6―6 水売りのマーヤ
「司祭様! どういう御心算で御座いますか!」
ルーカスがこめかみに青筋を浮かべながらエルシャを睨む。
「どうかしましたかマルタン卿?」
「我らはマリウス・アースバルトと新薬の交渉をする為に、会いに行ったのではなかったのですか? 新薬の話をするどころか、教皇国の秘事まで口にするとは!」
「あら、それはあなたが枢機卿猊下から命じられた事では無いのですか? 私には関係のない事ですよ」
エルシャは葡萄酒のグラスに手に持ったまま愉快そうにルーカスを見た。
「貴方はいったい何をしにこの辺境に来られたのですか?」
「私があの御方より命じられた事を、あなたなどに明かす必要はありません。あなたこそバカな事をしでかして、私の使命の邪魔をしないで下さいましね」
冷ややかな笑みを浮かべて葡萄酒を飲み干すエルシャを、憎しみのこもった目で睨みつけると、ルーカスは荒々しく席を立って部屋を出て行った。
「エルシャ様?」
心配そうにエルシャを見るフィオナに、エルシャが笑って空になったグラスを差し出しながら言った。
「心配ないわフィオナ。私があのお方の命で動いている限り、あの者達は何も出来はしないから」
「エルマ様に御会いにならないのですか」
エルシャは微かに微笑んで首を横に振った。
「エルマはマリウス・アースバルトの村にいる。あの様子だとマリウスとハイエルフに繋がりは無さそうだったわ」
「それでは?」
フィオナが空になったグラスに葡萄酒を注ぎながらエルシャに問う。
「エルマよりもまず、マリウスを見極める事が先決のようね」
エルシャは遠い目をすると、グラスの葡萄酒に口を付けた。
★ ★ ★ ★ ★ ★
ニナは臨時に40名に膨れた部隊を三班に分けて、ゴート村とノート村、幽霊村を繋ぐ街道を昼夜24時間警戒させていた。
マリウスから絶対に、幽霊村に怪しい人間を近づけるなと言われている。
その為にニナには従来の装備と別に、“結界”、“念話”、“索敵”、“暗視”を付与されたイヤリングをマリウスから与えられていた。
特級付与である“念話”のアイテムは同じアイテムを持つほかの者と、離れていても頭の中で会話する事が出来た。
現在マリウスとクラウス、フェリックスとジークフリート、マルコ、オルテガ、ニナ、ケリーとカサンドラが装備している。マリウスがベルツブルグに着けばクルトにも一つ渡す予定である。
どれくらいの距離まで会話できるのかは、使いながら試すしかないが、少なくてもエールハウゼンからゴート村、ノート村、幽霊村の間は問題なく会話が届くようだった。
ニナも直ぐに“念話”、“結界”、“索敵”といった、新しい付与スキルを使いこなせるようになった。隊長連中の中では一番基本レベルが低く、魔力量の少ないニナでも、従来の装備と合わせて、充分レアクラスを凌駕できる程のチートな力だった。
ニナは12人を引き連れて“索敵”と“結界”を発動しながら、街道をゆっくりとノート村の方に向かって進めていたが、300メートル程先の川の中に大勢の人がいるのに気付いた。
「隊長、敵ですか?」
『四粒のリースリング』のヘルマンがニナに馬を寄せる。『四粒のリースリング』は久しぶりにニナの部隊に戻って、街道警備の任務に就いていた。
ルイーゼが周囲を見回しながら、肩から弓を外して左手に握る。
「分からんが、この先の川に30人程人が集まっている様だ」
ニナの言葉を聞いてヘルマンとアントン、オリバーが馬を前に進めた。
ニナと騎士達が周囲を警戒しながら後を追う。
ヘルマン達が馬を止めて下の川を見降ろした。
「隊長! 村人が川に入って魚を取っています」
ヘルマンが、川の中で腰を曲げて水に手を突っ込んでいる人たちを指差した。
少年が突然川から両手を挙げると、50センチを超える大きな金色の魚を両手で掴んでいた。
ヘルマンとオリバーが馬を降りると、河原へ降りて行った。
ニナが土手の上から川を見ると、何故か川面が金色に光っている。
見ている間にも川の中の人達が、次々と水の中から大きな金色の魚を掴んで、両手で持ち上げる。
人々はキャッキャッと騒ぎながら魚を掴んでは、水の中に浮かべた竹籠に魚を放り込んでいた。
「凄い! ゴールデントラウトの大群です、それも凄く大きい!」
ゴールデントラウトは魔物ではなくこの辺りの川で採れる鱒である。
今の季節大きくても35センチ位で、焼くと脂が乗っていて美味で、高値で取引されている。
ニナも河原に降りて行って川面を覗き込んだ。
有り得ない程大きく育った、水面を埋め尽くすほどのゴールデントラウトの群れが、ゴート村の方に向かって遡上している様だ。
所々で浅瀬に乗り上げたゴールデントラウトを、人々が手掴みで捕えている。
いつの間にかヘルマンやオリバー、アントン達も水の中に入って、夢中でゴールデントラウトを捕まえていた。
「一体何が起こっているのだ」
ニナは呆然としながら、川面を眺めて呟いた。
直ぐにマリウスの事を思い浮かべながら“念話”に意識を向けた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「喉が渇いたわね」
エリーゼが道を歩きながら、傍らのノルンに言った。
ミハイルとターニャと別れ、エリーゼ達は再び街中を散策していた。
下町に入ったのか道幅が狭くなり集合住宅が密集している辺りを八人は歩いていた。
「ゴート村じゃないから水道は無いけど、あそこに水売りがいるよ」
ノルンが指差すと犬獣人の少女が、瓶が沢山入った籠を肩で吊って果実水を売っていた。
エリーゼとノルンが近づいていくと少女が二人に言った。
「果実水は如何ですか、一本30ゼニーです。」
多分ノルン達より年下、マリウスと同じ位の少女だった。
頭のケモミミの前に赤いカチューシャを付けている。
古くなった服は、所々擦り切れていたが、綺麗に洗濯されていた。
「8本貰える。これは何の果実水なの?」
エリーゼがお金を出しながら言った。
「山ベリーの実を漬け込んであるんです。この近くの山で一杯取れるのですよ」
「君は幾つなの?」
ノルンが瓶を受け取ってセルゲイ達に渡しながら少女に尋ねた。
茶色の髪をツインテールにした少女はニコニコしながら言った。
「八歳になりました」
「八歳でもう働いているの?」
エリーゼが驚いて尋ねる。
「はい、御母さんと二人暮らしなので、私も働かないと」
少女が明るく応えた。
「水魔術師が魔法で作った水を、子供たちに売らせているんだ。王都でもよく見かけるよ」
エフレムが果実水を飲み干すと素焼きの空き瓶を少女に返しながら言った。
「どの位儲かるの?」
「はい、ユルゲンさんの処から1本分20ゼニーで卸して貰っていますから、一日100本売って1000ゼニーになります」
「20ゼニーは高いわね。普通、卸値は15ゼニーが相場よ」
カタリナが眉を吊り上げるとセルゲイが言った。
「それだけこの街じゃ水が貴重なんだろう。30万から人が住んでいるからな」
「皆さんは王都の兵隊の方ですか」
少女がノルン達の革鎧を見ながら尋ねた。
「ううん、僕たちは隣のアースバルト領の者だよ」
「あ、聞いたことあります。奇跡の水がタダで飲める村がある所ですね」
少女が驚いて声を上げる。
「そう、僕たちは其のゴート村から来たんだよ」
「そうなんですか、私もその村に行ってみたいです。綺麗なお風呂があるって行った人が自慢していました」
少女がノルン達を見上げて言った。
「うん公衆浴場は二つあるし、宿屋にも大きなお風呂があるわ、お金が無ければテント村でただで泊まれるし、屋台で安くご飯も食べられるわよ」
エリーゼの言葉に少女が笑顔で頷いた。
「何時かきっとお母さんと一緒に行きます。あ、私はマーヤです」
「私はエリーゼよ、こっちはノルン」
「俺はセルゲイだ」
「エフレム」
「カタリナよ」
「私はナタリー。あなたと同じ犬獣人族ね」
「俺はダニエル。御覧の通りだ」
「俺はケント。宜しくマーヤ」
「ノルンさんとエリーゼさん、セルゲイさんとエフレムさん、カタリナさんとナタリーさんにダニエルさんとケントさんですね。今日はありがとう御座いました」
マーヤは八人に頭を下げると籠を下げて街に去って行った。
「大変ね、あんな小さな子供が働かないといけないなんて」
「獣人に仕事があるだけまだ、王都よりはましだよ」
セルゲイが顔を顰めてエリーゼに言った。
「何時かゴート村に来てくれたらいいね」
ノルンの言葉にエリーゼも頷いた。
「その時には村を案内してあげようね。公衆浴場とか、フードコートとか、スケート場とか」
「行こうか、そろそろ副団長が帰ってくる時間だ」
ダニエルがそう言うと、皆が頷いた。
● ● ● ● ● ●
マリウス達は領境を超えた小さな宿場町に一泊して、ベルツブルグを目指して馬を進めていた。
昨日エールハウゼンを出て直ぐにニナとマルコから“念話”が届いた。
ニナの話はゴート村からノート村に流れる川にゴールデントラウトの大群が押し寄せて、川面を埋め尽くしているという話だった。
マルコの話も、この川のほとりの畑の小麦が異常に生育していているという話だった。
この川の水は村に引き込んで浄水上で綺麗にして村の生活用水にして、更に下水も処理施設で綺麗にして川に戻している。
二つの話は多分村の水が原因だと思われるが、取り敢えず被害は無いそうなので、ベルツブルグから帰ってから対応すると答えた。
「認証官立ち合いの婚約の儀は六日後になる。問題は奴らが、どのタイミングで襲ってくるかだな。」
「しかし父上、街の人に被害が出るよりは、いっそ僕を直接襲ってくれる方が対処しやすいですよ」
「ふっ。お前とハティに敵う者がそう居るとは思えんが、相手は教皇国の手練れ。どんな手を使ってくるか分らん。油断だけはするなよ」
クラウスはマリウスを乗せたハティを見ながら苦笑した。
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