6―38 災厄の日
凄まじい速さで自分の首を薙ごうとする腕をアメリーは鎧の籠手で受け止めると、後ろに跳び下がった。
“物理防御”を付与された籠手は衝撃を全て緩和してくれたが、それが必殺の一撃であった事は間違いなかった。
兵士達が剣を抜いて青年を取り囲む。
「ぐっ! ぐおおおおっ!」
突然立ち上がった青年の顔は血塗れだった。
額から二本の禍々しい角が、皮膚を突き破って伸びている。
小刻みに蠢動する青年の体が少しずつ大きくなっていく。
背中に膨れて不気味に蠢いていた。
「こ、これは、“魔物憑き”!」
アメリーが思わず後ろに後退りながら声を上げた。
兵士が二人、剣を振り上げて、魔物に姿を変えつつある青年に斬りかかった。
一人の兵士が前から青年の肩口を、もう一人の兵士が膨らんだ背中を剣で切り裂く。
苦悶の悲鳴を上げる青年の背中からずるりと二本の腕が伸びて、後ろから斬りつけた兵士の腕と首を掴んだ。
斬られた傷口が再生して塞がって行くのが分かった。
アメリーが剣を抜くと“蠢動”で迫り、兵士の首と腕をつかんだ手をまとめて切り
捨てると兵士に叫んだ。
「下がれ! 危険だ」
青年がアメリーに振り返ると、真っ赤な血の色をした目でアメリーを睨んだ。
耳まで裂けた口を開くと、口から炎の球を吐いた。
アメリーが、咄嗟に体を捻って炎を躱すと、炎の球が後ろの民家に直撃し、民家の壁が炎に包まれた。
周囲にいた人々が悲鳴を上げて逃げ惑うが、逃げる群衆の中の一人の女が突然立ち止まると、地面に膝を着いた。
気が付くと広場の彼方此方で地面に跪いた人々がいるのに気付く。
「ふ、副団長!」
周囲をキョロキョロしながら兵士達が叫ぶ。
「狼狽えるな! まず一般人を避難させろ!」
アメリーが怒鳴りながら、完全に魔物の姿になった青年に対峙する。
兵士達が人々を誘導しようとするが、倒れていた者達が次々と魔物の姿で立ち上がる。
“魔物憑き”に向かって剣を構えていた兵士が、突然胸を掻きむしりながらその場に跪いた。
「なっ! 馬鹿な! 何故?」
気が付くと周囲に散った10名程の部下達が地面に膝を着いている。
アメリーは倒れた部下の兵士達に覚えがあった。
「くっ! 水売りの果実水か!」
見ている間に“魔物憑き”に変わっていく兵士達は、水売りから果実水を買って飲んでいた者達だった。
アメリーが腕を切り落とした青年が立ち上がると、アメリーを睨んで大きく裂けた口を歪めて確かに嗤った。
口を大きく開くと次々と周囲の家に向かって炎の球を吐く。
次の瞬間、周囲の家の前に氷の壁が現れて炎を遮った。
矢が放たれて、青年の頭に突き立つ。
振り返ると黒髪の少女が弓を構え、銀髪の少女が手を此方に翳していた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「何が起こってるの!」
「多分これが、若様たちが戦った“魔物憑き”ってやつだよ!」
悲鳴を上げるジェーンに、剣を抜きながらキャロラインが答えた。
「駄目! 再生能力がある奴がいる!」
マリリンが次々と、弓を放ちながら叫んだ。
頭に矢を突き立てた“魔物憑き”が、平然と矢を引き抜くと、マリリンに向かって炎の球を吐いた。
マリリンが腕を交差させて顔を庇いながら、炎の球を付与装備で受け止める。
既に広場から大通りに掛けて、20匹以上の“魔物憑き”が暴れているのが見える。
“魔物憑き”の姿は個体差があるようで、角が一本の者、二本の者、背中に腕の有る者と無い者など様々だった。
再生能力がある者と、斬られた傷がそのままの者とがいる様だが、傷が再生しない者もそれ程ダメージを受けてはいないようだった。
逃げ遅れた人々に“魔物憑き”が襲い掛かり、引き摺り倒して牙を突き立てている。
周囲に人々の絶叫が響き、彼方此方で血飛沫が上っていた。
ジェーン達が連れて来た兵士達も、逃げる人々と“魔物憑き”の間に入って戦っているが、再生能力のある“魔物憑き”に手古摺っていた。何より“魔物憑き”の中の数体は自分達と同じ、マリウスの付与付きの鎧を着ている。
完全な“物理防御”、“魔法防御”、“熱防御”に再生能力まで備えた、レアクラスモンスター以上の“魔物憑き”に対して決定的に攻撃力不足だった。
ジェーンが燃え盛る炎を“コールド”で鎮火しているが、“魔物憑き”の吐く炎で、次々と火の手が上がった。
「あ、アレ!」
キャロラインが西の方角を指し示す。
遠くで幾つも炎と黒煙が上がっているのが見えた。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「ゲルト! お前も来たのか! ポーション工房はどうした?」
「ご安心下さいカサンドラ様。レオノーラ様が来て下さいました。工房の方はレオノーラ様にお任せしてきました」
新たに四人のミドル錬金術師を引き連れたゲルトがカサンドラに告げた。
「おお、レオノーラが来てくれたのか」
レア錬金術師、レオノーラ・ローレンスはカサンドラと薬師学院の同窓で、旧薬師ギルドの研究所所長としてカサンドラを助けてくれていた。
研究所の薬師たちを残しては行けないと、カサンドラのゴート村落ちには参加しなかったが、今回のゴート村ギルド移転に、リーダーとして薬師たちを率いて来てくれていた。
「助かる。すぐに作業に入ってくれ」
カサンドラの命で、ゲルト達もティアナ達の作業に加わった。
今日も午前中に新たにフレイムタイガーが三体、幽霊村の製薬研究所に運び込まれていた。
“解体”、“分解”、“抽出”スキルを駆使して、フレイムタイガーの体から取り出した骨髄液から抽出した成分を使って、細胞の再生効果の高い解毒薬を創る製法は、エリクサーではなく『禁忌薬』の製法を転用した物だったが、“魔物憑き”を生きたまま人に戻すという課題はクリアー出来た。
後は量産だけである。
マルティンの再生された左腕は3日目の今日は、ほぼ腕を失う前の機能を取り戻していた。
マリウスから解毒薬の開発を任された期待に応える事だけを考えていたカサンドラは、未だに気が付いていなかった。
彼女はこの大陸の薬師達が1000年の間挑み続けて、誰一人成し得なかった万能薬の開発に成功していたのだった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「貴方! 早く逃げなさい!」
ガタガタと震えながら周囲の惨劇を見ていたマーヤを、ジェーンが怒鳴った。
「あ、はい!」
怒鳴られてやっと我に返ったマーヤが、慌てて逃げ道を探して周囲をキョロキョロ見回すが、何方の方角でも“魔物憑き”が人々を襲っていて、周囲の建物も炎を上げていた。
逃げ場がなくておろおろするマーヤに一匹の“魔物憑き”が迫る。
「ひっ!」
思わずしゃがんで目を閉じたマーヤの上を光の矢が掠め、マーヤを襲おうとした“魔物憑き”の頭に突き刺さると、爆発して“魔物憑き”の頭を粉砕した。
「きゃーっ!」
悲鳴を上げて後ずさるマーヤが振り返るとアメリーが光の弓を左手に握って、次の光の矢を番えていた。
頭を失ってもなお腕を振り回す“魔物憑き”に向かって再びレアアーツ“破光弾”を放つ。
理力を込めた光の矢はアメリーの対レアモンスター対策の必殺アーツだった。
“魔物憑き”の胸に突き刺さった光の矢が弾け、上半身が弾け飛んで、“魔物憑き”がどさりと倒れたが、再生はしない様だった。
元は只の一般人だったと思うと、アメリーはやり切れない思いになるが、放っておけば被害が拡大していくだけだと覚悟を決めると、再び周囲の“魔物憑き”に“破光弾”を放ちながら、マーヤに怒鳴った。
「早く! こっちに!」
マーヤが立ち上がってアメリーの方に駆け出した。
マーヤを追って来る“魔物憑き”の前に氷の壁がせり上がって、“魔物憑き”の足を止めた。
ジェーンが更に“魔物憑き”に“アイスジャベリン”を続けて三つ放った。
氷の矢に貫かれて後ろに弾け飛んだ三体の“魔物憑き”が、再び立ち上がる。
マーヤが何とかアメリーの後ろに駆け込んだが、ジェーンが叫んだ。
「ダメ! 全然魔法が通じない!」
「私も理力が持たない」
アメリーは既に“破光弾”を10射近く放っているが、周りの“魔物憑き”はさっきより数が増えていた。
キャロラインとマリリン、兵士達も集まって来て円陣を組んで“魔物憑き”に変わった人々と対峙しているが、“魔物憑き”におされて次第に円陣が縮んでいた。
いつの間にか30匹程の“魔物憑き”に取り囲まれて、壁際に追い込まれていた。
突然空から放たれた衝撃波が、次々と“魔物憑き”を弾き飛ばして行く。
円陣の中にマリウスとエレンを乗せたハティが舞い降りた。
「若様! 姫様も!」
「マリウス様! エレン様!」
エレンがハティから飛び降りるとマーヤに抱き着いた。
「良かった、マーヤ! 無事だった!」
「はい、皆さんに助けて貰いました!」
マーヤも涙目でエレンに抱き着く。
「マリウス殿、これはやはり?」
アメリーがハティから降りたマリウスに駆け寄った。
マリウスは立ち上がる“魔物憑き”たちを見ながら頷いた。
「間違いないみたいです、ライアン・オーリックと同じです」
「実は私の部下も大勢“魔物憑き”に変わってしまいました」
マリウスもここに舞い降りた時から気付いていた。“魔物憑き”の中に第6騎士団の鎧を着た者が10名程混じっていた。
「どこかで水を飲みましたか?」
「はい、南の下町の入り口で金髪の少年が売っていた水を買って飲んだ者だけが、“魔物憑き”に変わってしまったようです」
アメリーの言葉を聞いて、マーヤが驚いて声を上げる。
「その子なら知ってます。ゴール君です。私と同じ、ユルゲンさんの処で水を買っている子です」
「マーヤもその子と同じところで水を買ってるの?」
エレンがマーヤを見る。
「はい、昨日も買いました。あっ、そう言えば私の前にゴール君が買っていったってユルゲンさんが言ってました」
アメリーがマリウスを見ると、マリウスも頷く。
「恐らくそこの水が原因でしょうね」
「えっ!」
「ちょっと待って! それって!」
「私達もその子から水を買って飲んじゃったわよ!」
ジェーン、キャロライン、マリリンがマーヤを指差しながら同時に叫んだ。
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