6―34 忍び寄る悪意
「おっ、デニス。今日は四樽か。随分頑張ったな」
「もう魔力切れでフラフラですよ、此処に降ろしておきますね」
表を警護する騎士団の兵士に青い顔で頭を下げながら、魔法で出した水を詰めた樽を降ろしたデニスは、卸元のユルゲンから代金を受け取って足早に自宅に急いだ。
集合住宅の自宅のドアをノックすると、中からドアが開き、男がデニスの腕をつかむと部屋に引きずり込んで素早くドアを閉めた。
背中にナイフを突きつけられたままデニスは居間に入って行った。
妻と息子が目に涙をためて、猿轡をかまされて椅子に縛り付けられている傍らに二人の男女が立っていた。
「言う通りにしたから妻と息子を自由にしてくれ、御願いだ!」
泣き声で懇願するデニスを無視して、女の方が冷たい声でデニスに尋ねた。
「水は今日の夕刻、小売りの者達に売られるのね、という事は街に出回るのは明日という事ね?」
「そうだ、大体皆一晩果実に付け込んで、明日街で売りに出される」
今朝突然自宅に押し込んできた三人は、デニスたち家族に刀を突きつけ、水魔術師らしい女が樽に出した水を卸元に届けるようにデニスに命じた。
恐らく高クラスらしい水魔術師の女は、数秒で四つの樽に水を満たすと、懐から
取り出した瓶の中身を二本ずつ樽に入れていった。
妻と子供を人質に取られたデニスは止む無く彼らの言うとおりに、水をユルゲンの店まで運んで行った。
デニスの返事を聞いて女が男の方を見ると、男はニヤリと笑って頷いた。
「約束は守った! 頼むから妻とこども……」
デニスの最後の言葉は口から溢れた血で、最後まで発する事が出来なかった。
後ろの男がデニスの喉をナイフで切り裂いたのだった。
デニスは妻と息子のくぐもった悲鳴を聞きながら、ゆっくりと床に倒れて行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
クリスタがロゼッタの膝に手を当てて、“中級治癒”を発動する。
ロゼッタの膝が光りに包まれた。
「どう? おばさん」
ロゼッタは膝を数度曲げたり伸ばしたりしてからすっと立ち上がった。
「もうすっかり痛みも無くなったわ。これなら明日から店を開けられるわね」
「良かった。ポーションは必要なさそうね」
クリスタが笑顔で言った。
「それにしてもクリスタちゃんどうしたの? 今日は随分勇ましい格好だね」
クリスタは昨日貰ったコート風の革鎧と革のズボンを着て診察を行っていた。
腕には皮の腕輪が巻かれている。
アドバンスドの医術師であるクリスタは、初級、中級、上級の三種類の“治癒”を使えるが、彼女の魔力量は現在600と少し、“上級治癒”は一日に6回しか使えない。
しかしこの腕輪を装着して“中級治癒”を発動してみたら明らかに“上級治癒”以上の効果を、“初級治癒”は“中級治癒”以上の効果を発揮する事が出来た。
昨日クリスタは“初級治癒”とポーションの組み合わせか、“中級治癒”だけで半日で30人以上の患者の治療を行うことが出来た。
「この間みたいに乱暴な人が来ると怖いから用心の為よ」
「それに急に人が増えたのね」
診療所の表にはアレクシスが門衛として立ち、待合室に受付としてラウラが、診察室には助手としてヘルミナとバルバラがクリスタの後ろに控えている。
全員お揃いの革鎧姿だった。
「うん、忙しくなるからギルドから人手を廻して貰えるようになったの」
「へー、クリスタちゃんも出世したのね」
コロコロと笑うロゼッタが出て行くとすぐに次の患者が入って来る。ドアの向こうの待合室には数十人の患者が待っているのが見えた。
ポーションが大量に入荷されたことを知って日増しに患者の数が増えている。
「本物の助手が欲しい」
クリスタは自分の後ろで退屈そうに立っている、ヘルミナとバルバラを見ながら溜息をついた。
昨夜家には帰らず、クライン男爵の屋敷まで連れていかれたクリスタは、『ローメンの銀狐』の四人と公爵騎士団の三人にクライン男爵も交えて、今後どうするか話し合った。
やはり診療所は休みにしたく無いクリスタの主張に結局クライン男爵が折れたのは、医術師ギルドの活動を保護して、拡大していきたいという宰相ロンメルの政策に配慮したという事もあった。
アレクシスとバルバラの二人のユニークと、索敵能力の優れたラウラにヘルミナも付けてクリスタをガードし、更に診療所を訪れる患者の安全を確保するために、第6騎士団のモーゼル将軍に依頼して、彼の配下の『野獣騎士団』から数名交代で、兵士を患者に紛れ込ませて貰う事にした。
カイとケヴィン、ダミアンがクライン男爵を警護するが、診療所に何かあればすぐに男爵邸と獣人街にある『野獣騎士団』の拠点に連絡が入り、直ちに兵が出動できるように手配されていた。
「王族並みの警備態勢だな」
「どっちかっていうと囮じゃねえ」
相変わらず無神経な発言をするケヴィンとダミアンの頭をポカポカと殴ると、二人を睨みつけながら、ラウラが顔色の変わったクリスタの肩を抱いて言った。
「大丈夫よ、あんたの事は私達が守るから」
「有難うラウラ、よろしくお願い」
こうしてクリスタはいつも通り診療所を開けた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「100本分お願いします」
マーヤが持ってきた荷車に括り付けられた樽に、ユルゲンが店の樽から水を灌ぐ。
「今日が最後だったな、マーヤ」
「はい、今までお世話になりました」
マーヤがペコリと頭を下げるとユルゲンが残念そうに言った。
「お前は真面目で客受けも良いからずっと続けて欲しかったけど、やりたかった料理人になれるなら仕方がないな。今日の代金は半額で良いぜ。就職祝いだ、たまには顔を見せな」
ユルゲンがそう言ってマーヤが差し出した2枚の大銀貨のうち1枚だけ取って笑った。
「ありがとうございますユルゲンさん。厨房に立てるようになったら、お店にも来てください」
「おう。絶対行くよ。うまい飯食わしてくれよ」
マーヤは樽を小さな荷車に積むと、ユルゲンに手を振って帰って行った。
「デニスの持ってきた水も全部売れたな。今日はこれで店仕舞いだ」
ユルゲンはそう呟くと、店の木戸を閉めた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「えっ! ケリーさん達一日で3匹もフレイムタイガーを狩ったの?」
マリウスが驚いて“念話”で会話しているのを忘れて声を上げてしまった。
(へへへ、まあ実力かな。二匹同時に飛び出して来た時は、さすがにちょっと焦ったけどな)
特級魔物狩の結果は、ケリーたち『白い鴉』がフレイムタイガー3匹、マルコ隊がフレイムタイガー2匹、オルテガ隊がフレイムタイガー1匹とアースドラゴン1匹だった。
アースドラゴンは下級エリクサーには使えなかったようなので、ノーカンにする。
(無念です。フレイムタイガー以上の強敵だったのに)
(うん、アースドラゴンの甲羅は貴重だからブロック達が喜ぶよ。武器を作ったらオルテガに優先で回す様に言っておくよ、それでニナ達は?)
(マリウス様! 如何か我らにもう一度チャンスを下さい! 我らは運が悪かっただけです)
(ふふ、ニナ。運も実力のうちだぜ)
(くっ……)
マルコの突っ込みに、ニナが口惜し気に黙った。
ニナ隊は“魔物寄せ”の杭を使って五回も討伐を繰り返し、上級、中級魔物を一日に100体以上狩ったが、とうとうフレイムタイガーに出逢えなかったようだった。
(お願いです。もう一度我らにチャンスを下さいマリウス様)
(うん、薬は沢山ある方が良いから構わないけど。無理はしないでね)
カサンドラ達は早速、六匹分のフレイムタイガーの体を使って、『禁忌薬』の解毒薬である下級エリクサーの量産を始めたらしい。
(おもしれー。それじゃ勝負は三日間のトータルで決めようじゃねえか)
(おっ、いいねえ。オルテガ、お前も異存ないな)
(勿論。一日の成果位で決められては我等も納得いきません)
マリウスの留守中、魔物討伐を休ませていたのだが、皆逆にフラストレーションが溜まっていたようだ。
マリウスはもう一度四人に無理しない様にと言って、“念話”を切った
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最後の患者が礼を言って出て行くと、クリスタは長椅子に座り込んで腕を伸ばしながら言った。
「終わったー! もう魔力も空っぽ、疲れたー」
言うほど疲れていないのは、“疲労軽減”が効いているからであろう。
「お疲れ様! でもホントにスキルの効果が上がっているわね」
ラウラがクリスタの肩を揉みながら言った。
「うん。このアーティファクト本当に凄い。“初級治癒”でも“中級治癒”以上の効果が出るわ、王都中の医術師に持たせてあげたい」
今日一日で100人近くの患者を治療した。
間違いなく開業してから最高記録だった。
「それは無理よ。アースバルトの若様のアーティファクトは公爵家の騎士団の者も、皆が欲しがっているから」
バルバラが二人の話に割って入る。
「これ男爵様に返さないといけないのかな。私もう手放せないわ」
ヘルミナが自分の革鎧に触りながら言った。
「それはクライン男爵次第ね。男爵の仕事を続けている間は大丈夫じゃ……」
「しっ!」
突然ラウラが指を口元に当て、皆を黙らせる。ヘルミナ達が一斉に緊張する。
「来た! 二人。でもこの前の二人じゃない。あっ! 表の坊やも気が付いた」
ラウラが玄関に向かって走り、手筈通りバルバラとヘルミナがクリスタをガードして、診察室の奥の部屋に向かう。
奥の部屋には、外に出る裏口があった。
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