4―11  クラーク


「え、春に播く小麦もあるんだ」


「はい、寒い地方で栽培できるように品種改良された物ですが、北部の方では4月に播いた小麦を9月頃に収穫している様です。確か宰相様が始めたと聞いています」

 クラークの話にマリウスは驚いた。


 小麦は秋に播いて冬を越し、5月頃に収穫する者だと思っていた。


 宰相のロンメル様は農民宰相と呼ばれている、ユニークの農民のギフト持ちだという話は、マリウスもホルスから聞いたことがあった。


 小麦は水捌けのよい土地なら、それ程水が少ない畑でも充分育てられる。

 温暖で水の豊かな辺境伯領では米も栽培しているそうだが、山間のアースバルト領では小麦が主食だった。


「寒い地方向きの品種ですが、この辺でも山間部なら育つと思います。確か公爵領の北部でも育てている筈です」


 移民を受け入れて農地を開いても小麦を撒くのは秋、収穫は来年になると思っていたが今年のうちに小麦を収穫できるかもしれない。


 ゴート村周辺は山間部なので気温は低いが東の森の奥、魔境に近づくにつれて次第に暖かくなっていく。


 つまり村周辺で春撒きの小麦を育て、森を開いた魔境寄りの平地に秋撒きの小麦を植えれば年に2回麦を収穫ができる。


 幸い土地は幾らでもある。

 空いた畑や秋播きの小麦用の畑では、夏場は野菜を育てる予定だった。


「イエル、直ぐ公爵領から種子を手に入れて」


「はい、直ぐに手配いたします」


 マリウスがクラークに向き直ると、クラークが傍らの麻袋から茶色い丸い根と干からびた赤い果実を取り出した。


「これがカトフェ芋で、此方がトマーテです。どちらも試験的に栽培していますが、水の少ない処でもよく育つし、カトフェ芋は年に二回収穫する事も可能なのです。私の“作物鑑定”で栄養のある食物になると分かったのですが……」


 クラークはそう言って土の塊の様な丸っこい芋と赤い果実を机の上に置いた。


『ジャガイモとトマトじゃん、そう言えば何方も見てなかったな。これでフライドポテトとピザが食えるな』


「カトフェ芋の方は食べるとお腹を壊すことがよく有り、トマーテの方は酸っぱくてとても食べられないのです」


 頭に大きな角のある牛獣人のクラークが困り果てた顔でマリウスに言った。


「カトフェ芋の方は茎や葉、芽に毒があるので食べるときは芽を取った丸い根の部分だけ食べる様にして下さい。蒸かしても、油で揚げてもおいしいです。トマーテは煮て潰してソースやスープに入れたりするといいです。クラークは“品種改良”のスキルがあるそうですね?」


「ええ、特級スキルです。一応使えますが」


「それでは酸味を抑えて糖度を増すような改良を研究してください。生食用もきっとできる筈です。モーリッツに言って資金を出す様に手配してあります。必要なら色々な品種を輸入して調べて下さい」


 クラークが恐縮してマリウスに礼を述べた。


「カトフェ芋は麦が不作の年に必ず重要になります。トマーテは料理の幅を広げてくれる筈です。僕が買い上げますからどんどん作って下さい」

 ゴート村でも栽培を奨励してみようとマリウスは思った。


「有難う御座います、若様が私の研究を理解していただけるとは感激です。必ずご期待に応えて見せます」


 マリウスの隣で話を聞いていたイエルが意外そうに言った。

「若様は農業にもお詳しいのですか? 何処でその様な知識を?」


「うーん何かの本で読んだような気がするけど、兎に角そう云う事だから宜しく頼みますクラーク」


 頷くクラークにマリウスが言った。

「クラークはサトウダイコンを知っていますか?」


「あ、ホウレンソウによく似た葉っぱの丸い根が出来る野菜ですね。この村にも在ります、葉を食べて根は牛に食べさせています。」


「サトウダイコンから砂糖を作って欲しいのです。作り方は是に書いてあります。」


 甜菜である。


『まあファンタジーの基本だからな。』

 

 暖かい魔境の中なら砂糖キビを育てられるかもしれないが何時になるか分からない。


 現状砂糖はこの国では、南の方で僅かに作られているだけで、これも辺境伯家を通して南洋諸島から輸入されている。


 甜菜が牛の飼料として栽培されているのなら、手っ取り早く砂糖を手に入れるのに好都合である。


「根を刻んですり下ろしたり煮た事はありますが、えぐみが抜けなくてとても食べられなかったですが、成程汁の方を煮詰めていくのですか」


「刻んで煮詰めた後の根は牛の飼料にして下さい」


「砂糖が手に入るとは素晴らしいですな、砂糖は高価ですから」

 イエルが感心していった。


 安価に砂糖が手に入れば、色々と味の幅が広がる。


 今年のノート村の基本方針は牧場を広げて生乳の量産、カトフェ芋やトマーテ等の新しい作物の栽培、甜菜糖の生産の三つで進める事にする。


 マリウスはクラークに別れの挨拶をするとイエルと外に出た。

 既に馬車が停まっていて、クルト、ノルン、エリーゼが馬を引いて待っていた。


 村に残るオルテガと20人の兵士達とジェイコブ、ヘンリー達自警団の者にモーリッツが見送りに来ている。


「春にはゴート村とノート村の間の魔物は全て討伐して、誰でも二つの村を安全に行き来できるようにするよ。其れまで頑張って下さい」


 オルテガたちとジェイコブたちがマリウスに敬礼する。マリウスはイエルと馬車に乗り込み、馬車は村の門を出た。


 しかし幾らも行かないうちに馬車が停まってしまった。

 マリウスが馬車の扉を開いて顔を出すと、ノルンが馬を寄せて前を指差す。


 馬車の前方、村を囲む杭の向こう側にフェンリルが立っていた。

 マリウスは馬車を降りるとフェンリルに向かって歩き出した。


 クルトがマリウスの前に出ようとするのを、手で制して止める。


 フェンリルが立つ杭の手前、10メートル位まで近寄って立ち止まると、フェンリルを見た。


 フェンリルはじっとマリウスを見ていた。

 傷はもう塞がっている様だった。火傷の後も小さくなっている。


 マリウスが立ち止まって見ていると、フェンリルがマリウスに向かって一歩踏み出した。

 その儘杭の間を通り抜け、マリウスに近付いてくる。


「杭を超えた! 魔物が“魔物除け”の杭の中に入ってこられるなんて!」

 ノルンが慌てて叫んだ。

 クルトが剣に手を掛けるが、マリウスが振り返って首を振った。


 フェンリルがマリウスの前で立ち止まると、頭を下げて鼻面をマリウスの胸に引っ付けた。

 

 マリウスが手を伸ばしフェンリルの、角の生えた頭に触れると、フェンリルが尻尾を振った。


 マリウスはフェンリルの頭を撫でながら言った。

「バカだなあノルン、魔物が“魔物除け”の杭を超えられる訳がないじゃないか。こいつはただの狼だよ」


 フェンリルの大きな舌がマリウスの顔を舐めて、マリウスが 擽ったそうにのけ反った。


「そうよ、マリウス様の“魔物除け”の中に魔物が入られる訳無いじゃない、本当に馬鹿ねノルンは!」

 エリーゼが決めつける。


 マリウスは肩の竹筒を手に取って、フェンリルの背中の傷や火傷の後に振りかけ口元に当てると、フェンリルが美味そうに竹筒の水を飲んだ。


「そんな大きな狼、角も生えてるし……」

 なんで自分が非難されているのか良く解らないノルンが、ぼそっと呟いた。


「お前の名前を考えないとね」


『フェンリルの仔ならハティだろう。月を喰らうんだったっけ?』


「よし、お前の名前はハティだ。宜しくハティ!」

 マリウスがそう言うと、ハティは一声吠えて再びマリウスの顔を舐めた。


「擽ったいよハティ。顔がべとべとだ」

 そう言うマリウスの前でハティがしゃがんで顔を上げ、マリウスを鼻面で突いた。


「なに、乗せてくれるのかハティ」

 ハティがまた一声吠えた。


 マリウスが背中に乗ると、ハティが立ち上がって向きを変え、村の外に向かって駆け出した。


 ものすごいスピードだったが、マリウスの周りはハティの風魔法で守られていて、振り落とされることは無い。


 クルトやエリーゼ、ノルンが慌てて馬に乗ってマリウスを追った。


「待ってください! マリウス様!」

 エリーゼが後ろで叫んでいる。


 “魔物除け”の杭がハティに効かなかったのは、竹筒の水の効果なのかもしれないが、マリウスは“魔物除け”の杭が、ハティを魔物では無いと判断したのだと思った。

 

 風を斬る疾走感の中で、ハティの背中でマリウスが叫んだ。

「よし、ハティ! このままゴート村まで走れ!」


 ハティが空に向かって吠えると、地面を蹴って空に舞い上がった。

 宙を蹴りながら空を駆けていく。


 クルト、ノルン、エリーゼが必死に馬を走らせるが、どんどん引き離されていった。


 皆が通り過ぎた街道を、イエルを乗せた馬車がゴート村に向けてとぼとぼと進んで行った。


 

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