい」
マーヤがペコリと頭を下げる。
「エレンのところに行くんだね?」
何となく予想はしていたのでマリウスもそれ程驚かなかった。
「はい、お母さんとお城で雇っていただく事にしました。せっかく声を掛けて下さったのに申し訳ありません」
マーヤの後ろで母親のミーナも頭を下げる。
「ううん、残念だけどマーヤたちの良いと思う方を選べば良いよ」
エレンの侍女になるのなら、いつかエレンが自分の処に来る時に、マーヤもきっと一緒に来るだろう。
その日を楽しみにして待つことにしようとマリウスは思った。
「帰っちゃうのねマリウス」
「うん、でもまたすぐ遊びに来るよ」
マリウスがエレンに笑顔で言った。
「それでは我らはこれにて失礼仕る」
「うむ、色々と世話になった。来月には今度は我らがゴート村に出向かせて貰う」
クラウスがエルザとエルヴィンに別れを告げると、一同が馬に跨る。
マリウスもハティに向かって歩き出したが、『野獣騎士団』のミハイルやヴィクトル、ターニャたちがマリウスの前に整列して片膝を着いて頭を垂れた。
エフレムやセルゲイたちも後ろで膝を着く。
「アースバルトの若様。我らの親や祖父母は皆、帝国からこの国に逃れて来た者です。エールの地には私の兄や友、ここにいる者達の親や兄弟、多くの同胞が眠っております。エールを救って頂き感謝いたします」
マリウスがミハイルが何を言おうとしているのか解らず少し戸惑っていると、後ろのエフレムが口を開いた。
「11年前の大戦の折、王都からエールに出向いた援軍8万人のうち4万人は徴兵された獣人兵士でした。戦の後生きて王都に戻って来た者は、僅かに5千人だけで御座いました」
エール要塞の前の傍らに建つ、戦没者の石碑をマリウスも見ていた。
「我らは此の国を自分の国と思いエールの地にて帝国と戦いました。されど3年前王国は我等獣人を騎士団から追放しました」
ミハイルの言葉をエルザやガルシア達も無言で聞いていた。
「我らは、我らを最後まで見捨てなかったモーゼル将軍閣下にのみ従う者。王国や王家に対する忠誠はございません」
ミハイルが頭を上げてマリウスを見つめながら言った。
「されど若様。エールを救い、我らの同胞を全て受け入れると仰せ下された若様だけは別で御座います。我等『野獣騎士団』何れ必ず若様に御恩をお返し致します」
ミハイルたちが再びマリウスに頭を下げた。
「あ、ありがとう。機会があればゴート村にも遊びに来てください。これから皆で作る新しい村をぜひ見に来てください」
皆が色々な思いを抱えて、この国で生きている。
辛い事を乗り越えて生きていく人たちの思いが明日を繋いでいく。
それなら自分も、明日を強く生きていきたいとマリウスは思った。
マリウスがハティに跨ると、クラウスが頷いた。
アースバルトの一行が城の城門に向かって進みだす。
マリウスは改めてエレンとマーヤ、エルザとエルヴィン、ガルシアやマヌエラ、ブルーノにガイア、アメリーやアルバン、ミハイルたちの顔を順に見渡した。
ベルツブルグの十日間は殆どが戦いの日々だった。
始めて出た外の世界は、過酷で決して優しくはなかった。
ああすれば良かったとか、もっと他にやり方があったのではとか後悔する事も多かったが、その中で確かな人の繋がりを得ることは出来たと思う。
マリウスが笑顔で皆に手を振ると、ハティが空に向かって駆け上がった。
ベルツブルグの街が眼下に広がっていく。
自分に向かって手を振るエレンとマーヤにもう一度手を振ると、マリウスは南の空を見た。
ゴート村に帰ろう。帰ったらまた新しい村作りが始まる。
久しぶりに心が自然に沸き立つのを感じながら、マリウスは新しい未来に向けてハティを駆けさせた。
第6章 ベルツブルグの少女 完
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