6―36  王都の惨劇


 ブルクハルトの息が弱い。


 クリスタは蒼白な顔で、ポーションを取り出すとブルクハルトの千切れかけた両足に振りかけた。


 血は止まったが、潰れた傷口が再生する事は不可能であった。クリスタはもう一本ポーションの栓を抜くとブルクハルトの口元に近づけた。


「先生! これを飲んで下さい!」


 クリスタがブルクハルトの口にポーションを流し込むが、ブルクハルトにはポーションを飲み込む力はもうなかった。


 クリスタはブルクハルトの両足に手を翳すと、残りの魔力をすべて使って“中級治癒”を発動する。


 両足が光りに包まれて、傷口が少し塞がったが、ブルクハルトが目を覚ます事は無かった。


「先生!」



 ブルクハルトの呼吸が止まった事を知って、クリスタが泣き声を上げる。

「お困りなら手を貸しましょうか?」


 突然後ろから声を掛けられてクリスタやブロンたちが振り返ると、豪奢な神官服を着た白髪の男が、4人の神官を引き連れて立っていた。


「誰だ、あんたは?」


「控えよ! ラウム枢機卿猊下であらせられるぞ!」


 神官の一人がブロンを叱責する。

 ラウム枢機卿が神官を手で制して前に出ると言った。


「緊急のようですね。治療を手伝いましょう」


 ブロンは戸惑いながらも枢機卿に頭を下げる。


「失礼いたしました。お願い致します」


 ラウラとバルバラが道を開けると、ラウム枢機卿がブルクハルトに近づいた。

 クリスタが泣き顔で枢機卿を見る。


「もう脈がありません!」


「私に任せなさい」


 枢機卿はそう言うとブルクハルトの体に両手を翳した。

 “蘇生”、“特級治癒”、“増血”、“体力回復”の四つのスキルを同時発動する。


「ぐふっ」

 ブルクハルトが口から血を吐きながら意識を取り戻した。


「先生!」


「く、クリスタか……」

 ブルクハルトが苦痛に顔を歪めながら、目を開けてクリスタを見た。


「脚はもう無理ですね、切断しないと悪い血が逆流して命にかかわります」


 ラウム枢機卿が冷静な声でブルクハルトに告げた。


「そ、そんな! 何とかならないのですか」


 涙目で訴えるクリスタに枢機卿が首を振る。


「教皇猊下にお見せする事が出来れば、或いは“再生”の秘術でもう一度足を復元できるかもしれませんが、私には命を御救いするのが精一杯です」


「やって下さい」


 ブルクハルトが震える声で枢機卿に言った。

 枢機卿が頷くと、ブルクハルトの両足を手刀で切る仕草をすると、潰れた両足が“切断”された。


 “止血”と“麻酔”を同時に発動したのか血は一滴も流れず、ブルクハルトから苦痛の表情が消えて穏やかな眠りに落ちた。


 気が付くと周囲で他の神官たちも被災者の治療を行っていた。


「さすがは教会の神官様。素晴らしい御力だ!」


「やはり神官様は女神の御力を使う事が出来るのね!」


 集まっていた野次馬な人々が、口々に感嘆の声を漏らす。


「あ、ありがとうございます」


 クリスタが運ばれていくブルクハルトを見送りながら、ラウム枢機卿に礼をする。


 鷹揚に頷く枢機卿の後ろから声が掛かった。


「これは枢機卿猊下、わざわざのお越し、感謝いたします」


 振り返ると第6騎士団長ウイルマー・モーゼル将軍だった。


「いえ、ここは我等の神殿の直ぐ目と鼻の先、我らにとっても他人事ではございません」


「まこと王都のど真ん中でこのような事をしでかす賊に入り込まれるとは、王都を守る者としてお詫び致します。必ずや賊共は一人残らず捕えて、法の裁きを受けさせてやります」


 モーゼル将軍と枢機卿の目が一瞬会うが、すぐに枢機卿は視線をそらせて柔和な笑みを浮かべると言った。


「それでは私達はこれで引き揚げますが、何か御用があれば本部神殿にお越しください」


 神官たちを連れて去って行くラウム枢機卿を鋭い目で見つめるモーゼル将軍に、ブロン隊長が駆け寄る。


「将軍! 被害は死者8名、重傷者12名で死者のうち3名は医術師です。目撃者の報告では冒険者風の二人の男がいきなり黒い球を立て続けに数個投げ込んで、逃げ去ったそうです」


 医術師の死者と聞いてクリスタの顔色が変わる。

 道路の脇に集められた布を掛けられた亡骸の処まで駆け寄って跪くと、一人一人布をはぐって顔を確認していく。


「ああ、アヒム、デボラさん、カイン。なんてことを……」


 クリスタが跪いたままボロボロと涙を零す。皆クリスタと同門の先輩、後輩たちだった。


 ラウラたちが痛ましそうにクリスタを見ている。


「王都内の13箇所の診療所が襲われた。内1箇所だけは未遂で終わった様だが……」


 後ろに立つモーゼル将軍の言葉に、クリスタが涙でボロボロの顔を上げて言った。


「そ、それは私の診療所です。この人たちに助けて頂きました」


「君たちは?」

 モーゼル将軍が、アレクシス達を見る。


「俺はグランベール公爵騎士団のアレクシス・ボーグ。分け合ってその医術師の護衛をしていた。逃げていく犯人を見たぜ」


 アレクシスがモーゼル将軍に告げた。


「黒髪を束ねた男と金髪の男の二人組で、いきなり公国の新兵器を投げて来た。恐らく高レベルのアサシンかシーフだな。“隠形”のスキルが使える様だった。冒険者風の格好をしていたが、あれはどこかの騎士団の兵士だと思う。正規の訓練を受けた者の動きだった」


「正規の兵士? 見ただけでわかるのか?」


 訝し気に若い騎士を見るモーゼル将軍にバルバラが言った。


「そいつバカだけど、戦いの事だけは確かだから。私は同じく公爵騎士団のバルバラ・アーレンス。私達の事は公爵騎士団の軍師殿に聞いて」


 モーゼル将軍は頷くと振り返ってブロンに言った。


「第7か第2の連中に動きが在ったか?」


「いえどちらも動いた様子はありません。『野獣騎士団』の連中が張り込んでいますが、ブレドウ伯爵やシュタイン候の騎士団も動いた様子はないです」


「シルヴィー達は公爵領に向かったはずだが、他にも動かせる兵がいるのか? ブロン、城門は魔術師団と王都警邏隊が封鎖している。全軍で王都中を虱潰しに調べろ。絶対に賊を逃がすな!」


「はっ! 直ちに!」


 ブロンが兵士達を引き連れて駆け出して行った。

 モーゼル将軍は涙を流すクリスタを見た。


「すまん。大勢の医術師が亡くなられた様だ。賊は必ず捕える」


 モーゼル将軍も馬に跨ると夜の街に駆け出して行った。

 遺体の傍で泣きじゃくるクリスタの肩をラウラが抱きしめる。


「クリスタ。今日はもう男爵の館に帰ろう。あんたも危険な事に変わりないんだから」


 クリスタが涙でぐしゃぐしゃな顔で小さく頷いた。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


 いよいよ婚約の儀が執り行われる日が来た。

 アースバルトの騎士団も今日は市内の警備からは外れて、マリウスとクラウスを守って隊列を組んで登城する事になっていた。


 朝のマルコ達の報せで、今日も引き続き特級魔物狩が行われるらしい。

 カサンドラからは、王都から来た錬金術師達が今日から新しい工房でポーションの製造を始めると連絡があった。


 替わりに昨日から、カサンドラの弟子のミドルの錬金術師五名が幽霊村に移り、下級エリクサーの製造の助手に入っているそうだった。


 恐らく明日には、昨日完成した物も含めて350人分の解毒薬が完成する。


 支度が出来たと報せが来たので、マリウスはハティを伴ってクラウスと屋敷を出た。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 朝食をとるフレデリケの食卓にフウキが現れると、フレデリケが声を掛けた。


「昨日は随分と街が騒がしかった様ね」


「どうやら教会は例の者達を使って医術師ギルドを襲わせたようですね」


「ふーん、あの連中は何処にいるの?」


 フレデリケがティーカップを口元に運びながら言った。


「どうやらバーデン伯爵の王都邸に潜んでいる様です」


「成程ね、エールマイヤー公爵騎士団の残党がまさか貴族街に潜んでいるとは、騎士団も気が付いていないという訳ね」


 口元に笑みを浮かべるフリデリケにフウキが言った。


「『ローメンの銀狐』の居所が判明しました。クライン男爵の館に匿われている様です。例の公爵騎士団の三人も一緒のようです」


 フレデリケが眉を顰める。


「それは拙いわね。クライン男爵が動いているという事は、宰相に私達が疑われていると云う事の様ね。一体どこで漏れたのかしら」


「如何致します? 男爵を消しますか?」


「いえ、フウキ。お前が動くのは危険ね。かえって疑いを招く事になるわ。そうね、その件もいっそ猊下にお願い出来ないかしら」


 フレデリケがそう言って妖しく嗤った。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


「いねーなー。ジェーン、ちゃんと“魔力感知”働かせてるか?」

 キャロラインがジェーンを振り返る。


「ずっとやってるわよ。魔力の強い奴はいないみたいよ」


「今頃若様、姫様と婚約の儀の最中ね」

 マリリンが城の方を見上げながら呟いた。


「若様とエレン様ならきっとお似合いだな。御人形さんみたいなカップルだ」


「ふん、どっちも未だ子供でしょう、十年早いわよ」


「止めなよジェーン、焼餅焼いてるみたいじゃない」


「だ、誰が! まだ早過ぎるって言ってるだけよ!」


 ジェーン達三人は一昨日逃げられた聖騎士の捜索の為、市内の巡回に出ていた。


 実際に戦ったので逃げた男の顔を見知っているという理由で、急遽巡回組に入れられてしまったのだった。 


 街から10キロ程離れた街道の傍で、埋められた23人の冒険者の亡骸が発見されている。


 犠牲は出ているが、状況は此方に優勢という処であったが、未だ油断は出来なかった。

 何よりシルヴィーがまだ表れていなかった。


「なんだか歩きっぱなしで喉が渇いたわ。キャロ、水持って無い?」


「あたしもさっき全部飲んじゃった」


「あっ、あそこで水を売ってるわよ」


 マリリンが広場の隅で籠を抱えた、赤いカチューシャを付けた犬獣人の少女を指差した。




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