5―49 国王の使者
「お久ぶりですねフレデリケさん」
「はい、宰相様も御健勝の様で何よりで御座います」
フレデリケ・クルーゲがロンメルに優雅に挨拶をした。
青味をおびた黒髪を背中に束ねたフレデリケは、シンプルだが仕立ての良いワンピースのドレスに、上品な絹のジャケットを羽織っていた。
ロンメルが彼女にソファーを進めると、自分も彼女の体面に座った。
「実は今日お呼びしたのは他でもありません。商業ギルドでポーションを引き取って頂きたいのです。数は七万本です、値段は正規の金額の十分の一で結構です」
「十分の一ですか? 成程『奇跡の水』が王都に持ち込まれれば無価値になる代物ですね。猶予は半年ですか」
フレデリケが微笑んでロンメルに答えた。
「いえ猶予は一月です、一月で王都を中心に出来るだけ広い範囲に売り捌いて頂きたい。一か月後には新薬を卸します。これはそれまでの繋ぎです」
「噂はきいておりますわ、宰相様が『奇跡の水』を使ってポーションを作らせるという御話ですね。もう始められたのですか?」
「ええ、昨日から製造が始まっています。ゴート村の方では既に一月前から初めて貰っています」
「ふふ、今王都では大騒ぎですよ。薬師ギルドがゴート村に本拠を移すそうですね。魔道具師ギルドまでゴート村に移るとか。商業ギルドでもゴート村に支部を作る話が出ていますが、宰相様に御許可を頂いた方が宜しいのでしょうか」
嫣然と微笑むフレデリケにロンメルが首を振った。
「それはアースバルト子爵と御自由に交渉して下さい。商業ギルドが支部を作って頂く方が、流通がスムーズになるので好都合でしょうが」
「噂ではゴート村にいるカサンドラさんが、更に効能の高い新薬を完成させたとか?」
フレデリケが口元に笑みを浮かべたまま、探る様にロンメルに話を振った。
「さすがに御耳が早いですね。新薬に関しては未だ販売するつもりはありません。当面は王家で保有し、一部を医術師ギルドに卸す心算です」
「医術師ギルドですか?」
フレデリケが意外そうにロンメルに問い返した。
「ええ、医術師ギルドは今まで西の公爵家とクレスト教会に圧力を掛けられて、薬師ギルドにも相手にされず細々と活動していましたが、良い機会ですのでこれからは彼らを支援し、王国にしっかりとした医療体制を整えたいと考えています。勿論通常のポーションも卸しますが、新薬が彼らの活動を後押ししてくれるでしょう」
「ふふ、とても素晴らしいお考えですが、そうなると教会と揉める事になるのではありませんか?」
探る様にロンメルを見るフレデリケに、ロンメルが微笑んで答えた。
「これは国王陛下の御意志です。教会が口を挟む筋合いではありません。要望があれば彼等にも商業ギルドと同じ価格で通常のポーションを卸すつもりです。これからは真っ当な商売をして頂きたいですね」
「噂では真・クレスト教会には新薬を提供するとか?」
「今のところその様な予定はありませんよ」
ロンメルはそう言いながら、自分を見つめるフレデリケの視線に気付いた。
「如何かしましたかフレデリケさん?」
「ああ、いえなんでもありません。ポーションの事は了承しました。新しいポーションについては改めて値段や数の事を御話させて頂きますわ」
そう言って立ち上がったフレデリケが、ふとロンメルの首元に掛る、ヤクの意匠の銀細工のペンダントに視線を止めた。
「素敵なペンダントですね」
「ああ、これは私が今一番注目している者からの贈り物ですよ」
「マジックアイテムのようですね、もしかして噂の辺境の少年からですか?」
ロンメルが頷いて言った。
「分かりますか。あなたも何かお持ちのようですね」
「何故わかるのです?」
フレデリケが驚いた様にロンメルに問い返した。
「私の“索敵”にあなたの姿が映っていません。探知妨害系のアイテムをお持ちのようだ」
「ええまあ、仕事柄色々と敵が多いものですから。成程“索敵”のアイテムですか」
「ふふ、敵が多いのはお互い様です。まだまだやり残したことが沢山ありますので、こんなところで死ぬわけにはまいりません。あなたも気を付けて下さい」
「ええ。宰相様もお気を付けて」
フレデリケは宰相に一礼すると宰相の執務室を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王城の回廊を歩くフリデリケは妖しい目で一人呟いた。
「“索敵”だけではなさそうね。魔法防御系、それも常時発動型、宰相は私の術を弾き返した事にすら気が付いていない。常時発動でそれ程の力、やはりウルカ様が仰せられた通り、かの少年こそ女神の使徒に間違いないわね」
そう呟くフレデリケの瞳は、真っ赤な血の色をしていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
二日後にゴート村を発つ予定のマリウスの元に、ホルスが王都の客人を連れてやってきた。
王室からの特使、ガリオン・フォン・クライン男爵は二人の男を従えて、柔和の笑顔を浮かべてマリウスの館の客間でマリウス達と対峙した。
マリウスは既に特使の要件と宰相ロンメルからの手紙を、クラウスからの早馬で受け取っていたので、イエルとレオン、クレメンスとカサンドラと共にクライン男爵を迎えた。
部屋の隅にマルコと20人の騎士が正装で控えている。
「お初にお目にかかります、マリウス・アースバルト殿。私は宰相ロンメル様の筆頭補佐官で、この度の国王陛下の特使に選ばれたガリオン・クラインと申します」
「王都から態々のお越しご苦労様です。私がマリウス・アースバルトです。ご用件は承っております。薬師ギルドの件ですね」
クライン男爵は笑顔で頷くと、懐から丸められた書類を取り出した。
カサンドラを薬師ギルドのグランドマスターに承認する国王の辞令と、薬師ギルド本部をゴート村に移す許可書をカサンドラに差し出した。
カサンドラも今日は髪に櫛を入れ、地味だが上品な仕立てのドレスに、腰までの白衣風の上着を羽織っている。首には薬師の銀の鎖のペンダントを掛け、左手の薬 指には銀の指輪を嵌めている。元々美人なので良く似合っていた。
カサンドラが震える手で辞令を受け取ると、クライン男爵はマリウスに向き直り懐から一通の書類を取り出した。
「マリウス殿に国王陛下からの親書を預かっております」
マリウスは国王の親書等、生まれて初めて受け取るが、予めイエル達に教わった通りクライン男爵の前で跪いて、捧げる様に親書を受け取った。
マリウスは一歩下がってから蝋封を開いて、中の親書を取り出した。
『我が姪の婿殿へ
秋に会えるのを楽しみにしている。
カール』
えーと、これだけ?
今更だが、エルザが国王の妹なので、マリウスはエルザの娘エレンの許嫁になるから、国王の姪の婿になるという事だった。
マリウスは親書を封筒に戻し、懐に仕舞うとクライン男爵に礼をして言った。
「確かに承ってございます。国王陛下と宰相様に良しなにお伝えください」
クライン男爵は頷くと、用意してあった小さな文机の上にギルド移転に関する合意書を二枚取り出して置いた。
ギルドの運営に関する指示は宰相の手紙に細かく書かれていた。
ポーションの量産を急がせ、新薬の生産も出来るだけ進める事。クレスト教会との取引はロンメルが王都で行うので直接取引はしない事、ウムドレビの事は極秘にする事、ただし『禁忌薬』についての研究は続けて、最速で解毒薬の開発をする事等、細々とした指示が書かれていた。
合意書の内容についても文に書かれていた。
基本的には薬師ギルドの全権はマリウスに委譲し、マリウスがグランドマスターの指名権と旧薬師ギルドの特権の殆どを引き継ぎ、マリウスが指名して国王の承認を受けたグラマス(カサンドラ)が、各支部のギルドマスターの指名権や、ポーションの価格を決める権利、ギルド員の報酬を決める権利を持つらしい。
マリウスは初めての国の正式書類にサインしてクライン男爵に渡すと、クライン男爵もサインをし、一枚をマリウスに渡して、もう一枚を畳んで懐に仕舞った。
これで薬師ギルド本部のゴート村移転に関する一切の手続きは終わったらしい。
クライン男爵が合意書を懐に仕舞ったのが合図の様に、男爵の後ろに控えていた二人の男がマリウス達の前に出た。
背の高い白い軍服風の正装をした、口元ににやけた笑みを浮かべた若い男と、派手な正装の、小太りの鼻の下に髭を生やした大柄な中年男がマリウスの前で礼をする。
小太りの男を見てカサンドラが眉を顰めるのをマリウスは見逃さなかった。
「マリウス殿、此方は旧薬師ギルドの理事の一人、フランツ・ハーン殿と、エルシャ・パラディ司祭様の聖騎士エミール・ロベール殿で御座います、どうしてもマリウス殿にお会いしたいというのでお連れ致しました」
クライン男爵も別に二人に肩入れしている様子はなく、断れなくてやむを得ず同行したという感じだった。
「突然押し掛けた御無礼をお許しください。私はレア錬金術師にして、旧薬師ギルド筆頭理事フランツ・ハーンと申します。どうしてもマリウス様にお願い致したき事があって御無礼ながら罷り越した次第でございます」
「僕に願い事ですか? いったいどんなお話でしょう?」
マリウスはフランツではなく隣に立つエミールに、少し警戒しながらフランツに問い返した。
エミールから発するオーラが、明らかに彼がかなり高ランクの実力者だと感じたからだ。
傍らに寝そべっていたハティも目を開いてエミールを見つめている。
フランツが一歩前に出てマリウスに言った。
「どうかこの私を王都の薬師ギルドのギルドマスターに任命して頂きたいので御座います。筆頭理事であった私は、王都の錬金術師達の信任も厚く、またクレスト教会からも支持を受けておりますれば、私以上の適任者は居ないと思います。更に新薬の製法を私に明かして頂きたいのでございます。ポーションの製法を知るのはギルドに所属する錬金術師の権利でございますれば、出来れば製薬所をお見せいただきたい」
「私からもお願いいたします。我らクレスト教会及び神聖クレスト教皇国はハーン氏を全面的に支援しております。彼以上に王都のギルドマスターにふさわし人物はいないと、ラウム枢機卿猊下も仰せられておりますれば、何卒お考え頂きたい」
マリウスはちらりとカサンドラを見たが、カサンドラは眉を顰めて目を反らした。
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