2-4   魔物


 エルザの言葉にエルヴィンがあんぐりと口を開ける。

 その手が在ったか! 等とは絶対言わない。


 本当は助けに行きたいのだが、自分に助けを請わぬクラウスに苛々していたのを妻に見透かされた様で、エルヴィンの顔がみるみる赤くなる。


「そんな冒険者の真似事の様な事が出来る訳なかろう! 私たちはこの公爵家の当主とその妃だぞ。己の身をわきまえよ!」


 怒鳴り散らすエルヴィンを無視してエルザは話を続ける。


「それにクラウスは多分苦戦するわよ。相手はおそらくゴブリンロードだから」

 エルザの言葉にエルヴィンが眉を顰める。


「ゴブリンロードだと、下らん。そんなものは居らん、冒険者の法螺話だ」


「いるわよ、ゴブリンロード。私には解かるわ。絶対よ」

 エルザは自信たっぷりに答える。


 二人のやり取りを聞いていたアルベルトの眼鏡の奥の目が鋭くなる。


「奥方様は何か情報をお持ちですか?」

 

 いたのか、と云う様にエルザが初めてアルベルトの方を見る。


「アルベルト、あなた王都の認証官の周りを嗅ぎまわっているそうね」


 エルザに見つめられて、アルベルトが目を反らす。

 どうもこの主従はエルザと目を合わすのが苦手らしい。


「それは、私が命じた事だ。何故クラウスの倅の福音の儀に、王室付の最高認証官が出向いて来るのか気になってな」


「それは私がロンメルに頼んだからに決まっているでしょう」

 エルザが事も無げに言った。

 

 アルベルトも口を開けて、エルザを見つめている。


「お前が? 宰相に?」


 エルヴィンも唖然として、言葉が出てこない。

 

 エルザが宰相のロンメルと、公爵家を巻き込んだある計画を進めているのはエルヴィンも知っているが、そんな個人的な頼み事に、最高認証官まで動かしたのにはさすがのエルヴィンも驚いた。

 

「クラウスとマリアの息子だもの、それにマリウス君はエレンのお婿さんになるかもしれないんだから。ロンメルに最高の認証官をよこしなさいって頼んだわ」


「エレンの事は、私は認めとおらんぞ! 勝手に話を進めるな!」


「二人の息子なんだから、いい子に決まってるじゃない」


「そう云う問題ではない! 第一家格が釣り合わんではないか!」


「うちの一番の寄子の家なんだから、家格は関係ないでしょう。きっとその方がエレンも幸せになれるわよ」

 

 何処までも譲らない二人に、アルベルトと三人娘がいい加減部屋を出て行きたくなった頃、エルザが立ち上がって宣言する。


「良いわ、私一人で行ってくるから! ああ、この子たちも修行を兼ねて連れて行くわ。二代目『戦慄の戦乙女』のデビューよ!」


 三人娘の顔から一斉に血の気が引いた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 マリウスとマリアは村長の家に泊めてもらえることになった。


 さすがに400人からの兵士が泊れる家は無く、幾人かは村で唯一の宿や何軒か の広い家に分宿するものの、大半の兵士は広場に設置した野営用のテントで寝る事になった。


 マリウス達のあてがわれた部屋は、リタとリナの部屋だったそうで、簡素なベッドが二つ置いてある。

 

「マリウスちゃんと寝るのは久しぶりね」


 何故か燥いでるマリアを無視して、マリウスは部屋の隅に重ねて置いてある盾を眺めた。


 急遽“強化”を付与した木盾を量産してほしいとクラウスに頼まれた。

 昼間怪我をした騎士たちの姿を見ている。


 これで少しでも兵士たちの安全が確保されるのなら、量産もやむを得ないと自分を納得させると、部屋に30枚の盾を運んでもらった。

 

 大量のゴブリンとホブゴブリンの魔石を貰った。


 綺麗に洗って拭いてあるが、これが魔物の心臓を切り開いて取り出したものだと思うと、少し触るのが嫌な気がした。

 

 外に出る許可は出なかった。

 マリウスは柵の中を歩きながら、外の景色を眺めて回った。

 クルトが一緒に歩いてくれた。


 周りは山と森に囲まれていて、西側だけが開けている。

葡萄棚が並んでいるのが見える。


 今の時期は葉を落して、蔦だけが棚に絡んでいる。

 その横に畑も見える、今の季節はキャベツや大根が収穫できるとクルトが教えて呉れた。

 

 東側に回ると、柵の中でも外でも兵士たちが働いていた。

 壊れた陣地を修理している物がいる。


 南側の林から切って来た木を二人一組で肩に担いで運び入れていた。

 柵に上って木材を受け取っている物もいる。


 壊れた部分を補強している様だ。

 皆が次の戦いに備えて働いていた。

 

 外では煙がいくつか見える、火魔術師が積み上げたゴブリンの死体を焼いているらしい、黒い煙が真っ直ぐに登っていく。


 魔物の死骸は焼いてしまわないと、伝染病に原因に為ったりする。

 外の魔物を呼び寄せたり、アンデッドになる事もある。

 

 クルトの話では、魔物は食事を取らなくても生きていけるらしい。

 魔物を捕え檻に入れて置いて、食事を与えなくとも何年も生きている。


 魔物が人や他の魔物を襲って喰らうのは、魔力を得る為と言われている。

 そして魔力が心臓の中で結晶になったものが魔石だそうだ。

 魔石は全て魔物の心臓から取り出されている。

 

 クルトは冒険者から聞いた話ですと言いながら、魔物の話を教えて呉れた。


 此の世界には、人と見わけが付かない魔物がいるし、逆に鳥系や爬虫類系の見た目が魔物の様な亜人もいる。

 魔物かそうで無いかは、結局殺してみないと解らないという事らしい。

 

 マリウスはクルトの話に少し疑問を感じる。

 本当に魔石を持つのは魔物だけなのだろうか。

 マリウスの感じている魔石は魔力を貯めこむための入れ物だ。


 本当にそれは魔物にしかないのだろうか?

 本当に魔石を持つ人間はいないのだろうか?


 それでは自分たちの使っている魔力は何処から来るのだろうか?

 眠ると魔力は基に戻っている。魔物の魔力は戻らないのだろうか。

 

『それがこの世界のお約束だ』


 アイツはそう嘯くが、マリウスには納得がいかなかった

 魔物の事、魔石の事、魔力の事。

 もっと知りたいとマリウスは思った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 最後の4枚の木盾に“強化”の付与を終えると強烈な眠気がやって来る。

 既に26枚の木盾の付与は終わっている。


 魔力は空だ。斃れる様にベッドに入ると、意識が途絶えた。



 マリアはあっという間に眠ってしまったマリウスの寝顔を優しく見つめる。

 息子はあの日を境に別人に変わってしまった。


 自分の事を母様と呼んでいた子が、当たり前の様に母上と呼ぶ。

 息子の瞳には今まで無かった理知の光が宿っている。

 自分には見えない物を7歳の息子は見ている様だ。


 寂しさを感じないわけではないが、それは執着だとマリアも理解している。


 息子は女神に選ばれたのだ。

 自分たちはただ見守るしかない。


「お休みマリウス」

 マリアはそう言ってマリウスの体に毛布を掛けた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 マリウスは柵の内側を走っていた。

 昨日は修行が出来なかったので、今日から再開する事にした。


 昨夜は結局、ホブゴブリンの襲撃は無かったらしい。


 騎士や歩兵の人も何人か走っている人がいる。

 夜勤番の兵士と交代する前に訓練を済ませておくらしい。


 別に強制ではないが、戦時でも訓練は怠りたくない、と思うものは一定数いるらしい。

 

 皆マリウスに一礼しながら追い抜いていく。

 朝目覚めると、マリアはいなかった。


 リザと朝食の支度をしている様だ。

 ここにはリナはいない、マリウスは自分で服を着て部屋をでた。

 

 柵の内側を五周走ると、何時もの様に筋トレを始める。

 既に体は暖まっている、吐く息が白い。


 ダッシュを15本終えると、持ってきた木剣を振る。

 自分の木剣はエリーゼに挙げてしまったので、村の民兵が使う木剣を一本借りてある。


 木剣と云うか只の木の棒に握りが付いているだけの物だった。

 普段使っている物より少し重かったが、気にせずに振ってみる。


 上段斬り、右袈裟、左袈裟、突き、教わった型を繰り返し練習した。

 腕が疲れだすが、木剣を振り続ける。


 1000数えて今日の修行を終える。


 走って屋敷に戻ると井戸端で水を汲んで、手ですくって飲んだ。

 マリアが家から出てきて、タオルと着替えを渡してくれる。


 汗を拭って、着替えると家の中に入った。

 直ぐにリザが朝食の皿を並べてくれた。

 

 皮ごと煮た葡萄ジャムの甘酸っぱい香りが食欲をそそる。

 パンとスープとサラダだけの朝食だったがとても美味しかった。

 

 クルトが迎えに来てくれたので、魔石の入ったカバンを持って家を出た。

 広場に大きなテントが30個程並んでいた。


 角にレンガで竈が組まれ、村の女の人が焚きだした麦粥を受け取って、思い思いの場所で食べている。


 マリウスはクルトの案内してくれたテントに入った。

 中は広く、15人位寝られそうだった。

 そこに木盾が積まれていた。


 昨日クラウスに頼んで準備してもらっていたものだ。


 数えてみると、13枚の山が15あった。部屋の隅に筵とマットが引かれ、毛布が畳んでおいてある。

 兵士が使っているものと同じものだ。


 クラウスには三日でと言われたが、二日で終わらせられそうだ。

 クルトに4時間後に起こしてくれるよう頼んで、サクサクと付与を始める。


 8つの山104枚を終わらす。

 残りの魔力は4


 マリウスは毛布にもぐりこむと直ぐに眠りに落ちた。

  

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 何かの魔物の革でできた布の両端にロープが付いている。

 ロープの片側は端が結び目になっており、もう一方の端は輪になっていた。


「この輪を腕に通して、ここに石を入れ反対側をもって振り回す様ですね」

 マルコの説明に、集まった兵士たちが感嘆の声を漏らす。

 

「こんな物を本当にホブゴブリンが作ったのか?」


 クルトは投石器を一つ手に取って布を引っ張ってみる。

 東門の入り口の傍らに、戦場跡から回収した投石器が十本程並べられている。


 ホブゴブリンの遺体から回収した鉄製の剣や槍などは隅に積み上げられている。

 溶かして再利用される予定だ。

 

 兵士たちが集まって、クルトの手にした投石器を興味深そうに見ている。


「材料さえあれば誰でも作れそうだけど」


 ニナの言葉を後ろで見ていたクラウスが引き取る。

「問題はこれをホブゴブリンが考えたのかという事だ」


 魔物が新しい武器を作り出して、それを使って人を襲う。

 そんな話を聞いた事がない。

 

「クルト、使えるか」

 集まった兵士たちがクルトの方を見る。


 クルトは手に持っていた投石器の輪に手に通すと、手首のところで締めて反対側の端の結び目を握り占めた。


 その辺りに落ちている拳大の石を拾うと、布の中に入れてぶら下げた。

 

 周りの兵士たちは、クルトから離れて見つめている。

 クルトは軽く振り子の様に振って感触を確かめていたが、やがて腕をぐるぐると回し始めた。


 腕を上に挙げて大きく投石器を回す、クルトの胸の筋肉が盛り上がる。

 クルトは柵の上を見て、タイミングを計ると結び目から手を離した。


 石は柵の上を飛び越えて、放物線を描きながら遥か彼方に跳んで行った。

 兵士たちからどよめきが上がる。

 

 マルコ達先遣隊の兵士たちは、顔色が悪い。

 彼らは昨日、千と云う石が頭上から降りかかるのを経験したばかりだ。

 クルトは振り返ってクラウスに言った。


「的に当てるには修練が必要ですが、弓よりも遙かに攻撃力は高いと思われます」


 クラウスはクルトの言葉に頷くと、マルコ達に柵と陣地の修復を急ぐように命じながら、やはりマリウスの盾が必要だと考える。

 

 ジークフリートは未だ眠っている。

 やはり傷は深い様だ。


 今は次の決戦に備えて、力を貯めるしか無いようだと思いながら森に視線を向ける。

 おそらく相手も同じであろう。 

 クラウスは、傍らの兵士にマリアを呼ぶ様に命じた。




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