僕とアイツの辺境開拓

山羽輪

第一章 女神の福音

 1-1   辺境の少年


 体が熱い、喉が苦しい、頭が痛い。


「母様、苦しい……」


「マリウスちゃん、死なないで! 」

 先程から、金髪の女性が体を抱きしめて、揺すっている。

 

 母様…… 母様?


 俺の母親が何故金髪の若い女性なのか?


「マリウスちゃん、しっかりして! 」


 豪奢な金髪の美しい女性が、青い瞳に涙を浮かべながら、俺の体を揺すっている。

 

 そうだった、僕の名はマリウス・フォン・アースバルト。


 辺境の街、エールハウゼンを治める、アースバルト子爵家の長男だ。

 ん? 子爵家、なんだ子爵って?

 

 俺は広島の田舎の農家の次男坊で、地元の大学を出て、地元のメーカーに就職したエンジニア……。

 

 一体誰の記憶だろう?


 福音の日を前にして、アースバルト子爵家の嫡男マリウスは、今死の床で不思議な夢を見ていた。

 

 マリウスは朦朧とした意識の中で、絶対に自分が見た事のない景色を思い出しながら、何かとても懐かしい気持を感じていた。


 そう、俺はここではない世界で生きて、そして死んだ。俺の名前は……

 マリウスは薄れていく意識の中で、自分の知らない人生を追体験していた。




 瞼に感じる日の光の暖かさで、マリウスは眼を開けた。


 朝。


  自分は生きているのか?

 マリウスはそっと頭を持ち上げて、あたりに視線を向けた。


 自分の胸元あたりに、ふさふさした金色の巻き毛が見えた。

 マリウスはそれが、自分を一晩じゅう看病しながら、疲れて眠ってしまった母のマリアだとすぐに理解した。

 

「マリウス様、目覚められましたか? 」


 突然声を掛けられてそちらを向く。


 奥の椅子に座っていた白髪の老人が慌てて立ち上がると、ベッドの傍らに来て、マリウスの顔を覗き込んだ。

 

 この老人は確か、子爵家のお抱え医術師のヤーコプ、アドバンスドクラスの医術師……

 

 医術師? 医術師ってなんだ? 医者? 内科医? 外科医? 看護師……

 頭の中がひどく混乱している。

 

 知らない筈なのに、知っている単語が、頭の中に次々と湧き上がる。

 頭痛に顔をしかめたマリウスの額に手を当てたヤーコプが、驚きの声を上げる。 


「おおっ! 熱が下がっておられる、信じられない、奇跡だ!」

 

 ヤーコプの声で目覚めたマリアは、慌てて身を起こすと、ヤーコプを押しのけてマリウスの顔を覗き込んだ。


「マリウスちゃん大丈夫なの? ああ! 女神様、感謝します!」

 そう言ってマリウスの頭を胸に抱きしめた。

 

 押し除けられたヤーコプは、そのまま立ち上がって、急ぎ足で部屋を出て行った。


 マリウスはマリアの胸の暖かさと柔らかさを顔に感じながら、何故か少し赤面した。

 

「母様、苦しいです」


 小さな声で呟く。


「あっ! 御免なさい。でも本当に大丈夫なの?」


 マリアは、マリウスを放して顔を覗き込んだ。


 いつもの優しい母の顔を見上げながら、マリウスは自分の中のもう一人の自分が、マリアの若さと美しさに驚いているのが伝わってくるのを感じていた。


 マリアは、自分の前髪を掻き揚げると、マリウスに顔を近づけて、自分の額をマリウスの額にくっ付けた。


 マリアの青い瞳と、長い睫毛、そして甘い息が顔にかかるのを感じながら、マリウスは何故かドキドキして、自分が更に赤面するのを感じていた 。

 

(いや、近い! て言うか、なんで僕こんなにドキドキしてる? 落ち着け!)

 マリウスの焦りをよそに、マリアは額を離して言った。


「本当に熱が下がってる! 良かった!」

 

 涙ぐみながら、再びマリウスをガバッと胸に抱きしめる。


(うわっ! 当たってる! て言うかめっちゃ柔らかい。って、俺何を考えてる!)


 マリウスは、自分が何かひどく場違いなところに迷い込んでしまった様な、奇妙な感覚を感じながら、マリアに抱かれるままにしていた。

 

 ドアの外に、騒々しい足音が近づいて來る。

 ドアの前で止まると、荒々しく開け放たれた。


「本当にマリウスが目を覚ましたのか!?」


 息を切らしながら、大声を上げて入ってきたのはこの家の当主、クラウス・フォン・アースバルト子爵であった。


  〇 〇 〇 〇 〇 〇         

 

 馬車に揺られながら、覗き窓から外の景色をボンヤリと眺めていた。


 冬の赤茶色の山の上に、先日の雪がまだ残っている様だ。

 街を囲む柵の向こう、山の中腹まで段々畑が階段の様に続いている。

 

 人の姿も見える。畑に数人の大人たちに混ざって、子供達の姿も見えた。

 麦踏みの手伝いであろうか。キャッキャと笑う声が聞こえてくる。


 よく晴れた冬の朝は、空気が澄んでいて、遠くの山々を見渡すことができた。


 反対側の覗き窓に目を向けると、遥か遠くに大スタンレー山脈の山並みが、絵葉書の写真のように広がっているのが見える。


 絵葉書? 絵葉書ってなんだっけ?

 ここはライン=アルト王国の東の果て、辺境の街エールハウゼンである。

 

 俺の故郷の景色に似ている……?


 いや、故郷って、僕はこの辺境の街、エールハウゼンに生まれて、一度もここを出たことはない。


 自分の故郷はここしかない筈だ。

 しかしマリウスは、確かに自分の中に、もう一つの故郷の記憶、もう一人の自分の記憶が頭の中に流れ込んでくるのを感じていた。

 

 二ホンという国の、ヒロシマという州の、山間部の田舎の、農家の次男坊に生まれた。


 子供のころ畑で遊んでいて、爺さんに怒られた事。


 中学生の時、友達と家のトラクターをこっそり動かしたのがばれて、親父にぶん殴られた事。


 都会に出たかったが、お袋に泣かれてやむなく地元の、大学の工学部に入学し、そのまま地元のメーカーにエンジニアとして就職した事。


 初めてできた彼女とは、卒業と同時に別れた。

 

 知らない筈の人達の、懐かしい顔を次々思い出す。


 そして最後の記憶は、工場の中に入った時、自分の後ろで物凄い音がして、振り返ったら眩しい光に包まれて、そこでぷっつり途絶えていた…

 

「マリウスの熱が下がって良かった。危うく、教会の福音を受けられない処だった」


 父、クラウスは中々のイケメンだった。

 金色の髪を短めに刈って、精悍な雰囲気を纏っている。


「福音どころじゃないわ、あのままもう、目を覚まさなかったらどうしようって、心配で心臓が止まりそうだったわ」


 馬車の対面に座っている父と母が、安堵した笑顔で話しかけてくる。

 

 そう、僕はマリウス。

 子爵家の長男で今日は7歳の誕生日、福音の儀の日だ。


 自分の中に、確かにマリウスとして暮らしてきた記憶がある、そう思い込もうとしながら、しかしどんどん頭の中に疑問が湧き上がってくる。

 

 自分はこんな風に、物事を考えられる子供だったか?

 今考えているのは本当に自分だろうか?


 そして確かに自分の中にある、別の自分の記憶……。


「どうしたマリウス? まだ体調が優れないのか?」


「マリウスちゃん?!」


 ハッと我に返ると、両親が心配そうに自分を覗き込んでいるのに気が付いた


「いえ、大丈夫、問題ありません。福音の事を考えていたら、緊張してしまったようです」


 マリウスは慌ててその場を取り繕った。

 

「もう、マリウスちゃんったら。心配させないでよ。マリウスちゃんなら絶対大丈夫よ」


「そうだともマリウス。仮につまらんギフトを与えられたとしても、ジョブチェンジを受けられるよう、既に教会に手配してある。アースバルト子爵家の嫡男として恥ずかしくないギフトは、必ず得られることになる」

 クラウスはそう言って胸をそらした。


「あら、ギフトなんてなんでもいいのよ、マリウスちゃんさえ健康に育ってくれれば、そうでしょうあなた」


「お前はそう言うが、マリウスが我が家の嫡男で、下には妹のシャルロットしかおらん。公爵家からおかしな横槍を入れられるかもしれん」

 

 グランベール公爵家はこの国最大の貴族にして、我アースバルト家の寄り親に当たる。


 このエールハウゼンの北方の、広大な穀倉地帯を支配し、東方のエルドニア帝国と隣接している。


 国境に構えるエール要塞は、王国最大の防衛拠点であり、グランベール公爵は代々その守りを王家より一任されていた。

 

 有事の際には、このアースバルト家も公爵家の寄子として、兵を率いて参陣しなければならない。


 しかし11年前の大戦を最後に、二国間で停戦協定が結ばれ、現在に至るまで表立った衝突は起こっていなかった。

 

 エルドニア帝国の南には、ドラゴンが棲むという大スタンレー山脈があり、その裾野から南に向けて広大な森林地帯が広がっている。


 人が決して踏み込むことのできない、魔境と呼ばれるその土地と、このエールハウゼンは東の領境で接している。

 

 そしてエールハウゼンの南には、強力な騎士団を有する辺境伯家の領地があり、魔境の探索と防衛を担っている。

 

 このエールハウゼンは二つの大貴族と、魔境に囲まれる様に位置している、人口4万人程のアースバルト子爵領の領府であった。

 

 アースバルト子爵家はこの町と、その周辺の村を含む一郡を代々支配している。

 マリウスは、マリウスとしての記憶を頭の中で確認しながら、父に向き直った。


「色々と心配をお掛けして、申し訳ございません」

 

「まあ、なーにマリウスちゃん。そんな大人みたいな言い方をして」


「その通りだマリウス。お前はアースバルト家の嫡男として、堂々としておればよいのだ」

 

 父は自分の福音の儀のために、王都からわざわざ一等司祭を呼び寄せているらしい。


 福音のギフトは誰にとっても一度しかないが、唯一例外がある。


 一等以上の司祭には実はギフトを与えられるスキルを有している。

 与えられるギフトは一番下のビギナーとその上のミドルのみ。

 

 むろんタダではない、ビギナーのギフトで5000万ゼニー、ミドルのギフトで2億ゼニーと言われている。


 5000万ゼニーといえば王都に一軒家が買える値段であり、2億ゼニーとなればまあまあの一般市民の生涯年収に匹敵する金額である。

 

 また、司祭からギフトを受けるという事は、ギフト二つ持つ、という事になる。

 得な様にも聞こえるが、実際にはメリットは少ない。


 二つのジョブに経験値が半々に振り分けられるため、成長が遅く、却ってマイナスになることも多い。

 

 無論平民の中にそんな選択をする者はめったに居ないが、体面を重んじる貴族にとっては、別である。


 仮に自分の嫡男のギフトが、ビギナーの農民や漁師では、自分の家の将来も絶たれたも同然である。

 最早廃嫡、追放も止むを得なしと成る。


 そのため貴族の家では、自分の子供の福音の日が近づくと、金策に走り回ることとなる。


 教会は善意の寄付を戴いているだけ等と宣っているが、この福音の儀が、教会の権力と資金力の源であることは疑う余地がない。


 父の言葉に、ハイと答えながら、マリウスは再び馬車の外の景色に目を向けるのだった。

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