7―18 戦わない戦い
「これはイエル様、今日はどの様な御用で?」
商業ギルド、エールハウゼン支部のギルマス、エラルド・カーネルが満面の笑みでイエルとノルンを迎えてくれた。
エラルドは60歳位の白髪の男で、もうかれこれ20年近くエールハウゼンのギルドマスターを務めている。
二人は勧められるまま、エールハウゼンでは滅多に見かけない、豪奢な革張りのソファーに腰掛けると、綺麗な女性職員が直ぐにテーブルにお茶を並べてくれた。
「今日は若様より新しく商業ギルドの担当に任命されたノルン殿をお連れしました」
「ノルン・シュトゥットガルトです、宜しくお願いします」
エラルドが驚いた様にノルンを見る。
「それは態々痛み入ります。随分と御若いようですが、シュトゥットガルト様というともしや騎士団長のシュトゥットガルト卿の……」
「末の息子です」
ノルンがペコリと頭を下げた。
「時に小耳にはさんだのですが『狐商会』のアンナさんがギルドの役員になられるとか?」
イエルが何気なく話を振る。
「これは御耳が早い。本当に異例なのですが、王都本部がアンナ会長を指名しておりまして、御本人に意思を確認した処大層乗り気の様でした」
エラルドは隠す様子も無く、あっさりと答えてくれた。
やはり初めから想像していた通り、エラルドはフレデリケたちの仲間というわけではないのかもしれない。
「やはりそうでしたか。何分若様はアンナさんには大層目をかけておられて、あれこれと援助を行ってきたので、アンナさんが出世されるのは喜ばれるでしょう」
イエルが惚けて話をするとエラルドが機嫌よく答える。
「成程、やはり『狐商会』の目覚ましい発展ぶりはそう云う事でしたか。実は一月ほど前、本部の幹部の方からゴート村に出入りしている商人の事を調べて貰いたいと依頼されて、真っ先にアンナさんの名を上げたのですよ」
「もしかしてその本部の幹部の方というのはフレデリケ・クルーゲ様ですか?」
「ええ、その通りです。クルーゲ統括部長の事を御存じでしたか?」
やはりフレデリケは、アンナたちに接触を図っているらしい。
「いえ、お名前だけは。有名な方ですから。統括部長といいますと?」
「ああ、フレデリケ様は最近この東部一帯のギルドを統括する責任者になられたのです。つまり私の直接の上司になります」
これは少し頭の痛い情報である。
マリウスの考える、東部の流通、小売を包括するカンパニーを立ち上げるうえで、フレデリケと真面に対立する事になる。
「ときにイエル様」
エラルドが真面目な表情でイエルを見る。
「実は宰相様から本部ギルドの方に、私共にポーションを卸して頂ける話を一旦白紙に戻したいというお話が来ているそうですが、何か私共に不都合がありましたでしょうか?」
「ああ、いえ。私共にもその様な話が来ておりますが、どうも宰相様は出来るだけ安価にポーションを王国民に提供したいようで。こちらにも卸値価格を下げる為の、経費の削減などの御話が来ていて、ただいま調整中で御座います」
困り顔のエラルドに、イエルが惚けて答えた。
「成程。宰相様のお考えは分かりますが、私共も以前から比べれば随分と良心的な価格でポーションを販売できると自負しておりますが、未だ宰相様にはお気に召しませんか」
エラルドがしょ気た様子で呟く。
「此度のポーションの取引は。このエールハウゼン支部始まって以来の大きな仕事になるので職員一同張り切っていたのですが……」
「それについて実は、代わりと言っては何ですがノルン殿から、こちらの支部に新しい仕事の依頼が有るのですが」
「新しい仕事ですか?」
ノルンが咳払いをするとクラウドを見て、話始めた。
「実は若様より御許可を頂き、この度魔石を定期的に商業ギルドに卸したいと考えているのです」
「なんと、やっと魔石を卸して頂けるのですか?」
エラルドも思わず身を乗り出した。
「ハイ。アースバルト家では低級の魔石を600個に中級を300個、上級70個程を毎月こちらのギルドに卸したいと考えています」
「なんと、それ程大量の魔石を毎月卸して頂けるのですか?」
以前の市場価格で2千万ゼニー以上の量なので、今なら販売価格は5千万は下らない筈である。
「ええ、若様は昨今の魔石の急騰を大層憂いております。こちらの支部で出来るだけ広い地域に魔石を供給して頂きたいと仰せられております」
「有り難い事です。勿論最大限高値で全て買い取らせて頂きます」
「いえ、価格は従来通りの価格で結構です。魔石は人々の生活を支える大切なエネルギーですから、これ以上の高騰を若様は望んでおられません」
ノルンが淀みなく話をするが、勿論最初からイエルと打ち合わせ済みの話である。
エラルドが信用できる人物なら出来るだけ恩を売って、フレデリケとの直接対決を避けるための仲介役になって貰おうというのが、マリウスとイエルの考えだった。
深々とノルン達に頭を下げるエラルドと別れると、二人は商業ギルドを後にした。
マルティンが御者をする馬車に乗り込んで、ホルスの待つ領府に向かいながら、ノルンは人の好いエラルドを騙した様でひどく後ろめたい気分だった。
「別に嘘を言ったわけではありませんよ、ノルンさん」
「ええ、まあ。それは分かっていますが、なんだかエラルドさんを騙したようで……」
「騙したのではなく、我々の仲間になって頂くように手を打っただけです。それにあの姿が必ずしも本当のエラルドの姿かどうかはまだ分かりません。実は裏でフレデリケに通じているかもしれません」
「え、そうなんですか?」
ノルンが驚いてイエルを見る。
「まだ分かりませんよ。其の為にマルティンに彼等を監視して頂くわけですから。それに、あれだけの量の魔石が市場に毎月流れれば魔石の値段が下がり始める筈ですが、変わらない様なら要注意ですね」
イエルが笑いながら答えた。
低級、中級の魔石に関しては騎士団が狩る量の半数位を毎月ギルドに卸す事になる。
上級以上の魔石を押さえていれば、村の開発は何とかできるというマリウスの判断であった。
「ノルンさん、これは戦いですよ。言わば大きな戦いを回避するための戦いです。相手の先を取る事が出来れば、無駄な犠牲を出さずに済みます。ベルツブルグではそれで苦戦したのでしょう」
「そ、それは……」
ノルンが言葉を詰まらせる。
確かにノルン達は聖騎士のテロ行為を一つも阻止できず、結局全てマリウス一人で尻拭いする事になった。
あれからマリウスは確かに変わった。
村に帰ってから、ベルツブルグやエール要塞の話は一切口にする事は無く、ひたすら村作りに打ち込んでいる姿は、まるで全て忘れてしまいたいかのようだった。
自分たちは結局マリウスの役に立つことは出来ないのではないか。そんな気持ちが自分を苛立たせている事をイエルに見透かされた様で、ノルンは思わず顔が赤くなるのを感じていた。
「ゆっくり前に進めば良いのですよ。若様もノルン君もまだ若いのですから」
イエルの言葉を遠くに聞きながら、ノルンは早くマリウスと仲直りしようと思った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ガラス工房に入るとすぐに犬獣人のマイセとエイトリがマリウスを見つけて傍に駆けて来た。
マイセはアドバンスドの焼き物師で焼き物工場の責任者なのだが、彼の上級スキル“調合”やレア鍛冶師のエイトリの“融合”等のスキルがガラス作りにも役に立つので、二人にはガラス工房のアドバイザーとして参加して貰っている。
ガラス職人のジョブを持つ者は激レアで、恐らくこの大陸に未だ10人もいないと思われている。
言ってみれば素人の集まりと、アイツから得た知識だけで立ち上げたガラス工房だが、現在は20人程が働いている。
広めに作った工房内では大きな原料の溶融炉と、るつぼと呼ばれる溶融ガラスを貯める小さな炉が稼働している。
奥には出来上がったガラスをゆっくり冷やすための徐冷炉も数基あり、恐らく工房内はすさまじい暑さだろうが、全員“防暑”と“熱防御”を付与した揃いの作業服とエプロン姿で、汗もかいていなかった。
職人が、吹き竿と呼ばれる金属の筒の先をるつぼに突っ込んで溶けたガラスを先につけると、金属棒の反対側から息を吹き込んで丸いガラスの球を作る。
何度もるつぼに突っ込んで温めて金属棒を下に向けて、重力で伸ばしたり刃の付いた大きなトングの様なもので形を整えたり、板を当てて底を造ったりしながら形を整えると、底に溶けたガラスを付けた金属棒をひっつけてから、トングの刃でこすって吹き竿から切り離し、再び温めて今度はコップの口の形を作る。
未だガラス工房が稼働して一月半程だが、職人たちが手慣れた様子で同じ形、大きさのコップや瓶を次々と作ると、金属棒から切り離してトングで掴んで徐冷炉の中に並べていく。
入り口に近い場所に作った検品ブースでは、村から雇った三人の獣人の主婦たちが出来上がったコップを一つずつ確認してから木屑を引いた木箱に納めていた。
ミラに作って貰った木製の見本と見比べながら、罅や割れがあるものは再び溶かして再利用し、サイズや形状が揃っていない物は無料で屋台村の店などに送られる。
マリウスは木箱に納められたガラスコップを一つ取って、日の光に翳してみた。
最初の頃は少し濁っていたが、今は随分と透明度が上っているようだ。
「これなら西側諸国の物と比べても遜色ないんじゃないかな」
「原料の調合を変えてここまでできましたが、まだまだ西には及びません」
マイセが謙遜するが一月半でここまで品質を上げる事が出来たのなら、追い付くのも時間の問題に思える。
輸入品より遥かに安価なガラスのコップ類は、エールハウゼンや公爵領にも出荷が始まっていた。
「焼き物工房や鍛冶工房も忙しいだろうけどよろしく頼むよ、移住者がやってきたらまた人を増やすよ」
マリウスがマイセとエイトリ―に言った。
焼き物工場では現在ポーションの容器の増産体制に入っているし、エイトリ―の鍛冶工房は馬車の増産体制に入っていた。
「お任せ下さい、若様!」
力強く答える二人の向こうに、2メートル程の深いピットの前に立つ屈強な男たちが見えた。
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