6―39 解毒薬
マリウスが驚いてジェーンたちを見ると、三人の顔から一斉に血の気が引いた。
「も、もしかして私達も“魔物憑き”になっっちゃうの?」
「う、嘘! 助けてよ若様!」
「私、ヤダー!」
マリリンが両手で胸を抱えて蹲る。
「大丈夫です。落ち着いてください。解毒薬は完成しています」
「それは本当ですか?!」
アメリーが驚いてマリウスを見る。
「ええ、カサンドラが解毒薬を完成させたと連絡を受けています。今量産体制に入っているところです」
「量産体制って、ここには無いの?!」
「はい、ジェーンさん達が水を飲んだのは何時頃ですか?」
ジェーン達が顔を見合わせる。
「えっと。多分15分位前だと思う」
ハティに乗って幽霊村まで往復すれば、多分2時間半位で戻ってこられると思うが、果たして間に合うのだろうか?
三人ともアドバンスドなので、“魔物憑き”に変わってしまうとかなり厄介な事になる。
しかし今も街は彼方此方で火の手が上がっているようで、立ち上る黒煙が数本見えていた。
ここを放置して幽霊村に戻っても大丈夫だろうか。
迷うマリウスを見てジェーン達が不安そうにしていると、マーヤが突然言った。
「あの、この人たちが飲んだお水は昨日買ったお水じゃないですよ」
「えっ! どう云う事?」
マリウスが驚いてマーヤに問い返す。
「昨日買ったお水は山ベリーを漬けて、未だ家に置いてあります。明日売る心算でした」
「そうなの?」
エレンも驚いてマーヤを見る。
「はい、前にマリウス様に水を出して貰った時、二日分出して貰ったので、あれからずっと山ベリーを二日間漬ける様にしているんです。その方が水が美味しくなるので」
そう言えばマーヤに初めて会った時、二つの樽に“ウォーター”で水を一杯にしたのを思い出した。
「じゃ、じゃあ私達……」
「助かったの?」
「あっ、ダメ。腰が抜けた」
マリリンが再び跪く。
どうやら三人は大丈夫そうだが、どのみち“魔物憑き”になった人たちを元に戻すには、解毒薬が必要になる。
今も立ち上がってマリウスたちに“魔物憑き”が迫って来るのを、ハティが口から衝撃波を放って弾き飛ばしていた。
マリウスはどうするか考えたが、恐らく“魔物憑き”になった兵士が落としたと思われる剣が地面に転がっているのに目を止めた。
マリウスは円陣を飛び出すと、“瞬動”で“魔物憑き”になった人の間をすり抜けて剣を拾った。
「マリウス! 何処に行くの!」
「そこで待っていて! すぐ戻るよ!」
エレンにそう声を掛けてマリウスは剣を持ったまま、広場の中央まで“瞬動”で走ると剣を振り上げて地面に突き立てた。
勿論“結界”は常時発動している。
マリウスはポケットに手を突っ込んでリザードマンの魔石を握ると、地面に突き立った剣に向かって手を翳し、“魔物寄せ”を付与した。
持続時間を数日に絞って最大限効果を上げる。
広場にいた全ての“魔物憑き”が一斉に広場の中央の剣を見た。
どうやら“魔物憑き”にも“魔物寄せ”の効果が効くようで、引き寄せられるように剣に向かって“魔物憑き”が集まって来る。
マリウスは再び“瞬動”で“魔物憑き”の間をすり抜けながらエレン達の処に戻った。
「何をしたの、マリウス?」
「剣に“魔物寄せ”を付与したんだよ。アメリーさん、周りで戦っている人たちに連絡して、“魔物憑き”を全て此処に誘導させて下さい。手を出さずに放っておけば必ずここに集まって来ますから」
「わ、解りました!」
アメリーが頷くと兵士達を伝令に走らせた。
マリウスは“念話”のイヤリングに意識を向けてカサンドラを呼び出す。
(カサンドラ。聞こえる?)
(ハイ、マリウス様。如何されました?)
(『禁忌薬』がベルツブルグの街で使われた。今解毒薬は何人分あるかな?)
(えっ、『禁忌薬』が……、昨日の分と合わせて150本分が完成しています。夜までには250本分は完成する予定です)
「どうしたのマリウス? 黙っちゃって?」
エレンに静かにするように、マリウスが指先を口元に当てると、エレンが不満そうにそれでも口を閉じた。
(急いで出来るだけ多く完成させて。出来たら連絡して、ハティと取りに戻るから)
(はっ! 作業を急がせます)
(若様! 大丈夫ですか?)
マルコが念話に割り込んで来た。
(僕たちは大丈夫だけど、街が大変な事になってる。何人くらい“魔物憑き”に変わってしまったのか分からないけど、薬は幾らでも必要になる筈だからマルコ達は魔物狩を続けて)
(了解しました。若様もお気を付けて)
念話を切ったマリウスにエレンがもう良いかと云う様に一気に質問し始める。
「何、マリウス? 今何してたの?」
「うん、“念話”でゴート村のカサンドラやマルコと連絡を取っていたんだ」
「念話? なにそれ? 遠くの人と話ができるの? それ私も欲しい!」
「うーん、取り敢えず今は無理。終わったら作ってあげるよ」
「ホント! 約束よ!」
「姫様、今それどころじゃないですよ。若様。取り敢えずどうするの?」
ジェーンが二人の会話に割って入る。
「そうだね。取り敢えずどれ位『禁忌薬』が撒かれたのか知りたい。マーヤ、そのユルゲンさんだっけ? その人のお店は何処に在るの?」
「ユルゲンさんのお店はすぐ近くです。向こうの通りにあります」
マーヤがマリウス達の後ろにある家の方を指差した。
既に兵士達は粗方伝令に走って、今はアメリーと三人の兵士、ジェーン達三人とマリウス、エレン、マーヤの10人だけになっている。
広場に入って来る道には“魔物寄せ”に集まって来た“魔物憑き”で一杯だった。
マリウスはエレンとマーヤをハティに乗せると、道の片側から入って来る“魔物憑き”に向かって“エアバースト”を放った。
空気の破裂する爆音が響き、十数体の“魔物憑き”はじけ飛んで空を舞い上がる。
周囲の家の壁に激突するが、恐らくこの程度の衝撃は平気であろう。
「行こう!」
開けた道を指差してマリウスが叫ぶと、全員が一斉に駆けだした。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
クラウスとクルト達が馬で城を出ると、西から南の下町の彼方此方で黒煙が上がっているのが見えた。
クラウスは南の下町の広場に向かったマリウスはクルトの部隊に追わせ、フェリックスと50騎の兵を率いて、西の下町の方に向かった。
貴族街を抜けて下町に入って行くと、まさに地獄絵図だった。
大勢の人々が血を流して地面に倒れている。周囲の家が炎に包まれて黒煙を上げていた。
大通りの向こうに魔術師のローブを着た十数人を、30匹程の“魔物憑き”が取り囲んでいた。
クラウスは初めて見る“魔物憑き”の姿を見て戦慄した。
2メートルを超える巨体に、額が割れて二本の角が突き出ていた。
目は真っ赤な血の色で、口元が耳まで避けて牙が覗いている。
中には話に聞いていたライアン・オーリックの様に背中から2本の腕が生えている者もいる。
背中に30人程の市民を庇って、魔術師達が、“アイスジャベリン”、“ストーンランス”、“フォールサンダー”といった中、上級魔法を放っているが、弾き飛ばされた“魔物憑き”は再生能力と高い魔法耐性を持っているようで、すぐに起き上がり、口から炎を吐く。
魔術師達の指揮を執っているのはアルバンだった。
クラウスは20人程の兵士に、斃れている人々を指差し、息のある者の手当てと避難を命じると、フェリックスと共に“魔物憑き”目掛けて全力で馬を駆けさせた。
クラウスとフェリックスが自分の周辺10メートル程に“結界”を広げ、“魔物憑き”の群れに向かって馬を突進させた。
“魔物憑き”が結界に弾かれてはじけ飛んでいく。
30騎の兵士達が後に続き、退路を確保する。
「アルバン殿! 早く市民を脱出させよ! 貴族街の方は安全だ」
「忝い!」
アルバンが答えると、魔術師達が市民を避難させていった。
立ち上がった“魔物憑き”にアースバルトの兵士達が馬上から、“物理効果増”を付与された剣や槍で“剣閃”や“槍影”を飛ばして“魔物憑き”を牽制するが、やはり再生能力の所為で大したダメージは与えられない様だった。
クラウスが“結界”を広げて兵士達を守りながら、どうするか考えていると、突然“魔物つき”たちが動きを止め、東の方に顔を向けた。
全ての“魔物憑き”が一斉に東に向かって移動を始めた。
何が起こっているのか解らずに戸惑うクラウスにマリウスの声が届いた。
(父上。フェリックス。聞こえますか? 今どこです?)
(マリウス、私とフェリックスは今西の下町にいる。“魔物憑き”と戦っていたが。“魔物憑き”が急にそちらに向かって移動し始めたぞ)
(ハイ、南の下町の広場に“魔物寄せ”を付与しました。“魔物憑き”になった人々を全て此処に集めますから、手を出さずに行かせてください。あと水売りの水は飲まないように皆に言ってください)
(解った。しかし集めてどうするのだ)
(彼らを元に戻します。今、カサンドラが解毒薬を作っています)
(もう数を揃えられたのか? しかしここには無いのであろう?)
(僕がハティで取りに戻ります)
(うむ。了解した。それでは我らも広場に向かう)
(ハイ。それでは父上お気を付けて)
(うむ。お前もな。時にエレン様は一緒にいるのか?)
(あ、ハイ、今も一緒です)
(くれぐれもエレン様に怪我をさせるなよ。公爵閣下のお怒りを買いたくなければな)
(はい。大丈夫です、心得ています)
マリウスの引き攣った表情が見える様だった。
ラウスは会話を聞いていたフェリックスと頷き合うと、南の下町に向かって兵を進めた。
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