1-11  トラ・トラ・トラ!


 2メートル位だろうか、知ってはいたが実際に向き合うと、マリウスはクルトの巨躯を見上げて呆然とする。

 革鎧を騎士団の制服の下に装備しているが、制服に袖がない。

 

 多分腕が太くて入らないのだろう、制服の胸も筋肉ではち切れそうで、胸元を大きく開けてる。


 腕や胸元から、ふさふさした白い毛が覗いている、髪も眉も白い。

 

 クルトは虎獣人である。

 この世界には、幾つかの獣人や亜人と呼ばれる、人族ではない種族が存在している。

 

『まあ、ファンタジーだからな』


 獣人族は身体能力の高い人が多いと聞く。

 辺境辺りではそれ程ではないが、西方では亜人差別が根強いらしい。


 亜人に比較的寛容なエールハウゼンを含む子爵領では、人口の1割以上を獣人族が占めている。


 主に兵士や土木作業員、運輸業に就いている者が多い。

 隣の辺境伯領では更に多くの獣人が暮らしているらしい。

 

 太い眉と、がっしりした顎、それに口元から覗く犬歯が、獰猛な雰囲気を醸し出しているが、ただ丸い大きな目とせり出した大きな鼻が妙に愛嬌を感じる。


 クルトはマリウスの前で片膝を付いて頭を下げた。

 

 膝を付いても、マリウスより大きかったが、頭の上の大きな猫耳(虎耳?)が見えた。


 耳はペタッと閉じられている。

 尻尾は見えない。


 戦士職の獣人は、尻尾は邪魔になるので体に巻き付けていると聞く。

 

「この度御屋形様より若様の剣術指南を仰せ付かりました、クルト・ハーゼと申します。以後お見知りおき下さいませ」


 隣に立っているシャルロットの目が、クルトの耳を見つめている。

 目がキラキラしている。


 あっ、やばいかも。

 

 クルトに続いて、隣の少女が片膝と付いて、頭を下げる。

 動作がぎこちない。

 

 こちらはクルトと違って小柄な少女だった。

 見た目は人の少女と変わらないが、やはり頭の上にケモミミが付いている。


 薄茶色の髪に黒っぽい部分が縞模様の様に混じっている。

 見ようによってはクルトより彼女の方が虎っぽい。

 

 そして、彼女には尻尾が付いていた。

 メイド服に穴を開けているのか、意外と太い縞模様の尻尾が、上を向いてくるっと丸く弧を描いている。

 

「こ、この度、シャ、シャルロット様付の侍女見習いを、お、仰せ付かりました。娘のユリアで御座います、以後御見知りおきくだしゃいませ」


 うん、噛んだ、お約束だけど噛んだね。

 頭を下げているので、顔は見えないけど、きっと真っ赤だと思う。

 

 シャルロットがトコトコと、ユリアに向かって歩いていく。


 そのまま、通り過ぎるとユリアの後ろに立ったが、ユリアは下を向いているので気が付いていない。

 

 止める間もなく、シャルロットが、両手でユリアの尻尾を掴んだ。


「フンニャアああああ!!!」


 ユリアが絶叫を挙げる。


 シャルロットが驚いて手を離すと、ユリアが飛び上がって部屋の隅に置いてあった棚の上に駆け上がった。


 マリウスとマリアは、あっけに取られてその様子を眺めていた。


『ケモミミ娘サイコー!』


 無責任な声が何処からか聞こえてくる。

 ユリアは戸棚の上で両手を前について伸ばし、髪の毛を逆立てて威嚇してくる。


「ニャアあああ!!」


 シャルロットの方は戸棚の上に一気に駆け上がったユリアの姿を見て、益々目がらんらんと輝いている。

 

「これ、シャルロット!」


「こら、ユリア!」

 

 二人の父親が狼狽しながら娘に駆け寄った。

 横を見ると、マリアが扇で口元を隠して、プルプルと震えている。


 クルトが手を伸ばして、ユリアの首の後ろを大きな手でがしっと掴んで持ち上げると、暴れていたユリアは、首を掴まれた猫の様にだらんと手足を伸ばしておとなしくなった。

 

 マリウスも可笑しくなって下を向く。

 マリアはもう爆笑寸前だ、体がぷるぷると震えだしている。

 

 クルトがユリアの首を掴んで持ち上げたまま、後ろからシャルロットの肩を抑えているクラウスの前に来る。


「娘がとんだ粗相を」


 恐縮して頭を下げ、ユリアを下した。


「お前も謝りなさい」


 そっぽを向いていたユリアだったが、やがて諦めて、


「御免なさい」

 と、頭を下げる。

  

 クラウスも、狼狽気味に

「い、いや、こちらこそ娘が申し訳ない。これ、シャルロット、お前も謝りなさい」

 とシャルロットの肩を離して促す。


 シャルロットはペコリと頭を下げた。


「ごめんなしゃい」


 頭を挙げると、ユリアを見つめて、


「しっぽにしゃわっては、だめでしゅか?」

 と未だ諦めきれないように聞く。


「尻尾は弱点なので、ダメです」


 ユリアは顔を赤くして答えた。


「じゃあ、おみみは?」


 暫く考えた後で、ユリアは更に赤面しながら、

「耳ならいいです。」

 と言って膝を付いた。

 

 シャルロットはユリアに近づいて、そろそろと手を伸ばすと、小さな手をユリアの耳の後ろに当ててフニフニと撫でた。


 ユリアは気持ちよさそうに目を閉じている。

 

 マリウスは自分もユリアのケモミミに触りたいと思った。

 セクハラになるのかな、7歳だから大丈夫かな?


 また、マリアが此方をジト目で見ているのに気が付いて、そっぽを向く。

 こうしてクルト父娘とマリウス兄妹の体面は無事終わった。


  〇 〇 〇 〇 〇 〇


 クルトとユリア、シャルロットが退室した後、いよいよ本題が始まる。


「成程、それではお前の使える付与は、“劣化防止“、“硬化“、“軟化“、“摩擦増加“、“摩擦軽減“、“送風“、“防寒“、“防暑“、“発熱“、“消毒“、“腐敗防止“、“防音“、“強化“、“虫除け”、“消臭”の全部で15種類か、たった一日で随分覚えたな」

 

 外にも記憶しているが、とりあえず今使えるのは其の15種類だけだという話は、今は黙っておく。


 魔力が増えれば、中級付与術式も試していきたい。

「そしてお前の魔力量は110で、一日に10回以上の付与が出来るという事か」

 

 クラウスはマリウスの話を聞いて考えこんだ。

 二日前にギフトを授かったばかりで、もうジョブレベルが上がった? レベル1の魔力が100で、レベルアップで10上がった?


 既にミドル並の魔力量で、初期量はアドバンスドの魔術師の3倍以上。

 クラウスは、ゴッズのギフトの凄まじさを初めて実感した。

 

「それで先程の話だが馬車の“摩擦軽減“とか」


「暖房を作れるとか、トイレの消臭とか」

 マリアはそちらの方が気になるようだ。

 

 エールハウゼンは王国では南部に位置するので、北部の様に雪に閉ざされることは無かったが、内陸部に在るのでやはり冬は寒い。


 暖房の魔道具は高価で魔石も消費する為、庶民は未だ炭や薪で暖を取るのが普通で、この館にしても4台程の魔道具と暖炉で寒い冬を過ごしている。  

 

 この世界のトイレは、所謂ボットン便所である。

 王都では下水道が完備して、水洗式も普及しているそうだが、田舎は未だ汲み取り式が普通である。


 この館でも、メイドたちが綺麗に掃除してくれているし、香りの強い草などを置いて臭いを抑えてはいるが、それでもいかんともし難い。

 やはり毎日の生活に直結する事が気になる様だ。

 

「未だ色々と試してみないと分かりませんが、多分できると思います」


 たかがビギナーの付与だ、寧ろ何故今までやらなかったのだろうと思ったが、結局付与魔術師自体が希少なのだと気づく。


 子爵領の四万人近い人口でザトペック翁しか見つけられない位だから、絶対数が足りないのだろうとマリウスは思った。

 

 あれが先だの、此方が優先だの一頻りクラウスとマリアが揉めていたが、結局最優先は衣類の“防寒”、暖房具にトイレの“消臭”。


 “虫除け”、“防暑”は、暖かく成ってから進める事になる。

 クラウスは、騎士団の武器に“強化”を、マリアは衣類や家具のの“劣化防止”を希望したがザトペックの仕事もあるので、できる範囲でと言葉を濁した。

 

 最後に、何か欲しい物が有るかと聞かれたので

「できれば魔石を手に入れていただければ、ゴブリンの物でよいので出来るだけ多く集めて下さい」


「それなら騎士団に狩らせよう、北東の領境寄りの村からゴブリン討伐の要請が来ておった、ただ……」

 クラウスは何か気がかりな事が有りそうな様子だった。

 

「何か問題でも有りますか?」

 マリアが尋ねた。


「ああ、いや魔物討伐の魔石は冒険者ギルドで買い取るのが、慣例だからな。何か文句を言ってくるかもしれん」


「別に、売らなければならない決まりは無いのでしょう。」


「まあそれもそうだな。もともとギルドの仕事が溜まっているから、騎士団に要請が来る理由だし、そこまで気を遣う事もないか」 

 クラウスも納得する。

 

「エールハウゼンのギルドは余り活気がないですからね」

 マリアの言葉に、


「其れは何故ですか?」

 マリウスが尋ねると、クラウスが代わりに答えた。


「優秀な冒険者はみなアンヘルに行ってしまう。あちらはダンジョンもあるし、魔境にも積極的に乗り込んでいる様だ」


 アンヘルは辺境伯領の領都である。

 街の中にダンジョンが在って、大層栄えていると聞く。

 

「辺境伯様は何故、魔境に入るのですか?」


 ダンジョンが在るのに、危険を冒して魔境に入る必要があるのだろうか。ダンジョンから十分富が得られると思うのだが。


「これは未だ極秘なのだが、どうも魔境にミスリル鉱山が発見されたらしい」

 

『ミスリル! ファンタジー金属の代表。やはりこの世界にも在るのか』


「ギルドの方は、話を付けておこう。それではマリウス。付与の件は任せた。あと、剣の修行も忘れるなよ」

 そう言って、父はまた母と何やら相談を始めた。

 

 マリウスはザトペックの仕事を先に片付けようと、自分の部屋に向かったが、部屋の前にメイドたちが群れているのを見て足を止める。


 マリウスを見つけると、リナの姉のリタが速足で近づいて来る。

 外のメイドたちも後に続く。

 

 リタと5人のメイド、リナを足して全部で七人がこの館のメイド全員である。

「マリウス様、リナだけ狡いです」


 リタが仁王立ちでマリウスに詰め寄る。

 後ろのメイドたちも、云々と頷いている。

 

 マリウスは思わず一歩下がるが、さっとメイドたちに取り囲まれる。


「えっと、あの若しかして付与魔術の事かな?」

 マリウスは額に汗を搔きながら、恐る恐る尋ねた。


「そうです! どうしてリナだけなんですか? 私たちも暖かくして下さい!」


「暖かくして下さい!」


「も、勿論お安い御用さ、み、皆中に入って」

 マリウスほそう言ってメイドの輪を抜けると、部屋のドアを開けた。


 

 六人のメイド服に“防寒”の付与術式を施し終わると、六人は口々に礼を言って、部屋を出て行った。

 六人が出て行くと、入れ替わりにノルンが入って来た。

 

 この野郎、隠れていたな。

 マリウスの視線に、ノルンは眼を反らす。


「大変でしたね」


「うん、うっかり術を使ったら皆に掛けないといけなくなっちゃった」

 マリウスはぼやきながら椅子に腰かけた。


「よく魔力が続きますね、未だレベル1なのに」


「いや、レベル2だよ」


「え、たった一晩でレベルが上がったんですか?」

 ノルンが驚愕する。


「え、ノルンはどれくらい掛ったの」


「魔法を覚えるのに二月以上かかりましたから、レベルが上がったのは三か月目ですよ」


 ノルンが情けなさそうに答える。

 やはり“術式記憶”はチートなようだ。

 

「今はどの位?」


「ジョブレベルは25です」

 

「魔力は幾等くらいあるの?」


「230です」


 ミドルの風魔術師のノルンでその位か?

 確かアドバンスドのクラスが解放されるのは、レベル30だった筈。

 確かに先は長い。

 

 立て続けに質問しようとしていたら、部屋がノックされる。

「若様。少し宜しいでしょうか」


 侍女長のハンナの声だ。ノルンにドアを開けて貰う。

 ハンナが入ってくると、ノルンが気を利かせて退出した。

 

 ハンナは、父が子供の頃からこの家に仕えている。

 ハンナは、ノルンが出て行ったのを見届けると、マリウスに向き直ってこう言った。


「若様。メイド達を甘やかしては困ります」

 

 しかしマリウスは、ハンナの言葉を聞いては居なかった。


 マリウスの視線は、ハンナの腕にかかっている侍女長用のロングドレスタイプのメイド服に釘付けになっていた。

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