7―42  南の海と北の海


 公爵家は領内に豊かな穀倉地帯とロランドの鉱山を抱えて財政は豊かだが、独自の産業は絹織物の生産位だった。


 ロランドの鉄工石は王国の鉄鉱石産出量の4割を占めており、商業ギルドにとっても重要な案件になり、王家も絡んでいるので簡単にカンパニーで取引する訳にはいかないらしい。


「それだけでも十分利益を得られると思いますし、絹織物などの生産を拡大して国内だけでなく他国まで販売出来れば更に利益を上げる事が出来るのではないですか。それに、ロランドに行く途中で見たのですが公爵領の北部では多くの森林地帯が手付かずのままのようでしたが? 木材の出荷や製紙業などの産業も興せるのではありませんか」


 マリウスが答えるとルッツが驚いたようにマリウスを見る。


「紙ですか?」


「はい、北の森の木は良い紙の材料になると聞いた事が有りましたので」


「確かに我が領の北、ブレドウ伯爵の領地では製紙業が盛んと聞いてはいますが……」


 ブレドウ伯爵と聞いてマリウスは、拙い事を言ったかもと思った。

 もしかするとまたトラブルの種を播いてしまったのかもしれないが、ルッツは気にした様子も無く腕を組んで考え込んでいた。


「そう言えば奥方様の命で、ベルツブルグより先にロランドの上下水道の工事を、来週から始める事に致しました」


 ルッツが思い出したようにマリウスに言った。


 エルザに『禁忌薬』で汚染されたロス湖とバルト河の周辺の土地を元に戻すには、『奇跡の水』を川に流すのが一番良い方法だと連絡したので早速動くようだ。


「恐らく8月には完成すると思われます」


「8月ですか、小麦の種蒔きにはぎりぎりですね」


 小麦の播種時期9月末になる筈である。


「いっそ春播きの小麦に切り替えた方があの地の気候に合うように思いますね。会談の場で御屋形様から提案してみるそうです」


「同盟が上手くいくと良いですね」


 同盟が成立してユング王国との国交が開かれれば、北の海の海産物も手に入るようになるかもしれない。


 何れ近い将来、南の海と北の海の魚が王都やベルツブルグ、エールハウゼンでも食べられるようになると思うと楽しみだった。


 ミラたちと魔道具師に家庭用冷蔵庫の魔道具の生産も始めさせようとマリウスは思った。


「何の話だいマリウス?」


 ステファンがマリウスとルッツの話に入って来た。


 ユング王国と同盟を結ぶ話はステファンも既に知っているので、マリウスがステファンに状況を説明する。


「実は教皇国の聖騎士が撒いた『禁忌薬』が原因で、ロス湖から下流のバルト河の周辺の木々や農作物が枯れ始めているんだよ」


「なんと。バルト河という事はユング王国に被害が出ているという事か?」


「うん。ちょうど帝国との国境で両方の国で被害が出ているのだけど、『禁忌薬』の染み込んだ土地を元に戻すにはやはり『奇跡の水』を川に流すのが一番簡単だと解ったんだ」


「成程、それでロランドの水道設備を急ぐ訳か」


 ステファンの後ろでシュバルツが意外そうな顔をする。


「敵を助けるのですか? そのままにしておいた方が王国にとっては都合が良いのでは?」


「そう言う訳にはいくまいシュバルツ殿、ユング王国とは同盟を結ぶ交渉中だし、農作物に被害が出れば苦しむのは民たちだ」


 ステファンが心外そうにシュバルツを見るが、シュバルツは意に介さずに言った。


「お忘れですか? 『奇跡の水』を流すという事は、今は被害が出ていても来年以降は逆に豊作になり、敵国に力をつける事になります。むしろ放っておけば二つの国を弱体化する事ができますし、恐らく二国間で潰し合いが始まるでしょう。王国にとってはその方がありがたいのでは」


「ははは、シュバルツ殿はお若い。確かにそうなるでしょうが、しかし今度はその状況を利用しようとする連中が必ず出て来るでしょう。困窮する二国を再び王国にけしかけてこないとは限りません。ここはこちらから先に手を打って恩を売る方が得策だと思います」


 ルッツがあまり緊張感のない声でシュバルツに異を唱える。


「宰相様も同じ考えで御座います。ユング王国やレジスタンスと連携しながら、帝国の侵攻を躱していく御心算ですが、決して相手を追い込まず全面戦争になる事は出来るだけ避けたいという御考えです」


 クライン男爵も話に入って来ると、後ろからクラウスも言った。


「エルザ様と先日話しをさせて頂きましたが、やはり帝国は十万を超える兵を帝都に集結させているようですね。この軍勢がユング王国に向かうかバシリエフ要塞に向かうか未だ分かっていないようですが、その前にユング王国と手を結び、ユング王国とエール要塞守備軍、レジスタンスの連携で直接対決は避けて上手く敵軍を追い返したい御考えのようでした」


「いっそこちらから先手を取って帝国を叩き潰した方が、後顧の憂いが無くなるのではありませんか? 些か回りくどく感じますが」


 シュバルツが冷たい顔で言うがクライン男爵が首を振る。


「帝国の底力を舐めると痛い目を見ますよ。その気になれば30万近い兵を揃える事も出来る筈ですし、長期戦になれば王国も消耗を避けられなくなります」


「王国にとって本当の敵は、帝国では無く西側ですからね。帝国との全面戦争は彼らを利するだけですよ」


 肩を竦めるルッツにシュバルツが今度はマリウスを見て言った。


「マリウス殿はどうお考えですか? 噂では8万の軍勢を御一人で打ち破り、バシリエフの要塞を陥落させたとか。マリウス殿なら帝国を降すのも容易いのではありませんか?」


 シュバルツが探る様にマリウスを見る。


「あれは教皇国の陰謀を逆手に取ったエルザ様の策とユング王国の離反が重なって想像以上の戦果に繋がっただけで、何時も上手くいくとは思えません。むしろあれだけの損害を出しても未だ侵略を諦めない帝国と、正面から事を構えるのは得策ではないと僕も思います」


「どういう意味ですか?」


「上手く帝国の侵略をかわしていれば、無理な徴兵を続けて戦果も出せずに、ユング王国に離反されて国内ではレジスタンスの反抗が活発になるとなれば、何れ帝国は内部から崩壊していくでしょう。王国は無駄な犠牲を出さずに有利な状況で、停戦条約を結べるタイミングを待つのが最良の策と思いますが」


 エルザとも何度も話した内容である。


 常に西からの干渉を受けている王国に帝国を侵略する意思がない以上、この戦いは無駄でしかない。


 極力犠牲を出さずに戦争を終結させると云うのがロンメル陣営の基本戦略である。


 シュバルツが意外そうな顔でマリウスを見る。


「マリウス殿は欲が無いのですね。せっかくバシリエフ要塞を奪ったのですから、私ならそのままロマニエフの鉱山くらいは奪い取ろうと考えますが」


「どうでしょうか? 帝国があれだけロランドを奪いたがっているという事は、案外ロマニエフの鉱山は既に枯れつつあるのかもしれませんよ」


「それは確かなのかマリウス?」


 クラウスが驚いた様にマリウスに尋ねた。


「いえ、分かりませんが、この状況で未だ帝国が侵略を諦めない理由が他に思いつかないのですが……」


 侵略の足掛かりであるバシリエフの要塞を失い、リカ湖の魔物とユング王国の離反の為、侵略のルートすら無くなった状況で未だ王国と停戦しようとしない帝国の態度は少し不審である。

 

 以前アイツが冗談めかして言ったのを思い出して、思わず口にしただけだがクライン男爵が驚いた様にマリウスを見る。


「驚きましたな。その話は未だ一部の者しか知らない極秘情報なのですが、マリウス殿は何処でその情報を?」


「え、いや。ただの想像ですが……」


「先日ロマニエフから解放されたレジスタンスの幹部からもたらされた情報です。ロマニエフの鉱山はこの三年で産出量が四分の一程に減産しているそうです。ロマニエフの鉄鉱石が枯れてしまえば帝国の財政は破綻してしまいます。帝国はその前にどうしてもロランドを手に入れたいのでしょう」 


「それは真ですか? それでは帝国は、簡単には侵略を諦めないかもしれないですね」


 ルッツが顔を顰めて呟く。財務担当のルッツにとっては、戦争が継続する事が一番頭の痛い問題のようだった。


 出来れば有利な状況のまま帝国に戦いから手を引いて貰い、双方の被害が拡大しないうちに戦争を終結させたかったが、帝国の滅亡は既に始まっている様だった。


「マリウス殿は国際情勢にも明るいのですね。失礼ながら、未だ子供にしか見えないのに一体どこでその様な知識を得られたのですか。誰か頼りになる側近が付いているとか?」


 シュバルツが再び探る様な目でマリウスを見るが、マリウスが笑ってシュバルツに答えた。


「はい。うちの家臣は有能な者達ばかりです。御蔭で子供の僕でも何とか領地が保てています。ステファンがしょっちゅううちの村に遊びに来ているのも、シュバルツさんのような有能な家臣がいるからではないですか?」


「あははは、違いない。しかしマリウス。私も毎日遊んでばかりいる訳ではないぞ。これでも彼是と当主の仕事をしているんだよ」


 ステファンが笑いながら文句を言うが、シュバルツとイザベラが微妙な顔でステファンを見ている。


「すっかり話がそれてしまいましたが、いかがでしょうかカンパニーは。辺境伯家にも協力して頂けるでしょうか?」


 マリウスが話を戻すとステファンもシュバルツを見た。


「如何かな、シュバルツ殿? 我らにとっては実に魅力的な話と思えるが」


「確かに莫大な利益が約束されている御話ではありますが、問題は王家と公爵家、アースバルト家と我が辺境伯家がどのような形で共同出資を行い、誰が実権を持ってどのように運営されていくかという事と、もう一つ……」


「商業ギルドの事ですね」


 マリウスの言葉にシュバルツが無言で頷いた。



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