4―31  マリウスとステファン


「御後見様大変です! 御当主がバルバロスでアースバルト領に向かった様です!」

 シュバルツが血相を変えて、シェリルの執務室に飛び込んで来た。


「何だいそんなに慌てて。エルマを見送りに行ったんじゃないのかい?」


 エルマ達がゴート村に向けて出発した筈である。今日は国境の村で泊まって明日の子爵領入りする筈だった。


「いえ、御当主はエルマ様の行列を追い越して、真っ直ぐアースバルト領に侵入したようです」


「どういう事? ステファンがアースバルト領に何の用があるんだい?」

 眉を顰めるシェリルに、シュバルツが困ったように話を続けた。


「子爵の嫡男マリウス殿が先日フェンリルを従えたようです。恐らくその話を妹から聞いた御当主がマリウス殿の処に向かったと思われます。妹も御当主の後を追っている様です」


「フェンリルを従えた? どういうことだい。マリウス・アースバルトは付与魔術師なんだろう? いや、そんな事よりステファンはどうするつもりなんだい。まさか村に攻め込んだのかい? 公爵家と戦になるわよ!」


 さすがの辺境の魔女も思わぬ事態に狼狽してしまった。公爵家の寄子の領地に攻め込んだのであれば、勝っても負けても一大事である。


 つい先日、魔境で騎士団の四分の一以上を失い、今主力は魔物の侵入に備えてブルクガルテンに留まっている。

 公爵家と戦等とんでもない状況である。


「お前は直ぐに状況を確認しておくれ! ベルンハルトに騎士団をいつでも戻せるように使いを送って。いや私が飛んで行った方が早いね!」


 辺境の魔女は7年前のフェンリルの襲来以来と言える危機に、慌ただしく席を立つと執務室を飛び出していった。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 ステファンは驚愕していた。


 自分達を圧倒するこの力が、フェンリルではなく、フェンリルの背に乗る小さな少年の物だと気付いたからだ。


 自分たちの攻撃が何一つ少年とフェンリルに届かず、一方的に押され続けている。


 突然凄まじい衝撃で弾かれて、バルバロスは地面に叩きつけられた。

 少年の剣は折れながらも、ミスリルの剣ですら傷つける事が出来ない筈の、バルバロスの鱗を砕き、傷を負わせた。


 ステファン自身も衝撃をレジストしきれずに、かなりのダメージを負っていた。


 再び頭上から叩きつけられた衝撃に、ステファンは口から血を吐いた。肋骨が何本か折れて、内臓に突き刺さった様だった。


 少年の攻撃が何なのか全く分からないが、ステファンはこのままでは確実に殺されると感じた。


 槍を頭上に振り上げて、全力でユニークアーツ“龍晄制覇”を、宙に浮かぶフェンリルと少年に向けて放った。


 空中に現れた数百本の光の槍が、全てフェンリルと少年に目掛けて収束していく。

 しかし全ての光の槍は、少年とフェンリルの周りで砕けて消えて行った。


 フェンリルが此方に向けて降りてくる。

 またアレが來る。

 バルバロスは地面にめり込んだまま足掻いている。


 これまでか。

 ステファンは目を閉じた。

   

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 なんか物凄い攻撃だったが“結界”は全て弾いてくれた様だ。


 マリウスは止めの一撃を放つべく、ハティを再びドラゴンに向けて急降下させる。


 ドラゴンに向かって“結界”を叩きつけようとした瞬間、目の前にグリフォンが舞い降りた。


 グリフォンの上には少女が跨り、マリウスに向けて両手を広げるのを見て、マリウスはぎりぎり“結界”を放つのを止めた。


「危ないじゃないかお姉さん! そこを退いてよ! あいつ等ぶっ飛ばすんだから!!」


 マリウスが少女に怒鳴ると、グリフォンは地表に舞い降りた。

 少女がグリフォンから降りると、マリウスに向かって片膝を付いた。


「マリウス・アースバルト様とお見受け致します! どうかお怒りを御沈め下さい。主の無礼はお詫び致します!」


 マリウスは止む無くハティを地面に降ろすと、ハティの背に乗ったまま少女に尋ねた。

「主って?」


 少女はドラゴンの上で突っ伏す騎士を指差して言った。


「あの御方は、シュナイダー辺境伯家御当主ステファン・シュナイダー様で御座います! このままでは辺境伯家と、グランベール公爵家とで戦になります! どうか鉾を御納めくださりたく、伏してお願いいたします!」


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


「だってあの野郎、ニナやエリー達を殺そうとしたんだよ! 絶対許せないよ!」


 怒りの治まらないマリウスを、遅れて駆けつけたイエルとクレメンスが必死に宥めている。


「お気持ちは分りますが、どうかここは御静まり下さい若様! 万が一若様が辺境伯を殺してしまっては、最早戦は避けられません!」


「若様の開拓事業もとん挫してしまいます。非は向こうにあるのですから、此処は一つ穏便に、我らにお任せ下さい」


 イエルはマリウスにそう言うと、少女の手当てを受けるステファンの方に歩いて行った。


 マリウスが振り返ると、ノルン達がマリウスを心配そうに見ている。

 ノルンとエリーゼも、マリウスがこれ程激怒するのを見るのは初めてなので、声を掛ける事が出来ずにいた。


 マリウスは大きく息を吐くと、肩にぶら下げた竹筒を手に取って水を飲んだ。

 冷たい水を飲むと、少し気持ちが落ち着いて来た。


 水魔術師のハイデとバナードが、未だ燻っているマリウスの“インフェルノフレーム”で焼き払われた後の、焦げた地面を“コールド”で冷やしている。


 焼き払われた“魔物除け”の杭を、兵士達が打ち直し始めていた。


 やり過ぎたか、いや絶対向こうが悪い。

 自分は絶対謝らないぞと、マリウスは思った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「辺境伯様、私はマリウス様より交渉ごとの一切を任されております、イエル・シファーと申します。此度はいかなる仕儀にてこの様な事態に為りましたのか、お聞かせ頂きたいので御座いますが」


 地面に寝かされていたステファンは、弱々しく起き上がると言った。

「すまぬ、フェンリルの姿を見て私のドラゴンが暴走してしまった。こちらに非がある事を認めて謝罪する」


 ステファンはそう言って、向こうから此方を睨んでいるマリウスを見た。

「あの少年がマリウス殿か、信じられぬな、私はあのような子供に負けたのか?」

 呆然と呟くステファンにイエルが言った。


「マリウス様は非常にお優しいお方故、自分の家臣達を傷つけようとする者には、容赦いたしません。此度の事は双方の行き違いという事で、不問に付したく存じますが」


 ステファンは向こうで兵士達が、地面に大槌で杭を打っているのを見て、イエルに不思議そうに尋ねた。


「あの杭は何ですか?」


「あれは若様が“魔物除け”を付与された杭で御座います。あの杭の中には魔物は入ってこられません」


「“魔物除け”の杭、それでバルはここに入れなかったのか。いや、だが何故フェンリルは杭の中にいる、おかしいではないか?」

 ステファンがイエルに尋ねた。


 イエルは首を振って答えた。

「私には解りません。若様が御仰せられるには、杭がハティを魔物では無いと認めたそうです」


「ハティ、それがあのフェンリルの名か」


 ステファンはイザベラに支えられながら、よろよろと立ち上がった。

 イザベラの肩を借りたまま、マリウスの方に歩いて行く。


 マリウスがステファンに気付いて向き直ると、ハティがマリウスの傍らに立った。


 マリウスとステファンが向かい合って立つのを、ノルンやエリーゼ、クルトやニナ達が緊張の面持ちで見つめていた。



 自分の前に立つステファンを、マリウスが睨みつけた。


 ステファンはイザベラに肩を支えられながら、マリウスと傍らのハティを見た。

 沈黙が流れて、皆が息を殺して二人を見つめていた。


 ステファンがイザベラの肩から手を外すと、マリウスの前に進み出て頭を下げた。


「すまなかった。父の敵のフェンリルを見て私もバルも我を忘れてしまった。こちらから攻撃を仕掛けた事を詫びたい」


 マリウスはステファンを睨みつけたまま言った。

「バルってあのドラゴンの事?」


「そうだ、バルバロスと言う」

 バルバロスはぐったりと地面に伏せたまま目を閉じている。


「ペットの躾は飼い主の責任でしょう」


「バルはペットではない、私の友だ」


「だったらなおさらよく言い聞かせておいてよ、大体父の敵って、君のお父さんと戦ったフェンリルは相討ちで死んじゃったんでしょう! うちのハティとは関係ないじゃないか!」


 マリウスがステファンを罵倒すると、ステファンがしどろもどろに答えた。

「いや同じフェンリルだから……」


「そんな事を言ったら、世の中にはドラゴンに食べられた人たちが一杯いるでしょう。その人たちの家族にとっては、バルは敵ってことなのかなあ?」


「いや、バルは人を殺したりはしない!」

 ステファンが叫ぶとマリウスが声を荒げて怒鳴った。


「うちのハティだって誰も食べたりしないよ! 何言ってんだ馬鹿野郎!」


 再び怒り出したマリウスに、イエル達が頭を抱える。


「若様、何とぞお怒りをお納めください」

 クレメンスがマリウスの傍らに来て止めようとする。


「大体いきなり人に向かってブレス吐いておいて、人を殺さないも何もないだろう! 言ってる事おかしくない?!」


「いやすまぬ、貴殿の申されることは尤もだ。バルにはよく言い聞かせておくから許してくれ」


 ステファンが苦しそうにしながら、マリウスに頭を下げた。


 マリウスは未だ怒りが収まらないようで、ステファンを睨んでいたが、苦しそうなステファンを見て息を吐くと、肩から竹筒を取ってステファンに差し出した。



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