5―33  商業ギルド


 村長の娘が“魔物憑き”なった原因は日記には書かれていなかった。


 誤って『禁忌薬』を飲んでしまったのか、それとも魔境の魔物に取り付かれたのか、そもそも当時の村で『禁忌薬』が完成していたのか、記録には何も記されていない様だった。


 そんな薬が何の為に作られたのかも良く解らないが、国法に照らし合わせると『禁忌薬』の製造は間違いなく大罪にあたるそうだ。

 120年前に薬師ギルドは、この秘密の隠れ里で犯罪行為になる研究をしていたようだった。


 マリウスは分かった事を文でクラウスに報告した。


 現在この村に拠点を作るための人員と日程を、レオンが検討中だが、工事の前にエルマに“浄化”を行ってもらい、レニャには水脈調査と廃村周辺の地質調査をして貰う事にした。


 事情を話すとエルマは快諾してくれた。明日マリウスと一緒に廃村に向かう事になった。

 同行するのはケリー達五人とエリナで、ベアトリスとヴァネッサは、教会の留守番をするそうだ。


 迎えの馬車を朝向かわせるとエルマに告げると、マリウスはハティと教会を出た。

 

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 屋敷に戻ると荷物を背負ったレニャが待っていた。


「レニャ。準備はいいかい?」


「はい、何時でも出られます」


 普段レニャと一緒に鉱脈探査や地質調査に同行している『夢見る角ウサギ』の三人と、ニナから借りたFランクパーティー『アルゴーの光』の五人は、“魔物除け”の杭500本と当座のレニャや薬師、オルテガ達の食料や建設資材を積み込んだ三台の一頭立ての小型の荷馬車を連れて、朝早くから先発させている。


 屋敷からクルトとノルン、エリーゼが出て来た。


「マリウス様。我々も同行します」


「いや、クルト達は明日には出立しないといけないから今回は良いよ。こっちはオルテガ達がいるから問題ないよ」


 クルト達の部隊は、明日から特別な任務を頼んであった。

 マリウスのベルツブルグ行に関してダブレットのガルシアと打ち合わせをし、更に経路を確認しながら王都に向かって、王都にいるマリウスの祖父アストリスに、秋にマリウス達が上京する為の準備を依頼する使者に立ってもらう。


 その後ベルツブルグに移動して、向こうでマリウスを出迎える様になる。

 例の簡易『奇跡の水』製造器である樽もクルト達が運ぶ、

 恐らく今回の廃村に関する、クラウスの報告を宰相ロンメルに届ける使者も兼ねる事になるだろう。


 クルトにはマリウスからロンメルへの贈り物も届けて貰う。

 エルザから頼まれたそうで、宰相ロンメルが最も暗殺される危険があるそうなの で、マリウスに護身用のアイテムを作って欲しいとクラウスから依頼された物だった。


 クルト達は明日エールハウゼンに入って、クラウスと打ち合わせ、明後日ガルシアのいるダブレットに入る予定だった。


 クルト、ノルン、エリーゼ、エフレム達元第6騎士団出身の四人の獣人兵士、ダニエルとケントの9人が、初めて領外の仕事をする事になる。

 エリーゼとノルンも緊張気味だが張り切っている様だ。


 マリウスはクルト達に気を付けてと言うと、レニャとハティに跨って空に舞い上がった。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ほう、辺境の魔女殿が自ら歩み寄ってきましたか」


「ああ、魔女殿も最早孤立していられる時ではないと気付かれた様だな」

 エルザが口元に笑みを浮かべてロンメルに答えた。王城の、ロンメルの執務室である。


「西の公爵家が失脚した今、東の公爵家と辺境伯家が手を結べば、教皇国にとってはこれ程の脅威は在りませんからね。魔女殿は一番効果的なタイミングを探っておられた様だ」

 ロンメルも頷いて言った。


「マリウスの存在も大きいな。やはり魔女殿も一目であの子の力に気付いた様だな」


 西の公爵家が沈み、東の公爵家と辺境伯家がマリウスの仲介で手を結ぶ。

 完全にライン=アルト王国内での親クレスト教皇国派と、反クレスト教皇国派の勢力図が逆転する事になる。


「『奇跡の水』に加えてカサンドラが開発した新薬の件もあります、教会はこのままいけば戦わずにマリウス殿に膝を屈する事になるでしょうね」


 最早マリウスの存在が教会と教皇国にとって、最大の障害になりつつあることを、マリウスは自覚しているのだろうかとエルザは可笑しくなる。

 あの少年はそんな事を歯牙にもかけず、ただ魔境を見据えている。


 ロンメルはゴート村に大規模な製薬拠点を作らせるだけでなく、新生薬師ギルドをゴート村に移してマリウスに任せようとしている様だった。


 辺境の地が何れこの国の中心になるかもしれない。エルザは確信めいた予感に心が躍った。


「モーゼル将軍の配下の第6騎士団と獣人地下組織が、工事中の浄水場を破壊しようとしたクレスト教皇国の先兵たちの計画を阻止しました。捕えたのは小物ばかりでしたが」

 ロンメルが楽しそうに言った。


「この王都にウイルマー・モーゼルの目の届かない場所等ないだろうからな」

 エルザも頷くが、気になっている事を尋ねた。


「レオニード・ホーネッカーの行方は分かったのか?」


「いえ、ルチアナさんが必死に捜索させていますが、全く手掛かりがありません。恐らく襲ったのはシルヴィー・ナミュールと思われますが、正直グラマスのレオニ

ードに、取り返す程の価値があるとは考えていませんでしたね」


 元薬師ギルドグランドマスター、レオニード・ホーネッカーは、数日前に監禁されていた自宅を襲撃されて賊に奪われていた。

 警備にあたっていた魔術師団の精鋭15人のうち12人が殺され、重体の3人の証言で襲撃したのが恐らくシルヴィー・ナミュールだと推察された。


「何か未だ秘密を隠していたのかもしれんな」

 エルザが眉を顰めて呟く。


「あちらも必死のようですね、元老院議長のシュタイン侯爵と大蔵卿のブレドウ伯爵が、辺境伯家とグランベール公爵家が、魔石の供給を止めて不当に値を吊り上げていると、王家に訴えてきました。両家に強制的に魔石を供出させろと息巻いています」


「商業ギルドは何と言っている?」


 エルザが問うとロンメルが笑って答えた。

「グランドマスターのヘルムート・クルーゲは静観の構えですね、彼らの利益は魔石の販売だけではありませんから、両家との関係を壊してまで、シュタイン侯達に肩入れする気はなさそうです。」


 商業ギルド王都本部のグランドマスター、ヘルムート・クルーゲは実質的に国内の流通を全て押さえている。

 彼の権力は並の貴族を凌いでおり、商業ギルドは数少ない中立勢力の代表であった。


「商業ギルドが中立でいる間は放っておいてよかろう。辺境伯家との同盟が成れば改めて彼らと相談して決めよう」


 エルザはそう答えてから、ふと思い出したようにロンメルに言った。

「そう言えばフリデリケ・クルーゲはどうしている。商業ギルドに戻ったのか?」


 フリデリケ・クルーゲはヘルムート・クルーゲの娘で、商業ギルドから薬師ギルドに出向し、次席理事として営業と流通を統括していた。


「ええ、彼女は例の騒動の少し前に薬師ギルドを退所して、商業ギルドの方に戻られましたよ。彼女の事をご存じですか?」


「いや、クルーゲ女史は貴族学園の同窓だが、彼方は学園一の才媛。私はご覧の通りの武闘派の体育会系だったので、接点はないな。挨拶を交わした程度だが」


 自分の事を武闘派と笑いながら思い出を語るエルザに、ロンメルが微笑んで頷くと言った。


「時期的に彼女が今回の陰謀に加担した疑いはないので簡単な事情聴取程度しか行いませんでしたよ、最も彼女がいれば薬師ギルドも、あのような愚かな騒動を起こす事も無かったと思いますが」


「或いは商業ギルドが薬師ギルドを見限っていたという事かもしれんな」


 エルザの言葉にロンメルも頷く。

「薬師ギルドに彼女が残っていれば、彼女を中心に薬師ギルドを立て直す事も考えたのですが、結果的にカサンドラ・フェザーを据えた事が良い方に転がりました」


 カサンドラがマリウスの元で新薬を完成させたことが、今後の教会との駆け引きの上で、ロンメルに圧倒的に有利な切り札となるであろう。


 ロンメルもクレスト教会をこの国から排除してしまう気は無かった。そうなれば教皇国と開戦も避けられなくなる。


 今教皇国とルフラン公国が、旧大国エルベール皇国と交戦状態にある間は、三国の間に同盟関係が続いている。


 教皇国がこの国に侵攻できない間に、国内の教会勢力を出来るだけ弱体化させて、教皇国が簡単に王国に侵攻できない状況を作ることがロンメルの狙いであった。


 エルザが頷くと、話題を変えた。

「帝国の動向は何かわかったか?」


「三個騎士団三万程が西に移動しているようですが、それ以外は解りません」


「国境を越えて来るには少ないな。やはり此方の勢力と呼応して、何か仕掛けて来るつもりか」

 エルザが眉を顰めて言った。


「恐らくは。エール要塞の守りは問題在りませんか?」


「ああ、ロランドに駐留していたメルケル・ビルシュタイン将軍が五千の兵を率いて入っている。北部の街に徴兵を掛けているので更に二万は集まるだろう。将軍の部隊は最初に送られてきた、マリウスの付与付きの武具を装備している」


 鉄壁のエール要塞は十万の敵にも充分耐えるだけの備えがある。

 11年前の大戦では、帝国は二十万の大軍で攻め込んできたが、結局マティアス・シュナイダーの参戦で敗北を期していた。


「三日後にエルヴィンとベルツブルグに引き上げる。その時にモーゼル将軍の配下の、獣人地下組織の幹部を連れて帰れば良いのだな。」


「ええ、帝国にいるレジスタンスとの繋ぎ役です、彼方からの使者も五月の頭にはベルツブルグに入ります」


 エルザが頷くとロンメルが言った。

「彼らとマリウス殿を合わせる事が、今後の展開の上で最も重要な転機になると思われます」


「解っている。帝国の動きを封じ、その間に教会勢力を一掃する。そう云う事だな」


 ロンメルが頷いた。

「やはり勝敗の鍵を握るのはマリウス殿になりそうですな。エルザ様もくれぐれもお気をつけてお帰り下さい。モーゼル将軍とルチアナさんの配下の者に、陰から警護させますが」


「ふふ、いっそ『皆殺しのシルヴィー』が動いてくれれば、返り討ちにしてやるのだがな」


 エルザがそう言って不敵に笑った。



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