7―21 暗雲再び
ラウム枢機卿が眉間に皺を寄せていかにも困ったと云う風にエミールを見る。
「グランベール公爵から本国に対して、聖騎士の公爵領内での破壊活動と、帝国と結んでエールに侵攻した事に対する条約違反の抗議文が送られて来た。公爵家はシルヴィーの部下達と、帝国のアレンスカヤ将軍を証人として捕えているそうだ」
「いかが致します。その者達を消しますか?」
「それについては私の方で手を打つ。少し考えがある。お前には別の仕事を頼みたい」
ラウム枢機卿がエミールを見た。
「別の仕事で御座いますか?」
「先ほど話に出た辺境伯家の事だ」
自分を見つめるエミールに枢機卿が言った。
「辺境伯家内部では今、公爵家との同盟に賛成する者と反対する者で家中が割れている。反対派の中心人物はベルンハルト・メッケル将軍だ」
「成程。つまり辺境伯家の内部分裂を煽れという事ですね」
エミールが初めて口元に何時ものにやけた笑みを浮べた。
「ラグーンに向かって、『アールベック商会』のロザミア・アールベックを訪ねよ。彼女が協力してくれる事になっている。クレアの部隊を本国から呼び寄せているので連れていくが良い。お前の役に立つだろう」
クレアの部隊はアサシンとシーフで構成されており、隠密行動に長けている。
「商業ギルドが味方になるのですか」
訝し気に尋ねるエミールにラウム枢機卿が頷いた。
「あの者達の思惑は良く解らぬが、今は協力してくれている。上手く利用して、辺境伯家と公爵家の同盟を阻止せよ」
ラウム枢機卿の命にエミールが胸に手を当てて礼を取ると、新しい陰謀に向かって部屋を出て行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王都でもミドルを中心に現在60余名の錬金術師によって、『奇跡の水』をベースにした従来通りの製法のポーションが製造されていた。
製薬工場が北門の近く、市街地の郊外にあるのは、王都北側の城壁の側に浄水場が建設されているためで、今は簡易奇跡の水製造器である10個の樽を使用しているが、将来的には浄水場から直接『奇跡の水』を引き込んでポーションを増産する為であった。
医術師ギルドと診療所の襲撃事件から丁度一週間、王都の厳戒令がようやく緩められ、王都の人々にも日常が戻りつつあった。
高い石の塀に守られた製薬工場では、既に日が暮れつつあったが、ポーションの製造が続けられていた。
「本当に此処を襲ってくるのかね?」
魔術師団の部隊長ゲラルト・アーベラインが疑わし気に呟く。
製薬工房には魔術師団60名と第6騎士団120名が厳重に警備をしていた。
近くの浄水場建設地にも第6騎士団の精鋭が150名と魔術師団100名が配置されており、更にここは魔術師団の屯所にも近く、何時でも数百の援軍が30分以内に駆け付ける事が出来る。
「ここは間違いなく標的に入っているというのが将軍たちの読みです。ただ陽動の可能性もあるので、不用意に此処を離れず、死守するようにとの事です」
第6騎士団の部隊長、フローラ・ルーデンドルフが年長のゲラルトに敬語で答える。
「ふん、賊といってもほんの数名と聞いているが、これだけの人数で守るこの工場を狙うなど正気の沙汰とも思えんが」
フローラはゲラルトに愛想笑いを浮かべながら、窓の外に目を向ける。
フローラたちがいるのは製薬工場の門の側に建てられた、警備の詰め所の二階であった。
工場は高さ5メートル程の石壁に囲まれ、数箇所物見櫓が建っている。
日が暮れてきたので、周囲の各所に照明の魔道具が灯され始めた。
フローラが席を立って夕食に向かおうとしたその時、突然正面の門の方角から轟音が鳴り響いた。
振り返って窓の外を見ると、10本の火柱が上がるのが見えた。
物見櫓の一つが炎に包まれ、炎の燃え移った兵士が櫓の上から悲鳴を上げながら落下していった。
「くっ! “索敵”に掛らなかったのか?!」
ゲラルトが怒鳴りながら慌ただしく部屋を出て行く。
フローラもゲラルトの後を追って表に出た。
物見櫓を焼く炎で照らされた石塀の数箇所が破壊された向こうに、十数騎の黒い鎧の騎士が見えた。
「総員、陣形を組め!」
ゲラルトが怒鳴るとゲラルトの前に魔術師団の前衛の騎士30名が盾を構えて横一列に整列し、その後ろで十数名の魔術師達が隠れるように並ぶと、魔力を練りながら前方を見つめた。
フローラの周囲にも第6騎士団の兵士が集まって来た。
フローラは二人の下士官に周囲を警戒するように命じると、自分も兵を連れて魔術師団の横に並ぶが、壊れた石塀から侵入して来る騎馬の黒騎士が数名、こちらに向かって黒い球を投げつけるのが見えた。
攻撃を予測していた魔術師達が、すかさず前面に石や氷の壁を作る。
爆音と共に砕けた石壁の隙間から跳んで来たマジックグレネードが弾けて、“ヘルズハリケーン”が放たれる。
特級風魔法の暴風をレジストしきれずに数人の兵士が吹き飛ばされた。
製薬工場の壁がめくれ上がり、屋根の一部が吹き飛ばされる。
魔術師団からも上級魔法が放たれるが、黒騎士が馬首を返して逃走を始めた。
「おのれ! 追え。一人も逃がすな!」
ゲラルトの命で魔術師が前面に張った石の壁を消すと、壁の陰に隠れていた10騎程の兵士が一斉に至近距離から弓を放った。
躱しきれずに数名の魔術師が矢を受けて倒れる。
黒騎士は一射だけすると、馬首を返して夜の街に向けて逃走を開始した。
ゲラルトが馬に跨ると怒声を上げる。
「追え! 逃がすな! 俺に続け!」
「待たれよ、ゲラルト殿! 持ち場を離れるなとの命です!」
フローラがゲラルトに声を掛けるがゲラルトは振り向きもせずに門を飛び出して行った。
魔術師団の兵士たちも騎馬でゲラルトの後を追う。
フローラが止む無くゲラルトの後を追うため騎乗したその時、今度は製薬工場の反対側で爆音と地響きが響き渡った。
「くっ! やはり陽動か?!」
フローラは兵を引き連れてゲラルトとは反対の方向、製薬工房の北門に向けて走った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
逃げる黒騎士は全部で20数騎だった。
ゲラルトは40騎の騎士と魔術師を引き連れて黒騎士を追撃した。
黒騎士の一団が下町の路地に逃げ込んでいく。
ゲラルトも騎馬の先頭を駆けながら路地に飛び込んだ。
薄暗い路地を十数メートル走った処で、首に衝撃を受けて馬から放り出される。
後続の騎士達も次々と馬から放り出されて後ろに転げ落ちた。
後から駆けこんで来た兵士の馬が、放り出されたゲラルトたちを避けようとして手綱を引くが、そこに後続の馬が激突し、兵士が地面に放り出された。
何とか起き上がったゲラルトの目の前に黒い球が数個転がった。
轟音と共に炎を稲妻が夜の街を照らし出し、周囲の家が瓦解する。
辛うじてレジスト出来たのはゲラルトだけだった。
よろよろと立ち上がるゲラルトに向かって馬上のハインツ・マウアー将軍が細身の長刀を抜くと、ユニークアーツ“魔神烈斬”を放つ。
光速の斬撃が一瞬でゲラルトの体を真二つに裂き、石畳に深い溝を付けた。
ハインツは周囲を見回して生き残りがいないのを確認すると、黒騎士達を率いて夜の街へと消えて行った。
〇 〇 〇 〇 〇 〇
「何だと! フレデリケ・クルーゲ女史が旧薬師ギルドを洗脳して、『奇跡の水騒動』を引き起こした張本人だというのか?」
クラウスが驚いて声を上げる。
領府の、クラウスの執務室である。
イエルとノルンは商業ギルドを出た後、領府でクラウスとホルス、ジークフリートに報告を兼ねて今後の対策を話し合うために領府を訪れていた。
もう日が暮れかけているので今日はエールハウゼンに泊まりになりそうだった。
部屋の隅にはマルティンが控えている。
「若様とクライン男爵はその様に疑っておられるようですし、クライン男爵と宰相様の調査で確かにクルーゲ女史に不審な点が見つかったようです」
イエルがハンカチで額の汗を拭いながら答えた。
クラウスやホルス、ジークフリートも驚いているが、イエルもマリウスからこれまでの経過を全て明かされたのはつい数日前の事であった。
「むう、あのクルーゲ女史が。信じられぬが、宰相様までが疑っておられるのであれば確かに商業ギルドは警戒せねばならぬな」
クラウスは貴族学園で、エルザともフレデリケとも同窓であった。
記憶の中のフレデリケは聡明で理知的な、凛とした美しさを持った、エルザとは違う意味で華やかな存在であり、もう一人の学園の華であった。
「それで商業ギルドはクレスト教会とも繋がっているのか?」
ジークフリートの質問にイエルが首を振った。
「今のところその様な確証は得られていないようです。表面上商業ギルドはあくまで中立の立場を取っているよう御座います」
「しかし商業ギルドを通さずに、一体どうやってポーションを東部に供給する心算なのだ?」
今度はホルスがイエルに問う。
「まさにその件を宰相様は我らと諮る為に、クライン男爵を派遣して来るようです」
「さて、我らと諮ると言われても突然の話故何も考えてはおらぬが、マリウスは何と言っている?」
クラウスが当惑してイエルに尋ねた。
「若様はカンパニーを作る御心算のようです」
「カンパニー? なんだそれは?」
クラウスが首をかしげる。ホルスやジークフリートも興味深げにイエルの話に耳を傾けていた。
「アースバルト家と王家、公爵家に辺境伯家が共同出資して、東部全土を網羅する流通網と小売店を広げ、ポーションや魔道具、日用品から食品まで、ギルドを通さずに販売する商会を立ち上げるのです」
「なんと、ギルドを通さず我等で商会を立ち上げるというのか?」
「勿論既存の商会に傘下に入る事を呼び掛けていく心算ですし、実際に商会を運営していくのは商人たちですが、商業ギルドには依存しない、ギルドの垣根を超えた新しい商取引の形を作りたいと云うのが若様のお考えです」
「成程、確かに面白いが、そうなると商業ギルドが黙ってはおるまい」
クラウスとジークフリートは唖然としているが、ホルスが眉を顰めながらイエルに言った。
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