4―5   ハイオーガ


「未だアースバルト子爵家から返事が来ないのですか?」


 エルシャ・パラディは、美しく整った柳眉を吊り上げてヴィクトー・ラウム枢機卿を睨み付けた。


「ええ、あなたをお迎えする為の館を急ぎ造営中だそうです。出発を一月ほどずらしてほしいと言ってきていますね」

ヴィクトーは口元に微笑みを浮かべてエルシャに答えた。


 ライン=アルト王国王都、ロッテンハイムのクレスト教教会本部の一室である。


「枢機卿猊下、私は教皇様より直々に命を受けて下向しておる。子爵家に使いを出して工事を急がせて頂きたい」

「無論既に使者は送っていますよ。半月で終わらせよと。こちらから無理を言っているのですから、それ位待ってあげてはいかがですか」


 ライン=アルト王国のクレスト教会を束ねる枢機卿、ヴィクトーは苛立つエルシャを気に留めた様子もなく、穏やかに言った。


 ヴィクトー・ラウム枢機卿。 


 自分の両親を殺し、家臣たちを殺し、国を滅ぼして、枢機卿に迄昇りつめた男。


 あの女の次に殺してやりたい相手。


 エルシャはヴィクトーを、氷の様な冷たい目で見つめた。


 ロッテンハイムに入って既に一週間になる。

 アースバルト子爵家は自分を迎える館を造営する為に、着任を一月ずらしてくれるよう王都の教会に伝えて来たらしい。


「あなたがあの御方からどの様なお役目を戴いているのか存じませんが、この国の中では私の監督下に入りますから、私の指示に従って頂きたいですね」


 穏やかに語るヴィクトーだが、目は油断なくエルシャを見つめていた。


 ヴィクトーは何故あのお方が選りによってエルシャを寄越したのか、真意を測りかねていた。


 アースバルト子爵家に絡んだエレーネ・ベーリンガー認証官との一件で、ガーディアンズに多大な被害を被ったヴィクトーは、独自に子爵家に調査の手を伸ばし、エルザ・グランベール公爵夫人が辺境に現れた事を掴んでいた。


 国王の妹であるエルザが僅かな供を連れて辺境の地にいる事実に疑問を抱き、大規模な調査を入れようとした矢先のエルシャの下向であった。


「あなたをお守りする為に、私の方で人を選んでおきました」


 ヴィクトーはそう言って、後ろに控える八人の男女を紹介した。


 聖騎士の鎧を着た6人と、女官が2人。

 無論全員ガーディアンである。


 そして警護隊長を名乗る男を、エルシャは知っていた。


「覚えておられますかな、エルシャ様の興国の聖戦に参陣させていただいた、ルーカス・マルタンで御座います」


「無論覚えておる。久しいなマルタン卿」


 忘れられるわけがない、自分の両親の首を撥ねた男の顔を。 


 21年前、姉のエルマと共に、アクアリナ王国王都アナーニのクレスト教会司祭だったヴィクトーの手引きで、王城に乱入した聖騎士を率いていたのがルーカス・マルタンだった。


「御存じの様にルーカスと、それにそちらのエミールはユニークの聖騎士です。他の物達も手練れを選んでおきました。きっとあなたの御役に立つでしょう」


「私は、フィオナ一人で充分なのですが」


 フィオナはエルシャの少女時代からの近習で、唯一生き残った家臣だった。


「あなたに何かあれば、私があの方の御不興を買う事になりますから」

 そう言うヴィクトーの真意は分からない。


 ヴィクトーの思惑がどうであれ、自分はあの女との決着を付けに行くだけだ。

 エルシャはヴィクトーにもう一度目を向けたが、何も言わず部屋を退出した。

  

  〇 〇 〇 〇 〇 〇


「はい、お母さん。水道の水」


 ルイーゼは西門の前にある蛇口から汲んで来た、水道の水の入った木桶を母親のリルケに渡した。


「ありがとうルイーゼ、ご飯出来ているわよ」

 リルケは木桶の水を、竈の水瓶に移しながら言った。


 ルイーゼは実家から騎士団に通っている。


 実家のすぐ傍に昔から使っている井戸があるのだが、村に水道が出来てから水は水道の水を門の傍の蛇口まで毎朝汲みに行っている。


 殆どの村人が飲料水や煮炊きには水道の水を使っている様だ。


 母親の作ってくれた朝食を食べながら、向かいの空いている椅子を見た。


「お父さんまたお風呂に出かけたの?」


 父親のグラムは公衆浴場がオープンしてから三日連続で、朝夕の二回公衆浴場に通っていた。


「お風呂に浸かると足が曲がる様になって楽になったんだって」


 グラムはホブゴブリンの戦に民兵として参加して、投石で右足の膝を砕かれて杖なしでは歩けなくなっていた。


「はいこれお弁当、ケントの分も持って行って」


 ルイーゼはリルケから弁当の入った包を受け取ると、騎士団に出かける為立ち上がった。


 ドアが開いて、グラムが部屋に入って来る。


「あ、あなた! 杖は?」

 リルケが入って来たグラムを見て驚いて声を上げた。


 グラムは杖を小脇に抱えて立っていた。


「ああ、膝が曲がる様になって歩けるようになったようだ。お風呂から家まで歩いて帰って来たよ」


 そう言って笑うグラムに、リルケの目から涙が零れる。


「そ、そんな。お医者様がもうだめだって言ってたのに……」

 ルイーゼも呆然として父親のグラムを見る。


「きっと女神様の御加護だよ。この村には女神様の御加護があるんだ」


 ルイーゼはグラムの胸に抱き着きながら、きっと女神の加護は若様が運んで来たのだと思った。


  ★ ★ ★ ★ ★ ★


 マリウスはクルト、ノルン、エリーゼを連れて、東の森に入ってみる事にした。


 杭打ち作業は順調に進んでいた。

 おそらく明日迄には完了するだろう。


 オルテガたちの部隊は村の南の丘陵で“魔物寄せ”を使って魔物の討伐を始めている。


 マリウスは東の森にいる強い魔物と云うのが気になって、東の森を調べてみる事にした。


 ジェイコブと副団長の魔術師らしい男が同行すると言って来た。

 副団長のヘンリーはやはり火魔術師だった。


 ジェイコブとヘンリーはともにこの村出身の冒険者で、アンヘルでCランクのパーティに所属していたが、5年前に引退して故郷に戻り、モーリッツの父親の先代村長から頼まれて、自警団に雇われていた。


 ジェイコブはアドバンスドの剣士で、革鎧に鉄板やスパイクを打ち付けたハーフプレートメール、ヘンリーはミドルの火魔術師で、革鎧の上に魔術師のローブを着ていた。


 マリウスは二人の鎧にも“物理防御”、“魔法防御”、“熱防御”を付与した。


 昨日も色々な付与で魔力を殆ど使い果たしたので、今朝もジョブレベルが一つ上がっていたので、魔力量は充分である。


 青い光に包まれて、二人は驚いていたが、マリウスに礼を言って森に入った。


 森は怖い程静かで、生き物の気配が全くなかった。

 冬なのに不思議と暖かいのは、魔境から暖かい空気が流れてくるためであった。


 セレーン側の向こう側、魔境の中は一年中夏だと言われている。

 川一つ挟んで、森の植物まで一変してしまうという。


 その所為か東の森の木々は、二月だと云うのに、未だ茶色い葉を木に付けていた。


 木々の間をすり抜ける様に進むと、小高い丘が見えた。

 水の音がする。


「この先に滝があります。先月自警団の者がそこで銀色の魔物を見たそうです」

 ジェイコブが言った。


 木々を掻き分けて進むと滝が現れた。

 小さな滝の水が淵に堪っている。


 淵の向こうに背の高い二人の男女が立っていた。


 前を合わせて帯で括った着物の上に、毛皮の袖なしを羽織った二人には、長髪の黒髪を垂らした額の辺りから二本の角が覗いていた。


 背は高く、二人とも2メートル近く有りそうだった。

「オーガ!」


 エリーゼが剣に手を掛けた。


「オーガは角一本、あれはハイオーガです! レアの魔物です!」


 ジェイコブが叫ぶのと同時に、二匹のハイオーガは背中に背負った長剣を抜くと、此方に向かって駆けだした。

 


 信じられないことに二匹のハイオーガは、淵の水面の上を走っていた。


 クルトが剣を抜いてマリウスの前に立つより早く、マリウスは二匹のハイオーガに向けて“ストーンバレット”を放った。


 拳大の石が高速で打ち出される。


 以前の数倍の大きさとスピードで打ち出した“ストーンバレット”を、ハイオーガが躱すのを予測していたマリウスは、二匹のハイオーガに向けて、“ストーンバレット”を連射した。


 ハイオーガの足元に水飛沫が上がり、躱しきれずにマリウスの“ストーンバレット”を受けた、女のハイオーガの左腕が千切れて飛んだ。


 二匹のハイオーガは“ストーンバレット”を躱しながら、元の淵の対岸に後退した。


 女ハイオーガは肘から先がちぎれた腕を抱えて、憎しみに燃える赤い目でマリウスを睨んだ。


 マリウス達が見ている前で、女ハイオーガの血の流れる左腕がずるっと伸びた。


 新しく生えた掌を握ったり閉じたりしていた女ハイオーガが、にやりと笑った。

 口が耳元迄避けて、二本の牙が覗く。


 ヤバい、此奴らゴブリンロードと同じ再生能力がある。


 マリウスがそう思った瞬間、二匹のハイオーガが二手に分かれて、再び淵の水面に駆け出た。


 マリウスは今度は“アイスジャベリン”を連続で放った。

 ノルンとヘンリーも“エアーカッター”や“ファイアーボム”を放つ。


 男ハイオーガが魔法を躱しながら、耳まで裂けた口を開いた。

 口から噴き出した炎の塊が、マリウス達を襲う。


 クルトがマリウスの前に立ち、ノルンが咄嗟に“エアーシールド”で炎を巻き上げたが、脇を抜けた炎がマリウスの顔を掠めた。


 マリウスが顔を抑えて倒れる。


「マリウス様!」


 エリーゼがマリウスに駆け寄った。

 マリウスは焼け付く頬を抑えながら、失敗したと思った。


 ハイオーガの吐いた炎は魔法では無かった。

 そう言えば水面を走るハイオーガからも術式は読み取れなかった。


 マリウスは自分の服に“劣化防止”、“物理防御”、“魔法防御”を付与していたが“熱防御”は付与していなかった。

 


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