5―20  辺境の魔女


 ノート村からゴート村に続く街道を、馬で進むローブを纏った女性の姿があった。


 美しい銀髪を束ねて背中に垂らした20代前半位に見える女性は、今年67歳になる辺境伯家後見役、シェリル・シュナイダーだった。


 シェリルは街道の両脇に等間隔で打ち込まれた、木の杭に目を止めた。

 

「何だいこれは? 何かの術式が刻んであるようだね」


 シェリルは馬から降りると木の杭の上に視線を向けた。

 “術式鑑定”を働かせたシェリルは眉を顰めた。


 彼女の“術式鑑定”は、並の魔術師では見る事の出来ない、多くの情報を読みとる事が出来た。


「ただの“魔物除け”の術式を乗せている様だけど、なんだいこのとんでもない魔法効果は。これじゃあドラゴンも避けていくね」


 シェリルは街道の先を見つめる。杭は目に見える限り、何処までもずっと続いていた。

 周囲の森の中にも杭の囲いが続いている。


「成程ねえ、この杭の中は魔物の入れない結界って訳かい。魔石が欲しいっていうのはそう云う事だったんだね。それにしてもなんて数だい」


 シェリルは考える。マリウス・アースバルトは付与魔術師だという。

 しかしこの数は、一人の付与魔術師の手によるものとは到底思えない。


「これを一人の付与魔術師が作り出したって言うのかい。こっち方面の密偵達は全員入れ替えだね。すぐ傍にこんな化け物がいるのに誰も気が付いていないなんて」


 辺境の魔女は溜息を付くと再び馬に跨り、ゴート村に向けて馬を進めた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 浄水場、下水処理場、下水道や公衆浴場の管理運営は、現在16名になった水道部によって行われている。


 彼らは全員村役場の水道部職員である。

 現状でもかなりの超過勤務に追われているのに、更に浄水場と公衆浴場を新たに増やす事になった為、マリウスは新たに求人を出すとともに、人手不足を訴える彼らの上司として、ジェーンを水道部長に任命した。


「何で私が風呂や下水道の世話をしなきゃいけないのよ!」


「いや、水魔術師がいると何かと便利だから」


「これは権力者のオーボ-よ、パワーハラスメントだわ!」


 喚くジェーンを16人の水道部員達が攫う様に引きずって行くのを見届けると、マリウスは溜息を付いてから、ハティを連れて村役場の外に出た。



 宿の運営で、リナやユリア達、館のメイドや料理人たちがかり出されているので、マリウスは最近ではよく、昼食は『狐亭』か、宿の食堂で食べている。


 ハティを連れて歩くマリウスの姿に、人々もすっかり慣れてしまい、今ではあまり驚かれなくなったが、新しく来た獣人の移住者はやはりハティの姿を見ると驚いていた。


 獣人移住者もエールハウゼンからの移住者と同じ様に、住居と土地を与えられ、既に労働を始めていた。

 今のところ獣人移住者と村の人々の間で、特にトラブルは起きていない様だった。


 恐々と、マリウスとハティの姿を路地の陰から見つめる獣人の子供達に、マリウスが笑顔で手を振った。


 元々この辺境の村は、三割位は獣人や亜人で、村人に獣人に対する差別意識は無かった。


 ハティの背中に乗って『狐亭』に向かっていくと、向こうから血相を変えて走って来るダックスに逢った。


「若様大変でっせ! 今王都の店から連絡があって、王家がエアコンを全部買い上げていったそうですわ。なんや王城の全部の部屋に置きたいから夏までにあと400台入れてくれゆうて、宰相様直々のお達しですわ」


「うん、夏までに400台ならなんとかなるよ。心配いらないさ」


「アホやな若様、王家が買い上げるちゅう事は王都中の貴族から、注文が来るっちゅう事でんがな!」

 ダックスが興奮してまくしたてる。


「それだけやあらしまへんで、金持ちの商人や上級軍人もこぞって買いに来るに決まってます。十倍、いや百倍は売れまっせ!」


「百倍って4万台? いや、それはちょっと無理かなあ」


 ミラやナターリア達は人手が増えたので、無理をすれば対応できるかもしれないが、エリスの“初級制御”が間に合わない。


 今基本レベル5のエリスの魔力量だと一日7台位だ、新人の魔道具師は未だ1台が限界となれば、夏までにそんな数は到底作れない。


「せっかくの儲けのチャンスでっせ。どないかなりまへんか」


「うーん魔道具師が足りないよ、レベル上げしても間に合わないよ」


「魔道具師でっか、分かりました。儂の方でもあたってみますわ、若様はとにかく作れるだけ作っておくんなはれ、今何台出来てます?」


 先日追加の50台を送ったばかりなのであまり在庫はない。


「確か40台位出来てたと思うけど」


「ほな、それは全部買わせて頂きます、後で運送屋に取りに行かせますよって」

 それだけ言うとダックスは待たせていた馬車に乗り込み、嵐の様に去って行った。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 『狐亭』に入るとケリー達がいた。


「あれ、若様こんにちは。今頃お昼ご飯?」


 時刻はもう2時近かった。水道部員達の苦情を聞いている内に時間が過ぎてしまっていた。


 『白い鴉』の五人は酒が入っている様だった。


「いい大人が昼間から、お酒ばかり飲んでいて良いのですか?」


 マリウスはレッドブルのチーズインハンバーグとスープ、パン、サラダのセットを頼むと『白い鴉』の隣の席に座った。ハティにはいつもの大角ウサギの唐揚げを大盛で頼む。


「正午のパトロールはちゃんと終わらせてきたぜ。少しは息抜きしねえとな」


 ケリーの言葉に、エレノアも頷く。

「そうよ、冒険者なんてこんなものよ。大体若様の方が子供のくせに働きすぎなんじゃない?」


 駄目な大人の典型の様な五人に言われても説得力はないが、確かに此処のところ仕事が忙しい。急速に村を拡大しようとした所為なのだが、次から次から問題が発生し、対応に追われている。


『田舎でスローライフはどうした?』


 スローライフは多分ラノベの中の、遠い異世界の出来事らしい。

 最早マリウスは王国一忙しい七歳児だった。


「仕方が無いよ、何処も人手が足りないんだから」

 マリウスはハンバーグにナイフを入れながら言った。


 中から肉汁と一緒にチーズがトロッと流れ出す。

 マリウスはフォークで刺した肉片で、チーズと肉汁を掬いながら口に入れた。


 旨い、ユリアの作ったチーズはアンナの店でも使われている。

 こうやって色々な料理に使って貰って、浸透させていくつもりだ。


「また人が増えたみたいね。南の荒れ地にも工事を始めていたけど」


「うん、段々新しく作った村も空き地が無くなって来たので、南に広げる事にしたんだよ。ノート村の方でも工事が始まったし」


 王都からの獣人の移住は今回限りではない。エールハウゼンからの移住者の第二陣も今月末にやって来る。


 ノート村でも牧場や農地を拡大しているが、次第に人手不足になりつつある。

 次に移住して來る人たちの中から、20人程ノート村に移って貰おうと考えていた。


 ゴート村からノート村までの土地は完全に杭で囲まれつつある。耕地は幾らでも開けられる。


 土魔術師のアグネスが、フランクとベンの処から借りた10名の職人と人夫と共にノート村に出向いている。


 ノート村の周辺は丘陵地帯だが、ノート村の職人と人夫達20人と共に、村の周りに堀を作り、ホルスがエールハウゼンで始めた、送風ポンプを使って山の上に水を上げる仕組みを導入して川から水を引き、農業用水に利用する計画をスタートさせることにした。


 更に村の敷地も五割ほど拡張して、移住者を更に増やして、酪農や農業を拡大していく心算である。

 アグネス達にはノート村の職人達と堀と水路、村の拡張を進めて貰うが、こちらの工事が一区切り付いたらノート村にも、上下水道や公衆浴場を作って村を拡大したいと思っている。


 しかし現状マリウスにもゴート村の職人達にも、そんな余裕は全くなかった。


「移住者を受け入れる準備もしないといけないけど、5月にはベルツブルグに行かないといけないし。」


「ベルツブルグ? ああ、いよいよフィアンセとご対面か」

 アデルがにやにやしながら言った。


「良いねえ若いって」


「若すぎるだろう、どうせ形だけだろう?」


「貴族の婚姻なんてそんなもんだって聞いているよ」

 マリウスがケリー達に答えた。


「まあな、貴族の婚姻は家の結びつきだからな。大抵親同士で決めるもんだな」


「そうね、辺境伯も100も年上のハイエルフと結婚するらしいしね」


「え、辺境伯ってステファンのこと? イザベラさんとじゃないの?」

 マリウスが驚いてエレノアに聞いた。


「うん、メッケル将軍の娘のイザベラちゃんと結婚する話が、八割がた決まってたんだけど、突然辺境の魔女がハイエルフの御姫様との結婚を決めちゃったんだって。有名な話よ」


 そうだったのか、二人仲が良いので恋人同士だと勝手に思い込んでいた。


「そうまでして見つけたミスリル鉱山を手に入れ損ねたんだから、妖怪ババアも頭が痛いだろうな」


 ケリーの言葉に、アデルも頷いた。

「また人を集めているらしいけど、全然集まらないってよ」


「当たり前よ、何人死んだと思ってるの。逆にアンヘルから引き上げる冒険者が、一杯出ているって噂よ」


「お前こんな村にいてよく知っているな」

 呆れるアデルにエレノアが胸を張って言った。


「情報収集は冒険者の基本よ。こないだエールハウゼンから移って来た冒険者パーティーの子から聞いた話よ」


 現在エールハウゼンの冒険者ギルドは休止状態だった。ギルマスのニックが『奇跡の水騒動』の時から行方知れずの儘だった。


 どうもエルシャ達から貰ったお金を着服していたらしい。

 冒険者ギルド本部がクレスト教会と縁を切ったので、発覚を恐れて逃亡したそうだ。


 エールハウゼンからDランクパーティー2組とEランクパーティー3組が、このゴート村に移籍してきた。


 ゴート村で働く冒険者たちは、実質的には冒険者を廃業した事になっている。

 アースバルト家の私兵と云う扱いで、国にも届け出を出していた。

 今は40名程だが、これも数が増えるといろいろと問題が出て来るらしい。



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