7―41  辺境伯家の未来


「魚でございますか?」


 シュバルツが戸惑ったようにマリウスに問い返した。


「魚、貝、甲殻類やイカにタコといった海産物は、アースバルト領の人々も公爵領や王都の人々も滅多に食べた事がないけど、これからは絶対に売れると思うんだ」


 王国には南にしか海が無い。冷蔵庫などが一般家庭にまでは普及していない現状では海産物は南部の海辺の人間か、水魔術で凍らせて搬送した物を余程裕福な貴族か大商人位がたまに食べられる位で、恐らく王国の八割以上の人々は海の魚を食べた事がない。


 マリウスも硬くてしょっぱい干物を一度食べた事が有るだけで、ジークフリートなどは酒の摘まみには良いと言っていたがマリウスはあまり好きではなかった。


 マリウスの言葉に驚いた様子で、ステファンとシュバルツが顔を見合わせて考え込む。


「うむ、魚か。確かに魚はうちの領地では当たり前の食材だが、日持ちしないのであまり他領に売る事を考えた事は無かったが……」


「マジックバックを使えば鮮度を落さずに魚を遠くまで運べるようになるし、今うちでは生乳やヨウルト、チーズを運ぶのに“冷却”を付与した冷蔵馬車を使っているよ。付与を強めて冷凍にすることも可能だし、ゴート村やエールハウゼン位の距離なら馬車でも充分鮮度を保てるはずだよ」


「シュバルツ殿、漁師を増やし漁業を拡大する事はできるか?」


「何分大型の魔物のいる海で漁をするのは命懸けですから、漁師のなりても少なくはありますが少しずつなら増やしていけるでしょう。それに今はスターク河の河口近くで連日大漁が続いていて、領内で魚の値段が下がり始めている状態です。他領に売る事が出来れば確かに大きな利益になるでしょう」


 シュバルツも興奮したように答えた。


「マリウス。この村が多くの移住者を受け入れて拡大して行けば、更に大量の水を川に流す事になるのだな?」


 ステファンが思いついたようにマリウスに尋ねた。

 マリウスはステファンの言いたい事をすぐに察してニヤリと笑う。


「うん、そうする心算で今下水処理場を増やしているところだよ。村の排水は農地にも良い影響をもたらすとカサンドラも言っていたからね」


「やはりそうか。という事はスターク河の上流から隣の川に水路を築いて水を流し込めば更に豊作と河口の海での大漁が期待できるな。アンヘルに水道設備が整ってマリウスに付与して貰えば、排水をアンヘルの西のニール河に流す事で領地の大半の田畑を豊作に出来る上に、漁獲量も数倍になるという事だな」


「ああ、父上! エールハウゼンの浄水場が来月完成する予定でしたね」


 マリウスが思い出してクラウスに言った。


 エールハウゼンでも全市内を一度には無理だが、数箇所に分割して順次上下水道設備を導入していくことが決定していて、その第一区画が来月末には完成する予定だった。


「うむ、既に下水道設備も半分位は完成している。排水は西の川に流すが確かあの川はニール河へと続いていたな」


「村の排水には魔物を追い払う効果もあるそうだから海岸の周りの魔物も次第に減っていく筈だよ。それに何なら漁師の船に“魔物除け”のアイテムを積めば多分漁船に魔物は寄ってこなくなると思うよ」


 マリウスが“魔物除け”の杭が今では100メートル以上効果を及ぼすと分かった事を告げると、ステファンが笑いだした。


「成程、そうなれば沖合に出て漁をすることも可能になるわけか。凄いな、マリウスの力は。今までの常識を総て覆していくのだな。と云うか、辺境伯家は既にマリウスの力の恩恵を多く受けているという事か」


 シュバルツも困ったように頷く。


「つまりアースバルト家が川に水を流す、流さないで辺境伯家の農業、漁業の業績が左右されるという事になりますね。事業に参加するかしないか以前に、我らは既にアースバルト家に頭を押さえられている状況ではありませんか?」


「あはは、それは考え過ぎですよ。水を流さない事は出来ないですから。取り敢えず迷惑にはならないと分かってほっとしている処ですよ」


 シュバルツは屈託なく笑うマリウスを見ながら、思わず考え込まざるを得なかった。


 マリウスの力は彼の調査を遥かに凌ぐ程に絶大で、公爵家や宰相ロンメル、シェリルたちが注目するのも無理はなかった。


 その力はステファンやシェリル、ベルンハルトとは全く異質の物だった。

 強いとか弱いとかそんなレベルの話ではない。世界の成り立ちを変えてしまう程の力である。


 彼の父、ベルンハルト・メッケル将軍は、はっきり口にこそ出さないが明らかにマリウスの事を警戒している。


 今となってはベルンハルトの警戒は正しかったのかもしれないとシュバルツも感じていた。


 この絶大な力に既にステファンは近付き過ぎていた。

 否応なく辺境伯家はマリウスの影響下に入らざるを得ない。


 それが辺境伯家にどのような未来をもたらすか、慎重に見極める必要があるとシュバルツは思った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「それではカンパニーで販売する商品の目玉となる薬師ギルドの新作を紹介させて頂きます」


 ノルンが壇上から声を上げるとドアが開き、四人の女性が入って来た。


 カサンドラを先頭にレオノーラ、イザベラ、ビアンカがドレスアップした姿で前に並ぶとステファンやシュバルツ、クライン男爵やルッツ、クラウスまで息を飲んだ。


「イザベラか……? しかし先日見た時とは随分と……。一体何を……?」


 ステファンがイザベラを見つめて思わず絶句し、シュバルツもまじまじと妹を見つめた。


「これはカサンドラ殿とレオノーラ殿。久しぶりにお会いしましたが、前にあった時とは随分と印象が変った様で御座いますな」


 クライン男爵が戸惑いながら呟くと、クラウスたちも頷いた。


「ビアンカちゃんどないしたんや、えらい別嬪になって! やっぱりビアンカちゃん、儂の愛人に……」


 ビアンカがいきなり手を取ろうとしたダックスの顎に右アッパーを決めると、ダックスが白目を剥いて床に転がった。


「今回薬師ギルドが開発した商品は女性の肌を美しくする化粧水と、手荒れを防ぐハンドクリームです。四人の女性の方たちにはモニターとして3日前から化粧水とハンドクリームを使って頂いています」


 四人が艶々とした美しい顔でにっこりと微笑んで、綺麗な手に持った化粧水のガラス瓶とハンドクリームの小さな陶器の器を皆に見せた。


 それなりに魅力的な四人にモニターになって貰ったのだが効果は絶大だったようで、四人とも客人たちの目を引き付ける程に美しかった。


 アンナとコルネリアが思わず吸い寄せられるように前に出ると、互いに気が付い

て皆の前で睨み合う。


「これは狐商会の会頭様、随分と御執心のようですが、商いの事をお忘れではありませんか」


「ほほほ、アンテス商会の会頭様こそ、随分と若作りをしていらっしゃいますが、やはり化粧水は気になるのかしら」

 

 二人が相手を殺せそうな視線で睨み合ったが、すぐ我に返るとカサンドラ達の方を向いて言った。


「私にも使わせて頂いて宜しいかしら?」


 カサンドラとレオノーラから化粧水とハンドクリームを受け取ると、化粧水の瓶の栓を抜く。


「少量手の上に取って、両手で顔に刷り込むように塗って下さい」


 レオノーラの説明で二人が化粧水を手の上に滴らせると、良く手を擦り合わせてから顔に塗っていく。


「肌に染み渡るのが分かりますわ。あら狐商会の会頭様、目尻の皺が取れましたようですね」


「ほほほ。アンテス商会の会頭様こそ10は若返ったのではないですか? 今なら30代にしか見えませんわよ」


 再び睨み合う二人にレオノーラが引き攣った笑顔で言った。


「ハンドクリームの方もお試し下さい。指で掬って両手によく擦り込んでみてください。


 コルネリアがハンドクリームを手に刷り込んで驚きの声を上げる。


「これも素晴らしいですね。カサカサしていた部分が総て滑らかになっていくようですわ」


 アンナは村で奇跡の水を常に使っているので手は綺麗だったが、それでもハンドクリームを塗って満足そうに頷く。


 再びコルネリアがノルンに尋ねた。


「この化粧水とハンドクリームは一体、お幾等で売るお心算なのですか?」


「どちらも3千ゼニーで販売する心算です」


「なんと、たった3千ゼニーで宜しいのですか? 王都で売り捌けばその十倍の値段でも飛ぶように売れるでしょう」


 価格はあらかじめマリウスが決めていたものだが赤字に成るのではと思ったが、カサンドラの説明では元々アースドラゴンの成分に関しては値段を付けられる様なものでは無いそうなので、それを除けばほんの少しの薬草と村の水だけしか使っていないので十分この価格で利益が出るそうである。


 因みに一匹のアースドラゴンの抽出成分で、およそ5千個ずつの化粧水とハンドクリームが造れるそうなので、今手持ちの素材だけで2万個ずつは作れる。


 取り敢えず小売店に置いて反応を見る心算だが、この様子なら恐らく大丈夫そうである。


「化粧水とハンドクリーム、それにアイスクリームのスタンドは集客の目玉にする心算なので、出来るだけ安価で販売して多くの人に買って貰いたいと考えています」


「さすがは若様でんなあ。この化粧水だけでひと財産作れるそうやのに、目先の儲けに走らずもっと大きな商いを目指すわけでんな」


 何時の間に起き上がったのかダックスがしきりに感心すると、ハーゲンも頷いて言った。


「まったく、先程の辺境伯様とのお話も感服致しました。王国中の人々の食卓に海の魚を届けるなど、それだけでどれだけの利益が動くか想像もつきませんな。或いはポーションの商いを超えるものになるかもしれません」


「我等公爵家にも何か販売出来るものは有りませんか? 絹織物の事は考えていましたが、さすがに鉄鉱石までカンパニーで売り捌くと商業ギルドと本気で揉める事になるでしょうし、あとは小麦などの農作物位しか販売できる物が在りません」


 ルッツがさりげなくマリウスを試す様に話を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る