6―44  彷徨える将軍


「ああ、一週間前にロランドに入っているはずだ」


 エルザが答えるとケリーが笑って言った。


「Aランク『オルトスの躯』のジオが率いている、あたしよりは弱いが、真面目で頼りになるやつだ」


 自分より弱いと言いながら、頼りになると言うケリーにエルザが苦笑すると、クラウスを見た。


「クラウスは明日エールハウゼンに引き上げるのか?」


「その事ですが、いかが致しましょう? もう暫く帰国を伸ばしましょうか?」


「いや、それには及ぶまい。エルシャ達の動きも気になる。エールで戦が起きるようなら改めて出兵を頼むかもしれんが、取り敢えず国元に帰るが良い」


「それではマリウスに命じて、“念話”のアイテムを幾つか作らせて置いて行く事にしましょう。何かあればすぐに報せが届きます」


 クラウスの言葉にエルザが驚いて聞き返す。

「“念話”とはなんだ? また面白そうなものをマリウスが作ったのか?」


「遠く離れた相手と心の中で会話できる魔道具の様な物です。ここベルツブルグとエールハウゼンやゴート村位なら問題なくやり取りできるようです」


「あたしも一つ、若様から貰ってるぜ」

 ケリーがドヤ顔で、自分の耳に付けたクリップ式のイヤリングを指差した。


「成程、一体どうやってマリウスがゴート村と連絡を取って解毒薬を運ばせたのか不思議であったが、そう云う事か」


 納得するエルザにクラウスが頷く。


「このアーティファクトは、武具などとは違った意味で、戦や色々な事を変えてしまう程の物だと思います」


「確かに。何百キロも離れた者同士が、会話で情報を共有できるなら今までの常識が全て変わってしまうかもしれんな」


 エルザはさすがに“念話”のアイテムの価値に直ぐ気付いた様だった。


「二つ作るのに特級魔物の魔石1個か上級魔物の魔石5個必要になると申しておりましたので、量産と言う訳にはいかぬようですが、指揮官クラスや要職の者に持たせることが出来れば、色々な使い道が考えられます」


「ふふ、やはり世界の成り立ちを変えてしまう力だな」


 エルザは改めてマリウスの姿を見つめながら呟いた。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「マウアー将軍! 何故あのような仕事を引き受けたのです。市民や医術師を標的にするなど、誇り高い騎士のやる事ではありません!」


 魔術師部隊長ドリス・リーゼンが元エールマイヤー公爵騎士団将軍ハインツ・マウアーの私室のドアを突然開けると、怒鳴りながら入って来た。


「リーゼン隊長! ノックも無しに将軍閣下の部屋に入るとは無礼であろう! 分をわきまえよ!」


 副官のニクラウスがハインツの前に立ってドリスを睨む!


「これは雇い主からの依頼だ。我らに断る権利はない。貴公も承知している筈だ!」


「たとえ雇われの傭兵に成り下がろうが、騎士の誇りまで捨てた覚えはない! 将軍! 私達は公爵家騎士団の栄光を取り戻すために戦っているのではないのですか?」


 必死に訴えるドリスにハインツが溜息を付きながら諭す様に答えた。


「ドリス。最早公爵騎士団の栄光など何処にもない。サイアス様は我等を切り捨てられて、宰相に降った。我らは主を失って教皇国に拾われた野良犬にすぎん。気に入らなければここを去れば良い。誰も止めはせん」


 部屋の隅でドリスを無言で見つめていたアサシン部隊長のロナルド・ベックマンが無言で肩を竦める。


 今回の襲撃の実行を担当したのは彼の部隊だった。


 彼等エールマイヤー公爵騎士団の残党1000人は、教皇国に逃れた後、教皇国派のバーデン伯爵の協力で再び王国に戻り、ハインツは精鋭80名を率いて密かに王都に潜入していた。


 貴族街の中にあるバーデン伯爵の屋敷に潜伏し、教会の指示で動いていた。


 ドリスは暫くハインツたちを睨んでいたが唇を噛みしめると荒々しく部屋を出て行った。


「放っておいて宜しいのですか?」

 ニクラウスがハインツを振り返って問うた。


 ハインツは肩を竦めて首を振った。


「良い。ドリスはまだ若い。無理に我らに付き合う必要は無い」


「ドリスは一度も実戦に出た事がないからな。戦などに誇りもクソも無い。相手の弱いところから崩して行くだけだ」


 長い黒髪を背中で一つに括ったロナルドは、感情を乗せない声で静かに言った。


「すまんなロナルド。お前の部隊にばかり負担をかけて。次の作戦は私も出る」


「次の指示が出たのですか?」

 ニクラウスがハインツを見る。


「ああ、薬師ギルドの新しい製薬工場と、クライン男爵邸だ。クライン男爵邸は御前に任すロナルド」


「はっ! クライン男爵はロンメルの片腕。ぜひとも私にその仕事お任せ下さい」

 ロナルドが頷くと話を続けた。


「男爵には腕利きの冒険者と、例の東の公爵家の三人組のユニークが護衛に就いている様だ。やれるか?」


「ふふふ。まともにぶつかっても勝ち目はないでしょうが、弱いところを突く。それだけです」


 口元に笑みを浮かべるロナウドとは対照的に緊張した面持ちのニクラウスがハインツに言った。


「製薬工場は第6騎士団と魔術師団の精鋭が守備している筈。将軍自ら向かわれるのは危険ではありませんか?」


「ふふ、レーン高原では戦わずに敗れたからな。戦のやり直しだな」


 レーン高原は西の公爵の領境の高原で、二か月前王都騎士団と、エールマイヤー公爵騎士団が対峙した戦場であった。


 初戦で小競り合いがあったが、結局ハインツは公爵家を継いだサイアスの命で兵を引かされる事になった。


「碌に戦わずに敗軍の将になったまま終わらずに済んだことを、儂は教皇国に感謝している。死んだ戦友に手向けを送る機会を与えてくれたのだからな」


 ハインツはニクラウスにそう言って静かにに笑った。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


「私ドラゴンを見たの、初めてよ! こんなに大きな体で空を飛ぶんだ!」


 エレンが興奮した様子でバルバロスを見上げた。


「バルはアークドラゴン。それも赤竜という珍しい種族なのさ。もう800年生きているそうだ」


 ステファンが笑いながらエレンに言った。


「バルっていう名前なの?」


「バルバロスが本当の名前だよ」

 マリウスがエレンに説明する。


「バルバロス。強そうな名前ね。あなたが付けたの?」


「いや。父上が付けた名前だ」


 物怖じしないエレンに少し面喰いながらも、ステファンが答えるとマリウスがステファンに尋ねた。


「どういう意味があるの?」


「ふふ、『赤髭』という意味らしい」


 確かに赤いドラゴンには鼻に二本の丈夫そうな髭が生えていた。


「そうなの? それを聞くと、あんまり強そうじゃないわね」


 エレンががっかりしたように言うと後ろから声が掛かった。


「ふふ。バルバロスとは古代、この大陸の半分を焼き払ったと云う凶悪なドラゴンの名前だ。エンシェント・ドラゴンに倒されて南の大陸に封じられたと聞く」


 振り返るとエルザとクラウス、ケリーが立っていた。


「そうなんですか?」


「エルフに伝わる伝説だ。本当かどうかは知らん」

 エルザが笑って答えた。


「それはちょっと怖すぎね。『赤髭』の方が良いかも」


 エレンがそう呟いて、もう一度バルバロスを見上げるが、バルバロスは興味無さそうにそっぽを向いた。


 倒れていた人たちが目を覚まし始めていた。衣服が破れてしまっているので、騎士団の兵士達が布をかけてあげている。


 皆何故自分が倒れていたのか分からないかのように周りをキョロキョロしているが、体は問題ない様だった。


 マリウスが周囲を見回してから、ふとクラウスに尋ねた。


「父上、クルトたちはどうしました?」


「ああ、クルトは逃げた女魔術師を追って行った」


「エンゲルハイト将軍も賊を一人追って行きましたね。多分南門の方に向かったと思います」


「先日取り逃がしたユニークらしい男だろう、その二人が首謀者のようだな」


「その二人で最後でしょうか?」


 マリウスの問いにエルザが頷く。


「恐らくな。かなりの被害が出たが、お前の御蔭でベルツブルグを守ることが出来たよ」


 そう言いながらもエルザの表情は苦かった。

 親衛隊の兵士達が時々エルザに被害を報告している。


 庶民街を中心に50人以上の死者が出たようだった。焼け落ちた家屋も100を超える。

 決して小さな被害ではなかった。


「出来ればシルヴィーを捕えたかったが、その二人は絶対に逃がさん」


 エルザがそう言って南門の方を見たその時、南門の方角から爆音と火柱が上がるのが見えた。


 マリウスはすぐに“念話”でクルトを呼んだ。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽


 ブルーノは南の城門の物見櫓から市内を見下ろしていた。

 城門に近い下町に“魔物憑き”に変わってしまった者が大量に発生し、街を破壊しているらしい。


 彼方此方で火災が発生し、煙が立ち上っていた。

 直ぐに街に駆け付けたかったが、城門の守備を放り出すわけにはいかない。


 ブルーノは歯噛みしながら南門から街の喧騒を見つめていた。

 南門は、今は閉じられている。数百人の人々が門の前で列になって入城を待っていたが、戦闘が始まると同時に兵に命じて閉めさせた。


 次第に混乱が治まって来たのか、火災も消火が進んでいるようで、今は数か所で煙がくすぶっている位だった。


 下町の広場の辺りに突然巨大な石の壁がせり上がるのが、南門の櫓から良く見えた。どうやら広場をぐるりと取り囲んだらしい。


 思わず身を乗り出して覗き込むブルーノに、後ろから兵士が叫び声を上げた。


「隊長! ドラゴンです!」


 ブルーノが振り返ると巨大な赤竜が目の前に迫っていた。


「ば、馬鹿な。何故ドラゴンが!」


 城壁の上の兵士達が慌てて弓を構えるが、矢が届くような高度ではない。

 ドラゴンはあっという間に彼らの頭上を通り過ぎていくと、広場の石壁の上で旋回している。


「援軍なのか?」


 辺境伯家との同盟の話が進んでいることはブルーノも聞いている。


 あの赤竜は辺境伯の騎竜なのだろうかと考えていると、広場の東、此の門の正面辺りで突然特級魔法の火柱が立て続けに上がった。


 恐らくここから2キロ程しか離れていない。


「30騎門の前に集めておけ! 私が指揮を執る!」


 ブルーノは櫓から降りる階段を下りながら兵士に命じた。



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