4―23  さらば愛しき人よ


「エルシャ・パラディ司祭様、よく我が館にお立ち寄りくださいました。私がこの地を納めるボルシア・フォン・ハイドフェルド子爵で御座います」

 ボルシアがエルシャに恭しく礼をした。


 エールハウゼンの新司祭、エルシャ・パラディの一行は、アースバルト領の西隣、ハイドフェルド子爵領の領府があるダブレットに立ち寄っていた。

 明日エールハウゼン入りとなる。


 今は礼服を着た6人の聖騎士と、3人の女官に囲まれたエルシャは、ハイドフェルド子爵の館に迎えられて歓待の宴に案内された。


「ハイドフェルド子爵様には、私たちの為にこの様な宴の席を御用意いただき、感謝いたします」

 エルシャは艶然とほほ笑んで、ボルシアに礼を述べた。


 今年34歳になるエルシャだが、『興国の聖女』の美貌は吟遊詩人のサーガに詠われるままの姿で、ボルシアは年甲斐もすっかり浮かれた様子でエルシャ一行を迎え入れた。


「何の、粗末な宴でお恥ずかしいが、名高き『興国の聖女』様が、我が屋敷にお立ち寄り頂いたことは末代までの誉れ。どうぞ御寛ぎ下さいませ」


 エルシャの傍らに座る、聖騎士ルーカスがボルシアに話を向けた。

「ハイドフェルド子爵殿は確か、アースバルト子爵殿と同じくグランベール公爵様の御傘下で御座いましたな、アースバルト子爵殿とは懇意にされておられるのですか」


「左様、私は先代のアストリスとは竹馬の友、ともに先代の公爵閣下にお仕えしており申した。息子のクラウスの事も何かと目を掛けてやっております」

 ボルシアは葡萄酒の盃を煽りながら得意げに語った。


「もともとあのような辺境の地で、家も立ち行かぬかの者に、私が葡萄酒の販売を世話してやった御蔭で何と家を潰さずにおれるという訳で御座いますな」


「今の御当主の御子息殿の事は御存じですかな」

 ルーカスの問いにボルシアは首を捻る。


「たしか、七歳になる一人息子が居りましたな、名はマリウスでしたか。それが如何いたしましたか」


「いえ、何やらそのご子息が最近、大層な手柄を立てて辺境の村の執政官になられたとか。王都にも噂が聞こえてきておりますので」


「ふん、ゴブリンロードがどうとか御伽噺の様な話でしたな、大方息子の功を吹聴して後を継ぐ地盤固めの為の法螺話で御座ろう」

 ボルシアは途端に不機嫌になると、葡萄酒の杯を飲み干した。


 エルシャは口元に笑みを浮かべながら、ルーカスをそれとなく観察していた。

 彼らは何かヴィクトー・ラウム枢機卿から密命を受けて、自分の警護についているのは薄々感じていたが、その事とその7歳の子爵家の跡継ぎに何か関係があるのだろうかと訝しんだ。


「全く、ゴブリンロードだの、奇跡の水だの、馬鹿馬鹿しい話を次々と広めおって」


「奇跡の水とは何の事で御座いますか?」

 ルーカスがボルシアに尋ねた。


「其れも法螺話で御座るよ、なんでも辺境の端のゴート村という村に、水道とか申す水の出る絡繰りがあり、その水を飲むと病や怪我がたちどころに治ったとか、その水を使った風呂があって、その湯に浸かると更に直りが良くなるとか、女子が美しくなるとか庶民共が騒いでいる様ですな」


 ルーカスが興味深そうにボルシアの話に耳を傾ける。

「おお、思い出しました。其のゴート村こそが、件のクラウスの倅、マリウスが執政官として納める村で御座った」


 話を聞いていたエルシャが怪しく微笑んで言った。

「ゴート村のマリウス殿ですか、ぜひ一度御会いしてみたいですね、何やら女神様から、特別な加護を頂いておられる様な気がします」


「ハハハ、まさか、田舎領主の息子で御座いますよ、その様な事が有るわけも御座らん」


 そう言うボルシアの言葉を、一行は誰も聞いてはいなかった。辺境の地に自分たちの知らない何かがある事を、エルシャは確信していた。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 エールハウゼンからやって来た武具を作る職人達は、全部で8人だった。


 アドバンスドとミドル二人の皮革師、アドバンスドとミドル二人の木工専門の大工、ミドルの縫製師と鉄工師が一人ずつ。


 彼らがこれから、公爵家に納める武具の製造を担当する。


 アドバンスドの皮革師と大工はどちらも女性だった。

 皮革師のメアリーは30代の大柄な牛獣人で、大工のミアは20代の小柄の人族の女性だった。


 マリウスは皆の見ている前で、次々と武具を付与して行った。

 オークの魔石を使い“物理防御”、“魔法防御”の付与を施していく。


 ハティの姿におびえて隅に並んでいた職人たちも、武具が青い光に包まれるたびに、感嘆の声を漏らした。 


 全ての付与が終ると、マリウスが振り返って職人たちに言った。

「ミラやブロックさん達にはもう会ったかな?」


「はい、今朝挨拶させて頂きました。」

 牛獣人のメアリーが答えた。


「今この村は職人が不足していて困っているんだ、皆協力して仕事をして貰いたいのだけどいいかな」


「はい、御領主様から全てマリウス様の指示に従うように仰せ付かっております。何なりとお申し付け下さい」


 マリウスは頷くと言った。

「とりあえず皆は次の注文の武具の生産を進めて下さい、それで鉄工師のフィリップさん。」


「あ、ハイ。」

 二十歳くらいの金髪の青年が手を挙げた。


「君の仕事は割と余裕があるから、暫くブロックさんの工房の手伝いをして欲しいんだ」


「えっ! 私がドワーフの鍛冶師の手伝いをするのですか。私にはそんな技術は在りませんよ!」

 フィリップが驚いて首を横に振る。


「大丈夫、ブロックさんにはよく頼んであるから、出来る事をやって下さい。今ブロックさんの工房は馬車作りと水道関係でフル回転しているのだけど、今度は移住者の為の農具が必要なんだ。ブロックさんの指示に従って仕事を手伝ってください」


「分かりました。頑張ります」

 フィリップが頷くと、マリウスは皆を見回して言った。


「作業の進み具合は毎日イエルに報告してください。あと暮らしの事で困る事が有

ったらレオンかクレメンスに聞いてください」

 メアリー達が頷くの見ると、マリウスは倉庫を後にした。

  

  〇 〇 〇 〇 〇 〇

 

「シャル、御願い。聞き分けて頂戴、ユリアを御父様の処に返してあげて」

 マリアとユリアはずっと泣いているシャルロットに途方に暮れていた。


「しゃるもあにしゃまのところにいきたいでしゅ、みんなしゃるをおいて、あにしゃまのところにいくのでしゅか」


「ユリアがいないとユリアの御父様が寂しいのよ、シャルには私と御父様がいるでしょ」

 ボロボロ涙を流すシャルロットを抱きしめて、マリヤが言い聞かせる。


「ゆりあのおとうしゃまとは、とらのおじしゃんでしゅか」


「そおよ、虎のおじさんはとても寂しがりだから、ユリアがいないと寂しくて死んでしまうの。だからシャル、ユリアをお父さんの処に返してあげて」


 シャルが泣きながらユリアを見た。

「ゆりあは、おとうしゃまにあいたいでしゅか」


 ユリアは困り果ててマリアを見る。

 マリアがユリアに頷いた。


「はい、父に逢いたいです」


「じゃあしゃいごに、ゆりあのしっぽにしゃわらしぇてくだしゃい。」

 ユリアは意を決して目を瞑ると、シャルロットにお尻を向けた。


 シャルロットはマリアに抱かれたまま手を伸ばすと、ユリアの尻尾をつかんだ。


「あっ!」

 ユリアが顔を赤らめながらじっと耐える。


 シャルロットは一頻りユリアの尻尾を掴んでいたが、やがて泣き疲れて眠ってしまった。


  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「随分長い間勉強を放り出していましたね、マリウス様もノルン君もエリーゼさんもこれからみっちりと遅れた分を取り戻して頂きますよ」

 ホランド先生が神妙に座る、マリウス、ノルン、エリーゼを見回して言った。


 何故かアースバルト家の学問教育係のホランド先生が、職人達と一緒にゴート村に移住して来た。


 此の件はマリウスも全く聞いていなかったので少し焦ったが、確かにマリウスもノルンもエリーゼも、この村に来てからずっと学問はさぼっていたので致し方ない。


 ホランド先生はアドバンスドの官吏で、領府を退官してから五年間、ずっとマリウス達の学問の教師としてアースバルト家に仕えている。


 因みにこの世界にアイツが言うような、義務教育の学校制度は無い。


 マリウス達の様に貴族の子供は幼いころから家庭教師の教育を受ける事になるが、大体の庶民は福音を受けた後7歳から11、2歳くらいまで近所の私塾に通うか、早い者は10歳位から働きだす。


 貧しい庶民の子供は、親や近所の老人などに読み書きなどを習う事も多い。

 それでも識字率が高いのは、ギフトの初期スキルの各種鑑定が補ってくれるからで、同様にこの世界の人間は全て同じ共通の言語を喋っている。


『だからご都合主義が過ぎるって』


 とは言えマリウスも貴族である以上、学ばなければいけない事は沢山ある。


 官吏上がりのホランド先生が選ばれているという事は、主に王国の法律や歴史、国の制度、貴族のマナーなどが授業の中心になる。


 エリーゼやノルンは定期的に騎士団で魔法や剣術の修行もしている。


 マリウスはザトペック師匠に二度講義を受けただけで、その後は魔法の修行は全く受けていないが、何とかなっているのであまり気にしたことは無かった。

 “術式記憶”のスキルの御蔭である。


 マリウスも、ノルンとエリーゼもそれぞれ仕事を抱えているのだが、週に3日ほど半日位の予定でホランド先生の授業を受ける事になった。


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