4―36 聖女が村にやって来た
「ようこそお越し下さいました。私は主よりシュナイダー司祭様の供応役を仰せ付かりましたイエル・シファーと申します」
馬車から降りたエルマに、イエルが片膝を付いて恭しく頭を下げる。
村長のクリスチャンと、行政官のレオン、騎士団のクレメンスも、イエルの後ろで片膝を付く。二十名程の騎士団の騎士達も少し離れて整列していた。
エルマの為に新しく建てられた教会と館は、ぎりぎり三日前に完成したばかりだった。
「エルマ・シュナイダーで御座います。この度はこの様な立派な教会と、館まで私の為に用意して頂き感謝いたします。執政官様にお礼を致したいのですが、今日はいらっしゃらないのでしょうか?」
エルマの問いに、イエルが困ったようにイタチ耳をぴくぴくさせる。
「いえ、若様は非常に多忙なお方で今外しておりまするが、明日の夜に若様の新しき館にて司祭様を歓迎する宴を御用意させていただきますので、その時に改めてご挨拶させて頂きたく存じます」
マリウスは一緒に出迎えると言っていたのに、引っ越しや仕事でバタバタしているうちに、忘れてしまったのだろうとイエルは思った。
エルマはイエル達と会釈を交わすとエレーネ、ベアトリス、ヴァネッサを連れて新しい館に向けて歩き出す。
ケリー達が馬車の荷物を降ろそうとしたその時、御者席から降りた斥候のソフィーが叫んだ。
「おっきいのが來る! 西!」
ケリーが背中の大剣に手を掛けて西の方向を睨み、アデルとバーニーがエルマに駆け寄って前に立つと、やはり西を警戒した。
エレーネとヴァネッサ、ベアトリスもエルマを囲むように周囲を睨んだ。
「あ、あの司祭様?」
戸惑いながらイエルが声を掛けようとしたその時、再びソフィーが西の空を指差しながら叫んだ。
「来た!」
西の空に銀色の影が見えたかと思うと、此方に近づいてくる。
銀色の巨大な狼が、空を駆けていた。
「あれは、フェンリル!」
ケリーが背中の大剣を抜いて構える。
アデルがエルマの前で盾を構え、バーニーも槍を構えた。
エルマ達の前に銀色の巨大な狼が、空から舞い降りた。
狼の額には一本の禍々しい角が生えている。
フェンリルの圧倒的な魔力に、ケリー達も金縛りにあったように動けずにいた。
「ごめーん、遅くなっちゃった。」
狼の背中から小さな少年が飛び下りると、エルマの前に立った。
「マリウス様!」
「ああ、御免イエル、畑をもう少し広げていたら遅くなっちゃった。」
そう言うとマリウスはエルマに近付いていく。
アデルとバーニーがフェンリルを見据えたまま盾と槍を降ろし、エルマの前を開けた。
マリウス二人を気にした様子も無く、二人の間を通ると白髪の女性を見上げて言った。
「遅れて申し訳ありません。この村の執政官のマリウス・アースバルトです。あなたがステファンのお母さんですね」
「ステファンをご存じなのですか?」
フェンリルに視線が向いていたエルマが、驚いてマリウスを見た。
「ええ、昨日この村に来ました」
「そうなのですか、それでステファンは?」
何故ステファンが此処にと思いながらエルマが尋ねた。
「お風呂に入って帰りましたよ。バルに乗って。ああ、イザベラさんと一緒でした」
「お風呂ですか?」
「ええ、村の公衆浴場です。お屋敷にお風呂は付けさせて在りますけど、好きな方を御使いください」
何を言っているのか良く解らない二人の会話に、苛々しながらケリーが前に出た。
「お話の途中で申し訳ないんだけど、そのフェンリルはあんたが使役してるのかい」
ケリーが剣を握ったままマリウスに言った。ハティは興味なさげにマリウスの傍らに伏せている。
マリウスはケリーを見つめると、肩を竦めて答える。
「ハティは僕の友達で、使役とかしていません」
「其れじゃそのフェンリルは、好きに暴れる魔物ってことかい」
剣をハティに向かって構えるケリーに、マリウスが眉を顰める。
「ハティは暴れたりしません、あなたこそ剣を降ろしてくれませんか。この村で諍いを起こすなら僕が許しません」
「面白いね、許さなきゃどうするってんだ!」
ケリーが剣を振り上げてハティに向けて走り出そうとした瞬間、ケリーの体が見えない壁に弾き飛ばされて、後ろに転がった。
「ケリー!」
ソフィアとエレノアがケリーに駆け寄り、バーニーがマリウスに槍を構えた。
ケリーが立ち上がるとマリウスを見た。
「今何をした! 魔法もアーツも感じなかったぞ!」
マリウスはポリポリと鼻の頭を指先で掻きながら言った。
「秘密です。まだやりますか?」
「当たり前だ! やられっぱなしじゃこの商売やってられないんだよ!」
ケリーがマリウスに剣を構えた。
バーニーとソフィーがケリーの傍らに付き、アデルがエルマの前で盾を構えた。
エレノアがケリー達の後ろで、魔力を高めていくのが分かる。
クレメンスが、後ろに控えていた騎士団の兵士達に指示をしようとするのを、マリウスが手で制した。
「あなた達お止めなさい!」
エルマがケリー達の前に立った。
夫の敵であるフェンリルを見て、動揺してしまって動けなかったエルマは、この儘ではこの村に居られなくなると思い、ケリー達を止めに入った。
「あんたは黙っててくれ。これはうちらの面子の問題だ。それにフェンリルを連れた小僧なんか放っておける訳ないだろう!」
「しかしそれでは……」
「僕は別に構いませんけど」
マリウスの声でエルマが振り向いた。
「大丈夫、殺したりしませんから。でも村が壊れると嫌だから外でやりませんか」
「良いね、それ! あんたと私のタイマンかい」
「いえ、みなさん一緒で良いですよ。僕もハティと戦います」
マリウスはそう言うとハティに跨った。
ハティが地を蹴って空に舞い上がり、西に向かって駆けて行く。
「舐めるなよ小僧、みんな行くぞ!」
『白い鴉』の五人が西門に向かって走る。イエルとレオン、クレメンスと騎士達も慌ててマリウスの後を追った。
「どうするエレっち、僕らも行く?」
エレーネはヴァネッサに首を振った。
二か月振りに逢うマリウスは、あの時の少年とは全く違っていた。
エレーネはマリウスの戦いを観たいと思った。
「ケリーさんが始めた事だから、私達は見物させて貰いましょう」
エレーネはヴァネッサとベアトリスに笑ってそう答えた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
西門の外の荒野でハティに乗ったマリウスと『白い鴉』の五人が対峙している。
柵の内側で騎士団の兵士や村人達が、マリウスの戦いが始まるのを、固唾を呑んで見守っていた。
移住してきた新しい村人達も、何が始まるのか気になって、柵の後ろで恐る恐る観戦していた。
エルマはおろおろしながら周囲を見回した。
村に到着早々、自分の護衛とマリウスが衝突してしまう事態に狼狽してしまっている。
指揮官らしい大柄な虎獣人の男が、出て行こうとする騎士達を引き留めて、腕を組んでマリウスとケリー達を観戦している。
エルマは虎獣人の男に声を掛けた。
「あなた達は執政官様の騎士団では無いのですか、執政官様をお守りしなくて良いのですか?」
クルトは笑ってエルマに答えた。
「我らが出てはマリウス様の戦いの足手纏いになってしまいます」
エルマは驚いてクルトに尋ねた。
「執政官様はそれ程御強いのですか?」
「マリウス様は昨日もあなたの御子息とドラゴンを打ち破りました。大丈夫、マリウス様が殺さないと言ったのなら、誰も殺さずにけりを付けられます」
「えっ、ステファンがあの子に敗れたのですか?」
エルマが驚いて門の外に立つマリウスを見た。
どう見てもただの子供にしか見えないマリウスが、竜騎士のステファンに勝った等信じられなかった。
兔獣人の少女やオレンジの髪の小さな女の子、人族の少年や羊獣人や猫獣人の少女と云った、10代位の若者達がパタパタと連れ立って駆けて来ると、柵に張り付いた。
「良かったまだ始まってない!」
「今日は若様の戦いが見られるわ!」
「相手の人達結構強そうよ!」
「若様なら瞬殺だよ!」
「うわっ。あのおばさんの剣でっかい!」
少年少女たちは、全くマリウスが負ける事等考えていない様だ。
エルマは改めて門の外でケリー達と対峙する、フェンリルに跨った少年を見た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「騎士団が来ているじゃねえか。今からでも助っ人を呼んで良いぜ」
ケリーが西門の前に整列したクルト達を見て、マリウスに言った。
「うーんおばさん達結構強そうだけど、クルト達を呼ぶほどじゃないかな」
「誰がおばさんよ! 私未だ29よ!」
エレノアがマリウスに怒鳴った。
「充分おばさんじゃねえか。痛てっ!」
ぼそっと失礼な事を言うアデルの尻を、エレノアが蹴飛ばした。
「お前ら真面目にやれ! 見た目に騙されんなよ、此奴は見た目通りのタダのガキじゃねえぜ。それに向こうにゃフェンリルもいるんだ!」
ケリーが全員に怒鳴る。
「しょうがないわね、お姉さん手加減してあげないわよ!」
エレノアが特級火魔法“インフェルノフレーム”を放つと同時にケリー、バーニー、ソフィーが駆け出し、アデルがエレノアのガードに付く。
ハティに跨ったマリウスが、炎の柱に包まれた。
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