5―52 もう一つの勢力
「120年前に滅んだ、辺境の隠れ里で御座いますか?」
「左様、アースバルト領の領境の森の中に、薬師ギルドが秘密裏に作った隠れ里だそうだが、何か聞いたことは無いかな?」
ステファンがさりげなくウルカの表情を見ながら尋ねた。
「良く解りませんが、何故私に?」
ウルカが小首を傾げながら、微笑を浮かべて答えた。
アンヘルの東の端、一番魔境寄りの一角にある森に囲まれたアルフヘイム離宮をステファンはバルバロスで尋ねて来ていた。
五代前の辺境伯家当主が建てたこの別荘は、今はシェリルがハイエルフ達の住居としてウルカに与えていた。
「その村は薬師ギルドが秘密裏に作った村で、ウムドレビの研究をしていたそうだ」
ウルカが驚いた様に答える。
「ウムドレビで御座いますか? そのような物が本当にいるのですか?」
「ああ、マリウスの話ではその村の近くの沼地に、今でも30匹程生息しているらしい。なんでもその実から、ハイエルフの秘薬が作れるとか。ウルカは何か知らないか?」
ウルカは困惑したような表情で答えた。
「噂を聞いたことは御座いますが、それは二千年以上昔の話で御座います。今も知っている者は居ないでしょう」
ステファンはマリウスを訪ねた後、シェリルにも話を聞いてみたが、シェリルも何も知らないようで驚いていた。
只シェリルは、その話は絶対にクレスト教会と教皇国に知られてはいけない話だから、マリウスに注意するようにと伝えてくれとだけ言った。
ステファンはウルカにも話を聞く為アルフヘイム離宮を訪ねて来たのだが、ウルカも何も知らない様だった。
「父上なら何か知っているかも知れませんが、此のところ具合が悪い様で、ずっと眠っています」
ウルカの父はハイエルフの族長だが、ずっと病で寝たきりだそうで、ステファンは実は一度も逢った事が無かった。
ステファンは思い出したようにポケットから三本の小さなガラスの瓶を取り出して、机の上に置いた。
「これはマリウスの処の薬師が作った、大層効能の高い病気回復用ポーションだそうだ、ウルカの父上の事を話したら分けてくれた」
「これは父上の為にお気遣い有難う御座います。マリウス様にもよろしく御伝え下さい」
ウルカがそう言ってステファンの手を取って、菫色の瞳でステファンを見上げた。
ステファンはウルカの視線から目を反らすと言った。
「秋に王都に上るときは其方と族長殿にも一緒に上洛して貰いたい、養生するように言ってくれ」
ウルカの手を離すとステファンは、今日は泊って行けば良いのにと言うウルカに礼を言って、アルフヘイム離宮を後にした。
侍女たちとステファンを見送ったウルカが離宮の中に戻ると、侍女のベルタがステファンの置いて行った、机の上のポーションを指差して言った。
「これは如何されますか?」
「全部捨ててきなさい、私達には必要のないものです」
ウルカはそう言って自室の有る二階に上がる階段に向かった。
自室に戻ると、机の上に置かれた人の顔程の大きさの水晶玉の前に座って、水晶玉に手を翳す。
水晶玉に黒髪の女の貌が浮かび上がった。
「如何致しましたかウルカ様」
青味をおびた黒髪の女、フリデリケ・クルーゲが水晶玉越しにウルカを見る。
「どうやらウムドレビの沼は、マリウス・アースバルトの手に渡ったようだ」
「放っておいてよろしいのですか?」
驚いた様にフリデリケが問い返す。
「あの少年に預けておくのが一番安全であろう、『禁忌薬』の方はどうなった?」
ウルカが美しい眉を顰めて言った。
「申し訳ありませんウルカ様、まさかレオニード・ホーネッカー等と云う小物が『禁忌薬』に手を出していたとは。しかしご安心ください。ウムドレビの抽出材共々、教皇国に渡る前に処分いたしました」
「かの者は既にガオケレナを手に入れている。危うい所であったな。それで宰相の方はどうだ、上手く操れそうか?」
水晶玉の向こうでフレデリカが顔を歪めて頭を下げた。
「申し訳ありませんウルカ様、宰相は既にあの少年の力に守られています。私の術は通じませんでした」
「そうか。其方の力さえ寄せ付けぬか。あれからまた力を上げたようだな。やはりあの少年こそ女神の使徒に間違いないな」
ウルカが口元を歪めて呟く。
「やはりあの少年は危険ではありませんか。大事になる前に始末した方がよろしいのではありませんか?」
「いや、迂闊に手を出すのはお前達でも危険だ。それに、あの少年の力はギュンター・ロレーヌの野望を阻むのに利用できる。エルマもあの少年の村にいる。当初の計画とは違うが、暫く此の儘放っておこう。どのみち秋にあの少年と王都で再び逢わねばならない様だしな」
そう言って妖しく笑うウルカの瞳が、真っ赤な血の色をしていた。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
「やはり無理ですね、マリウス・アースバルトは完全に宰相ロンメルの陣営に付いた様です。新薬の取引は宰相を通す以外にないようですね」
エールハウゼンのエルシャの館で、エミールがルーカスに告げた。
「その様な事出来る訳無かろう! 宰相と取引するという事は、我らが宰相に膝を屈するという事だ!」
額に青筋を浮かべて激高するルーカスに、エミールが覚めた口調で言った。
「しかしこのままエルマの教会に新薬を独占されてしまっては、いずれにしても我らは力を失う事になります」
「くっ! 何か手はないのか! カサンドラ・フェザーか助手の薬師を攫ってはどうだ」
「今となってはそれも難しいでしょうね。今我々は完全に周囲を包囲されている状態ですから。たとえカサンドラを拉致出来たとしても、無事に逃げ切れるとは思えません」
ハイドフェルド子爵が滅んで、ガルシアの軍がダブレットを抑えている状況では、ルーカス達は完全に公爵家、辺境伯家、アースバルト家の中に孤立して閉じ込められた状況だった。
「ここで事を起こしても自滅するだけですよ、私はいったんフランツを連れて此処を出てから公爵領にいる総帥と合流します。三日後マリウス・アースバルトがベルツブルグに入ります。公爵夫妻とマリウスを討つ以外にこの状況を変える事は出来ないでしょう」
エミールの言葉にルーカスも渋々頷く。
「うむ、枢機卿猊下も手段が尽きて、最早総帥の作戦に賭ける以外に手が無いと言ってきておる、ベルツブルグで事を起こすと同時に帝国がエール要塞に迫る。ブレドウ伯爵も動く筈だ」
「公爵家を抑えられれば、宰相の兵力は魔術師団と第6騎士団を加えても一万七千程、たとえ公爵を討てなくても、王都の公爵軍を戻す事が出来れば、王都で事を起こす事も可能になる筈です」
第2騎士団と第7騎士団、ブレドウ伯爵達親教会派の貴族の王都軍の総数は約二万五千、軍事力を背景に宰相と有利に交渉する事も出来る。
ルーカスが頷くと、エミールは口元ににやけた笑みを浮かべ部屋を出て行った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
現在マリウスの配下の戦力はかなり膨れ上がり騎士団が175名、私兵扱いの冒険者が42名、ノート村の自警団が23名で、合わせて240名になっている。
マリウスは幽霊村を守るオルテガの元に追加の兵士10名と『森の迷い人』と『青い羊』の七名と火魔術師にブレンを増援に送り、ノート村のジェイコブの元に『アルゴーの光』と新しく入ったDランク冒険者二組の13人に風魔術師のベッツィーを送った。
ニナの部隊は30名の騎士団と『四粒のリースリング』の4人にEランク冒険者パーティ2組と水魔術師のバナードを付けて三つの村を繋ぐ街道を絶えず巡回させ、ゴート村とエールハウゼンへの街道は、マルコとクレメンスが130数名の騎士団の兵士と冒険者で守る事になる。
マッシュ、デリア、ティオの三人のビギナー魔術師も臨時で騎士団に戻って貰った。
村を囲う城壁は既に南、西、北は5メートル程の高さの塀が完成している。
東側は未だ半分ほどの高さだったが、昨日からがミリ達を塀の作業に集中させたので、今日中に完成する予定だった。
マリウスは村の城壁に“物理防御”、“魔法防御”、“強化”、“摩擦軽減”を付与した。
更にハティに乗って幽霊村に行くと木柵にも“強化”、“魔法防御”、“物理防御”を付けて回った。
マリウスは 保有している魔石を全て集めてから、ベルツブルグ行に持って行く魔石として、特級全て、上級100個、中級下級300個ずつを確保し、更にベルツブルグから帰って来てから溜まった仕事を片付ける為に上級300個、中級6000個、下級1200個を別にすると、残った魔石を全て戦力強化に使う事にした。
特級付与“結界”と、“念話”を隊長クラスに解禁する事にした。
ナターリアに作って貰ったイヤリングにまず“念話”を付与する。
“念話”は上級魔石5個で二つ付与する事が出来た。頭の中で思い描いた相手に意識を向けるとアイテムを持ったもの同士で、心の中で会話できる能力だが、どの位の距離まで会話できるかは使ってみないと分からない。
取り敢えずマリウスは一つをカサンドラに与えてみたが、幽霊村とゴート村の間は問題なく会話できるようだった。恐らくエールハウゼン迄も大丈夫だろう。
更に8個のイヤリングに“念話”を付与すると、今度は“結界”を付与する。更に“索敵”と“暗視”を付与した。
“結界”は魔力量で強さや範囲が変るので、戦士職の隊長達は、マリウスやハティ程の力は発揮できないであろうが、それでもレアクラス程度の攻撃なら余裕で受け止められる筈であるし、半径15メートル程度には広げる事も出来るだろう。
マルコとニナ、オルテガに一つずつイヤリングを渡す。
四つはクラウスとフェリックス、エールハウゼンの留守を預かるジークフリート、ベルツブルグに先乗りしているクルトに渡す心算だった。
イエルやクレメンス、レオンやベルツブルグにいるエリーゼやノルン達にも持たせたいが、魔石に限りがあるので今回は諦めた。
マリウスは最後に一つ残ったイヤリングを持って教会に向かった。
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