5―32 禁忌薬
マリウスは改めて、ウムドレビの実とカサンドラを交互に見た。
カサンドラが完成させた新薬の事は、宰相ロンメルにも報告済みであった。
既にクラウスとロンメルの間で、ゴート村で『奇跡の水』を使ったポーションを大量生産する話が合意に達していた。
其の為マリウスはレオンに命じて工房区の空きに、現在の製薬工房の五倍ほどの広さの製薬工場の建設を命じていた。
ロンメルからは増産の為に、選抜した錬金術師を送ると言う知らせが届いている。
マリウスの方からは、王都に“消毒”、“浄化”、“滋養強壮”、“治癒”を付与した樽を十樽送る事になった。
ロンメルはマリウスの『奇跡の水』を製造する為の付与術式の組み合わせも、正確に把握していた。勿論ベアトリス達の報告からであるが、マリウスは知らない。
ロンメルは王家の付与魔術師達を使って、『奇跡の水』を製造する試みを行ったらしいが、上手くいかなかったらしく、結局付与付きの樽を送ると云う話になった訳である。
取り敢えずこの簡易『奇跡の水』製造器とも言える樽を使って、王都でもロンメルによって厳しく審査されたミドルの錬金術師達を中心とした薬師達で、従来の方法でポーションを製薬させる予定であった。
これ以上薬師ギルドが休止状態では社会不安が起きるという判断からで、『奇跡の水』を使ったポーションの効果が従来の倍以上であることは、カサンドラ達によって証明されている。
ロンメルの構想は『奇跡の水』で作ったポーションを従来の五分の一位の価格で、商業ギルドや医術師ギルドに卸す予定だそうだ。
値段が随分安いが、それでも十分な利益が出る価格らしい。単に以前のポーションがぼったくり価格だっただけである。
六月をめどに、ゴート村から東部の公爵領や辺境伯領、南部の地域の商業ギルドや医術師ギルドに、王都からは王都とその周辺、北部や西部に出荷を始める予定で計画が進められている。
カサンドラの開発した新薬に関してはゴート村でのみ生産し、製法は秘密厳守するようにロンメルから指示が来ていた。
カサンドラとティアナ達助手の錬金術師の警護体制の強化も指示されているので、マリウス的には嫌な予感がしている。
効能の高いポーションが出来た事を単純に喜んでいたが、もしかすると村に新たな火種を抱え込んだのかもしれない。
新薬がどのように流通されるかなどは未だ何も決まっていなかった。
『奇跡の水』に関しても、やはり今建設中の浄水場だけでは王都民総てに充分行き渡るのは無理の様で、その為現在王都の飲料水を供給している井戸や給水施設にも、マリウスの付与魔術を使えないか検討しているらしい。
下水道や下水の処理施設等、新たに工事も始まっている様で、やはり十年以上は続く国を挙げての大事業になるらしい。
マリウスにしてみると、別に奇跡の水の製法を秘密にする心算も無く、王家に全て公開すると公言もしているので、彼方で作れるならその方が良かったが、この調子だと秋の王都訪問は、過密な仕事のスケジュールで塗りつぶされそうな嫌な雲行きであった。
王都だけでなく、公爵領府ベルツブルグでも浄水場の建設が決定したと報せがあった。辺境伯家と同盟が結ばれれば、恐らくアンヘルにも浄水場が作られる事になるらしい。
ロンメルは反教皇国派の貴族の領地に優先的に『奇跡の水』を広げて行く事で、親教皇国派貴族の結束を切り崩す為の、政治の道具として使う心算の様だった。
まあ主家のグランベール家も父親のクラウスもロンメルを支持しているので、マリウスに拒否権は無い。
『奇跡の水』に関するトラブルに困り果てて、国王に全部丸投げした結果であるし、元を正せば『奇跡の水』その物がマリウスのやらかしの産物なので致し方ない。
人々の役に立っているのがせめてもの救いであるが、『奇跡の水』が原因で危うく内乱が起こり掛けた事を思えば、ひたすら反省するしかない。
問題はクレスト教会とのポーションの取引が今後どうなるかだが、それはロンメル、或いは国王が決める事で、マリウス達は未だ何も聞かされていなかった。
マリウスは改めてカサンドラに尋ねた。
「それでそのウムドレビの実で何ができるのですか? やはりエリクサーを作れるのですか?」
カサンドラは血の気の引いた顔で首を横に振った。
「ウムドレビの実単体では何も出来ません。しいて言えば大量に摂取すれば毒になるようです」
「毒ですか? ここで薬師ギルドは毒の研究をしていたのですか?」
「そうではありません、ウムドレビの実の効果は一種の媒介です。人と云うか生物が、様々な異質の性質を取り込むことが出来る様に、体内の組成を改変する効果があります」
良く解らないがカサンドラの話を黙って聞く。
「資料によると、この村にいた者達は、ウムドレビの実を原料に二つの霊薬の研究をしていたようです」
「二つの霊薬ですか? 一つはやはりエリクサーですね?」
マリウスの言葉に、カサンドラが頷いた。
「此処に有る資料によると、ウムドレビから抽出された成分と、生命の根源、ハオマの木に生る実、ガオケレナを掛け合わせることでエリクサーが作れるとあります」
「ここでエリクサーを作っていたのですか?」
マリウスの問いにカサンドラは首を振った。
「エリクサーの製造に関する記録はありません。ここはウムドレビの実から成分を抽出して、他の研究所に送る為の施設だったようです」
「薬師ギルドにはエリクサーを作る研究所があるのですか?」
「わかりません。製薬所や研究室は王国各地に在りますが、前にも言ったようにギルドの薬師が、既存のポーション以外の薬を製造するのは禁止されていた筈です。ガオケレナも本当に実在しているのか、我々は聞いたことがありません」
「しかしここで原料となるウムドレビの実が精製されていたという事は、少なくとも120年前には何処かにあったという事なのでしょう。それでもう一つの目的と云うのは何ですか?」
マリウスの問いにカサンドラがおびえた様に、言葉を発するのを躊躇したが、マリウスに見つめられて止む無く口を開いた。
「失われた『禁忌薬』の研究です」
「『禁忌薬』、ですか?」
どうもカサンドラと三人の錬金術師たちが、ひどく怯えているのは、この『禁忌薬』という物が関係ある様だ。
「エリクサーも『禁忌薬』も古代、ハイエルフの錬金術師によって作られた秘薬です。どうやらこの当時の薬師ギルドの幹部かグランドマスターが、ハイエルフの秘法を蘇らせようとしたようです。『禁忌薬』と云うのは古代のハイエルフの時代に、製造を禁止にされた忌まわしい薬であると言われています」
「それは一体どの様な薬ですか?」
カサンドラは震える声で答えた。
「魔物の力を人に取り込む薬です」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「マリウス様、此方には何を植えるのですか?」
「スイカを植えるよ、夏はやっぱりスイカが食べたいな」
マリウスはそう言うとトーマスやリナ達が作った畝に指で穴を開けながら、スイカの種を二粒ずつ植えると、上から土を被せていった。
屋敷の庭に作った畑にはトマーテ、キュウリ、ナス、ピーマンと言った夏野菜が植えられている。
トマーテは種から植えるのは難しいそうで、無難にクラークに苗を送って貰って植えていた。
ユリアとメイド達が如雨露で水を撒いている。
最初にノルンとエリーゼと一緒に種芋を植えたカトフェ芋ももう芽が出ていた。
二人はフライドカトフェ芋が大好きなので、暇があると畑に様子を見に来ていた。
ずっと忙しい日が続いているが、リナと約束した畑作りだけはマリウスも忘れていなかった。
「今日も森の奥の村に行かれるのですか?」
ウムドレビの村から帰って来た翌朝である
「うん、先に司祭様に用があるので学校に行くけどその後レニャと一緒に出掛けるよ。多分一度戻って来ると思うけど、お昼は向こうで食べるよ」
エルマは先日からマリウスの要請で、教師として週に三コマ学校で授業を受け持って貰っていた。
獣人移住者の子供も学校に通う様になり生徒が更に増えていたので、ダメ元でエルマに先生を頼んでみたら快く引き受けてくれた。
古い国の王女だったエルマは教養があり、大陸の歴史や祭祀などの行事に詳しく、ホランド先生も一目置いていた。
子供達にも人気があり、エルマの授業は受講者も多かった。
ユリアが傍に来て大きな包みをマリウスに渡した。
「レニャちゃん達のおやつです。チーズケーキを焼いておきました」
マリウスが昨夜頼んでおいたものである。
「ありがとう、女の子が多いから差し入れはやっぱりスイーツが一番良いみたいなんだ」
「マリウス様、そういう処はお優しいですね」
気のせいかリナの言葉に少し棘がある様な。
ユリアもジト目でマリウスを見ている。
マリウスは気が付かない振りをして、ハティを連れて屋敷を出ると、とりあえずエルマに会いに学校に向かった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「“浄化”ですか?」
エルマがマリウスに聞き返した。
「はい、場所は120年位前に滅んだ小さな廃村です。どうも“魔物憑き”になった村長の娘が原因の様で、“浄化”が必要だと思いまして」
マリウスは学校にいるエルマを尋ねていた。
クルト達とカサンドラも昨日廃村を引き上げ、廃村にはオルテガ達とアドバンスドの薬師ティアナとゲルトが残っている。
マリウスはこの廃村を魔境進出の中継の拠点にすることを決め、同時に、此処にも薬師工房を作る事を決めた。
正直ちょっと気持ち悪いと思わなくもないが、ウムドレビを放っておく事も出来ないので止むを得ない。
カサンドラから聞かされた『禁止薬』の話はかなり不快な物だった。
ウムドレビの実から抽出した成分と、特定の魔物から抽出した成分を掛け合わせて作られる『禁忌薬』とは、はっきり言えば人を“魔物憑”きに変える薬だった。
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