7―54  野球


「誤解しないでくれ。病人を優先的に開放しただけで、別に奴隷たちを虐待している訳ではないし、食事もちゃんと与えている」


 ロマニエフの守備隊長アンドレイが、数日で砦化された廃村を見回しながら、エルヴィーラに向かって言い訳がましく言った。


 エルヴィーラは唇を噛みしめてアンドレイを睨むが、何も言わず後ろのエゴールたちを見る。


「間違いない。530名確かに確認した」


 マラートがエルヴィーラに頷く。


 囚人たちが兵士たちに支えられながら村の中に入って行くのを見届けて、エルヴィーラが兵士に向かって馬上から合図すると、後ろ手を縛られた捕虜たちが放たれた。


 捕虜たちが、村の入り口に整列した守備隊の軍勢に向かって駆けていく。


「平民の徴兵たちは見捨てるのか。つくづく帝国とはろくでもない国だな」


 エルヴィーラが蔑むような眼でアンドレイを見ると、アンドレイが怒りを噛み殺しながら言い返す。


「我らは皇帝の命に従うだけだ。良い気になるなよ、エルヴィーラ准将! 何れ必ず帝都の騎士団がバシリエフを奪還する!」


 捨て台詞を残すと、帝国軍は捕虜を連れてロマニエフへと引き上げて行った。


 去って行く敵兵を見送ると、エルヴィーラは振り返って努めて明るく言った。


「歩けるものは取り敢えず拠点まで一緒に連れていく。歩けない者は馬車と荷車を持ってくるので暫くここで休んでいてくれ」


 エルヴィーラはそう言うと、改めてやせ衰えた囚人たちを見た。

 恐らく肺を患っているのか、息が苦しそうで嫌な咳をしている者が多い。


「ポーションと医術師の手配をしなければ……」


 エルヴィーラはそう呟くと伝令を呼んだ。

 

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 エールのビルシュタイン将軍から、無事にロマニエフの囚人530名を取り戻したと連絡があった。


 ただ殆ど全員が肺病を患っており、直ぐに出立出来ないらしい。


 やはり鉱山労働者は肺を患う者が多いという話だった。

 三日後には此方から送った武具と一緒に、公爵騎士団に直納分のポーション2千本も届く予定なのでそれで対応する心算のようだった。


 マリウスは取り敢えずクライン男爵たちを送り出した後、移住者の為に“クリエイトコテージ”の小屋を50軒、“クリエイトハウス”の家を20軒、空いている土地に建てた。


 魔力量を1万2千使ったが、小屋は個室に、家は5、6人入って貰う心算なので、これで150人位の住居が出来た。


 これを四日続ければ取り敢えず仮設住宅の方は大丈夫そうである。


 既に村から繋いだ上水と下水道を引き込んである。


 直ぐにフランクの人夫達が、出来上がった土の家の内装工事を始めた。

 各家にトイレとシャワールーム位は付けられる筈である。


 ミリ組の高層住宅もすでに3階層まで工事が進んでいる様だった。

 ブロック工房製の手動の小型クレーンが上に設置されていて、パレットに乗った土ブロックが上に吊り上げられていく。


 数個の滑車の組み合わせと身体強化スキルに、マリウスのアイテムの効果で1トン位の重量なら楽々と持ち上げられるようになっていた。


 上から手を振るヘルメットをかぶったミリたちに手を振り返すと、マリウスはハティとノルン、エリーゼを連れて新しい村の区画と元の村との中間に向かった。


 一偏3百メートル程の広い土地を杭とロープで縄張りしてある。


 5,6歳から12歳位の子供たちが20人程、隅っこで並んで座っていた。

 学校の生徒たちで、横に立つ引率のオリビアがマリウスに一礼する。


 マリウスは肩に掛けた小さな鞄の中から白い球を取り出した。

 王都に向かったニナたち、警護隊の為に新しく作った新兵器である。


 マリウスは魔石よりも少し大きい位の白い球に描かれた赤い点を指先で触れると、広場の中心の辺りに転がした。


 振り返ってノルンを見る。

 ノルンが頷いて、手を前に翳した。


 暫く何も起きなかったが、ノルンの手の前でパチッと小さな火花が弾けた。


「ダメですね、これが精一杯です。魔法が発動しません」


 マリウスは今度はエリーゼを見た。


 エリーゼが頷くと広場の隅に向けて駆け出した。

 女の子にしては随分足が速いと思うが、それでも普通の走りだった。


 100メートル程走った処で止まって、エリーゼが此方にとぼとぼと歩きながら戻って来る。


「ダメです。“瞬動”も使えません」


 エリーゼが息を切らしながらマリウスに報告した。


 今度はハティを見る。ハティが尻尾を振ると空に向かってジャンプし、着地して不思議そうにマリウスに向かってワンと吠えた。


 もう一度ジャンプするがすぐ着地する。

 空を駆けようとしているが、上手くいかない様だった。


 最後にマリウスは人のいない広場の隅に向かって、全力で“ファイアーストーム”を放った。


 今のマリウスの力なら、直径数十メートルの炎の竜巻が起きる筈だが、焚火程の炎が一瞬上がって直ぐに消えた。


 隅で子供たちがおおと声を上げるが、マリウスが首を振って言った。


「多分1パーセント以下って感じかな。ほとんど魔力も理力も発動できないようだね」


 マリウスは公爵領で見た魔力封じや理力封じの枷を造ろうと思い、ハイエルフの禁書の中から“魔力封じ”と“理力封じ”の上級付与術式を探し出していた。


「どの位の範囲に有効なんですか?」


「これは目一有効範囲を上げているので、大体半径200メートル位かな。ニナ達に持たせたのも同じだよ」


 聖騎士達の使うマジックグレネード対策に、“魔力封じ”だけを付与した球をニナ達に持たせてある。


 マジックグレネードが特級魔法である以上、この球で発動を封じる事が出来る筈だが、欠点は効果が発動している状態では敵も味方も魔法が使えなくなる事だった。


 ニナ隊には魔術師は風魔術師のベッツィーだけで、あとの24名は戦士職なのでそれ程戦力は落ちないという判断もあって、今回はニナに護衛の任を頼んだ。


 ただやはり“魔法封じ”の有効範囲内ではマリウスの付与も効果が弱まるようで、必要な時に発動し、自由に止められるようにテオに初級制御のスイッチを付けてもらった。


「それで今日は何をするのですか?」


 エリーゼが隅で座って此方を見ている子供たちを見ながら、マリウスに尋ねた。


「うん、今日は野球をしようと思って皆を誘ったんだ」


「『ヤキュウ』ですか? それは一体どのような……?」


 エリーゼとノルンが戸惑いながらマリウスを見るが、マリウスは二人には答えず子供たちの方に歩いて行った。


 期待でワクワクしながらマリウスを見る子供たちの前でマリウスが立ち止まると、肩に下げた鞄の口を開いた。


 子供たちの前に大きな木の箱が出現する。

 “マジックバック”である。


 カンパニー用に既に一つ制作してあるが、マリウスは二個目の“マジックバック”は自分用にしていた。


 驚いて目を見開く子供たちの前で、マリウスが木の箱の蓋を開く。


 アイテムの“身体強化”が発動しないのでかなり重かったが、何とか横にずらして蓋を開くと子供たちが集まって来て、中を覗き込んだ。


 メアリーに作って貰った魔物の革製のグローブが30個程と、ミラに造って貰った木製のバットが5本、ボールが20個程入っている。


 ボールは木製の物に“軽量化”、“軟化”、“強化”を付与して少し弾力を持たせてある。表面に握りやすいように小さな窪みが全面に付けられていた。


「皆、グローブを左手に付けて」


 一応左利き用のグローブも三つ程作って貰っていたが全員右利きのようで、皆が真新しいグローブを一つずつ取って、左手を入れる。


 マリウスも一つ取ると、手に嵌めてみた。

 真新しい革の臭いがする。


 マリウスはボールを一つ取ると、やはりグローブを付けたエリーゼに向かってポイッと山なりにボールを投げた。


 エリーゼが心得たとばかりにグローブでボールをキャッチする。


 子供たちが目を輝かせてボールを掴むと、二、三人に別れてキャッチボールを始めた。


 この世界にはスポーツという遊びが無い。

 精々剣術などの格闘技位である。


 皆が魔法やアーツなどのスキルを持っていて、個々の能力差が大きいので全員が平等な条件下での競技スポーツが成立しない。


 マジックグレネードのテロを阻止する為の“魔力封じ”のアイテムだったが、これを見てアイツが直ぐにこれは遊びに使えると言い出した。


 確かに魔法もアーツも封じられた状態なら、ギフトの種類やクラスに関係なく、全員が同じ条件下で遊びを楽しめる。


 皆が戸惑いながらもキャッチボールを楽しんでいる。


 ハティが退屈そうにマリウスとエリーゼ、ノルンを眺めていた。

 マリウスはハティの後ろに向かって思いっ切り空高くボールを投げた。


 ハティがボールを追って駆け出すと、ジャンプして空中でキャッチし、ボールを加えたままマリウスの元まで駆け戻って来る。


 魔法もアーツも封じられた状態でも、身体能力ではやはりハティが一番であろう。


 尻尾がすごい勢いで振られていた。


 今度はマリウスがボールをエリーゼに投げると、エリーゼが球を空に向かって思いっ切り投げた。


 ハティが再び尻尾を振りながら駆け出して行く。


『定番のフリスビーも作ったら良いんじゃねえか』


 今度ミラに言って作って貰おう。


 ただボールを投げて、グローブで捕球するだけの事でも、この世界の子供たちにとっては初めての経験で、ボールを取り損ねて頭にぶつけたり、投げそこなって頭上を跳び越えたボールを追いかけながらも、目を輝かせて楽しそうに笑っていた。


 皆が一頻りボールに馴染んで来た頃、マリウスが皆を集めてアイツから教わった『野球』のルールを説明し始めた。



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