4―33  風呂とレモネード


 ステファンが愉快そうにイエルを見る。


「成程、これからは公爵家と競争という事か。いささか私達に分が悪いな、先日祖先の築いた優位な立場を失ったばかりだからな」


「公爵家の奥方様は、辺境伯家との協調を御望みと伺っておりますが」


 ステファンが苦笑して首を振った。

「それを決める事が出来るのは御婆様だけだが、恐らく無理であろうな。公爵夫人は王家に近すぎる。御婆様は納得せぬであろう」


「状況が変ればまた、違う道が開ける事も御座います」

 イエルの言葉にステファンも考える。


 マリウス達と手を取って魔境に進む。

 確かに完全に歩み止められた、今の辺境伯家にとっては、魅力的な提案かも知れないとステファンは思った。


 しかし公爵家と手を結べば、恐らく王家の介入は避けられなくなるだろう。


 シェリルがどの選択を選ぶかは、ステファンにも分からない。

 或いはマリウスを自陣に取り込もうと画策するかもしれない。


 それどころかあの祖母なら、マリウスの暗殺を目論む可能性すらあるとステファンは思った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「あのドラゴンもう見た? ミリ」


「うちの家よりおっきかったね」


 兎獣人の女の子が、猫獣人の女の子と湯船の中でバルバロスの噂をしていた。

 イザベラは湯船の中に肩まで浸かりながら、湯を手に掬ってみた。湯は澄んでいてとても綺麗だった。


 広い浴槽には新しい湯が、壁際の蛇口から絶えず注がれている。

 浴室も広く、人族や獣人、ノームらしい少女まで皆同じ湯船に浸かり、外で体を洗っていた。


 暖かい湯に浸かっていると、やっと心が落ち着いて来た。

 飛び出して行ったステファンを追いかけて、ゴート村に来たイザベラが見た物は、ステファンの完膚なきまでの敗北だった。


 イザベラはステファンが、この国最強の戦士だと信じていた。

 そのステファンが、何も抗う事も出来ずに7歳の少年に蹂躙されていく姿は、衝撃であった。


 咄嗟にステファンの前に立ったが、あの時自分は死を覚悟していた。

 それ程少年の力は無慈悲で、圧倒的だった。


「あんなドラゴンに若様が勝っちゃったなんて信じられない」

 頭に大きな角がある羊獣人の女の子が言うと、奥から人族の少女が答えた。


「ホントよ、あのドラゴンが私達に向かってブレス吐いたら若様が弾き返して、怒った若様がドラゴンをボコボコにしちゃったの。騎士団の人達もみんな、口を開けて見ていたわ」


「うん、若様、滅茶苦茶怒ってたね。あの時の若様は ちょっと怖かった」

 犬獣人の少女が肩を抱いて言った。


「若様は誰にも負けないわ」

 オレンジ髪のノームらしい少女が宣言すると、皆が一斉に頷いた。


「でも若様っていつも、私達の耳と尻尾ばかり見てるよね」

 猫獣人の女の子が青い目をくりくりさせながら言った。


「時々触りたそうにしてるね」


「うん、あれってセクハラじゃない」


 オレンジ髪の女の子が立ち上がって、自分のお尻に手を当てると、むうっと眉根を寄せた。

 尻尾が無いのが不満らしい。


「女は見られなくなったら御終いだよ」


 胸の大きな狐獣人の女が湯船から上がると、腰を振りながら浴室を出て行った。

 大きな尻尾が歩くたびに左右に振れる。


 イザベラはこの村が平和で、マリウスが皆に愛されている事だけは理解出来た。

 二人の戦いを止められて良かったと、心から思った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 ステファンは服を脱ぐと浴室の扉を開けて中に入った。

 浴室の中は広く、人族や獣人、ドワーフが裸で同じ浴槽に浸かっていた。


 広い浴槽の真ん中にフェンリルのハティが、長々と体を伸ばして浮いている。

 傍らで頭にタオルを乗せたマリウスが、ハティに凭れて湯船に脚を伸ばしていた。


 ステファンが湯船に入ろうとするとマリウスが言った。

「だめだよ、先にかけ湯をしてから入らないと」


「ああ、済まぬ、こうか」

 ステファンが木桶を手に取って湯を体に掛けた。


「うん、それでいいよ。ドラゴンの傷は治ったかい」


 ステファンが湯に入りながら答えた。

「ああ、もうすっかり良くなった。気持ちよさそうに水を浴びている」


 ステファンはマリウスと向かい合う形で湯船に脚を伸ばした。


「気持ちいいな。湯が澄んでいて体に染み渡る。私もすっかり回復した様だ」


 マリウスが笑って言った。

「それならよかった。忘れていたけどあのお姉さんとグリフォンはどうしたの?」


「リオニーはアンヘルに返した。イザベラは今女湯だ」


 湯船には20人程が気持ちよさそうに浸かっていた。

 眉の太いがっしりとした人族の中年の男が、ステファンに声を掛けた。


「あんたが若様とタイマン張った兄ちゃんかい、此処の若様はべらぼうにつえーだろう」


「ああ、私の負けだ。全く歯が立たなかったよ」

 ステファンが笑って男に答えた。


「なーに落ち込むこたあねえよ。若様が本気出したら誰も勝てる奴はいねえって、騎士団のクルトさんが言ってたからな」

 男がからからと笑う。


「やめてよフランク、僕は喧嘩なんかしないよ」

 

 抗議するマリウスに傍らのベンが笑いながら言った。

「なーに男の子はたまに喧嘩するぐれーがちょうどいいですぜ、俺なんざーガキの頃から此奴とずっと喧嘩ばかりしてまさあ」


「確か俺の1288勝1287敗だったなあ」

 フランクが言うとベンが噛みついた。


「バカ野郎、今1288勝1288敗のイーブンだぜ、ごまかしてんじゃねえよ!」


「こないだのはお互い酔っぱらってたからノーカンだって、おめえが言ったんだろうが!」 


「べらぼうめ! 上等だ表に出やがれ、今日こそ決着をつけてやらあ!」

 フランクとベンが風呂の中で睨み合う。


「どっちでもいいよ! お風呂の中で喧嘩しないで!」 


 マリウスに怒鳴られてベンとフランクが、頭を下げてすごすごと風呂からあがって行った。


 ステファンは、どうやら自分はマリウスに喧嘩で負けたらしいと、可笑しくなってきた。


 ただの喧嘩に負けただけだと思えば、いっそ清々しい。

 そう言えば貴族育ちのステファンは、喧嘩などしたことは一度も無かった。


「次は私が勝つ」

 ステファンがマリウスにそう言うと、マリウスが笑いながら答えた。


「うん、コテンパンにしてあげるよ」


 湯船の中で声を上げて笑う二人を、周りの皆が不思議そうに見ていた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 イザベラが公衆浴場の外に出ると、マリウスとステファンがレモネードの屋台の前にいた。


「ああ、うちの領内で飲むレモネードと同じ味だ」

 ステファンがレモネードを飲み干して言った。


「今はステファンの処から買ってるけど、春になったらこの村でも檸檬の作付けを始める心算だよ」

 マリウスが屋台で買ったレモネードを、ミラ達に配りながら、ステファンに言った。


 南の山の麓あたりに畑を用意してある。ダックスに苗を手配中だった。

 村長のクリスチャンと農園主のゲリーが共同で運営する予定だが、今年は葡萄棚も増やして葡萄酒の出荷量を増やす計画もあるので、現在エールハウゼンに人手を絶賛求人中である。


「ステファン様」


「イザベラ、どうだった風呂は」

 傍らに寄るイザベラに、ステファンが言った。


「ハイ、とても気持ち良かったです」


 マリウスはイザベラにもレモネードの入ったコップを渡した。


「あ、有難う御座いますマリウス様」

 イザベラはマリウスに礼を言って、レモネードに口を付けた。


「甘い」


「そうでしょう。ノート村から砂糖が届いたのでアンナに全部回したんだ。ちゃんと砂糖を使ってくれているみたいで良かった」


 サトウダイコンから作った甜菜糖をクラークが送ってくれた。

 今年の秋には更に大量の砂糖が手に入る予定である。


 屋台の前には『レモネード一杯50ゼニー』と書かれた旗が指してあった。


 何時の間に出来たのか、レモネードの屋台の隣に、肉串を焼く屋台が出ている。

村の主婦が数名で始めたらしい。


 前に置かれたベンチに腰掛けて、ベンとフランク、ブロックとエイトリが肉串を摘みに蒸留酒の壺を回しながら、レモネードのコップに注いで飲んでいた。


 ハティがせがむので、仕様がないから肉串を10本買って、ハティの前に置いた。

 ハティは肉串を串ごとバリバリ美味そうに平らげると、お代わりを要求した。


「もうじきご飯だから我慢してハティ。リナに怒られちゃうよ」


 リナの名前を聞くとハティがすごすごと引き下がり、その姿が可笑しくてミリ達が笑った。ステファンとイザベラも声を上げて笑う。


 ミリがステファンの前に来て言った。

「若様と仲直りしたの?」


 ステファンが笑いながら答えた。


「ああ、マリウスと友達になったんだ」

 ミリが笑顔になって、マリウスも笑った。


 

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