6―37  婚約の儀


「診療所を襲った者達は、フレデリケ達では無かったのですね」


「はい、少なくてもあの二人の様な化け物ではなかったです」


 ラウラの言葉にクライン男爵が腕を組んで考え込む。

 やはり今回の襲撃にフレデリケ・クルーゲは関係ないのだろうか。


 襲われたのは医術師ギルドの本部病院とギルド直営の12の診療所。37名の民間人と16名の医術師が亡くなり、王家より下賜されたポーション、約一万本が灰燼に帰した。


 グランドマスターのブルクハルトも重傷を負い、恐らく医術師としてはもう引退するしかないと思われる。


 医術師ギルドを保護して、王国に強固な医療体制を敷くと云うロンメルの政策は、大きく後退する事になった。


 まともに考えると教会とその勢力が最も怪しいが、どの貴族も騎士団も動いた形跡がない。


 昨夜から第6騎士団と公爵騎士団、魔術師団や王都警邏隊の兵士達が王都を隈なく捜索しているが、未だに何も手掛かりは得られていなかった。


 或いはガーディアンズが未だ王都に潜んでいるのかもしれない。

 クライン男爵は頭を振ると、クリスタを見た。


「クリスタさん。明日医術師達の合同葬儀の後で少しお時間を頂きたいのですが」


「あ、ハイ。私は構いませんが……」

 クリスタが泣き腫らした赤い目で答えた。


 王都で働くクリスタの同門の医術師達は殆どが殺された。明日王都の共同墓地で合同葬儀が執り行われる予定であった。


「あの、男爵様。先生のお見舞いに行きたいのですが」


「デッセル氏は王城の中で、王家の医術師達の治療を受けています。今暫くは会えません」


「そうですか」

 悄気るクリスタの肩をラウラとヘルミナが優しく抱いた。


「元気になったらすぐ会えるわよ」


「そうよ、診療所は暫くお休みでしょ。今日は久しぶりに街に出かけようよ」


「いやおばさん達、狙われてるの忘れたのかよ」

 アレクシスが呆れた様に言う。


「誰がおばさんよ。私達未だ20代よ」

 ラウラがアレクシスを睨む。


「良いんじゃない。全員で街に繰り出しましょう。さすがに街は騎士団の兵士で一杯だから襲われる事は無いわよ」


 バルバラが陽気な声を上げると皆が頷いた。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


 城の礼拝堂の祭壇の前でエルヴィンとクラウスが誓紙を取り交わすと、認証官が呪文を唱え、此の婚姻が両者の合意なしに破談にできない事が誓約される。


 マリウスとエレンが祭壇の下に並んで、やや緊張した父親たちを見つめていた。


 マリウスはもしかしたら認証官のエレーネ・ベーリンガーにもう一度会えるかもと期待していたが、王都から来た一等認証官は初老の男だった。


 マリウスはエレーネが、自分の福音の儀の後行方不明になっていることを聞かされていなかった。

 

 それどころかエレーネが名前も姿も変えて、エリナ・プロミスとしてエルマの女官になって、ゴート村に既に入り込んでいる事等知る由もない。


「マリウス。誰の事を考えているの?」

 エレンがジト目でマリウスを睨む。


「え、いや、何も。何も考えてないよ」


 マリウスが引き攣った笑顔でエレンに答えた。


 エレンは白に金糸で刺繍を施された豪奢なドレスに、額には宝石の嵌めこまれた金のティアラを付けていた。


 マリウスも今日は白の礼服を着せられている。


 二人を取り巻く様に片側にはガルシア達グランベール公爵家の重臣が、片側にはクルトやフェリックス、エリーゼやノルン達アースバルトの人々が見守る中、二人は置物の人形の様に行儀よく並んで立っていた。


 二人の後ろには、エルザが立っていた。


「長いな」


 エルザが退屈そうに呟くと、やっと誓約が終ったのかクラウスとエルヴィンが祭壇から降りて来た。


「御屋形様。おめでとう御座います」


 ガルシアの挨拶を皮切りに皆が一斉に祝いの言葉を口にする。


 エルヴィンが引き攣った笑顔で、皆に頷いていた。


「御屋形様おめでとうございます」


 クルトとフェリックスもクラウスに祝いの言葉を述べる。


「うむ。目出度い。マリウスとエレン様の晴れ姿をマリアに見せられないのが残念だ」


 エリーゼとノルンもマリウスとエレンの前に立って声を揃えて二人を祝う。


「マリウス様、エレン様御目出とう御座います」


「ありがとうエリー、ノルン」

 マリウスとエレンも声を揃えて二人に答えた。


 貴族の婚姻など所詮家同士が結びつく為の政略結婚だが、二人の婚約は両家の人々に暖かく迎え入れられたようだった。


「ふふ、これで二人とも私の子供だ」


 エルザがマリウスとエレンの頭に手を乗せて笑った。


 突然目出度い空気を破る様に礼拝堂のドアが開けられて、騎士が一人駆けこんで来た。


「御屋形様! 大変で御座います!」


「何だ騒々しい! 目出度い席であるぞ。控えよ!」

 ガルシアが騎士に怒鳴る。


「構わん! 申してみよ」

 エルザが騎士に言った。


「街に魔物が溢れております! 数百の魔物が南の下町に入り込んでいる様です!」


「何だと! 何処から入り込んだ!」


 血相を変えて怒鳴るエルヴィンに騎士が答えた。


「分かりません! どの門も破られてはいません!」


 マヌエラがハッとしてエルザを見る。


「奥方様。これは……」


「うむ、『禁忌薬』を使われたのかもしれん。どこかに見落としが在ったのか。マヌエラ! ガルシア! 直ぐに兵を差し向けて、状況と原因を確認せよ!」


 下町と聞いてマリウスは直ぐにマーヤの事を思い浮かべた。


「エルザ様! もしかしたら売られている魔法の水かも知れません」


「マリウス! それって」


 エレンも同じことを考えていたのだろう、不安そうにマリウスを見る。


「水売りの店にも兵士を配置している筈だが……」


 エルザが眉間に皺を寄せて呟く。


 マリウスが振り返るとドアが風魔法で開かれ、外に待つハティがマリウスに吠えた。


 マリウスが駆けだすと、エレンも後に続く。


「待て、エレン! お前は駄目だ!」


 後ろでエルヴィンが怒鳴るが、マリウスがハティの背に飛び乗ると、エレンも後ろに乗った。


 ハティが駆けだしたのを見ながらクラウスがクルト達に声を掛ける。


「マリウスを追うぞ!」


 クルト、フェリックスにエリーゼとノルンも後に続いて駆けだす。


「我らも行くぞ!」

 エルザも駆け出し、ガルシアとマヌエラ達も後に続いた。


「まて! エルザ! ガルシアも!」


 礼拝堂にはエルヴィンと文官達だけが残された。


「えーい! どいつもこいつも儂を無視しおって!」


 眉を吊り上げて怒鳴るエルヴィンから、文官達が一斉に視線をそらした。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


「あら、美味しいわねこの水、何の味?」


 ジェーンが水を飲み干すと、瓶を返しながら言った。


「山ベリーを漬け込んでいます」


「へー、初めてだわ。この辺で採れるの」


「あんた良いとこの子共だからね、山ベリーを摘んだ事も無いんだ」


 キャロラインが水を飲み干しながらジェーンを冷ややかに見る。


「何よ、あんたは摘んだ事あるの」


「ベルツブルグで育った子供なら皆一度は山に入って山ベリーの実を摘んだ事位あるさ」


「そのまま食べると、滅茶苦茶酸っぱいのよねえ」

 マリリンも顔を顰めながら言った。


「一杯摘んでお袋にジャムにして貰ったな。砂糖がほんのちょっとしか入って無かったけど、すっごく甘かった」


 キャロラインが懐かしそうに呟いた。


「何よその、おうちが貧しかったですマウント。私の家だって別にお金持ちじゃないわよ」


「でも、貴族でしょ」


「名前だけよ、俸禄も無いし、お父さんは下っ端の役人だけど体裁ばかり気にしているから借金だらけだし。ていうかマリリン。あんたの家も貴族でしょ」


「うちだって貧乏騎士爵よ、お兄ちゃんが継いでるけど食べていけないから、私がお城に御奉公してるんじゃない」


「へー、マリリンがそんな苦労をしてるなんて意外だな、まあ、金持ちの家の子ならこんな事してないか」


「キャロだってお父さんが亡くなってから、御給金を家に入れて弟たちを養っているんでしょ」


「そんなんじゃねえよ。私は御飯さえ食べられれば金なんか要らないから」


 キャロラインが顔を赤くしてそっぽを向く。


「皆さんお仕事頑張って下さいね」


 マーヤに声を掛けられて三人娘がバツの悪そうな顔を見合わせてから、再び巡回を始めようとした時、それが起こった。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


 アメリーは30人の一隊を率いて朝から西の下町を巡回し、其の儘南の下町に進んだ。


 南の下町に入った処で、水売りを見つけて数人の兵士が隊を抜けて、水を買って飲み始めた。


「隊長も飲みませんか? 此の果実水なかなかいけますよ」


「いや、私はいい。飲み終わったら行くぞ」


 アメリーは隊を率いて巡回を続けた。


 同行した魔術師団の火魔術師が“魔力感知”を発動して周囲を探っているが今のところ怪しいものには出逢えなかった。


 そろそろ時刻は正午に差し掛かる。城では公爵令嬢とマリウス・アースバルトの婚約の儀が行われている頃だった。


 宰相ロンメルはマリウスこそがこの国の切り札であると言った。


 アメリーは半信半疑でこのベルツブルグにやってきたが、自分の目で見たマリウスは確かに尋常でない力の持ち主であった。


 アメリーはマリウスに付与を施された鎧を着こんでいる。剣も魔法も寄せ付けない鎧は正に無敵のアーティファクトであった。


 しかも少年は自分達の見ている前で、一時間も掛からずに300領もの鎧をアーティファクトに変えてしまった。


 少年を手に入れた者が大陸を制する。アメリーはロンメルの言葉を思い出していた。


 広場に差し掛かったアメリーが、兵士を引き連れた三人の少女に目を止めた。


 黒髪の少女に見覚えがあった。冒険者に化けた聖騎士達の討伐戦の時見事な弓の腕を見せた少女だった。


 アメリーが少女に話しかけようと歩き出した時、不意に通りを歩く一人の青年が胸を押さえて道端に跪いた。


「ぐおおおおっ!」


 呻き声を上げる青年にアメリーが近付いて、青年の肩に手を掛けた。


「おい、どうした!」


 次の瞬間青年の振り回した腕が、アメリーの顔を横薙ぎに薙いだ。



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