6―57  マリウスの策


「愚かな。ユング王国兵を矢避けに使い潰すとは。この様な戦をしていては、帝国は属国から無用な恨みを買うだけだ」


 帝国第5騎士団長イヴァン・マカロフ将軍は中央の戦場を見ながら吐き捨てる様に言った。 


 帝国の西に位置するユング王国は人口6百万程の小国である。

 帝国の属国化して15年ほどになるが、この国は11年前の大戦でも3万の兵をエール要塞攻めで失っている。


 今は力で押さえつけているが、帝国の支配に決して不満を持っていない訳ではない。


 帝国の力が弱まる様な事が有れば、必ず帝国から離反していくだろう。

 17年前、今の皇帝に変わってから帝国は強引な専制政治体制に舵を切った。


 11年前に一方的に王国に攻め込んだ挙句、劇的なまでの敗北を喫した帝国は、国内の不満を一旦沈静化していた獣人、亜人差別の強化に向ける事で逸らそうとしたが、この政策も上手くいったとは思えない。


 百年前に始まった獣人、亜人差別政策は当初帝国内に恐怖政治を浸透させることで、皇帝の支配力の強化に役立ったかもしれないが、今となっては無駄な政策としか思えない。


 身体能力の高い獣人や、個人のレベルが高い亜人達の 反抗勢力を、結果として結束させる事になり、獣人、亜人掃討戦に毎年莫大な戦費と兵士を消費しているだけだった。


 それでも軍上層部が、獣人、亜人の掃討に積極的なのは、捕えた獣人、亜人を奴隷として引き渡す事で、資本家たちからの見返りを受けている事と、軍の予算拡大の口実になるからに他ならなかった。


 皇帝は、親教皇国派貴族に唆されるままに、無謀ともいえる王国との開戦に踏み切ってしまった。


 これに対して軍務卿リヴァノフ侯爵は危ぶんでいたが、結局他の将軍たちに押し切られる形で賛同した。


 軍の上層部の大半は、親教皇国派の首魁、宮廷顧問官ミーシア・ドルガニョヴァに取り込まれている。


 帝都の名門貴族の血を引く彼女は、皇帝のお気に入りであり、この数年急速に宮廷内で強大な権力を振るい始めていた。


 彼女が帝都の大貴族、軍上層部、資本家をまとめ上げて、この戦争を陰で推進している張本人だった。


 帝都では反射炉による大規模な製鉄が始まっている。

 ロランドの鉱山が手に入れば、帝国の経済は一気に加速し、全ての国内の不満は一掃されるだろう。


 ミーシアに唆された資本家や大貴族たちが、戦後の利権を求めてこの戦争を後押ししていた。


 イヴァンとて無論この戦争の勝利がもたらす結果を理解できない訳ではない。


 だがそれはあくまで勝利すればの話であった。今の国内外に不満を抱えた帝国が11年前の様に大敗を喫すれば、帝政そのものが崩壊しかねない。


 しかも実際にこの戦いの趨勢を握っているのは教皇国である。教皇国は王国、公国と攻守同盟を結んでいながら、裏で帝国と結んで王国の内部崩壊を進めている。

  帝国もその一環として利用されているに過ぎない。


 そんな国を信用して、大博打ともいえる開戦に踏み切った皇帝と軍上層部に対して、不安を感じずにはいられないイヴァンだった。


 イヴァンは後方を振り返り、攻城軍の総大将であるジェニース・バビチェフ将軍の陣の前に建てられた旗を見た。


 黒地に金のサソリが刺繍されたその旗はエルドニア帝国の皇帝旗だった。

 バビチェフ将軍は皇帝よりこの旗を持たされて戦場に赴いている。


 それはこの戦いが、決して負ける事を許されない戦いである事を示していた。


「確かにスタンピードは起きた様だが。果たして筋書き通りに事が運んでくれるのか……?!」


 馬上で思わず独り言を呟くイヴァンの目に、エール要塞の城壁の遥か上、空を駆ける狼の姿が映った。


  ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼


 マリウスとエルザを乗せたハティがエール要塞の城壁の中央に設けられた、ビルシュタイン将軍が陣を張る櫓の上に舞い降りた。


「ふぇ、フェンリル!」

 兵士達が驚いて剣に手を掛ける。


「狼狽えるな! 奥方様であらせられるぞ!」


 ビルシュタイン将軍が立ち上がって兵士達に怒鳴ると、ハティの上から飛び降りたエルザの前まで進み片膝を着いて頭を垂れた。

 周りの兵士達も慌てて膝を着く。


「これは奥方様。この様なむさ苦しい場所に態々お越し頂き恐縮の極みに御座います」


「うむ。メルケルか、ご苦労。戦の最中ゆえ、堅苦しい挨拶は不要。戦況はどの様になっている」


 エルザが手を振って皆を立たせると、敵陣が見渡せる城壁の端まで歩いて行った。


「奥方様! 危のう御座います」


 ビルシュタイン将軍が慌てて後を追う。


 散発的にではあるが、敵の矢が城壁の上まで届き始めている。鎧も付けずドレス姿でエールの城壁の上に立つエルザの姿は、皆が戸惑う程場違いに見えた。


「今のところこちらに大した被害は出ておりません」


 エルザは眼下の堀の前に押し寄せる兵士達と敵兵の屍の山を見ると、振り返ってビルシュタイン将軍に言った。


「あの兵士達は帝国兵ではないな」


「はっ! 恐らくユング王国の兵士かと思われます」


「ふん。属国の兵士を使い捨てにするか。帝国の先も長くはないな」

 エルザが眉を顰める。


「御意。しかし此度の戦。やはり裏で教皇国が糸を引いているので御座いますか?」


「恐らくな。ロランドのスタンピードの件と関わりが無いとは思えん。ベルツブルグもかなり荒らされた」


「なんと、ベルツブルグが襲われたのですか?」


「うむ。かなりの被害が出たがマリウスと辺境伯殿の援軍で何とか納める事が出来た」


 エルザの言葉にビルシュタイン将軍も表情が厳しくなる。


「辺境伯殿が援軍に来てくだされたのですか?」


「うむ。今もロランドの救援に向かって貰っている」


 マリウスはエルザたちの後ろからそっと城壁の向こうを覗いてみた。

 生まれて初めて見る程の大軍が城壁の向こうに犇めいていた。


 城壁のすぐ下には水をたたえた大きな川のような堀があり。その向こうに数千の人が斃れている。


 斃れた兵士の屍を乗り越えながら兵士達が前に進み、こちらに向かって矢を射かけて来る姿が見える。


 後ろから攻撃魔法も飛んできて、城壁に激突し轟音を立てるが、エールの城壁はびくともしなかった。


 要塞からも無数の矢や魔法が放たれて、押し寄せる兵士達が次々と斃れていくが、それでも敵は構わずに此方に向かって進んで来る。


 マリウスは思わず、血飛沫を上げて倒れるユング王国兵から目を反らしてエルザたちを見た。


 ビルシュタイン将軍が改めてマリウスに目を向けると、エルザに言った。


「こちらはもしや?」


「うむ。これがマリウスだ」


 ビルシュタイン将軍がマリウスの前に進み出て胸に手を当てて礼をとる。


「お初に御目にかかるマリウス殿。メルケル・ビルシュタインで御座る。どうぞお見知りおき下され」


 ビルシュタイン将軍は痩せた背の高い男だった。


 少し長めの黒髪に兜は被らず、マリウスが付与を施したアースバルト家からの納入品の革鎧を着ていた。


「マリウス・アースバルトです。宜しくお願いします」


 マリウスも胸に手を当てて将軍に礼をとるとエルザがビルシュタイン将軍に言った。


「メルケル。ロランドには取り敢えず援軍を送ってあるので直ぐに落ちる事はないが、あの儘ではそう長くはもたん。そこでマリウスより策がある、ロランドとエールを同時に救う策だ」


「ロランドとこのエールを同時に救う策ですか、それはいったいどのような……?」


 訝し気に尋ねるビルシュタイン将軍と口元に笑みを浮べたエルザに見つめられて、マリウスが緊張しながら口を開いた。


  ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼


 バルバロスが翼を広げ北門の内側に舞い降りた。

 ステファンと、外で拾ったケリーがバルバロスの背から飛び降りる。


 ジオたち『オルトスの躯』アドルフたち『ノルドの風』等の冒険者、ロランドの守備隊長、救援隊の隊長のグレーテがステファンたちの前に集まって来た。


「切りがねえな。おまけに簡単に死なねーし」


「あれだけやって3、4百程斃した位ですね、とても全て討伐するのは無理だと思うが一体マリウスはどうする心算なのだろう?」


 二人は取り敢えずマリウスがエールにエルザを送り届けてから戻るまで、リザードマンを食い止める様にマリウスから指示されただけだった。


 城壁ではまだ守備兵とリザードマンの攻防が続いているが、少しだけリザードマンの勢いが弱まった様だった。


「卒爾ながらお訪ね致します。もしや辺境伯閣下でございますか」


 おずおずと尋ねるグレーテにステファンが笑顔で答えた。


「いかにも、ステファン・シュナイダーです」


「こ、此度の援軍感謝致します。わ、私はエール要塞守備隊所属、グレーテ・ベルマーで御座います」


 グレーテが緊張気味にステファンに礼を取る。


 相手は若干17歳の少年ではあるが、辺境伯家当主であり、王国最強の戦士という評判は勿論グレーテも知っている。


「何故辺境伯様が此処に?」


 驚くジオたちにケリーが笑いながら言った。


「エルザに頼まれたに決まってるだろ。エルザはアースバルトの若様と一緒にエールの方を見に行ったよ」


「エルザというと……」


「あー、そうそう。公爵夫人様だったか」


「あの、あなたはいったい……」


 グレーテがケリーに問いかけようとした時、ケリーが突然静かにと云う様に手を前に広げて黙り込んだ。


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