7―55  エレンの使者


「凄い行列だな。中に入り切らないぜ」


 『ランツクネヒト』所属のAランク冒険者パーティー『オルトスの躯』のリーダージオが、未だ受付開始前の診療所の前に出来た長蛇の列を眺めて思わず声を上げる。


「アセロラの評判が広がっちゃたからね、王都中の病人が集まって来てるんじゃない」


 嬉しそうに言う火魔術師のパメラに、格闘家のフリッツが100人近い人々の列を見ながら眉を顰める。


「しかし、こんな所を襲われたりしたら、また大勢の怪我人が出るぜ」


「公爵家のユニーク二人も来てくれたから大丈夫じゃない」


「ああ、例の三バカか。もう一人女の子がいる筈だがどうした?」


 ジオの問いに弓士のベティーナが首を振る。


「知らない。ここには二人だけだって」


 ジオたちは未だバルバラが捕えられた事は聞かされていなかった。


「そう言えばバルトはどうした? 朝見かけたが、姿が見えないな」


「バルトは中で治療の手伝いよ」


 ケヴィンにパメラが答える。


「ハハハ、大丈夫か? 普通の病人の治療もできるのか」


「一応アドバンスドの聖職者なんだからそれ位出来るでしょう。王都の医術師たちよりはレベルが上だから、遊ばせておくのはもったいないってアセロラが連れて行ったわ」


「王都の医術師ギルドも頼りねーな。クリスタが帰って来るのは三日後だったか?」


 ジオたちも『ローメンの銀狐』の非正規メンバーだったクリスタ・レインが医術師ギルドの新しいグラマスになった事は当然知っていた。


 ドアが開いて受付が開始された診療所を見ながら、ケヴィンが呟く。


「クリスタが帰ってきたら北の下町の診療所も再開する事になるから、私たちは2箇所の警備になるそうよ」


「だがその前に、ラウラたちが帰ってきたら特別なクエストがあるらしい、なんでも公爵家からの指名依頼だそうだ」


「一体なんだ? またヤバい仕事か?」


 フリッツがまた眉を顰める。


「分からんが、アイリスも動くらしいからそれなりに覚悟しておけ」


 ジオの言葉に全員が緊張する。代表のアイリスがクエストに参加する事など滅多にない事だった。


「どけ! 俺が先だ」


 開かれた診療所のドアに向かって順番に入ろうとする行列の先頭に、人族の大男が割り込もうとして前の老婆の肩を掴んだ。


「おい! お前……」


 男を見咎めて前に出ようとしたジオの目の前で、大男がふわりと宙を舞って背中から地面に叩きつけられた。


「グエッ!」


 地面に伸びた大男が、ヒキガエルの様な声を発して失神する。


 ジオが驚いて老婆を見ると、腰が曲がっていた老婆の背がすっと伸びた。

 確かに皺くちゃだった筈の老婆の顔がいつの間にか30歳代位の女の顔に変っていた。


「アイリス!」


 長身の眉の太い黒髪の女を見て、ラウラが声を上げる。

 周りの患者たちも立ち止まって、驚いてアイリスを見ている。


「隙だらけだな、ケヴィン。朝からお前を10回位殺せたぞ。その分じゃ当分Sランクは無理だな」


「ぐっ! 汚いぞアイリス。あんたが変装したら誰にも見破れねーよ。一体何の用だ? まさか俺たちの事を査定しに来たのか?」


「そんなに暇じゃないよ。お前たちに次のクエストの話をしに来たのさ。ついでに噂の『緑の国手』の見物さ。あいつらもここに来るって言ってたよ」


「あいつら?」


 問い返すジオにアイリスが後ろを顎で指す。


「アイリス。久しぶりだな」


「三人そろうのは3年振りか」


 ジオが振り返ると、魔術師団と公爵騎士団の兵士たちに囲まれたエルザとルチアナが通りの向こうから歩いて来た。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 ナターリアのバットが空を切ると、キャッチャーのマリウスの後ろで審判のマルコが親指を立てて右手を上げて叫ぶ。


「ストライク! バッター、アウト!」


 ナターリアが悔しそうにバットを投げ捨ててバッターボックスから退場していくと、代わって黄色いヘルメットをかぶったミリがバッターボックスに入った。


 もう昼を大分過ぎている。子供たちは1ゲーム試合をして、オリビアに連れられて学校に戻って行ったが、昼休みに野球を見ていたミリ達や騎士団の連中が代わって野球を始めていた。


 16対16の泥仕合は遂に9回裏ワンアウトランナー満塁で、4番のミリの出番である。


「ミリ―! かっ飛ばせ!」


 ファーストランナーのリリーが金切り声で叫ぶ。


「転がせば良いぞ! ここはスクイズでサヨナラだ!」


 ベンチで監督のブロックが声を掛けるが、ミリは聞こえていないようで、ブンブンと素振りを繰り返しながらバッターボックスに立つと、マウンドのエリーゼを睨み据える。


 ミリはここまで三振と内野ゴロ二つである。

 マリウスは外野に前進守備のサインを送ると、外角低めにミットを構えた。


 マウンドでエリーゼが頷くと、大きく左脚を上げた。


 連投のエリーゼのストレートが、甘くど真ん中に入って来るのをミリのバットが渾身の一撃で弾き返す。


 カッキーン! と良い音を響かせてボールがショートのノルンの頭上を越えて、レフトに向けて高く上がった。


 レフトのアデリナがボールを見上げて後ろにバックするが、頭上を跳び越えていく打球をセンターのハティが空中でキャッチする。


 外野の三分の二をカバーするハティの守備は鉄壁だが、ただ一つ欠点があった。

 風魔法が使えないので、返球が出来ない。


 塁に戻っていた三塁ランナーが、ハティがボールをキャッチしたのを見届けてホームに向けて走り出した。


 タッチアップなどいつの間に覚えたのだろうかと思いながら、マリウスがハティに向けて叫んだ。


「ハティ―! バックホーム!」


 幸い三塁ランナーは足の遅い熊獣人のルークである。


 文字道理センターからボールを咥えて駆け戻って来るハティが、ルークがホームに帰る前に捕まえればアウトである。


 ハティの足なら充分間に合うと思ったマリウスやエリーゼたちが思わず一斉に声を上げた。


「ハティ?!」


 ハティがボールを咥えたまま、何故か広場の外に出ると、西の村の方に向かって駆け出した。


「何処にいくの? ハティ!」


 止む無くハティを追いかけるマリウスたちの声も届かないのか、ハティが元の村の入り口に向かって駆けていく。


 ルークがホームベースを踏んで、ブロックやベン達が一斉に立ち上がって歓喜の声を上げる。


 広場でミリの胴上げが始まったが、マリウスたちはひたすらハティを追いかけた。


 マリウスが追いかけていくと、村の入り口に黒っぽい服を着た小さな影が現れて、ハティが小さな影の周りをぐるぐる回っている。


 メイド服かなとマリウスが視認した瞬間、小さな人影がパタリと倒れた。


「?!」


 マリウスが駆け寄ると、斃れているメイド服の少女の頭に赤いカチューシャが見えた。


「マーヤ!」


 目を閉じた犬獣人の少女はマーヤだった。



 多分転んで擦り剝いたらしい傷が膝にあるだけで、怪我はしていない様だったがメイド服はひどく汚れていた。


 マリウスは地面に倒れたマーヤの膝に手を当てて、“上級治癒”を発動した。

 膝の擦り傷が消えると、マーヤの瞼がぴくぴくと動いて、マーヤがゆっくりと目を開く。


「あ、マリウス様」


 起き上がろうとしたマーヤを押しとどめてマリウスが言った。


「どうしたのマーヤ? ベルツブルグから歩いて来たの? エレンに何かあったの?」


「マリウス様。そんなに一度に尋ねたらマーヤが答えられません」


 マリウスを押しのけてエリーゼがそう言うと、マーヤの顔を覗き込んだ。


「痛いところはない? マーヤ」


「あ、はい大丈夫ですエリーゼさん。少し疲れていただけですけど、もう起きられます」


 地面の上で起き上がったマーヤに、ノルンが水筒の水を差し出す。


「喉が渇いているよね。村のお水だよ、飲んで」


 マーヤがコップの水を一息に飲み干す。


「ありがとうございますノルンさん。とっても美味しい水です」


「良かったらもう一杯どうぞ」


 ノルンがそう言ってコップに水を灌ぐ。

 二杯目を飲み干したマーヤを見て、マリウスが真面目な顔でマーヤを見た。


「エレンに何かあったの、マーヤ? もう五日もエレンと連絡が取れていないんだ」


「エレン様は大丈夫です。マリウス様。エレン様からの伝言です。お兄様を助けて下さい」


 マーヤがマリウスの前で頭を下げた。


「お兄様って、王都にいるエルンストさんの事? 一体何があったのか話してくれるかい」


 マリウスが戸惑いながらもマーヤに言った。


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「何だいゾロゾロと? ここは診察室だよ、病人以外は出て行っておくれ」


 アセロラがそう言って中に入って来た一行を睨むが、エルザを見つけて驚いて声を上げる。


「あれ? 公爵夫人様じゃないか。驚いたね、また会えるなんて。アースバルトの若様は元気かい?」


「ああ、マリウスなら領地に帰って元気にやっているようだ。あんたも元気そうだなアセロラ・リーレ。いや『緑の国手』と呼んだ方が良いかな?」


 エルザがにやりとアセロラに笑みを返す。


「その呼び方は止めとくれ。昔の話だよ。そっちは魔術師団長さんともう一人は知らない顔だね?」


「うちのクランの代表のアイリスだよ」


 三人の後ろから入って来たジオがアセロラに言った。


「ああ、あんたが家主さんかい。世話になってるね」


「礼はいいよ。あんたの事はロンメルからも頼まれている。遠慮せずに何時までもいてくれて良いさ。その辺の貴族の屋敷にいるより安全だよ」


「ねえ、『緑の国手』って何なの? 私にも教えてよ」


 ルチアナがエルザとアセロラを見比べながら言った。


 マルタたち医術師とバルトが患者の診察をしながら、突然の客に戸惑いながらも興味津々で聞き耳を立てている。


 隅でアレクシスとカイが片膝を着いて畏まっていた。


「奥で話そうか。少しくらい良いだろうアセロラ。少し聴きたい事もある」


 エルザがそう言って奥の部屋に入って行く。


 アセロラが仕方なく後に続き、ルチアナとアイリスも中に入って行った。


 ジオたちがどうするか迷っていると、ドアの向こうでアイリスが指をくいッと曲げて『オルトスの躯』の四人も中に呼んだ。

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