5―50  闇に潜むもの


 マリウスはフランツとエミールに視線を戻すと、二人にきっぱりと答えた。


「ギルドマスターの任命権は私ではなくグランドマスターのカサンドラに在りますが、王都ギルドのギルマスに関しては暫く空席になる予定です」


「そ、それは何故でございますか?!」


 気色ばむフランツに、マリウスが努めて感情を表さない様に言った。


「宰相閣下の命です。旧薬師ギルドが王都近くのエールマイヤー公爵の飛び領にあった秘密の製薬所で、国法に触れる『禁忌薬』の製造を行っていた事が発覚致しました。王都の旧薬師ギルド幹部は全員王都騎士団の取り調べを受ける事になるでしょう。潔白が証明されるまでは王都の薬師ギルドは、これまで通り宰相閣下の預りとなります」


 マリウスの言葉に、フランツが蒼白になる。

 宰相ロンメルから、『禁忌薬』の解毒薬の開発が急がれる理由も詳しく文には書かれていた。


「それは濡れ衣で御座います。前グラマスのレオニード・ホーネッカーが勝手にやった事。我らは一切関与しておりません」


「それはこれから明らかにされるでしょう。何れにしても潔白が証明される迄は新薬の製法に関しても明かす事は出来ません」

 きっぱりと告げるマリウスに、フランツが縋る様に詰め寄る。


「それでは王都の薬師はどうなります?!」


「王都の薬師はこれまで通り、宰相閣下の預りになります。従来通りの製法のポーションの生産は既に始まっているので問題はないでしょう」


 フランツががっくりと膝を落した。

 マリウスが送った簡易『奇跡の水』製造器である樽を使って、王都でもポーションの製造を始めている筈だった。


 フランツははっきり言えば、ロンメルから新生薬師ギルドから除外された人間であり、現在ギルド員ですらない。

 クライン男爵がマリウスに済まなそうな顔をしている。


「それでは新薬をマリウス様の裁量で我らの教会に融通して頂く事は出来ませんか?」


 それまで後ろで話を聞いていたエミールが前に出ると、にやけた顔のまま本題に触れて来た。

 恐らくフランツはダメモトで、エミールの本来の目的は此方なのだろう。


「新薬の販売に関しても宰相様が取り仕切る事になっているので、私に決定権はありません。宰相様と交渉してください」


 クレスト教会は、薬師ギルドから安価に提供されるポージョンと回復魔法を使って、病人から高額の治療費を毟り取って来た。


 教会としては何とか昔通りの利権を取り戻したいが、宰相ロンメルと交渉するという事は、反教皇国派の筆頭であるロンメルに膝を屈する事になる。

 それが出来ない教会としては、何とかマリウスと直接取引したいらしい。


「しかし真・クレスト教教会とは取引されているのでは?」


「いえ、そんな事実はありません。何度も言いますが、私には新薬の販売に関する権利はありません」


 半分ウソである。

 真・クレスト教会との取引はマリウスの裁量で、要望があればある程度行っても良い事になっている。


 恐らく辺境伯家とグランベール公爵家の同盟の為の配慮だろが、今のところエルマや辺境伯家から新薬の取引に関する要請はない。


 本当は子爵領内だけでもポーションや、新薬を普及させたかったのだが、それは少し待ってくれとロンメルに止められている。


「此の儘では非常に不味い事態に為りますが」

 それまでのにやけた顔が消えて、エミールのオーラが急速に膨れ上がる。


 ハティが立ち上がり、マリウスとエミールの間に立った。

 ハティの圧倒的な魔力に気圧されるエミールに、マリウスが言った。


「薬師ギルドの秘密の製薬所が襲われて、薬師達が殺されて大量の『禁忌薬』が持ち去られたそうですが」


「それが何か?」

 エミールがハティから目を反らさずに答えた。


「いえ、ただ賊の目論見は全て無駄になるでしょう」


「それは何故ですか」


「僕が総て無効にするからです」

 マリウスがエミールの目を見ながら言い放った。


 一瞬エミールの顔に怒気が浮かぶが、すぐににやけた顔に戻った。


「マリウス殿は大層な力をお持ちのようですが、どうも我らの事を誤解されているようですね。此方に責があるので止むを得ませんが、教皇国の者も皆同じ考えというわけではありません」


「そうですか」

 マリウスが肩を竦めた。


「お話はその辺りにして、ささやかな酒宴を用意しておりますのでそちらにどうぞ」

 イエルが割って入り、マリウス達は部屋を広間に変えて、クライン男爵を歓迎する宴に移行した。


  ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ 


 第6騎士団250と野獣騎士団50、魔術師団150の連合軍の後に続いてクルト達もベルツブルグに入った。


 古い都ベルツブルグは広大な田園地帯に囲まれた南北8キロ、東西12キロの楕円形の城塞都市だった。


 城壁の高さは20メートルを越え、城壁の上には兵士達が配置されて街の外を監視している。

 城門では長蛇の列ができていた。


「大分厳しく、取り締まっているみたいですね」

ノルンが列を見ながら言った。


「エンゲルハイト将軍が既に到着している筈だから、街に入る者を厳しくチェックしているのだろう」

 クルトが馬上で頷く。


 軍勢はエンゲルハイト将軍の兵に導かれてすんなりと中に入る事が出来た。


「クルト、よく来てくれた。儂が御屋形様より、クラウス殿とマリウス殿の供応役を仰せ付かっておる故、貴公らは我が館にこられよ」


城門の前で待っていたガルシアがクルト達を満面の笑みで迎えてくれた。

城に向かう第6師団達と別れて、クルト達はガルシアの館に向かう事になった。


「うーん館って言うか、もうお城ね」

 堀に囲まれた、石造りの三棟が連なるガルシアの館を見てエリーゼが唸った。


「ハハハ、儂の兵の屯所も兼ねておるので、これでも狭い位じゃよ」

 ガルシアの軍は1200人だが、リーベンに300、ダブレットに400の兵を駐屯させ、500を率いてベルツブルグの館に入っている。

 クルト達はガルシアに連れられて館に入って行った。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「あのような者達を連れてきて申し訳ありません」

 クライン男爵がマリウスに頭を下げる。


 結局フランツとエミールは、マリウスから良い返事がもらえないのを知ると、用があると言ってさっさと帰ってしまった。


 一応マルコが監視を付けたが、真っ直ぐ村を出てエールハウゼンに向かったようだった。


 クライン男爵は魔物肉と卵、チーズをふんだんに使ったユリアの料理に大いに満足し、今はチーズの盛り合わせと魔物肉の燻製を摘みに、ゴート村産のワインを楽しんでいる。


「王都から付いて来たのですか?」


「いえ、フランツは先にエールハウゼンに乗り込んで私を待っていたようです。昨夜聖騎士殿と一緒に私の宿にやって来て、どうしても一緒に連れて行ってくれと懇願され、止む無く同道しました」


 マリウスは明後日ベルツブルグに立つ前にエルシャと会う事になっているが、その前にマリウスの事を探りたかったのだろうか。


 マリウスはゴート村に来る者に対して別に規制は掛けていないが、エルシャの処の聖騎士が乗り込んで来たのは初めてだった。


「カサンドラは、あのフランツという男の事を知っているの?」

 マリウスはテーブルの隅にいるカサンドラに話を振ってみた。


 カサンドラは柳眉を吊り上げてマリウスに答えた。


「あの男が薬師ギルドを腐らせた元凶です。前グラマスのレオニード・ホーネッカーが西の公爵の傀儡で、筆頭理事のあのフランツが長年クレスト教会と癒着していた結果、薬師ギルドはあのような腐敗した組織になり果てたのです。マリウス様があの男を退けて下さったのは御英断でございます」


 カサンドラはかなりフランツの事を嫌っている様だが、クライン男爵も頷いているのでその通りなのかもしれない。


 マリウスはふと気になってカサンドラとクライン男爵に尋ねた。

「薬師ギルドの理事は確か三人だったよね? もう一人の理事の人は?」


 何気なく尋ねたマリウスの言葉に、カサンドラがあっけに取られた様に突然固ま

ってしまった。


「? どうかしたの、カサンドラ?」


「あっ。いえ、薬師ギルドの次席理事は……」


「薬師ギルドの次席理事はフレデリケ・クルーゲ女史ですが、彼女は騒動の少し前、2月末に薬師ギルドを退所する届を出していますので、空席になっていました」


 突然カサンドラが立ち上がって声を上げた。

「そうです。フレデリケ様です! でも、どうして……?」


 筆頭理事のフランツは呼び捨てなのに、次席理事のフレデリケの事は様なのかと思いながら、マリウスが立ち上がったカサンドラを訝し気に見る。


「どうかしたの? カサンドラ?」

 カサンドラが呆けた様にマリウスを見た。


「あっ、いえ。どうしたのでしょう? 今名前を聞くまで私はフレデリケ様の事を忘れていました……」


「忘れていた? 確か去年あなたを理事に推薦されたのは、クルーゲ女史でしたよ」

 クライン男爵が不思議そうにカサンドラに言った。


「え、ええ、そうです。私はフレデリケ様の推薦で、直ぐに製薬部門のトップになったのです。でも何故私は……?」

 マリウスとクライン男爵が顔を見合わせる。


「フレデリケ様と最後に御会いしたのは確か2月の理事会でした。そう、思い出しました。この村の『奇跡の水』の話題を理事会で最初に出したのはフレデリケ様でした」


「フレデリケ女史は何と?」


 クライン男爵がカサンドラを見る。こんな目をするのだとマリウスが驚くほど鋭い目だった。


「辺境の村に現れた『奇跡の水』が総てのポーションを駆逐すると、『奇跡の水』を手に入れる事が出来なければ薬師ギルドは滅亡するだろうとだけ……そう、あの時は誰もフレデリケ様が何を言っているのか分からなかったのですが、その後すぐにエールハウゼン支部から『奇跡の水』の話がもたらされたのです」


「成程、それでその話をしたフレデリケ女史は、それから数日後には薬師ギルドを退所したという事ですか」


「どういう事なのですか?」

 マリウスがクライン男爵に尋ねた。


「詳しい事は私も専門ではないので分かりませんが、今のカサンドラさんの反応はどうも精神操作系の魔法をかけられていたようですね。恐らくは“記憶操作”と多分“思考誘導”の魔法で、何方も幻術士の得意な魔法です」

 クライン男爵は腕を組んで考えながらマリウスに答えた。


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