7―6 エリク王子
マリウスはノート村村長のモーリッツとレアの農民であるクラークと打ち合わせて、移民受け入れの為の村の拡張や、牧場の拡大と農地の開拓、新しい作物の栽培などの方針を話し合うと、レニャを連れてゴート村に戻った。
レニャを屋敷の前に降ろしてから、今度はハティと一緒にブロックやミラ達の工房に向かった。
昨日は疲れて誰にも会わずに眠ってしまった。
日が西に傾き始めているが今日は出来るだけ村の皆に逢いたい。
「あっ! やっと来た! 若様!」
ミリが工房の前で手を振って叫んだ。
ミラとミリ、リリーとノア、マクシミリアン、ローザにルークたちやブロックとエイトリ―にナターリア、多くの人族と獣人族の移住者の職人たちが皆工房の表に出てマリウスとハティに手を振っている。
「昨日返って来たって聞いてたから、ずっと待ってたのに!」
「ごめん、ごめん。色々忙しくてなかなか来られなかったよ」
「若様。フィアンセの御姫様はどんな方でした?」
「うん。元気で優しい女の子だったよ」
「若様。御姫様と仲良くなれたんですか?」
「若様。御姫様は村には何時来られるんですか?」
皆の質問攻めに、マリウスがたじたじとなっていると、ブロックとエイトリ、ナターリアがマリウスの前に出た。
「若様。帝国にいる我らの同胞を、全て村に引き受けて下さるという御話は本当で御座いすか?」
マリウスを真剣に見つめるブロックに戸惑いながらマリウスが答える。
「うん、何人でも良いから村に来てくれるようにお願いしたよ。勿論ゴート村だけじゃ無理だからノート村やレーア村にも入って貰うよ。ああ、レーア村っていうのは森の中の村の事だけど。他にも村を作っていく心算だよ」
突然ブロックが両膝を着いて額を地面につけた。エイトリとナターリアも地面に膝を着いて頭を下げる。
「若様。ありがとうございます。よくぞ我らが同胞の者達に手を差し伸べて下さりました。心から感謝致します」
「あっ。いや、頭を上げて下さい。僕はただあの人たちに、一緒に辺境を開拓してくれるようにお願いしただけです。お礼を言われるような事ではありません」
マリウスが狼狽しながらブロックたちに言った。
これは人助けではなく、対等な交渉だとマリウスは思っている。
無論領主と領民という立場はあるが、互いに納得して始める事業であり、誰かに礼を言われる話ではない。
「我らに対等に接して下さったのは若様ただ御一人です。我らは若様の為にこれからも忠誠を尽くす事をお約束致します」
エイトリまでが目に涙を浮かべてマリウスに頭を下げる。
マリウスが困り果てていると、ナターリアが立ち上がって、ぴょんとマリウスに抱き着いた。
「若様。ありがとう! 大好き!」
「あーっ! ナターリア、狡い!」
ミリとリリーがナターリアを引き剥がそうとするが、ナターリアがマリウスにしがみ付いて離れない。
マリウスは仕方なく、体を覆っていた“結界”をそっと1センチ程広げて隙間を作り、ナターリアの腕からするりと抜け出した。
蹈鞴を踏んで転びそうになるナターリアを、体でパフッと受け止めたハティに、マリウスが親指を立ててグッジョブと合図を送ると、其のままブロックの工房に入って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どうやらドリスは王都警邏隊の本部に捕えられているようです」
ロナルドの言葉にハインツが溜息を付く。
「早く王都を去れば良いものを、未だ下町をうろついていたのか」
「しかしドリスは今回の作戦に参加してはいませんし、レーンの戦にも従軍していないのですから、大した罪には問われないでしょう」
副官のニクラウスがハインツに言った。
「我らの仲間である以上、無罪放免とはならんであろうな。それにドリスが捕えられたことで、我らの存在がロンメル陣営に知られた事は間違いない。直ここも割り出されるであろう」
「如何致しますか? 作戦を急ぎますか、それとも一旦撤退しますか?」
ロナルドが感情を込めない声でハインツに問う。
自分の存在が知られたのなら、恐らくウイルマー・モーゼルは自分の狙いに気付くだろう。
撤退するのが無難ではあるが、これを逆手にとってモーゼル将軍の裏をかく事が出来るかもしれない。
何時しか自分の考えに没頭するハインツに、ロナルドとニクラウスが顔を見合わせて肩を竦めた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「フェンリルに乗った少年が魔物の群れを率いていたと? それは真の話か?」
「ハイ、私にはそのように見えました」
ボリスが国王に答える。
「それでその少年が、魔物を避けて道を開けるようにボリスに言ったのか」
15、6歳位の銀髪の少年が、訝しげにボリスを見る。
「ハイ、少年の言葉通り道を開けると、魔物の群れは我等には目もくれず、少年の後を追って帝国軍の本陣の方に向かって駆けていきました、その御蔭で我らは無事に戦場を脱出し帰国する事が出来ました」
「うむ、俄かには信じ難いが、つまりフェンリルに乗った少年がたった一人で魔物の群れを率いて帝国軍を壊滅させ、バシリエフを陥落させたという事か」
銀髪の少年、今年15歳になるユング王国第1王子エリク・アールストレームが眉を顰める。
「そうなるのでしょう。しかし魔物の群れは教皇国の聖騎士が起こしたスタンピードの筈、何故その魔物の群れがエール要塞から出てきたのか、あの少年は教皇国の者なのか、全く訳が分からないと云うのが本当のところです」
ボリスも首を傾げた。
ユング王国の王都ラナースの城の一室である。
宰相ベルゲを捕えた後、国王とボリス、エリク王子と数人の近臣だけで、今後の対応を話し合う為に場所を変えたのだが、ボリスがエール要塞の戦いについて国王に報告しているところである。
「あの、陛下……」
「如何致したエリオット? 何か意見が有るのか?」
おずおずと話に入って来た初老の男、外務卿エリオット・カッセル伯爵に全員の視線が集まる。
「いえ、実は三か月ほど前におかしな噂を聞いた事があります。ライン=アルト王国の辺境の子爵家の7歳になる嫡男がフェンリルを従えて、アークドラゴンを従える辺境伯と一騎打ちになり、辺境伯とドラゴンを打ち負かしたという話です」
「なんと! 辺境伯とは王国最強と名高いステファン・シュナイダーの事か?!」
エリク王子が驚いて声を上げる。
「はい、そのような噂が王国内で流れておりましたが、あまりにも荒唐無稽なサーガの様な話故、私も本気に致しませんでしたが……」
「しかし少なくともボリスたちの前に現れたのはフェンリルを従えた7歳くらいの少年だったのだな」
エリク王子の言葉にボリスが頷く。
「更にその少年。確かアースバルト子爵家の嫡男でしたが……」
「なんと、アースバルト子爵の嫡男ですか?」
今度はボリスが驚いて声を上げる。
無論ボリスはエルザと同窓だったクラウスとも、王国に留学していた時に会っている。
「はい、これもまた不思議な話なのですが、その少年の納める辺境の村に、『奇跡の水』という不思議な水が湧き出る仕組みがあるそうで、その水を飲み、その水の風呂に入ると怪我が治るとか病に罹らないとか、婦女子が美しくなるとか大層な評判だったようです」
エリオットの話にエリクやボリス、国王も顔を見合わせて首を捻る。
「その水を簒奪せんと隣の領主が謀反を起こし、逆に打ち取られてしまったのですが、実はこの領主の陰にいたのが王国最大の貴族であったエールマイヤー公爵で、その為にエールマイヤー公爵家が処罰されたという噂で御座います」
「うーむ、確かにエールマイヤー公爵が失脚したという噂は余も聞いていたが、他
国の事ゆえ詳細は伝わってはいなかったな……」
国王が腕を組んで考え込む。
「そしてここからが本題なのですが……」
「未だあるのか?! 一度に申せ、エリオット!」
エリク王子が苛立たし気に怒鳴ると、エリオットが申し訳なさそうに話を続ける。
「何事も順番が御座いますれば。実は昨日王国に駐留する配下の者から文が届きました。グランベール公爵家が御令嬢エレン姫と件のアースバルト子爵家嫡男、マリウス殿の婚約を発表したとの事です」
皆が沈黙して腕を組み、或いは目を閉じて一連の話について考え込んでいたが、やがてエリク王子が口を開いた。
「どうやらボリスが戦場で出逢った少年はマリウス・アースバルトで間違いないようだな。そしてマリウスはフェンリルを従え、単騎で帝国軍を打ち破りバシリエフ要塞を陥落させる程の不思議な力を持ち、グランベール公爵家の婿になるという事か」
エリク王子の言葉にボリスも頷く。
「やはり外務卿でもあるグランベール公爵様に働きかけ、ライン=アルト王国と盟を結ぶのが、最も良き考えかと思います。幸い某は公爵御夫妻とも、ビルシュタイン将軍とも、アースバルト子爵クラウス殿とも面識が御座います。使者の役目、某が承ります」
「うむ、ボリス。その役目お前に任す。必ず王国との盟を取りつけよ」
「御意!」
国王に礼を取るボリスにエリク王子が言った。
「ライン=アルト王国は何やら面白そうだな。私も付いて行きたいが、ボリスが国を空けるのなら国軍の指揮は私が執らねばならないか。だが盟約の席には私が出る。宜しいでしょう父上」
「うむ。良かろう。余の名代として不足は無かろう」
「取り敢えず帝国に備えが必要。ミズガルのアマンダも王都に戻しましょう」
ライン=アルト王国との国境近くにあるミズガルの城に、ユング王国騎士団第2将、アマンダ・ベロニウスが5千の兵を率いて駐屯している。
ボリスたちが戦場を離脱し、帝国の重臣と結んでいた宰相ベルゲを捕えた以上、早晩帝国との衝突は避けられないであろう。
「ふふ、帝国と手を切るとなれば、アマンダがさぞ張り切るであろう。それにしてもフェンリルを従える少年、マリウス・アースバルトか。面白い。ぜひ逢ってみたいものだな」
エリク王子が瞳を輝かせて好奇心を抑えられない様子で呟いた。
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