4―32 辺境を制する者
「飲んで」
ステファンがマリウスから竹筒を受け取ると、怪訝そうにマリウスを見た。
「良いから飲んで」
ステファンが止む無く竹筒から水を飲んだ。普通の水の様だが、喉が渇いていたので水は美味かった。
マリウスはステファンが水を飲んだのを見ると竹筒を取って手を伸ばし、ステファンの頭から水を降り掛けた。
「何をなされますマリウス様!」
血相を変えてステファンに駆け寄るイザベラを、ステファンが手で制した。
「痛みが消えた。これはどういう事だ? ポーションなのか、しかしこんなに効果が?」
ステファンは自分の体に触りながら驚きの声を上げた。
マリウスは伏せたままのドラゴンを見ると、クルトとニナ、エリーゼとノルンからも竹筒を受け取った。
四人の竹筒にも“消毒”、“浄化”、“治癒”、“滋養強壮”の付与が施されている。
マリウスは竹筒を抱えてバルバロスに近づいて、ぐったりと地面に横たわるバルバロスの体を見た。
所々鱗が剥がれて血を流す傷に、順番に竹筒の水を振り掛けていった。
バルバロスが目を開く。
マリウスは最後の一本の竹筒の水を、ドラゴンの口元に流した。
マリウスはドラゴンが水を飲んだのを見ると、ステファンたちの元に戻って来た。
「村の風呂に入って行くと良い。それで傷は完全に治るよ。ドラゴンももう村に入れると思うけど、大きすぎるから風呂に入るのは無理だな。今度暴れたらただじゃおかないからね」
マリウスはハティに跨ると、村の方に飛び去って行った。
ステファンが戸惑った様子でイエルを見た。
イエルは飛び去ったマリウスの姿を見送っていたが、ステファンに振り返ると笑って言った。
「ゴート村にようこそ辺境伯様、歓迎いたします」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
“軟化”を付与された木製ホースが水道の蛇口に繋がれて、クレメンスが持ったホースの先から水が勢いよく噴き出して、水飛沫の中に虹が浮かんで見えた。
ホースの水で体を洗われているバルバロスを、ステファンとイザベラが眺めていた。
(うむ、心地よい、傷が癒えていく)
バルバロスの声がステファンに届く。
傷が完全に塞がり、剥がれていた鱗が再生しつつあるようだった。
村の西門の前には村人や兵士達、エールハウゼンから水を汲みに来た人々が、ドラゴンを一目見ようと大勢集まっていた。
「でっけー! あれがドラゴンか!」
「口から火を吐くんだってよ!」
「あれが空を飛ぶのか!」
気持ち良さそうに水を浴びるドラゴンの姿を見なが、人々が口々に感嘆の声を漏らす。
既にドラゴンが、マリウスとハティに撃破された話は、村人達にも伝わっていた。
「ウソよ、あんなドラゴンに人間が勝てるわけない」
ジェーンがドラゴンの姿を見ながら、呆然と呟いた。
「フェンリルにアークドラゴンか、どっちもユニークの最上位種だもんね」
キャロラインが頷いた。
「エルザ様だって勝てるかどうか分からないのに」
マリリンも驚きの声を上げる。
「其れじゃ若様はひょっとして、この国で最強ってことになるじゃないか」
キャロラインの言葉にマリリンが頷いた。
「辺境伯とドラゴンに勝っちゃったんだから、そう言う事になるんじゃないの」
「ま、まぐれよ。ゴブリンロードの時みたいに、偶々うまく攻撃が当たっただけよ」
ジェーンが嘯くと後ろから声がした。
「いや、若様は最初から最後までドラゴンと辺境伯を圧倒していた」
ジェーン達が振り返ると、村に戻っていたニナだった。
「くうっ! 私も若様の雄姿をこの目で観たかった!」
隣で悔しがるのはフェリックスだった。
知らせを聞いて慌てて村に駆け戻った時には、総てが終っていたようだ。
「ドラゴンと辺境伯が、何もできずに叩き伏せられるのを見た。グリフォンの娘が止めに入らなければ、ドラゴンも辺境伯も死んでいただろう」
「グリフォンもいたの。激レアじゃん。ドコドコ?」
キャロラインが辺りをキョロキョロ見回した。
グリフォンのリオニーは、杭の中に入れなかった。
マリウスがさっさと村に帰ってしまったので、止む無くリオニーはアンヘルに返し、イザベラはステファンと一緒に、バルバロスに乗って村に来た。
「この水は?」
ステファンがイエルに尋ねた。
「これは若様が御作りになられた水道です、皆は『奇跡の水』等と呼びますが」
「水道?」
「ええ、川の水を引き込んで浄水場で水を綺麗に濾し、村の家々に水を送る仕組みで御座います。」
ステファンが驚いてイエルに尋ねた。
「全ての家にこれが在るのか?」
「未だ工事は続いておりますが、来月中には殆どの家に水道が繋がる予定です」
ステファンが水道の蛇口に並んで、水を汲む人々を指差して言った。
「あの者達は何をしている?」
「『奇跡の水』の噂を聞きつけて、エールハウゼンや近隣の村から水を汲みに来た人々で御座います、最近は公爵領からも来ているようで御座います」
人々は樽に水を汲むと、背負子に樽を括りつけて背中に担ぎ、水浴びするバルバロスを横目で見ながら村を出て行く。
「何故この水を飲むと怪我が治る。元はただの川の水なのであろう」
不思議そうに尋ねるステファンに、イエルは笑って首を振った。
「さあ、私には分かりかねます。若様が何か悪戯をされたのでしょう」
ステファンもイエルの言葉に苦笑した。
「ふふ、悪戯か。さもありなん」
「お風呂に行かれますか? と言っても公衆浴場ですが」
「公衆浴場とはどういう物か?」
ステファンが眉根を寄せる。
「村の者皆が自由に入れるお風呂ですよ。アンヘルにはございませんか?」
「城には風呂はあるが……」
ステファンがイザベラを振り返るが、イザベラも首を振った。
「民が自由に入る風呂と云うのは聞いたことが在りません」
イザベラも貴族の娘なので、自分の屋敷の風呂にしか入ったことは無い。
「面白そうだな。ぜひ戴こう」
「ステファン様それはお止めになった方が宜しいかと、貴族の当主が庶民と一緒に入浴するというのは……」
イザベラが止めるが、ステファンが笑ってイザベラに答えた。
「傷に良いというのなら有り難く頂こう。イエル殿案内してくれ。イザベラ、其方も来い」
そう言うとステファンは村の中に入って行った。
イエルが後に続く。イザベラは止む無く、二人に付いて村に入って行った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「これが公衆浴場か?」
イエルに案内された建物は、ステファンが思っていたよりも遥かに大きかった。
平屋のレンガ(土ブロック)造りの建物は、貴族の屋敷位の広さがあった。
北側の奥に、やはりレンガ造りの城の様な高い建物がある。
「あれは?」
「あれが浄水場で御座います。あそこで濾過した水を、地下に通した管で村の家々に給水しております」
ステファンは高い浄水場の建物を見上げながらイエルに尋ねた。
「この村には何人位人が棲んでいるのだ?」
「現在村人の総数は445名、エールハウゼンより出向いた職人が45名、騎士団と冒険者が165名の655人です。来月には王都から獣人移住者も到着する予定です」
村を見回すと、彼方此方で家が建設中だった。
この村を更に拡大するつもりなのは、一目で解かった。
「それだけの人数がこの辺境の地で、どうやって暮らしていくのだ?」
「東の森を開拓していくつもりですが」
ステファンが驚いてイエルを見た。
「東の森には魔物がいるであろう。そんな土地を開拓できるのか?」
「勿論可能で御座います。辺境伯様もご覧になったでしょう。“魔物除け”の杭で囲まれた土地を。土地は日々広がり続けておりますれば、寧ろ人の方が足りないくらいで御座います」
確かにあの杭の囲いの中には、バルバロスですら入る事が出来なかった。
「つまり“魔物除け”の杭で囲まれた土地は、全てマリウス殿の領土と言う訳か」
「若様は何れ魔境迄入る御心算で御座います」
イエルが胸を張って答えた。
ステファンはイエルを見て苦笑しながら言った。
「貴殿は我らが魔境から敗れて帰って来たのをご存じの様だ。つまりマリウス殿ならそれが出来ると申しておるのだな」
「魔境は力ある者の早い者勝ち、と云うのは、辺境伯家の御作りになったルールで御座いましたな」
イエルの言葉にステファンは声を上げて笑い出した。道行く人々が驚いてステファンを振り返った。
「いかにも、力ある者が総てを手に入れるが、我がシュナイダー家先祖伝来の家風だ。400年、我らと競う者など現れなかったと云うのに、よりによって私の代で、最強の好敵手が現れたという事か」
イエルが恭しくステファンに一礼した。
「あの様なやり方で魔境に進もうとはな、御婆様に聞かせたらさぞ驚かれるであろう。無論、公爵家がマリウス殿を後押ししているという事だな?」
傍らにいるイザベラの表情に緊張が走る。
イエルはそれには答えずに微笑んで言った。
「マリウス様と公爵様の御令嬢との婚約が既に内定しております。現在王家に許可を願い出ている処で御座います」
公爵家より正式な使者があり、クラウスも承諾している。
王家に許しを願い出ているので、宰相ロンメルと親交のある辺境伯家に伝わるのは、時間の問題の情報である。。
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