7―38  プレゼン当日


 昨夜もエレンからは連絡が無かった。


 病気が重いのなら上級ポーションを持ってお見舞いに行こうかと考えたが、さすがに今は忙しいので我慢する。


 今日は大事なプレゼンである。


 マリウスは気を取り直すとベッドから跳ね起きて、ハティを連れて朝の鍛錬に向かった。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

「ウソだろう! あそこに突っ込むのか?」


 ケヴィンが、体長4メートルはありそうな三匹のブラッディベアと、人の胴より太いキングパイパ―が鎌首をもたげて睨み合うのを見ながら思わず声を上げる。


 クリスタと『ローメンの銀狐』の五人はホテルに迎えに来た馬車に乗り込むと、レベル上げ施設に来ていた。


「Aランク冒険者が我らと同じ装備なら、上級コースで問題ないですね」


 マルコに案内されて高い石壁の、一か所だけ開いた入り口の前に立って中を覗き込んだ。


 反対側にも一か所だけ入り口の有る、高い石壁がある。森の奥に向かって開いた三角形の広場の真ん中に杭が一本立っていた。


 兵士の一人が中に入って行くと、杭に触れてから走って此方に戻って来る。


「一体何が始まるの?」


 ラウラがマルコに尋ねると、マルコが笑って答えた。


「今“魔物寄せ”のスイッチを入れたので、もうじき魔物が集まって来ますよ。小さいのは奥のビギナーコースに誘導しますから、デカいのが入ってきたら狩って下さい」


「魔物が集まって来るのかい? どういう……」


 何を言っているのか分からない、と云う様にラウラがマルコに問い返しかけたが、すぐに口を噤んだ。


 彼女の“索敵”スキルが、此方に向かって集まって来る多数の魔物の気配を察知した。


「どうしたラウラ?」


「しっ! 来るよ! 7、8匹。いやもっと集まって来る。ウソ? でかいのが一杯いる!」


 他の四人が、ラウラが見つめる森の奥に目を凝らすと、森の木がガサガサと音を発てて揺れ、地響きが伝わって来る。


「ひっ!」


 クリスタが握り拳を口に当てて悲鳴を押し殺す。


 ブラッディベア、グレートウルフ、キングパイパ―、キラーホーンディア、フォレストレパード、ホブゴブリンといった魔物が次々と森の中から現れると、互いに牽制しながら中央の杭に集まって来る。


 足元を角ウサギがぴょんぴょん跳ね回り、ヴェノムコブラが這い回るのが見える。


 森に向かって開けている方と反対側三角形の頂点にある狭い通路の入り口に一人の兵士が現れて、手に持った杭を持ち上げてぐるぐる振り回すと、魔物たちが一斉にそちらに向かって殺到した。


 兵士が通路の中に向かって駆け出すのを追って、魔物たちが通路に向かうが、ブラッディベアが狭い通路に入れずに立ち往生する股下を角ウサギやグレートウルフがすり抜けていく。

 諦めた大型魔物たちが広場の中央の杭に向かって戻るのを見届けて、マルコが青い顔の五人に向かって振り返って頷いた。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「ゴート村のワインはやはり最高ですな」


「ありがとうございます。今葡萄園も拡張中ですので、1年後には出荷量も倍に出来る予定です」


「このチーズを使った料理もとても美味しいですわ。今ではダブレットの市民もすっかりチーズやヨウルトになじんで、毎月売り上げが倍増していますのよ」


「今ノート村の牧場も拡張して牛や山羊を増やしているところです、乳製品工房も新しい工房を建設中ですので直ぐに生産量を増やせると思います」


 ハーゲンとコルネリアにマリウスが如才なく答える。


「あら、チーズやヨウルトはリーベンでも売り上げは毎月倍増していますわよ。今ベルツブルグに支店を開こうと考えていますの。若様、増産の予定ならこちらにも回して頂きたいですわ」


「若様、ガラス製品を公爵領だけでなく王都でも販売してみまへんか。輸入品の半分の値段で絶対割れない魔法付きや、絶対アレは売れまっせ」


 アンナとダックスも負けじと、話に割り込んでくる。


「うん、何れはそのつもりだけど今は未だ生産量が全然追い付かないよ、人が集まればどんどん工房を増やしていくから。それよりダックス、頼んでおいた胡椒と砂糖キビの苗をそろそろ手に入れてくれるかい。温室も来月には完成するし、魔境寄りの土地ならそのまま砂糖キビも育てられそうなんだ」


「へい、お任せ下さい若様。既に手配済みでっせ。月明けに入る船で入荷予定ですわ」


「参ったな。ガラスだけでなく胡椒と砂糖キビも育てる心算なのか。それは辺境伯家にとっても他人事ではないな」


 ステファンが驚いて声を上げる。


「まったく。農政に工房、次々に新しい産業を起こして軌道に乗せていきながら、着実に魔境に向けて辺境を開拓していく。この短期間のアースバルト家の躍進ぶりは辺境伯家にとってはまさに脅威でございます」


 シュバルツが冗談めかして言うが、目が笑っていない。


 イザベラの兄、シュバルツは未だ18歳だそうだが、辺境伯家の外交を一手に差配しているシェリルの懐刀である。


 顔は妹のイザベラに似て端正だが、少し知的な風貌が外観を冷たい印象にしている。


 ずっと値踏みするような視線をマリウスに送っているが、マリウスは気づかない振りをして話を続けた。


「胡椒や砂糖の栽培は、軌道に乗るまでには何年もかかる筈だよ」


「そう言いながら実はマリウスは、それも早める力を隠しているんじゃないのか?」


 今度はステファンが鋭いツッコミを入れて来る。


「あはは、そんな都合のいい魔法は無いよ」


 マリウスが引き攣った笑顔でステファンに答えた。


 実はある。希少級付与術式“成長促進”やハイエルフの禁書『植物魔法とエルフ文化』の中にあった上級魔法“品種強化”や特級魔法“生育”、希少級魔法“繁殖”、伝説級魔法“豊穣”といった植物魔法と『奇跡の水』を組み合わせて、短期間で収穫を目指す心算だった。


「素晴らしい、胡椒に砂糖ですか。事業が軌道に乗ったらぜひ我が商会ともお取引願いたい」


「ブラームス商会はん、砂糖と胡椒の話は儂が先口でっせ。横取りは殺生でんがな」


「商売に先も後も無いよ。若様に気に入られるかどうかが勝負さ。ねえ、若様」


 プレゼン前の食事会なのだが、早くも商人たちの牽制がしだいに激化してくる。


「ノルン殿がプレゼンの担当なのですか?」


 公爵家の財務官吏ルッツがノルンに話を振る。


「はい。宜しくお願いします」


 ノルンが緊張気味に答えた。

 シュバルツがノルンに鋭い視線を送る。


「随分とお若いですね。ノルン殿は財務担当なのですか?」


「いえ、行政全般の見習いをさせて頂いています」


「てっきりマリウスが自分で説明するのかと思っていたのだが……」


 訝し気にマリウスとノルンを見比べるステファンに、イエルがすました顔で答えた。


「ノルン殿はマリウス様の側近中の側近、此度の大役はノルン殿を措いて他にありません」


「それは失礼した。楽しみにしているよノルン殿」


「こちらこそ宜しくお願い致します辺境伯様」


 ノルンの引き攣った笑みを浮べてステファンに一礼した。


 マリウスがちらりとノルンの顔を見た。


 緊張はしているが、決して気持ちが萎えた様子はない。

 昨夜もイエルと遅くまでプレゼンの打ち合わせをしていたようだった。


「そう言えばイザベラがプレゼンを手伝うと言っていたがどうしているのかな? もうここに三日泊っている筈だが」


 ステファンが周りを見回しながらマリウスに尋ねた。


「イザベラさんには後で登場して貰うよ、楽しみにしていてよ、ビックリするから」


「ほお、イザベラが手伝いですか」


 シュバルツも意外そうな顔でマリウスを見る。


 イザベラはオリビアやレナータと一緒に大事なプレゼンの目玉になって貰う予定だった。


 ユリアが隅にしつらえたスタンドで、白と薄い黄色のアイスクリームをガラスの器に盛りつけると、リナとメイド達が皆のテーブルに置いて行く。


「これは。なんと美しい……」


 クライン男爵がアイスクリームの入った器を持ち上げて光に翳しながら嘆息する。

 マイセに試験的に作らせたクリスタルガラスの器である。


 エイトリ―に鉛鉱石から生成させた酸化鉛をガラスの主成分に添加して、透明度と屈折率の高いガラスを作り上げ、金属酸化物の着色材を使って薄い青味を帯させる事で、更に見た目の透明度を上げている。


「これもゴート村製のガラスなのですか」


「はい、器も中身も自信の逸品です」


 マリウスが笑顔で答えた。


 クライン男爵がアイスクリームを匙で掬って口に入れると、再び感嘆の声を上げる。


「なんと冷たい菓子ですか! これは珍しい。舌の上で溶けると口の中一杯にミルクの濃厚な香りと甘さが広がりますな」


「おお、こちらの黄色い方は檸檬の香りがする。これは初めて食べる味だがとても爽やかだな」


 見るからにスイーツが好きそうな体系のクライン男爵に、既にアイスクリームを経験済みのステファンが答える。


 ルッツやコルネリアとハーゲンだけでなく、クラウスとホルスもアイスクリームを口に入れて、初めての味と触感に驚いている様だった。


「このアイスクリームという菓子は絶対に売れますね。ぜひ私共にもレシピを売って頂きたい。デュフェンデルから王都迄広げて見せます」


「あら、それならぜひ私共にもお願い致しますわ。これはきっとダブレットでも評判になりますわ」


「アイスクリームはカンパニーの直営店すべてで販売する心算です。客寄せにはもってこいなので出来るだけ安価に販売したいと思っています」


 マリウスが二人に笑って答えた。


 アイスクリーム自体、やりようによっては大きな利益の出る商売に出来るであろうが、マリウスはアイスクリームで稼ごうとは思っていなかった。


 スイーツは出来るだけ多くの人に、気軽に食べて貰いたい。

 自分の領地は勿論、東部全域に豊かな経済圏を作り、人々の暮らしを豊かにする。


 その為のカンパニーであり、子供たちが気軽に食べられるスイーツはその象徴だとマリウスは本気で思っていた。


 デザートタイムが終るといよいよプレゼンの本番が始まった。

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