6―28 下級エリクサー
「マーヤ!」
「あ、エレン様」
エレンが広場でマーヤを見つけると傍に駆け寄って行った。
店を出るとクルト達は今日も街の巡回に出て行った。
マリウスとエレン、ノルンとエリーゼはまたマーヤのいる広場にやって来ていた。
勿論エレンの護衛の親衛隊は、少し離れて散開し周囲を見張っている。
「マーヤ、今日もお水を頂戴、4本」
そう言ってエレンが肩にぶら下げたポーチから大銅貨を一枚と銅貨を2枚出した。
「ありがとうございます。エレン様」
マーヤが銅貨を受け取って、エレンに素焼きの瓶を渡す。
「私、自分でお金を払ってお買い物するの初めてなの」
エレンはマリウスとエリーゼ、ノルンに瓶を渡しながら嬉しそうに言った。
「ありがとうございますエレン様」
「ありがとうございます、マリウス様も良く村の屋台でレモネードを買って、子供達に配っています」
エリーゼとノルンが礼を言って果実水を受け取った。
「ありがとうエレン」
マリウスが果実水の瓶を受け取って飲もうとすると、ハティがマリウスの脇腹を突いた。
マリウスはポケットから銅貨を出して、マーヤから果実水を2本買ってハティにも飲ませた。
「マーヤはずっと水売りの仕事をしているの?」
エレンが果実水を飲みながらマーヤに尋ねた。
「丁度一年になります。福音の儀のすぐ後からですね」
「何のギフトを授かったの?」
「はい、私はミドルの料理人のギフトを頂きました」
「へー料理人のギフトなんだ。将来は料理人の仕事に就くの?」
料理人と聞いてマリウスが食いつく。
「はい、実は水売りのお仕事は明々後日までで、来週から大通りの『蜻蛉亭』の厨房で働けることになりました」
「へー、私達今までそこで食事してたのよ」
「あそこで働くんだ、美味しいお店だったよ」
ノルンとエリーゼが驚いて声を上げる。
「お母さんが働いているのですけど、一人空きが出来たそうで、最初は皿洗いからですけど」
そう言いながらマーヤも嬉しそうだ。
「そうなんだ、マーヤのお水が飲めなくなるのは残念だけど、お店に行けば会えるのよね」
エレンはこれからもちょくちょく城を抜け出して、マーヤに会いに行く気満々みたいだ。
「僕たちは来週には帰らないといけないけど、夏位に必ずもう一度来るからその時には必ず寄るよ」
「その時は私も一緒よ、それと私を山に連れて行くのを忘れないでね」
そうだった、約束していた。
「勿論忘れてないよ、今ゴート村で夏用の涼しい服を作らせているから、その時はエレンとマーヤにお土産に持ってくるよ」
アリーシアの工房では、順調に夏服の生産が進んでいる。
マリウスが“防暑”を付与して王都で売り出す心算だった。
「其れじゃその時までに私も厨房に立てる様に頑張ります」
マーヤの言葉にエレンが胸を張って答えた。
「其れじゃその時には、私も凄い魔法を見せてあげるわ。約束よ」
「はい、楽しみにしています」
マーヤの笑顔にエレンも照れ臭そうに笑った。
★ ★ ★ ★ ★ ★
幽霊村の厳重に警護された門を、馬に乗ったニナと『四粒のリースリング』の四人に先導された馬車が潜り抜けた。
「こっちだ」
オルテガ隊長が、新しく建てられた広いレンガ造りの建物の前で手を振っている。
馬車が建物の前で止まると降りて来たのはマルティンとエミリアの二人だった。
二人が今は密偵を探り出す為のダブルスパイである事は当初マリウスとクレメンス、クラウスとホルスだけの秘密であった。
しかしそもそも彼らが教会のスパイだった事は、オルテガや『夢見る角ウサギ』の三人も知っていたので、結局隠しきれずに隊長連中と一部の者達は、マリウスから二人の事を明かされていた。
「あの、一体私達は何を……?」
マルティンとエミリアは行き先も告げられずに馬車に乗せられ、此の幽霊村に連れてこられた。
「ああ、君たちに、と云うかマルティンの方だが、用の有る人がこの中で待っている」
オルテガがそう言って二人を手招きながら建物の中に入って行った。
マルティンとエミリアは顔を見合わて迷っていたが、ニナに急かされて止む無くオルテガに付いて中に入って行った。
『四粒のリースリング』の四人はそのまま騎士団の兵士達と共に、建物の周りに散会すると、緊張した表情で周囲を警戒した。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
エミールが後に続くレオとニコラに、止まる様に手で合図する。
既に日が落ちて、街に街灯の魔道具の灯りが付き始めていた。
エミールは“気配察知”で宿舎が大勢の兵士に囲まれていることに気が付いた。
理由は分からないが、どうやら正体を見破られてしまったようだ。
敵の包囲は恐らく200人を超えている様だった。
二重、三重に取り囲まれてしまっている。
宿舎は街から離れているのを見ると、どうやら初めから正体がばれていたらしい。
戻って宿舎の仲間に知らせるべきか少し迷ったが、直ぐに諦める。
こうなったら此方から先制して騒ぎを起こし、仲間に気付かせる方が得策だった。
同時に騒ぎに乗じて自分だけは確実に包囲を脱出する。
瞬時に判断するとエミールは一番隠密行動に長けたアサシンのレオに合図する。
レオは直ぐにエミールの意図を察すると、暗闇に姿を消した。
幸い三人とも“探知妨害”のアイテムは装備している。
ニコラと物陰に隠れて息を殺していると、彼らが潜んでいる路地と宿舎を挟んで反対側で、地響きを伴った爆音と炎が夜空に上がった。
★ ★ ★ ★ ★ ★
マルティンとエミリアが通されたのは、薬品らしい瓶の置かれた棚が壁際にずらりと並ぶ、広い部屋だった。
部屋の中央に白いシーツの掛けられた簡素なベッドが置かれ、その傍らに三人の男女が立っていた。
「よく来てくれたマルティン。私はマリウス様より薬師ギルドグランドマスターを任されているカサンドラ・フェザーだ」
真ん中の眼鏡を掛けた、ぼさぼさの黒髪の女が、腰に手を当ててマルティンを見ながら言った。
無論マルティン達も薬師ギルドがゴート村に拠点を移し、カサンドラがそのグランドマスターに就任した話は知っている。
いったい薬師ギルドのグラマスが自分に何の用だろうと思いながら、マルティンはカサンドラにおずおずと尋ねた。
「私に何か御用ですか?」
「うむ、実は君に協力して貰いたい事が出来た。新薬の被験者になって貰いたい」
カサンドラは全く躊躇せず、ストレートに本題を告げた。
「新薬ですか、何故私に? それはどのような薬なのですか?」
マルティンが不安げにカサンドラに聞き返す。
「ハイエルフの『禁忌薬』“魔物憑き”の薬の解毒薬だ」
「ま、魔物憑きの薬の解毒薬ですか、何故それを私が? 私は魔物憑き等ではありません」
驚いて声を上げるマルティンにカサンドラが笑って目の前で手を振った。
「言い方が悪かった様だな、魔物憑きの解毒薬として開発したのは本当だが、この薬は実質的には劣化版と云うか下級エリクサーだ」
「エリクサーですか? そんなものが本当に存在するのですか」
無論マルティンとエミリアも教会のガーディアンズの一員であったから、エリクサーの名前くらいは知っている。
教会上層部がエリクサーを求めて、21年前アクアリナ王国を滅ぼしてダンジョンを奪った経緯も漠然とだが、聞いた事がある。
未だに開発されたという噂が聞いたことがないエリクサーを、下級とは言え此の辺境の森の奥の研究所が、開発に成功したというのだろうか。
「不老不死の効果はないが、それ以外は伝説の霊薬『エリクサー』とほぼ同等の効能を発揮する。万能薬にして部位欠損すら再生する事が出来る秘薬だ」
カサンドラの隣にいたティアナが諭す様にマルティンに説明する。
「部位欠損……」
マルティンは自分の左腕を見た。
肘から先を失った傷は既に傷口が塞がって肉が盛り上がっている。
マルティンはエミリアと顔を見合わすと、エミリアが頷いた。
「協力して貰えるね、マルティン」
自分を見つめて自信たっぷりに笑うカサンドラに、マルティンは意を決すると言った。
「お願いします。やって下さい」
カサンドラが満足げに頷いた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
西門の近く、城壁に傍らに立つ衛兵の宿舎の半径500メートルをガルシア将軍麾下の精鋭150名と第6師団70名、『餓狼十字軍』30名が囲んでいた。
この辺りに民家は少なく、騎士団の施設や役所等がほとんどで、民家の住民たちも密かに退避させていた。
ガルシア軍の副長ブルーノ・シュミノフ率いる50名は静かに宿舎の正面に進んだ。
火魔術師のガイアもブルーノに同行している。
宿舎に勤務していた使用人達は、密かに退避していた。
同時に宿舎の裏手にはミハイル・アダモフ率いる『野獣騎士団』の精鋭30名が展開する。
兵士達は全員マリウスが“物理防御”と“魔法防御”を付与した鎧を装備していた。
兵舎の入り口まで進んだ処で、ガイアが“魔力感知”を発動する。
「魔術師らしいのが三人と、うむ? 三人足りない。二十人しかおらん!」
「何、三十分前に確認したときは全員いたぞ! 探せ、近くにいる筈だ!」
ブルーノが周囲を見回しながら、ガイアに言った。
ガイアは“魔力感知”を全方位に向けて放った。
「むっ! 後ろに一人いるぞ」
ガイアは後ろから急速に接近して来る気配に気付いて振り返った。
ブルーノ達も後ろを振り返る。
路地の陰から飛び出した男が何かを此方に投げつけて来るのが見えた。
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