4―16 湯けむりの向こう
マリウスはミラの工房で留守の間に量産されていた4000本の杭に“魔物除け”を、給水管の束400本に“消毒”と“劣化防止”を、木製の便器20個に“消臭”と“劣化防止”を付与すると、皆と一緒に公衆浴場に行く事にした。
日が西に傾き始めている。
ミラとミリの工房とブロック工房の全員が、タオルを持って公衆浴場に向かっていた。
オープンしてから丁度一週間が経過したが、すっかり風呂は皆の生活に定着している様だった。
「お湯に浸かるのがあんなに気持ち良いなんて知らなかったわ」
「ホント、温まるし疲れも取れるし、もうお風呂のない生活なんて考えられない」
「お肌もなんかつるつるして、綺麗になったみたい」
口々に風呂を絶賛するミラ達だったが、レニャがハティの背中に乗るマリウスを振り返って言った。
「マリウス様、まさかハティも一緒に入る心算ですか?」
「うん、お風呂は広く作らせたからハティも入れると思うよ」
マリウスが答えるとミラが驚いて言った。
「そういう問題じゃありません! フェンリルと混浴とか、絶対大騒ぎになりますよ!」
「そうかな? 皆直ぐに慣れるんじゃないかな。ミラ達もすぐに慣れたし、最初だけだよ」
マリウスがそう言うとミラも渋々同意した。
「それはそうですが。やっぱり最初は大騒ぎになると思いますよ」
そんな事を言っている間に、もう公衆浴場に着いてしまった。
風呂から出て来た人やこれから入る人達が、ハティを見て驚いて道を開ける。
「其れじゃ僕たちは男湯に行くよ」
マリウスはそう言ってハティの背中から降りると、ブロック達と一緒に男湯の暖簾を潜った。
脱衣場に入ると裸の男たちが、マリウスとハティに驚いて慌てて壁際へ逃げる。
「ま、マリウス様! なんでここへ?」
よく見るとノルンもいた。
「何でって、お風呂に入りに来たに決まってるじゃないか」
「ハティも一緒に入る気ですか?」
腰にタオルを巻いたノルンが、ハティを見上げながら言った。
「うん、ハティも入りたいみたいだから一緒に入るよ。ノルンも一緒に入ろう」
そう言ってマリウスは服を脱ぐと、棚の中の竹を編んだ籠に服を放り込んで、浴室の扉を開けた。
中に入って来たマリウスとフェンリルを見て、裸の男たちが湯船から跳び出して浴室の隅に逃げた。
「ひえー! フェンリルが風呂に来た!」
「若様も一緒だ!」
大慌てで逃げ惑う裸の男たちの中から、イエルがマリウスの前に進み出て言った。
「若様、ペットの入浴はお断りしておりますが」
「そんなルール作った覚えは無いよ。ていうかハティは友達でペットじゃないよ」
ハティが前に出てイエルを前足でポンと叩くと、イエルが弾き飛ばされて、飛沫をあげながら頭から湯船に落ちて行った。
イエルの長い尻尾が湯船から覗いているのを見ながら、マリウスは木桶でかけ湯をすると、ハティにも湯を掛けてから湯船に入った。
「ぷはー、何をするんです! 死ぬかと思いました!」
イエルが湯の中から頭を出した。
ハティが湯船に入って、悠々とイエルの前で手足を伸ばす。
「ハハ、ハティも気持ちよさそうだ。みんなも湯冷めするから早く入って来なよ」
マリウスが浴室の隅に固まる裸の男たちに声を掛けると、男たちも顔を見合わせていたがやがておずおずと湯船に入って来た。
「フェンリルと混浴をした等と言っても、誰も信じてくれないでしょうな」
頭にタオルを乗せたブロックが、笑いながら言った。
「何故か長生きできる様な気がしてきました」
エイトリが相槌を打つ。
「あなた達元々長生きでしょう」
イエルがすかさず突っ込んだ。
マリウスが笑いながら湯船の中で、ハティの体を撫でた。
もう傷跡も火傷の後も消えている様だ。
ハティは眼を閉じて、気持ちよさそうに湯に浸かって体を伸ばしていた。
「おう、フェンリルと混浴かい、こりゃ春から縁起が良いねえ!」
「全くでい、エールハウゼンにけえったら皆に自慢できるぜ!」
扉が開いてフランクとベンが入って来た。
ノルンもおずおずと後ろから付いてくる。
いつの間にか皆普通に湯船に浸かったり、外に出て体を洗ったりしている。
ソープベリーという小さな木の実が詰めてある、麻の小袋を濡らして擦ると泡が立って、肌がつるつるして気持ちいい。
ノルンが背中を擦ってくれた。
マリウスは屋敷ではカリ石鹸という粉の石鹸を使っているが、民間ではソープベリーが広く使われていた。
ハティが湯船から上がって、マリウスの傍に来るとぶるぶると体を振るわせた。
体のお湯が飛沫になって飛び散り
二人の間にしゃがみ込んだハティの体を、マリウスとノルンが小袋で擦るとハティが泡だらけになった。
再び体をプルプルと震わせて、マリウスとノルンを泡まみれにしたハティが、湯船につかって体を伸ばした。
マリウスも体を洗い流すと、再び湯船に浸かった。
ハティに凭れ掛かって、足を伸ばすと気持ちが良い。
アイツの言う通り、皆が入れるお風呂を作って正解だと思った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あっ、エリーちゃん」
ミリが浴室に入るとエリーゼを見つけて声を上げた。
「今日はミリちゃん、レニャちゃんたちも」
浴室の中からエリーゼが皆に手を振った。
「若様と一緒に帰って来たんだね」
「うん、若様とハティに置いてきぼりにされたけど馬を飛ばして駆け戻って来たわ」
「ハハハ、空を飛ぶんだもの、追いつけないね」
ミラが掛け湯をしながら笑う。
「必死で馬を飛ばしてきたからお尻が痛かったんだけどお風呂に浸かったら治ったみたい、ホントに凄いわねこのお風呂」
エリーゼが湯船の湯を手で掬いながら感心したように呟いた。
「疲れも直ぐとれるし、お肌もつるつるになりますよ」
「擦り傷とか昔の傷跡とか、お風呂を出たら消えて無くなってたりするみたいだし」
「洗うと髪の毛もつやつやになるしね」
ミリ達女子もお風呂を絶賛している。
やはり女子は美容が気になる様だ。
「でも凄い人ね、ずっとこんな感じなの」
エリーゼが人でごった返す、浴室を見回しながら皆に尋ねると、全員が頷いた。
「うん、グラムのおじさんの話が広がってから、エールハウゼンの人達迄やって来るし、一日に何回も入る人もいるしで、朝から晩までずっと人で一杯よ」
「騎士団や冒険者の人達が騎士団のお風呂に行くようになったので少し人が減ったけど、その分エールハウゼンからの人が増えたみたい」
「気持ち良いだけでなく怪我や病気まで治るんだから仕方ないけどね」
「私火傷の跡が全部なくなった」
ナターリアが両手を見ながら嬉しそうに呟いた。
仕事柄よく火傷をしていたらしいが、どこにもそんな跡は見当たらなかった。
「腰が痛くて動けないって言ってたお婆さんが、お風呂から出たら、すいすい歩いて行ったりしてたの見たよ」
ミリ達が頷くのを見て、エリーゼが眉根を寄せて呟いた。
「これはやっぱりイエルさんの言う通り、薬師ギルドが黙ってないわね」
マリウスから色々な付与アイテムを与えられたのに、ハイオーガとの戦いでは全く活躍できなかった。
次は必ず自分がマリウスを守る。エリーゼは湯船の中で密かに拳を握りしめた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
風呂を堪能したマリウス達が公衆浴場の外に出ると、もう日が沈み始めていた。
ミラ達が屋台の前でレモネードを呑んでいた。
10歳くらいの子供が二人で店番をしている。大銅貨を払うと、大きな瓶の中のレモネードを柄杓で掬って木のコップに入れてくれた。
屋台の横に、『レモネード一杯100ゼニー』と書かれた旗が揺れている。
一口飲んでみると、檸檬の酸っぱさと砂糖の甘さがちょうど良かった。
しかしこの檸檬は、マリウスがお金を出してアンナの店に卸している筈だが、一杯100ゼニーは高すぎる。
アンナと交渉する必要があるなとマリウスは思った。
ハティにも一口飲ませたが、ハティは酸っぱい味は苦手らしく、顔を顰めて鼻を手で押さえるとそれ以上は飲まなかった。
マリウスはミラ達に別れを告げると、ハティとノルン、エリーゼと一緒に村長の屋敷に帰って行った。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
クラウスは朝、早馬でゴート村から送られてきたクレメンスからの報告書と、イエルからの新規計画案を一通り読み終わるとホルスとジークフリートの前に投げ出して、ソファーの背凭れにぐったりと体を預けて深いため息を吐いた。
ホルスがイエルの新規計画書を、ジークフリートがクレメンスの報告書を手に取って読み始めた。
クラウスとは対照的に、ホルスとジークフリートは書面を読み進めるうちに、顔に笑みが浮かんでくる。
「なんと若様がフェンリルを従えたので御座いますか、まるで吟遊詩人のサーガが伝える英雄ではありませぬか。ドラゴンを従える辺境伯にも引けを取りませぬ。誠に目出度い」
感嘆するジークフリートにホルスも頷く。
「イエルの書面にも書いてあるな、ノート村でハイオーガと戦うフェンリルを助けてハイオーガを倒し、奇跡の水でフェンリルの傷を治してやったら懐かれたとある」
「マリウスの奴は、フェンリルと一緒に公衆浴場に浸かって、一緒に飯を食い、一緒に寝ておるそうだ。あ奴は一体何をしておるのか」
クラウスが嘆息を漏らす。
「クレメンスの報告にも書いてありますな。奇跡の水を汲みに来たエールハウゼンの者達が大騒ぎしておった故、じきにエールハウゼン中に噂が広がるであろうと」
ジークフリートが愉快そうに笑いながら言った。
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