5―19 アイスクリーム
マリウスが目の前の瓶を見ながらカサンドラに尋ねた。
「どうでしたか効果は?」
「傷修復効果は従来のポーションの2.2倍、病気治癒効果は2.0倍、体力回復効果は2.5倍です。勿論奇跡の水の、免疫力や自己治癒力の改善効果はそのまま引き継いでいます」
これは奇跡の水を使って、従来の製法通りに作成して貰ったポーションである。
「単体でも効果はありますが、『奇跡の水』を常態的に摂取している者が服用すると、更に総ての効果が上昇するようです」
カサンドラが興奮を押し殺した声でマリウスに告げた。
予想はしていたがやはり、全ての効果が従来のポーションの二倍以上、『奇跡の水』も大きく上回る効果である。『奇跡の水』とセットで更に効果が上がるのなら、もうこれで良いのではと思える代物である。
やはりマリウスが思っていた通り、例え王都に『奇跡の水』が持ち込まれても、薬師ギルドは『奇跡の水』を使って、更に効能の高いポーションを創り出す事が出来た。
ずっとマリウスの心の底で引っ掛かっていた事だった。
何故西の公爵や教会が、無理な戦争を起こしてまで『奇跡の水』の独占に拘ったのか、未だに不思議であった。
『奇跡の水』も決して万能ではない。もっと効果のあるポーションがあれば、富裕層は金を出してもポーションを購入するはずである。
それによく考えれば分かる事だが、人口百万人以上を抱える王都と、人口千人にも満たないゴート村では事情が全く違う。
ゴート村ですら人口の増加に伴って、二基目の浄水施設が始まっている。単純に考えて王都にはその千倍以上の浄水施設が必要になる。
王都では秋までに12基の大型の浄水場を完成させるそうだが、それでも王都民全てに『奇跡の水』を供給するには不十分である。
王都民だけでなく周辺の都市の人々も『奇跡の水』を求めて、王都へと詰め掛けるであろうし、その数は辺境の比ではないだろう。
恐らく民衆への『奇跡の水』の配給は、かなり厳しく制限されると思われた。
上水や下水施設等を全て考えれば、王都の民衆総てがゴート村の村民並みに、『奇跡の水』の恩恵を受けられるようになるには何年、或いは十年以上も続く工事が必要になる筈である。
まして王都近辺の王領の都市の人口総てなら五百万人を超え、王国全てなら四千万人になる。
国王や宰相ロンメルが、どの程度まで『奇跡の水』を広げる心算かは分からないが、ポーションの需要が無くなる事など初めから有り得なかった。
あの戦いが無ければ多少利益が減る事はあっても、薬師ギルドの優位性は変わらず、今でも西の公爵もクレスト教会も、変わらずにこの国で絶大な権力を振るっていただろう。
『奇跡の水』を独占する考えしか無かったとか、アースベルト家の戦力を侮っていたとか色々理由は付くが、今でも彼らの行動は異常だったと思っている。
「ねえカサンドラ、何故薬師ギルドは『奇跡の水』を使ってポーションを作ろうと思わなかったの?」
「そ、それは……あの時には……」
カサンドラがマリウスの質問に戸惑いながら、何かを思い出そうとするように宙に視線を向けた。
突然話を遮る様に研究室のドアが開かれて、どかどかと、外にいたミドルの薬師達が雪崩れ込んで来た。
クルトがマリウスの前に立って薬師達を睨んだ。
カサンドラが前に出て薬師達に怒鳴った。
「お前たち何事だ、騒がしい! 無礼であろう!」
クルト達に睨まれてミドルの薬師達は怯んだが、一人の薬師が前に出てマリウスに言った。
「何故我らがビギナー薬師の下で働かされるのですか?」
マリウスはミドルの薬師8名のうち交代で常に4名を、アデリナの下で各抽出作業や、東の森の薬草探索等を手伝わせるように命じていた。
アデリナが薬師達の後ろでおろおろしながら成り行きを見ている。
マリウスがクレメンスに目配せすると、クレメンスの合図で外にいた騎士団の兵士達が、大きなガラスの瓶を二十個ほど次々に運んできて彼らの前に並べた。
「これはハート草にモーリュ草、アコナイトにロコ草まで。こんなに大量に。そ、それはもしやマンドラゴラ?!」
“腐敗防止”を付与したガラス瓶の中の、大量のハート草やモーリュ草は従来のポーションの主材料である。アコナイトやロコ草は毒草であるが、薬や麻酔薬としても使える。
マリウスは東の森にこれらの薬草の群生地をいくつかアデリナが見つけた事を、エルザを通じて宰相ロンメルに報告してあった。
『奇跡の水騒動』解決後、薬師ギルドを預かる事になったロンメルから正式に辺境の東の森の薬草に関しては、アースバルト家が自由に使用して良い許可を貰っていた。
いわばカサンドラ達の受け入れも、其の件の交換条件かアフターフォローの様なものらしい。
そして不気味な人型の根、マンドラゴラは伝説の薬剤だった。
アデリナがマンドラゴラの群生地を発見したとき、ちょっとした騒ぎになった。
万能薬の材料になると云われるマンドラゴラだが、引き抜くと絶叫を上げ、その声を聞いたものは狂い死にすると言われている。
どうするか皆が迷っていると、ハティが前足でマンドラゴラを掘り返し、次々と食べてしまった。
ハティの圧倒的な魔力に声を上げる事も出来ずに、マンドラゴラは半分以上をハティに食べられてしまったが、何とか15本のマンドラゴラを、マリウスとクルトでハティから取り上げる事が出来た。
因みに20本以上のマンドラゴラを食べたハティは、それだけでその場で二度レベルアップした。
「これらの薬草は全てアデリナが森の中で探し出してくれた物のほんの一部です、あなた達がアデリナ以上の実績を上げてくれるまでは、アデリナの下で働いて貰います」
アデリナは基本レベルも既に5になっている。
基礎レベル3から4のミドル錬金術師達に、魔力量でも負けていない。
また感激の涙目でマリウスに抱き着こうとするアデリナを警戒して、さりげなく後退りして距離を取りながら、マリウスはミドル錬金術師達にそう言い渡すと改めてカサンドラを見た。
「私の部下達の非礼をお詫びします、しかしこの様な大量の希少な素材を一体どうしろと……?」
「勿論薬作りに役立てて下さい、あとブラッディベアの胃や肝臓、ベノムコブラやレッドタランチュラの毒等の魔物素材も必要ならクレメンスに言って下さい、いくらでも用意します」
「つまりあの程度の効果のポーションでは満足できないという事で御座いますね」
カサンドラが血の気の引いた青い顔で呟いた。
マリウスにしてみると最大限の好意のつもりだったのだが、カサンドラは誤解したようだ。
まあ、更に効果のあるポーションが出来るならそれでも良いかと思いながら、マリウスは無言で微笑むと、クルト達と製薬工房を出た。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
イエルとレオンは村役場に戻って行った。
『奇跡の水』を使って作ったポーションの効能についての詳細なデータはクラウスに直ぐに届けられ、サンプルと一緒に宰相ロンメルの元に送られる。
製薬工房を出たマリウスはクレメンス達と別れると、表で待っていたハティとクルトと共に、ユリアの乳製品工房に立ち寄った。
「あ、若様。お父さんとハティも」
ユリアがマリウスとクルトを見つけて、笑顔で駆け寄って来る。
後ろに人族三人と猫獣人二人の料理人がいた。皆期待で目がらんらんと輝いていた。
「出来てますよ、若様」
ユリアがそう言って工房の奥の、大きな木の箱の扉を開く。箱の中から、冷たい空気が流れた。
ユリアは中から陶器の蓋の付いた容器を取り出す。この箱はマリウスが“冷却”の付与をかなり効果強めに付与した冷凍庫である。
『牛乳、卵、砂糖がそろったら当然アレだろう』
ユリアにアイスクリームの製造を頼んでいた。牛乳、生クリーム、卵黄、砂糖だけを使ったシンプルなアイスクリームである。
マリウスはユリアに乳製品の製造とは別に、スイーツのレシピをアイツから手に入れて渡してあった。
ユリアは牛乳から分離した生クリームやチーズ、卵、甜菜糖を使って、チーズケーキやロールケーキ、シュークリームやプリンと云ったスイーツを既に作り上げている。
砂糖が大量に手に入る様になれば、これらを村の名物にして、観光客にアピールする心算だった。
スイーツ自体がこの世界では贅沢品で、余程裕福な者でなければ縁がない。
安価に提供する事が出来れば、必ず人気になると思えた。
更にアイツの言う餡と云う物が食べたくて、クラークに小豆の栽培を始める様に命じてある。秋には砂糖と一緒に小豆も手に入る筈だった。
ユリアが蓋を取ると、乳白色のアイスクリームから甘い臭いがした。
ハティが尻尾が物凄い勢いで振られ、旋毛風が起きそうだった。
マリウスはふと視線を感じて振り返ると後ろにリタとリナ、ミラとミリ、ナターリアにリリーとローザ、エリスとさっきまで一緒だったアデリナが並んで立っていた。皆マリウスを睨んでいる。
「や、やあ皆、どうしたの?」
マリウスがやや後退りながら、引き攣った笑顔で言った。
「若様狡いです!」
「また私達に内緒にしてましたね!」
「また自分達だけで、美味しいお菓子を食べようとしてましたね!」
「私達にも食べさせて下さい!」
皆が口々に抗議する。またと言うのは多分この前試食したプリンの事だろう。
マリウスが後ろを振り返るとユリアが申し訳なさそうに小声で言った。
「すみません。アデリナさんに生クリームを作るのを手伝って貰いました」
アデリナは最近よく新しい料理の試食目当てで、ユリアの工房で“抽出”スキルを使ってユリア達の手伝いをしたりしている。
アデリナから皆にアイスクリームの事が漏れた様だ。
マリウスは再びミラ達に振り返ると引き攣った笑顔で言った。
「な、内緒になんかしてないよ。そうだ皆で一緒に食べよう。皆の為に余分に作って貰ってあるから」
ユリアが冷凍庫の中からもう一つ容器を取り出した。
マリウスは、あとで自分とハティで楽しむために、もう一つ余分にアイスクリームを作って貰っていたのだが、この人数だと出さざるを得ない様だ。
「美味しいね!」
「冷たくてあまーい!」
「口の中で溶けた!」
皆が初めてのアイスクリームを絶賛する。
マリウスは陶器の小皿に盛られたアイスクリームを口に入れながら、皆が喜んでくれたのならまあ良いかと思った。
全然足りないハティが恨めしそうに、アイスクリームの無くなった容器を舐めていた。
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