6―35  医術師ギルド襲撃


「お兄ちゃん。良かったらこれ食べな」


 猫獣人のおばあさんがアレクシスにリンゴを差し出す。


「ありがとう、ばあちゃん! 滅茶苦茶腹減ってたんだ」

 アレクシスはリンゴを受け取るとそのまま噛り付いた。


「大変だね。一日中表に立たされて」


「ああ、最近高価なポーションが大量に入ったんで、診療所が襲われない様に見張っているんだよ」


「聞いたよ。王様が下賜して下さったんだって、ありがたいね。あたしも先生に腰を見て貰って、すっかり良くなったよ」


 一日中診療所の表で歩哨をさせられているアレクシスは、すっかり街の人々と馴染んでいた。


「お兄ちゃんどこの騎士団の兵隊さんなんだい?」


「俺は公爵騎士団の者さ。もう王都に二月も……」


 アレクシスが気付いた時には既に相手は50メートル程の距離まで迫っていた。

 

 ユニークの騎士である自分に、それ程接近するまで気配を覚らせなかったところを見ると、“隠形”スキルを持ったシーフかアサシンであろう。


 おばあさんを庇う様にアレクシスが一歩前に出る。

 腰に短剣を吊った、冒険者風の二人の男はアレクシスに気付くと立ち止まった。


 一人の黒髪の長髪を後ろに束ねた男がにやりと口元に笑みを浮かべると、懐に手を入れて黒い球を取り出しアレクシスに向けて投げつけた。


 空中に浮かぶ黒い球を視認するのと同時に、考えるより先に体が動いていた。


 “瞬動”を付与アイテムで加速させながら前に出て跳躍したアレクシスは、黒い球を掴むと、そのまま空中で体を捻りながら空に向かって投げ上げた。


 着地すると同時におばあさんの処に駆け戻って抱き上げると、診療所の塀の陰に飛び込んだ。


 上空で轟音が響き渡り、夕暮れの空に“ヘルズデトネーション”の爆炎が上がり、爆風が周囲の建物を揺らす。


 診療所のドアが開いてライラが表に飛び出した。


「坊や! 無事かい?!」


「坊や言うな! あっ! クソ。逃げられた」


 目を回したおばあさんを抱き上げた儘、アレクシスが立ち上がって周囲を見回した。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 裏口から外に出たクリスタたちは上空で上がった爆音に思わず振り返る。


「特級火魔法ね」


 バルバラが薄暗い空に広がる炎を見ながら声を上げる。


「あっ! アレ! 」


 突然ヘルミナが北の方角を指差して声を上げた。

 隣の下町に火柱が上がっているのが見える。


「あっ! あっちにも!」


 クリスタが今度は王都の中心に近い方向、住宅街の辺りを指差した。

 地表に突き刺さる様に数本の巨大な稲妻が夕闇の空に光り、一瞬遅れて雷鳴がここまで轟いて来る。


 周囲の家から飛び出した人々が遠くの空に上がる炎の柱を見上げて何か騒いでいる。


「あの辺りはギルドの本部病院が在る処じゃない。一体、何が起こっているの?」


 クリスタが不安げに呟いた。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 来客が出て行くのと入れ替わりにクライン男爵が執務室に入って来た。


「今の方はもしや刑部卿様ではありませんか」


 クライン男爵の問いに宰相ロンメルが微笑んで答える。


「ええ、刑部卿ランベルト・フェザー伯爵です」


「刑部卿様が何用で。もしや遂に我らに?」


「ええ、フェザー伯爵は御役目柄ずっと中立を保っておられましたが、愛娘がマリウス殿に仕えた事を契機に、我らの陣営に付かれる決心をされたようです」


 フェザー伯爵はカサンドラの父親で、王国の司法と王領の治安維持を司る刑部卿を長年務めている。


「フェザー伯爵の配下で、王都警邏隊の長官は、マリウス殿の母君の兄であるブロスト伯爵ですし、これで司法は完全に我らの味方に付いたようです」


「それは重畳。これで王都の教会の者達を押さえる事が出来ますね」

 クライン男爵も笑顔で頷く。


「クシュナ―将軍は何か自供しましたか?」


「いえ、なかなか口が堅い様で。ブレドウ伯爵との繋がりは未だ何も喋っていません」


「ブレドウ伯爵を捕えるか、最低でも罷免出来れば王都の教会勢力はほぼ無力化できるのですが。まあ取調べを続けて下さい。それとクルーゲ親子の事は何か分かりましたか」


 ロンメルの問いにクライン男爵が持ってきた書類の束をロンメルに手渡しながら首を振った。


「フレデリケ・クルーゲはヘルムート・クルーゲの妾腹の子で、10歳の時にクルーゲの家に引き取られています。母親はラグーンの豪商アールベック商会の会頭の娘で、母親の病死後クルーゲ家に引き取られたようです」


「アールベック商会ですか。確か西側諸国との貿易で莫大な利益を上げている商会ですね」


「ハイ。現在の当主はフレデリケの従妹、ロザミア・アールベック。父親以上の手腕でアールベック商会は今では王国でも有数の貿易商になっており、彼女もラグーンの商業ギルドのギルマスを務めている様です」


 ロンメルが男爵の報告に眉を顰める。商業ギルドのクルーゲ一族による支配は想像以上に強固のようだ。


「薬師ギルドとの関わりはどうですか?」


「ヘルムート・クルーゲ氏自身30年前に6年間薬師ギルドの理事を務めていますし、息子、つまりフレデリケの異母兄で、現商業ギルド筆頭理事エディ・クルーゲもフレデリケが4年前に薬師ギルドに出向するまでは薬師ギルドの理事を務めていました」


 勿論これらの情報はロンメルも既に知っている事柄であり、ロンメルにとって長年疑問を感じている事でもあった。


 何故有能なクルーゲ一族が態々出向したにも関わらず。薬師ギルドの幹部たちの汚職を見過ごし、薬師ギルドの腐敗を傍観し続けていたのか、ずっと不思議に思っていた事だった。


「ヘルムート・クルーゲ氏の事は何か分かりましたか?」


「いえ、クルーゲ氏は御存じの様に謎が多い人物で、40年前にこの国で起業する以前の経歴は全く公表されていません。只、彼の出身地は旧アクアリナ王国ではないかと云う噂が過去に流れた事が有ります」


「アクアリナ王国ですか? それは確かな噂なのですか?」


「いえ、全く根拠のない噂話です。なんでもかの国で50年前に処刑された貴族の行方知れずの嫡男と、クルーゲ氏が生き写しだという噂が少しの間流れましたが、すぐに立ち消えたそうで御座います」


 ロンメルが男爵の話に腕を組んで考え込む。或いはクルーゲ氏が噂を火消ししたのかもしれない。


「気になりますね。その貴族の事は何か分かりますか」


「少なくとも公表されている記録にその様な事実はありませんでした。50年前の他国の事でありますし、アクアリナ王国自体滅んでしまっているのでそちらの調査は進んでおりません」


「仕方ありませんね。しかし調査は続けて下さい。それと120年前の事は何か分かりましたか」


「其方の方は私の手の者が現在薬師ギルドから押収した資料と、マリウス殿から渡された資料を調査中ですが、何分膨大な量で御座います故もう暫くお待ちください」


 クライン男爵が申し訳なさそうにロンメルに頭を下げたその時、ロンメルの執務室のドアが慌ただしく叩かれた。


 入れという命に文官が中に駆け込むと、蒼白な顔でロンメルに告げた。


「大変で御座います! 医術師ギルド本部病院と、王都内のギルド直営の診療所十数か所が何者かに襲撃を受けた模様です! 医術師と一般市民にも多数被害が出ているようです!」


「何ですと?! いったい何者が?」


 驚いて文官に問い返すクライン男爵に文官は首を振った。


「解りません。何れの診療所も公国の新兵器と思われる黒い球を投げ込まれた様ですが、賊は直ぐに姿を消した模様で御座います」


「公国の新兵器? 一体どこの者達が? シルヴィー達は王都から出た筈……」


「至急モーゼル将軍とキースリング准将に命じて王都を封鎖しなさい! 賊を必ず捕えるのです」


 ロンメルの命に文官が慌てて部屋出る。

 クライン男爵もロンメルに頷くと慌ただしく部屋を出て行った。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 魔術師団の水魔術師達が魔法の水を降らせて火災を消し止めていた。


 特級火魔法と風魔法の直撃を受けた医術師ギルド本部病院の古いレンガ造りの建物は大半が瓦解して未だ煙を上げていた。


 第6騎士団の兵士達が瓦礫の中から被災者を救助しているが、殆どの者が既に死んでいるか、重傷者の様だった。


「酷い。誰がこんなことを……?」


 助け出された怪我人は右手が千切れて無くなっていた。

 クリスタは気を失っている患者の傷口にポーションを降り掛けながら呟いた。


 クリスタとアレクシス、ラウラとバルバラは、ギルド本部病院まで駆け付けていた。ヘルミナは状況を確認するために一旦クライン男爵の館に戻って行った。


 クリスタは昼間の治療でもう魔力はほとんど残っていなかったが、診療所から持って来たポーションを使って怪我人の治療を行っていた。


「おい! こっちに来てくれ! 人が挟まれている!」


 現場で指揮をとる第6騎士団のブロン隊長の命で、騎士達が集まる。


 一人の初老の男が下半身を倒れた石柱で挟まれていた。

 兵士達が五人がかりで石柱を動かそうとするがびくともしない。


「俺に任せろ」


 アレクシスが彼らの元に歩いて行くと、兵士達に退く様に指示した。


 兵士達が後ろに下がるとアレクシスが腰だめに構えた剣を一閃する。

 男の上に覆いかぶさっていた太い石柱の半分が切断されて、音を立てて床に転がった。


 アレクシスは半分になった石柱の下に両手を入れると、“筋力強化”を発動した。


「うおおおおっ!」

 理力のオーラに包まれたアレクシスが絶叫を上げる。


 付与アイテムの“筋力増”の効果で更にスキルを強化されたアレクシスが石柱を浮かせると、兵士達が男を石柱の下から引き摺り出した。


 戸板に乗せられて運ばれてきた男を見てクリスタが悲鳴を上げる。


「先生!」


 額から血を流す老人はクリスタの師匠で医術師ギルドグラマス、ブルクハルト・デッセルだった。


「あんた医術師かい? 急いで診てくれ。息が弱くなっている!」


 ブロンがそう言ってブルクハルトの体に掛けられた血塗れのシーツをはぐると、ラウラが思わず口元に手を当てた。


 ブルクハルトの両足の腿から下が潰れて千切れかけていた。

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