5―38 はじめてのおつかい
“疲労軽減”が効いて来たのか、カサンドラの顔色が少し良くなった。
マリウスはポケットに手を突っ込んで、指輪を取り出すと、カサンドラに左手を出す様に言った。
恐る恐る出された左手を握ると、細い薬指に銀の指輪を嵌めた。
「マリウス様。これは」
「良かった、ぴったりだ。カサンドラはこれから危ない目に合う事があるかもしれないけど、この指輪が守ってくれるから」
カサンドラは直ぐに指輪の効果に気付いた様だった。
上気した顔でマリウスを見ると、突然マリウスの前に跪いた。
「至らぬことを申しました。このカサンドラ・フェザー、命ある限りマリウス様に付いて行きます。どうかお許し下さい」
「うん、許す。それと多分王都からまた大勢の錬金術師が来ることになるから彼らの面倒も任せるよ。新しい工房もあと一週間位で完成するし、幽霊村にも研究所と別に大きめの製薬工房を建設する事が決まったから、ポーションの大量生産と、新薬の製造の準備を始めてね」
ロンメルとクラウスの間で補助金等の話も決まったらしい。ゴート村、幽霊村で東部に卸すポーションの製造を行うが、段階的に生産を拡大していって、最終的には王国で使用するポーションは全てゴート村で生産される事になるらしい。
ロンメルは更に、周辺諸国へのポーションの輸出も検討していると云う話だった。
一体どれ程の量のポーションを作らなければならなくなるのか見当もつかないが、間違いなくゴート村にとって、大事業に成るし、事業を進めるリーダーはカサンドラしかいない。
いつの間にか6人の錬金術師もカサンドラの後ろで跪いている。
口々にマリウスに忠誠を誓う錬金術師達に少し照れながら、マリウスは製薬工房を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「うむ、マリウス殿はクラウス殿と共に五月五日にエールハウゼンを発ち六日の午後にベルツブルグに入るのだな」
「は、その様な予定でおりまする」
クルトがガルシアに答えた。
旧ハイドフェルド子爵領ダブレットの館で、クルト達の一隊がガルシア・エンゲルハイト将軍にマリウスのベルツブルグ入りの日程を伝えに来たところである。
「クラウス殿の奥方も同行されるのであろう」
「いえ、それが奥方様は今回同行出来ぬ事になりました。」
クルトが困ったように眉を下げた。
「ふむ、いかが致した。婚約の儀に母御が同席出来ぬとは、病にでも掛かられたか?」
ガルシアが訝しげに尋ねた、
「いえ、病と云うのでは御座いませぬが、実は奥方様はご懐妊あそばされた由にて、長旅は触りがあると云う事で、今回の同行は見合わせる次第となりました」
「ははは、それは目出度い。クラウス殿も隅に置けぬな。相分かった。そう云う仕儀であれば致し方ない。儂から御屋形様に告げておく」
ガルシアが声を上げて笑った。
ガルシアはクルトを見ると口角を上げて言った。
「クルト。その方また腕を上げたようだな」
クルトは片膝を付いた儘答える。
「何のまだまだで御座います。将軍閣下の足元にも及びませぬ。日々精進いたしております」
「ふふ、クルトも世辞が言えるようになったか。マリウス殿もご満足であろう。今宵はこの館に泊って行かぬか。御家の繁栄を祝って皆で飲み明かそうではないか。」
クルトはガルシアに頭を下げる。
「誠に有り難きお申し出為れど、我ら是より主の使いにて急ぎ王都に上りますれば、謹んでご辞退致しまする。」
クルト達は王都に上るルートを見分しながら、王都に在るアースバルト子爵邸にいる、マリウスの祖父アストリスと会い、マリウスの上京の準備をして貰う打ち合わせする予定である。
更に宰相ロンメルに、『奇跡の水』と作るための樽と、クラウスの文を届ける用もあった。
「それは残念だな、今から出れば夜にはデフェンテルに入れるか。」
「は、われらは王都で用を済ませた後は、そのままベルツブルグに向かい彼方でマリウス様をお待ちする殊になる予定で居りますれば、またその時にでも」
クルト達はガルシアの屋敷を辞すと、街道の街デフェンテルに向かって馬を進めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「私、領内から出るの初めてよ」
二頭立ての馬車の前に、馬を走らせながら、エリーゼが燥いだ声を上げる。
クルト達の馬には面と首、胴体を覆う革製の馬鎧が装着されている。
この馬鎧にも、長距離行動向けに“物理防御”、“魔法防御”、“筋力増”、“疲労軽減”の付与が付けられていた。
マリウスの付与魔術は馬にも有効で、クルト達の一団は、王都迄二日半はかかる工程を余裕で、二日で走破出来そうだった。
馬車の中は座席が取り払われ、10個の付与付きの樽が詰め込まれていた。荷馬車では目立つので万が一に備えて、普通の客室馬車にカモフラージュして王都迄樽を運ぶ心算である。
10個の付与付きの樽は空ではなく、ゴート村で生産した『奇跡の水』を使って製造したポーションが詰められていた。
約2000本相当のポーションに、更にカサンドラが開発した新薬、病気治癒用と外傷回復用の新薬の瓶が30本ずつ積み込まれていた。
ロンメルから要請があった物で、王家への献上品になる。これらの品が届き、更にこの樽を使ってポーションの生産が始まり次第、王家がストックしている旧ポーション10万本が市場に解放される予定であった。
カタリナが御者席に座り、隣にナタリーが座っている。かなりの重量になるが、マリウスによって“軽量化”や“強化”を付与された鉄骨製の馬車を、付与装備の馬が軽やかに引いている。
「僕も初めてだよ、ケントさんは?」
ノルンが振り返って後ろのケント達を見る。
「ああ、俺も初めてだ、ずっと辺境の村にいたんだから」
「王都に行くの楽しみだね。リナ達にお土産を買って帰ろう。」
「遊びじゃないよエリー、若様の大事な御使いなんだから」
燥いでるエリーゼにノルンが呆れる。
「分かってるわよ。エフレムさんたちは王都にいたんでしょ。王都ってどんな処ですか?」
エリーゼが前を走るエフレムたちに声を掛けた。
「それは大きな町だよ。100万の人間が住んでいるから」
「まあ、私達獣人には良い思い出ないけどね」
馬車の御者席に座る猫獣人の火魔術師カタリナが顔を顰めて言った。
「第6にいた頃は楽しかったけど、あとは辛い事の方が多かったわね」
犬獣人の剣士ナタリーも頷く。
「そんなに酷い処なんだ。マリウス様はそう云う事を凄く嫌うのに」
ノルンが言うとエリーゼも頷く。
「またブチギレちゃったりしたら大変ね。ドラゴンをぶっ飛ばした時みたいに」
「なんと、若様はドラゴンを倒されたことがあるのですか?」
アドバンスドの狼獣人の剣士セルゲイが、驚いて後ろから声を掛ける。
「ああ、辺境伯とドラゴンを危うく殺してしまうところだった。皆慌てたよ」
ケントが思い出して笑った。
「マリウス様はこの国最強の戦士だ。日が暮れる前にデフェンテルに入りたい。急ぐぞ」
クルトがそう言って馬の脚を速めた。
ノルン達もクルトを追って馬を走らせた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌朝、朝食を済ませてまったりとお茶を飲んでいると、目の前にユリアが立っていた。
「若様。お話があります」
「え、何、改まって?」
マリウスが何故かちょっと怒っている様なユリアを見上げて首を傾げる。
「若様はサーシャさんの事が好きなのですか?」
ユリアがマリウスを恨めし気に睨んでいる。いつ来たのかリナも怒った顔でユリアの後ろに立っていた。
「え? サーシャ? なんで?」
サーシャは確かにとても綺麗な豹獣人の料理人だが、もう20歳の大人の女性である。
「マリウス様、サーシャさんにだけチーズインハンバーグのレシピを教えたでしょう」
マリウスは、ああと思いながら首を振った。
「僕はただハンバーグの中にチーズを入れてみたらって云っただけだよ。あれはサーシャの考えたレシピだよ」
どうも皆からマリウスは年上好きと思われているらしい。昨日からこんな話ばかりだ。
「本当ですか?」
自分を睨むユリアとリナに、マリウスがコクコクと首を縦に振って頷く。
「じゃ、私達にも何かレシピを教えてください」
ユリアとリナが怖い顔でマリウスを覗き込む。
いつから二人は仲良しになったのだろうかと考えながら、マリウスは焦りながら周りを見回すが、ノルンとエリーゼ、クルト達は王都に出かけているし、アデリナとエリスももう出かけた様だ。
テーブルに座っているジェーン、キャロライン、マリリンも知らん顔をした。
ふとホランド先生が食べた皿の残りに目が留まり、マリウスが二人を見ながら引き攣った笑顔で答えた。
「オムレツの中にチーズを入れてみたら。きっとおいしいんじゃないかな」
「オムレツですか……良いかもしれませんね、早速作ってみます」
ユリアは何か閃くものが有ったのか、リナと頷き合うと、手に持っていた大きな包みをマリウスの前のテーブルに置いて、リナと部屋を出て行った。
中を覗いてみるとどうやらミリ達のおやつらしい。甘い香りの中に爽やかなレモンの香りがした。
マリウスがほっと溜息を付くと、ジェーンとキャロライン、マリリンがニヤニヤしながらマリウスを見ているのに気が付いた。
「姫様というフィアンセがいるのに、婚約の儀の前にもう浮気?」
違います。
「みんなに良い顔してると、そのうちひどい目に合うよ」
していません。
「私は教会のエリナさんが良いと思うけど」
何を言ってるのだコイツは。
マリウスは一つ咳払いをしながら、女の子は皆平等にしないといけないらしいと密かに反省した。
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