5―11 銀狼 再び
「司祭様、実は大事なお話があるのですが」
「何でしょう執政官様?」
エルマがマリウスを見る。
「詳しい事情は御話できませんが、実はこの村で近い内に戦が起きる可能性があるのです。司祭様には一度、辺境伯家にお戻りして頂くのが……」
マリウスが話し終わる前にエルマが首を横に振った。
「ステファンから知らせが来ています。クレスト教会と西の公爵家がこの村と私を狙っているそうですね」
「御存じでしたか、この村にいるのは危険です。一度アンヘルに戻られた方が良いですよ」
既に辺境伯家も情報を掴んでいる様だった。或いは宰相ロンメルが知らせたのかもしれない。
後ろでヴァネッサとベアトリスが視線を躱す。
「私は自分の意思でこの村に来ました。もう二度と戦いから逃げ回る様な事はしたくありません。ご迷惑でなければこの村に置いてください」
エルマが再び首を振ってマリウスに言った。
迷惑かと言われれば、敵はエルマを討伐する名目で攻め込んでくるらしいが、それはただの口実で、エルマがいなければ他の口実を考えるだろうという事はマリウスにも分かる。
寧ろマリウスの方が巻き込んだのかもしれない。エルマに何かあったら、ステファンに済まないと言う気持ちの方が強い。
エルマの意思は固そうで、マリウスはクレメンスを振り返ったが、クレメンスも眉を八の字に下げて首を振った。
最悪ケリー達に頼んで無理やり脱出させるしかないかと思いながら、マリウスは教会を去ろうとしたが、ふとエルマの後ろに立つ女官と目が合った。
「えっと、エリナさんでしたね。この前の宴の時も思ったのですが、前に何処かでお会いしていませんか?」
「あれ、若様ナンパですか?」
すかさずベアトリスが茶々を入れる。
「へー、エリナが好みなんだ?」
ヴァネッサも直ぐに喰い付いた。
「違います! ただ何処かでお話したような気がしただけです」
顔を赤らめて抗議するマリウスに、エリナがにっこり微笑んで答えた。
「いえ、執政官様にお会いするのはこの村が初めてです」
「そうですか、すみません。僕の勘違いでしたか」
マリウスは少し釈然としない様だったが、エルマ達に礼を言って教会を出て行った。
入り口にハティが座っていた。
ハティの視線が一瞬エリナと会ったが、直ぐにハティはマリウスの方を向いて尻尾を振った。
マリウスの後姿を見送るエリナを、ベアトリスが探る様な目で見ていた。
エリナはあの夜の事を思い出していた。
突然夜空から舞い降りて、二人のガーディアンズを制圧したハティは、ゆっくりとエリナの傍に近づいた。
ハティの放つ魔力のオーラは、ユニークの認証官である彼女ですら動けなくなる程圧倒的だった。
ハティはエリナの直ぐ目の前まで来ると、エリナに顔を近づけて、臭いを嗅ぐような所作をした。 暫くそうしていたハティは、急に興味を失った様にエリナから離れると、倒れている二人のガーディアンズを風魔法で自分の背に乗せて、また跳び上がって夜空に消えてしまった。
エリナは、どうやらハティに、自分はマリウスの敵ではないと認識して貰えたと理解した。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
「畜生! なんだって俺がこんな目に合わなきゃなんねえんだ」
エールハウゼンの下町の酒場で、『暁の銀狼』のハンスが酒を飲みながら荒れていた。横に座るミュウラーとライラも、かなり酒が入っている。
彼らがゴート村の牢に三日間放り込まれた後、蹴り出される様に村を追われてエールハウゼンに逃げ戻ると、彼らはギルド職員のカールから、冒険者ギルドの除名処分を言い渡された。
「ニックの野郎ふざけやがって、手前の命令で村に行ったてのに、俺たちを切り捨てやがって!」
「全くだ、あの野郎急に芋引きやがって。上の意向が変ったってよ」
ニックは王都のギルド本部の命で、エルシャ達の処から冒険者達を全員引き上げさせた。アンヘルから来た冒険者たちも返し、ニックも今は何処かに雲隠れしている様だ。
「野郎見つけたら只じゃ置かないよ、私ら未だ金も貰って無いんだからね」
村に到着早々ケリー達にボコられた挙句、ハティとバルバロスを見て失神し、牢に放り込まれた事等忘れたかのようにライラが酒を呷りながら喚いた。
アークとルロイの二人は、ハンス達に愛想をつかして三人から離れてしまった。
「クソ! それもこれもあのフェンリルだ、ふざけやがって、なんであんな村にフェンリルがいるんだ! おまけにドラゴンだと!」
「随分荒れているみたいだな」
ハンスたちに一人の男が声を掛けた。
「なんだてめえは。あ、あんた確か……」
「ピエールだ、散々だったなハンス」
今は旅人の様な服装をしているが、その男はエルシャ達の連れて来た、聖騎士の一人だった。
「へ、手前には関係ねえよ、消えな!」
ハンスの向かいに座るピエールにミューラーが凄むが、ピエールは気にした様子もなくハンス達に行った。
「実は御前達に頼みたいことがあるんだ」
ピエールはそう言うと、テーブルの上に重そうな袋を置いた。
ハンスがすかさず袋に手を伸ばすと、中に詰まった金貨を確認する。
「冒険者たちが急に消えて此方も困っているんだ。引き受けてくれるだろう」
ピエールの言葉にハンスがコクコクと首を縦に振った。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
「どういう事だ、何故冒険者が消えた!」
「解りません。ギルマスのニックも姿を消しました」
怒鳴るルーカスに、風魔術師のマチューが狼狽えながら答えた。
「王都で何か情勢が変わったのではありませんか?」
エミールが腕を組んで考えながらルーカスを見る。
「しかし枢機卿猊下からは明日の夜に決行と指示が来ておる」
ルーカスが苛立ちを隠さずに言うと、エミールがにやけた笑みを浮かべてルーカスに言った。
「ひとまず様子を観ませんか。万が一冒険者ギルドが裏切ったのであれば、情報が洩れている可能性もありますよ」
「しかし既に公爵様の兵も集まっておるし、ピエールとラファエルの二人も動いている。今更引き戻すこともできんではないか」
ピエールとラファエルは、密かにエールハウゼンの街を出た筈だった。
「この話はもとより公爵様の都合で始めた事。『奇跡の水』は魅力的ですが、我らが共倒れしてまで付き合う義理はありませんよ。ピエール達の事は最悪切り捨てる用意をしていた方が良いかもしれませんね」
ルーカスは黙り込むと、にやけた笑みを浮かべるエミールの、冷酷な瞳を睨んだ。
「いかがしましたかこんな夜更けに?」
エルシャが女官のフィオナを連れて部屋に入って来た。
「何かまた悪企みの最中でしたか?」
皮肉な口ぶりで言うエルシャに、ルーカスは無表情に答えた。
「司祭様が知らなくても良いことで御座います。雑事は我らにお任せ下さい」
エルシャは嫣然と笑みを湛えながらルーカスに言った。
「ええ、もちろんそのつもりですわ、ただあなたが功を焦って、此の儘何もせずにここを去らねばならない様な事態に為ったら、あの御方が如何思われるかと心配して差し上げただけですわ」
「その様な心配は御無用に御座る。近日中にエルマの首を上げて見せる所存故、司祭様も楽しみにお待ち下され」
怒りを押し殺しながら答えるルーカスに、エルシャが言った。
「それは楽しみですわ、良き知らせをお待ちしています」
立ち去るエルシャの姿を、ルーカスは憎しみを込めた目で見送った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「カサンドラさん、あなたの意見書は読ませて頂きました、グランドマスターのレオニード・ホーネッカーと、筆頭理事のフランツ・マイヤー氏の解任要求ですか」
宰相ロンメルは未だ年若い薬師ギルド理事の一人、カサンドラ・フェザーを見た。
「いかにも、あの二人が今日の薬師ギルドの腐敗を招いた張本人である事は、既に宰相様も御存じの筈、一刻も早くあの二人を解任しギルドの組織改革を行わなければ、薬師ギルドは崩壊してしまいます」
王都の名門貴族フェザー家出身のカサンドラは、薬師ギルドの最年少理事であり、製薬部門のトップである。
「ギルドの崩壊ですか? それはまた穏やかではありませんね」
「惚けて貰っては困ります。既に『奇跡の水』の話は王都にも広がり始めています。数日前に王都の北の郊外で始まった工事は、その為の浄水場建設だとか。宰相様は薬師ギルドを潰される御心算なのでしょう」
「浄水場の建設は国王陛下の御意志です。私には何故薬師ギルドがそれ程『奇跡の水』を恐れるのか、少々理解に苦しむのですが」
ロンメルは心底謎だと言わんばかりに首を傾げる。
「それは其の『奇跡の水』がポーションより遥かに効果が高いからでしょう。そんなものが無償で流布されればポーションは必要なくなってしまいます」
柳眉を逆立てるカサンドラにロンメルが口元に微笑みを浮かべたまま、諭す様に言った。
「あなたまでそんな事を言いだすとは少々意外ですね、要は『奇跡の水』より効能のあるポーションを作れば良いのですよ。私の様な素人が考えても『奇跡の水』を使ってポーションを作るだけで、今まで以上の物が出来上がると思うのですが。ポーションの効能が『奇跡の水』を上回れば、薬師ギルドの優位性は何も変わらないのではありませんか?」
「そ、それは……しかし……」
不意を突かれた様にカサンドラは言葉を詰まらせると、視線を宙に泳がせた。
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