7―37  消えたグラマス


 男爵の話だと、当時の薬師ギルドのグランドマスターはベネディクト・アイヒベルガーという人物で、恐らくこの人物がアースバルト領近くの辺境に秘密の製薬研究所を作った人物で間違いないであろうという事だった。


「アイヒベルガー氏は25年間薬師ギルドのグラマスを務めた人物ですが、彼には一つ黒い噂がありました」


「黒い噂ですか?」


 眉を顰めるマリウスにクライン男爵が頷く。


「ええ、彼はレアの優秀な錬金術師でしたが、それ以上に彼は豊富な資金力で薬師ギルド内で強い発言力を持ち、若くしてすぐに幹部に出世しました」


「大貴族の生まれだったのですか?」


「いえ、彼は王都の法衣貴族の三男で、決して豊かな生い立ちでは無かった筈です。当時噂されていた事ですが、彼の資金はどうやらクレスト教会から出ていたようです。薬師ギルドとクレスト教会の関係が始まったのは彼からだと言われています」


 教会と繋がって薬師ギルドの腐敗を招いた張本人が辺境に隠れ里を作って、『禁忌薬』の研究をしていたという事らしい。


「そしてアイヒベルガー氏は120年前、58歳の時自宅の豪邸で惨殺死体となって発見されました」


「えっ! グラマスが殺されたのですか?!」


 マリウスが思わず声を上げる。

 クラウスやホルス、イエル達も初耳の話なので少なからず驚いている様だった。


「はい、記録によるとそれは惨たらし様子で、手足を引きちぎられて内臓を食い荒らされており、当時王都でも大騒ぎになったようです。魔物か狂暴な獣が侵入したのではないかと連日騎士団が王都内を巡回して探索を行ったそうですが、結局何も発見できませんでした」


 衝撃的な話に全員が思わず黙り込む中、クライン男爵が話を続けた。


「ポーションの製法を確立した薬師ですが、フリーダ・ベルリングという女性で、当時天才と言われたユニークの錬金術師でした。彼女はほぼ独力でポーションの製法を確立し、その功績によりアイヒベルガー氏の死後、薬師ギルドのグラマスに就任しています」


「それではそのフリーダさんが薬師ギルドのグラマスになって、それから新薬の開発を禁止したという事ですか」


「そう云う事です。順に並べていくと33歳で薬師ギルドのグラマスになったアイヒベルガー氏が50歳の時に、この辺境に秘密の隠れ里が造られ、彼が殺される3日前に村が何らかの理由で滅び、更に彼の死の半月後に新しいグラマスに就任したベルリング女史が、王国中の薬師に新薬を開発する事を禁じる布告を出しました」


「彼女は何故新薬の開発を禁じたのですか?」


 マリウスの問いにクライン男爵が首を振る。


「分かりません。そして何よりも分からないのは、彼女はグラマスになってから半年後、忽然と姿を消しています」


「えっ! いなくなったのですか?!」


 またマリウスが驚いて声を上げる。


「ええ、突如行方知れずになり、終に戻って来ませんでした。そして彼女がいなくなった直後から商業ギルドが薬師ギルドに役員を派遣するようになりました。表向きは立て続けにグラマスを失った薬師ギルドを支えるという名目でした」


「それでそれから120年間商業ギルドから役員が出向する話も、新薬の開発を禁止する話も続いていたのですか? それは商業ギルドから来た役員が禁じていたのでしょうか?」


 クラウスが不審げにクライン男爵に問いかける。


 確かに新薬の開発を禁じたグラマスが半年で姿を消したにも関わらず、120年間その命を守り続けている薬師ギルドは少し異常な感じがする。


「それは分かりません。その件に触れた記録は一切出て来ませんでした。旧薬師ギルドの薬師達は表向きはただ黙々と、120年前のグラマスが決めたルールを守り続けてきました」


 表向きはというのは陰では西の公爵の肝いりで、密かに『禁忌薬』の研究を再開していた事を指している。


「確かに不審な事が多すぎるが、それが商業ギルドやクルーゲ女史とどう関わってくるのかは分からないという事ですかな?」


 眉を顰めながらクライン男爵に問いかけるクラウスに、男爵が自分の傍らに置いた平べったい布の包を取り出して机の上に置いた。


「これは王家に保管されていた、宮廷画家が描いたグラマス就任直後のフリーダ・ベルリング女史の肖像画です」


 そう言ってクライン男爵が包みの布を開いた。


 マリウスが絵を覗き込むと、青味をおびた長い黒髪を頭の上に束ねた、理知的な美人がにっこりと絵の中から微笑んでいる。


「ば、馬鹿な……! これは一体どういう事だ、クライン男爵?」


 クラウスが驚愕の声を上げる。


「如何かしましたか父上? この人をご存じなのですか?」


 120年前の薬師ギルドのグラマスに会った事などある筈も無いと思いながら、マリウスがクラウスに尋ねた。


 クラウスは血の気が引いた顔で向かいに座るクライン男爵と、隣のマリウスの顔を見比べながら机の上の肖像画を指差して掠れた声で言った。


「間違いない。これは……、この絵に描かれているのは、フレデリケ・クルーゲ女史だ。しかし何故……120年前に消えた薬師ギルドのグラマスとクルーゲ女史が同じ顔なのだ?」


 クラウスの問いにクライン男爵が肩を竦めて首を振った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「ケリー! バーニーにソフィーも。あんたたちアンヘルにいたんじゃなかったの?」


 ラウラが驚いて『白い鴉』の3人に声を掛けた。


 『ローメンの銀狐』の4人とクリスタは、エリーゼに案内されて屋台村を訪れていた。


 ケリー達は昼間からチーズコロッケとフライドチキン、フライドポテトなどを摘みながらエールを飲んでいた。


「何だいラウラにケヴィンか、久しぶりだな。お前たちもこの村に来たのか?」


「ああ、俺たちはクライン男爵とこのクリスタの護衛で付いて来たんだ」


 ケヴィンがケリー達と隣のテーブルに腰掛けながら答えた。


「護衛? そのお嬢ちゃんも偉いさんなのかい?」


「クリスタは医術師ギルドの新しいグラマス代行で、教会に命を狙われているのよ」


 何故かドヤ顔で言うヘルミナに、ケリーが笑って答えた。


「この村じゃあ、教会と教皇国に狙われている奴なんざ、珍しくもないさ」


「皆さんお知合いなんですか?」


 エリーゼがバーニーとダミアンに手伝ってもらって、エールやレモネード、料理やアイスクリームの皿が乗った盆を五人の前に次々と置いていく。


「ああ。こいつら『ローメンの銀狐』は王都の冒険者で、うちのクランじゃないがまともな連中だよ」


 ケリーがそう答えるとラウラが顔を顰めて言った。


「随分な言われようだけど、言いたい事は分かるわよ。知ってるケリー、公爵領に応援に行かされたカスパーたち『竜の息吹』や、他の連中が皆殺されたそうよ」


「ああ、聞いたよ。うちの『小鬼のロンド』のマリーダたちもロランドで死んだよ。生き残ったのはサラだけだ」


 ケリーも顔を顰めてエールを呷った。


「マリーダたちも死んだのか? 王都の冒険者も随分減っちまったなあ」


 ケヴィンが溜息を付きながらチーズコロッケに噛り付いた。


「美味っ! なんだこれ! 中から何か垂れて来るけど、これ滅茶苦茶美味い!」


「ゴート村名物チーズコロッケです。フライドチキンやフライドカトフェ芋も美味しいですよ」


 エリーゼが笑顔でそう言うとケリーが笑って言った。


「いつ死んじまうか分かんねえんだ。食える時に美味いモンたらふく食っとけよ」


 クリスタたちも頷くと、目の前の皿に手を伸ばした。


「ウマい! 辺境でこんな美味いものが喰えるなんて思わなかったな」


「ホントね。それに屋台を見て廻ったけど、どこも嘘みたいに安い値段だったわ」


「冷たい! でも、何これ。甘くて美味しい!」


「この魔物肉の煮込みも辛いけど滅茶苦茶美味いぜ。エールによく合う」


 皆が料理を口に運びながら、エールのグラスを次々と飲み干していく。

 ラウラが空になったエールのグラスを翳して呟いた。


「凄いね、こんな屋台でガラスのコップを使っているなんて」


 ガラスの食器は王国では未だ高価である。


 一般の庶民は王都でも殆どが木製の食器で、比較的裕福な者が陶器の食器を使っている位であった。


「そのコップ、下に落としてみな」


 ケリーが笑いながらラウラに言った。


「えっ! そんな事したら、割れちゃうじゃない」


「試しに落としてみな。何だったら叩きつけても構わないぜ」


 エリーゼも口元に笑みを浮べてラウラに頷いた。

 ラウラが思い切ってエールを飲み干したグラスを、地面にポンっと投げ落とす。


 コップは地面にぶつかって甲高い音を発てると、コロコロと転がった。

 ダミアンが拾い上げて驚愕の声を上げる。


「スゲー! 罅も入ってないぜ! どうなってるんだこれは」


「それにはマリウス様が“強化”と“消毒”を付与しています。絶対に割れないし毒も消えてしまうグラスです」


 ラウラたちが信じられないと云う様にグラスを見つめている。


「この村はそこいらじゅうアーティファクトで溢れかえっているのさ。総てあの若様の力だよ。安心しな嬢ちゃん、この村にいる限り教会の奴らも絶対に手出しできないし、あの若様が後ろ盾になってくれるなら医術師ギルドも安泰さ」


 ケリーがクリスタにそう言うと、エリーゼもクリスタに頷く。


「マリウス様は自分を頼る人を絶対に見捨てたりしません。安心してください」


「はい。ありがとうございます」


 クリスタはエリーゼに頭を下げながら、マリウスの姿を思い浮かべていた。


 どう見ても只の子供に見えるマリウスはとても宰相ロンメルや公爵家が一目置く様な存在には見えなかった。


 ただ、その瞳はとても聡明そうで、尚且つ優しかった。


 村は彼方此方で工事の音が響いている。

 行きかう人々の活気が村全体を包んでいた。


 王都の緊張が嘘の様に、この村の人々は生き生きと楽し気に暮らしているように見えるのは、この村がマリウスの力で守られているからなのだろう。


 クリスタは何週間か振りに張りつめていた緊張がゆるむのを感じながら、アイスクリームを口に運んだ。

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