5―31  薬師ギルドの闇


 赤茶色の実は彼方此方に幾つも落ちていた。

 マリウスが“結界”をゆっくりと30メートル程広げると、ウムドレビが“結界”に押されてずるずると後ろに下がって行った。


 倒れて沼地を転がりながら、ウムドレビが離れたのを確認すると、マリウスはハティから降りた。


 ティアナもマリウスの後に続いてハティから降りる。

 マリウスが頷くと、ティアナが地面に転がる赤い実に手を翳した。


 “素材鑑定”スキルを発動しているらしい。

 やがてティアナが顔を上げると、手袋をした手で器用に実を一つ摘み上げて上げてマリウスに見せながら、緊張した顔で言った。


「大丈夫です、実に毒はありません、“素材鑑定”の結果は『ウムドレビの実』と出ています」


 マリウスは頷くとポケットからガラスの瓶を取り出した。ティアナと二人でウムドレビの実を拾い集める。


 伝説の霊薬の素材はあっという間に小さな瓶に一杯になった。


 ウムドレビの実は今まで嗅いだことの無い、甘いとても良い匂いがした。この臭いに誘われて傍に寄って来た動物や魔物を、毒の花粉で殺して捕食する魔物らしい。


 マリウスは瓶をポケットに仕舞うとティアナと再びハ

 ウムドレビはいつの間にか立ち上がって、また“結界”の周りで蠢いていた。


 マリウスが“結界”を縮小し、ハティが一気に空に駆け上がって、クルト達の元に戻った。


「マリウス様! 大丈夫ですか」

 エリーゼとノルンがマリウスに駆け寄って来た。


「大丈夫、“結界”があるから毒は効かないよ」

 マリウスはそう言いながら振り返ってウムドレビを見た。


 ウムドレビはマリウスを追ってはこない様だった。沼地の傍からは離れる様子は無かった。


「沼地からは離れられないようだね。念の為明日、沼地をクレメンス達に“魔物除け”の杭で広く囲う様に言っておいて」

 マリウスがクルトに言った。


「了解しました、魔物は狩らなくて良いのですね?」


「取り敢えずこのままで良いよ。父上に報告して、どうするか決めて貰おう」

 上級魔物だそうだが、ウムドレビ自体は動きが鈍く、離れて魔法で焼き払えば簡単に駆除できそうだった。


 伝説の霊薬の元だと言うのなら、多分最終的に宰相ロンメルに判断を仰ぐ事になるだろう。

 マリウスは取り敢えず廃村に引き上げる事にした

 

  〇 〇 〇 〇 〇 〇


「薬師ギルドが120年前に我が領内に秘密の村を作っていたとだと? エリアス・ベーカーは何と言っている?」


 クラウスがホルスに尋ねると、ホルスは首を横に振った。

「知らない、の一点張りで御座います。今騎士団の者が薬師ギルド支部の捜索を行っておりますが、何せ120年前の事であれば、記録もあるかどうか怪しいですな」


 エリアスは薬師ギルドエールハウゼン支部のギルマスだったが、教会に泣きついて『奇跡の水騒動』の発端になった人物で、事件以降捕えられて騎士団に拘束されていた。


 陰謀には直接加担していないようなので、釈放しても良いかと思っていた処、マリウスからの秘密の廃村の報告が入り、再度取調べが行われていた。


「まあ、若様からの報せによると、王都本部の理事の一人だった、カサンドラ・フェザーですら寝耳に水の話だった様ですから、エリアスのような小物が知らなくても不思議は無いのですが」


 ホルスの言葉にクラウスが眉を顰める。

 いかに120年前の事とはいえ、自分の領内に秘密の村を作られていたと云うのは、薄気味悪く不快な話だった。


 正確に言えば東の森の奥、魔境寄りの土地は、アースバルト領の外になる様だが、村の建設も含めて当時の薬師ギルドエールハウゼン支部が全く無関係だったとは考え難い。


「それにしてもウムドレビで御座いますか? そのような物は御伽話と思っておりましたが、これもやはり若様の、女神の加護の力でしょうか?」

 ジークフリートが感心したように呟く。


「未だそれが良い事か、悪い事か判断がつかぬわ。薬師ギルドの連中が何をしていたかも未だ判っておらん。マリウスから詳細な報せが来るのを待つしかあるまい」


 やっと『奇跡の水騒動』の後始末が大体終った処だが、現在エールハウゼンでは冒険者ギルドは閉鎖状態、薬師ギルドも休止中になっている。


 宰相ロンメルから、ゴート村に新たに大規模な製薬拠点を作ってポーションノ大量生産をする要請を受けていたが、話が纏まりかけた処でカサンドラが新薬の開発に成功した為、それも織り込んだ新たな計画案にようやく合意した処で、また薬師ギルド絡みの新たな問題発覚である。


 いずれにしてもアースバルト家で秘密にするには問題が大きすぎる。クラウスは溜息を付きながら、騒動以来十数通目になる宰相ロンメルへの報告を書き始めた。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 前薬師ギルド王都本部グランドマスター、レオニード・ホーネッカーは現在、自宅謹慎処分という名の軟禁状態になっている。


 エールマイヤー公爵の病死という名の粛清を知らされた直後、魔術師団の兵士に捕えられ、屋敷に押し込められた。


 現在も魔術師団の精鋭15人が、王都の貴族街の外れにあるレオニードの屋敷の門を閉ざし、屋敷を取り囲んで警護という名の監視状態の中にいる。


 連日の魔術師団の取り調べで、げっそりとやつれたレオニードは、窓を閉ざした暗い自室でぐったりと椅子に体を預けて酒を呷っていた。


 家の者は、妻子も使用人も全て退去している。王都の中級貴族の出の妻は、子供達を連れてさっさと実家に帰ってしまった。

 なぜこんな事になったのか、レオニードは濁った思考で考えていた。

 

 ずっと西の公爵に命じられる儘に働いてきた。 ギルドの秘蔵品の倉庫から見つけた、大量の薬材と研究記録を元に、ハイエルフの霊薬の研究も密かに人を配して続けていた。


 忌まわしい秘薬の研究は、国法に触れる大罪であったが、それでも西の公爵はレオニードに研究の継続を命じ、そして遂に二年前それを完成させた。


 秘薬の事はクレスト教会にも内密にするように西の公爵から命じられていた。恐らく西の公爵は教皇国がこの国に侵攻した時、自分が有利な立場で教皇国に迎えられるように、秘薬を交渉の切り札にする気だったようだ。

 

 西の公爵に付き従ってきたお陰で、レオニードも莫大な富と貴族並の権力を手に入れる事ができた。 

 それをたった一夜で全て失った。

 全ての始まりは、辺境の小さな子爵家の息子が治める小さな村だった。


 『奇跡の水』


 ふざけた名前のただの水が、全てを変えてしまった。

 ポーションの売り上げが激減し、教会と西の公爵に泣きついたら陰謀に巻き込まれ、公爵は死に自分も捕えられて自宅に監禁されている。


 レオニードは濁った頭で考えていた。


 そう『奇跡の水』。


 その名を最初に告げたのはあの女だった。あの女がレオニード達に告げたのだ、辺境に現れた『奇跡の水』が総てのポーションを駆逐してしまうと。

『奇跡の水』を手に入れる事ができなければ薬師ギルドは必ず滅亡すると。


 あの女。しかしレオニードはその女の事をどうしても思い出せなかった。

 レオニードはもう一度頭を振って考えるが、頭の中に浮かんだ疑問はもう霧の様に消えていた。


 魔術師団の追及は苛烈だった。


 公爵家への金の流れや、教会との密約、秘密裏の研究の内容や、過去密かに行った実験まで、徹底的に追及されている。


 宰相ロンメルと魔術師団長ルチアナ・キースリングは、明らかにこの事件よりずっと以前から、自分と西の公爵の事を調べていたと思われる。


 何とか誤魔化そうと試みてきたが、そろそろ限界だった。

 全て喋ってしまったら、その後は恐らく自分も消されてしまうだろうとレオニードは思った。


 突然表で人の叫び声と争う音が聞こえてきた。屋敷の中をドタバタと走り回る足音が聞こえる。

 レオニードが立ち上がりかけた時、ドアが開いて灯りが差し込んだ。


 冷たい瞳で自分を見下ろす、背の高い金髪の美しい女が立っていた。


「だ、誰だ? 俺をどうする心算だ……」


「レオニード・ホーネッカー、答えろ。お前は西の公爵の遺産の在りかを知っているな」


「西の公爵の遺産……それはまさか……?」


「そう、『禁忌薬』だ」


 手に持った血塗られた細剣をレオニードの首元に突き付けながら、金髪の女、シルヴィー・ナミュールが言った。


  ★ ★ ★ ★ ★ ★


「ひっつ!」 


 マリウスが手渡そうと、取り出したウムドレビの実が入った瓶を見て、カサンドラは小さく悲鳴を上げて後退った。


 廃村の製薬所跡である。カサンドラと三人のアドバンスドの錬金術師、マリウスとクルト、オルテガ、ノルンとエリーゼだけで、他の物達には外に出て貰っている。


 マリウスは眉を顰めながら、カサンドラを見た。


「毒は無いようですよ。これがウムドレビの実じゃないんですか?」


「奇跡の水、マンドラゴラ、アークドラゴンの鱗に続いて今度は伝説のウムドレビの実……一体マリウス様は我らに何を御望みで……?」

 カサンドラが声を震わせながら、マリウスを見た。


 うーん、この間ちょっと悪乗りしてふざけたのが悪い方に出ている様だ。

 マリウスはことさら真面目な顔を作って、カサンドラと三人の錬金術師に告げた。


「取り敢えずこのウムドレビの実を使ってどんな薬が作れるのか、当時の薬師ギルドは何故王国やアースバルト家に秘密にしてこの村を作ったのか、何をしようとしていたのか知りたいだけです。話は全て父上を通じて宰相様に報告しますので正直に答えて下さい。これはウムドレビの実ですか?」


 カサンドラは震える手で瓶を受け取ると机の上に置いて蓋を開けた。

 アドバンスドの三人の錬金術師が、緊張した面持ちでカサンドラの周りに集まって来る。


 金属製の箸を取り出して、瓶の中から実を一つ摘みだすと、机の上に広げた薬紙の上に置いた。ティアナが“ライト”を灯すと、カサンドラがまず“素材鑑定”を発動した。


 顔を上げたカサンドラがティアナに頷くと、拡大鏡を取り出して赤い実を見ながら、傍らに広げた資料と見比べている。

 やがてカサンドラは顔を上げると、マリウスに向かって言った。


「間違無いようです、これはウムドレビの実です」






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