5―12  戦争の犬たち


 ロンメルは言葉に詰まるカサンドラの様子を探る様に見つめていたが、やがて諦めた様に口を開いた。


「錬金術師のプライドが許しませんか? それとも自信がない? まあ何れにしても薬師ギルドの改革は必要ありません。一度潰して新しく作り直す方が早いですから」


 やはり薬師ギルドに自力で崩壊を回避する力は無さそうだった。

 西の公爵やクレスト教会の力を削ぐことは決定事項だが、薬師ギルドを潰してしまう気はロンメルには無かった。


 しかし西の公爵家の傀儡であるグラマスのレオニードも、教会と癒着した筆頭理事のフランツも、確かにギルドを腐敗させた元凶ではあるが、彼らも前任者の仕事を引き継いだに過ぎない。


 今の薬師ギルドの姿は数十年続く、薬師ギルドの体質そのものだった。

 西の勢力を一掃して、干渉を受けない場所で新たに再編する以外にないと思っていたが、ロンメルはそれを誰に任せるか、ずっと考えていた。


 ロンメルは立ち上がると、カサンドラの傍に来て、水の入った瓶と、一通の封書を置いた。


「それが件の『奇跡の水』です。貴方には薬の効能が総て予測できるスキルがありましたね。自分で効果を確認した上で、あなたが未だ薬師を続けたいのであれば、その手紙を持ってマリウス・アースバルトを訪ねてみなさい。弟子たちも連れて行って構いません」


「マリウス・アースバルト……」


 自分の運命を掴んだと知らず、カサンドラはロンメルの手から封書を受け取った。


  ■ ■ ■ ■ ■ ■


 マルティンとエミリアは、魔物に追われながら深い森を必死に西に向けて駆けていた。もう一週間森の中を駆け回っているが、一向に森が開ける様子は無かった。


 二人は傷だらけで、衣服は泥と血に塗れていた。この七日間、ずっとオークの群れや見た事もない不気味な魔物達に襲われ続けている。アドバンスのアサシンと風魔術師の二人にとっても、正に命懸けのサバイバルだった。


 食べ物はあった。森の中は初夏の様な暖かさで、木々に見た事もない果実が実っていた。時に腹痛を起こす事もあったが、七日の間に食べられる果実を見分けられるようになっていた。


 彼らが何とか七日間生き延びてこられたのは、偶々マルティンが上着のポケットに入れてあった、一瓶の『奇跡の水』の御蔭だった。



 一週間前、瞼に当たる日の光の眩しさでマルティンは目覚めた。

 傍らにエミリアが倒れているのに気が付く。眠っているだけの様だった。


 マルティンは首を動かして辺りを見回した。周囲を木々で囲まれた森の中の様であった。

 三月なのに周囲の木々は生い茂り、妙に暖かかった。よく見ると見た事のない木ばかりだった。


 マルティンは起き上がろうとして、胸に激痛を感じて唸り声を上げた。

 記憶が鮮明によみがえる。


 昨夜黒いローブの女と対峙したとき、突然空から舞い降りた何かに圧し潰されて気を失ったのだ。肋骨が折れているらしい。


 マルティンの唸り声でエミリアが目を覚ました。

「ここは何処? マルティン無事なの、あなたフェンリルに潰されたんじゃ……」


「フェンリルだと、あれはフェンリルだったのか?」

 マリウス・アースバルトはフェンリルを従えている噂は聞いていたが、マルティンはあの村にいた三日間の間に、一度もフェンリルの姿を見ていなかった。


 マルティンは痛みをこらえて立ち上がると、エミリアも立ち上がって辺りを見回した。


「マルティン! あれ!」

 エミリアが北の方角を指差して声を上げた。


 マルティンが振り返ると、雪をかぶった大スタンレー山脈の山並みが驚くほど近くに見えた。


 マルティンはもう一度朝日の方角を確認し、大スタンレーの山並みを見た。大スタンレーが北に見える。


 マルティンは自分達がセレーン河の東、魔境の中に捨てられた事を知った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「え、『暁の銀狼』って、この前西門で暴れていた人達じゃないの?」

 クレメンスの報告にマリウスが驚いて問い返す。


「はい、なんでも冒険者をクビになったのでここで働かせて頂きたいと申しております」

 クレメンスも困惑した様にマリウスに言った。


「確かに人は絶えず募集しているけど、このタイミングで此処に来るって怪しすぎじゃない?」

 マリウスも呆れた様に首を傾げる。


 エルザからの報せで、王都の冒険者ギルドのグランドマスターが宰相ロンメルに寝返って西の公爵達の陰謀を密告し、エールハウゼンのエルシャ達が集めた冒険者達に、撤収するように密かに命令を出した話は、マリウスもガルシアからの報せで知っていた。


「向こうはよっぽど人手が無いみたいだね、一度失敗した人間をまた使うなんて」


「どうします、追い返しますか?」


「いや、取り敢えず泳がせておこうよ。監視を付けて、もしかして囮の可能性もあるから油断はしないでね」


 西の公爵がハイドフェルド子爵の領地に潜入させた兵士の数は500人位らしい。

 子爵の兵と合わせても1000人、エルシャの処にいた40数人の冒険者は全員消えて、エルシャ達10人が残っただけである。


 マリウスは1000人がゴート村に攻めてきても、この村の戦力で撃退できると思っているが、クラウスやガルシアの読みでは、向こうはおそらく兵を二手に分けて、エールハウゼンとゴート村を同時に占拠するつもりだそうだ。

 

 その為に辺境伯領との領境付近で盗賊騒ぎを起こし、エールハウゼンの兵力を分断させる手を打っているらしい。


 エールハウゼンから討伐隊が出るタイミングで、兵を挙げると予想されるので、クラウスは逆に向こうの罠に乗った振りをして、敵を誘う心算の様だ。


 恐らく二日以内に動くだろうと報せの来たタイミングで、まさかの『暁の銀狼』の再登場は失笑するしかない。


 マリウスは、クラウスの作戦に合わせて、敵を向かえ討つための準備を始めた。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「猊下、またエールマイヤー公爵様の使いの者が猊下に面会を求めておりますが」


 神官の一人がヴィクトー・ラウム枢機卿に使者の来訪を告げるが、枢機卿は眉を顰めて首を振った。


「私は会いません。病と言って追い返しなさい」


「薬師ギルドのレオニード・ホーネッカー様も御一緒のようですが」


「誰が一緒だろうが私は会いません! さっさと追い返しなさい!」

 枢機卿は眉を吊り上げて苛立たし気に声を荒げた。


 三日前から冒険者ギルドグラマスのジャック・メルダースと全く連絡が取れなくなった。ゴート村に送った、ガーディアンズの二名も戻ってこない。


 ハイドフェルド子爵や、エールハウゼンのルーカスとの連絡係の密偵も、一昨日から一人も帰って来なくなった。


 ラウム枢機卿は、謀の露見を敏感に感じ取っていた。恐らく宰相の隠密が動いている。


 枢機卿はエールマイヤー公爵と、薬師ギルドを切り捨てる事を即座に決断した。


 この国における親クレスト教皇国派貴族の盟主であるエールマイヤー公爵と、公爵と自分達の資金源である薬師ギルドを失うのは、教皇国にとって致命的な損失ではあるが、それでも彼らと共倒れになる気はラウム枢機卿には無かった。


「私は重病で動けません。尋ねて来る者は全て追い返しなさい!」


 ラウム枢機卿は神官にそう告げると、そのまま自室に引き籠ってしまった。


  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 エールマイヤー公爵騎士団隊長サミェル・ベルマンは、アースバルト子爵騎士団長ジークフリートが兵80を率いて、今朝辺境伯領の領境に向けて出陣したという斥候の知らせを受けた。


「ふふ、クラウスめ、まんまと策に嵌りよったわ」

 サミュエルは隣で高笑いをするボルシアを見た。


「これでエールハウゼンの守りは250足らず。儂の手勢は500、もはや勝負はついたも同然じゃ」


 アースバルト子爵領に近い山陰の窪地にハイドフェルド子爵の兵500とサミュエルの兵500が集結していた。


「それでは我らは日が落ちるのを待って領境を超え、明朝ゴート村を囲みます。子爵殿も手筈通り」


「解っておる。我らは深夜の内にエールハウゼンに乗り込みクラウスを捕えて拘束する。関所の門はエルシャ様の手勢が開いてくれる手筈、同時に街の彼方此方に冒険者共が火を放つ故、我らは混乱に乗じ一気にクラウスの館を包囲する。クラウスは袋のネズミよ」

 

 既に勝利を確信するボルシアは、出陣前に葡萄酒の杯を呷っている。


「抵抗するようなら殺しても構いません。あとは我が主が良きように始末をつけてくれましょう」


 サミュエルは一昨日から、王都の公爵の報せが途絶えた事が気掛かりだったが、旨くジークフリートを吊りだせた事で、強気になっていた。

 此の好機を逃すわけにはいかないと思った。


 実は王都とハイドフェルド子爵領の間の街道は、全てロンメルの隠密に依って封鎖され、使者は全て捕えられていた。


 何も知らないサミュエルは、勝利を確信して馬に跨ると、兵を進めた。


  △ △ △ △ △ △


「御後見様、どうやらアースバルト領との領境に現れた盗賊は、ハイドフェルド子爵の騎士団が変装している様です。ハイドフェルド子爵領では、アースバルト領との領境近くに、子爵の騎士団と西の公爵の軍勢1000が集結している模様です」


 シュバルツ・メッケルが、文机の上で手紙を読むシェリル・シュナイダーに告げた。


「それでアースバルト子爵の方は?」


「はっ。シュトゥットガルト卿が今朝、兵80を連れて盗賊討伐に向かったようです」


「ふふ、アースバルト子爵が勝負に出たね。今夜あたり戦になりそうだね。ゴート村に兵が向かうのは明日の朝かな?」

 シェリルが口元に笑みを浮かべながら、シュバルツを見る。


「如何致しますか? 御母堂様を避難させましょうか?」


 シェリルは首を横に振ると、シュバルツに手に持った手紙を見せながら言った。


「ロンメルからの報せだよ。東の公爵家の騎士団が既に動いている様だね。うちには大人しくしててくれだってさ。まあそれでもステファンは行くだろうけどね」


「宜しいので?」


「噂の坊やの実力を見せて貰おう。ケリー達も付いているし、エルマは大丈夫じゃない」


 シェリルは楽しそうにそう言うと、窓の外の夕日に目を向けた。



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