5―29 忘れられた村
マリウスが首を傾げながら、更にエルマに尋ねた。
「具体的にはどのような時に使うのですか?」
「多くの人が殺された場所には必ず聖職者が派遣されて“浄化”を行います。魔物に滅ぼされた村、沢山の人が死んだ戦場などです。そういう場所を放っておくと、アンデッドが生まれやすくなるそうです」
エルマはそう言って顔を曇らせた。
「私の国でも大規模な“浄化”がエルシャの手で行われたそうです」
大規模な“浄化”が行われたという事は、つまり多くの人々が亡くなったという事なのだろう。
クレスト教皇国とエルベール皇国、二つの国に亡ばされた古い国パラディ朝アクアリナ王国の二人の王女、エルマとエルシャ。
マリウスも少しだけホランド先生の授業で話を聞いた事が有った。
マリウスが気まずくなって黙ってしまうと、エルマが少し笑って言った。
「御免なさい、執政官様が生まれるずっと昔の話です。“浄化”の話でしたね。やはり“浄化”の為に聖職者が呼ばれる一番多い事はアンデッド退治と、“魔物憑き”の御払いですね」
「“魔物憑き”ですか?」
聞いたことはある。
人が魔物の邪気に触れておかしくなって暴れ出し、人を襲う話で、怪談噺の様にエールハウゼンでも囁かれていた。
「ええ、魔境に近いアンヘルの周辺の村では年に1,2度必ず起きていましたね、時には姿まで変わってしまって、魔物の様になって暴れる人もいました」
「姿までですか、そんな人を“浄化”で元に戻せるのですか?」
エルマが寂し気に首を振った。
「そうなってしまってはもう戻すのは無理です。たとえ姿が戻っても、体の変化に耐えられず死んでしまいます。大抵人を襲う前に殺されてしまいます」
都市伝説みたいな話だと思っていたが、実際にあるのだと、マリウスが驚いてエルマに聞いた。
「それはやはり魔境の傍でだけ起こるのですか?」
エルマが首を振った。
「解りません、確かにアンヘルではよく起こる事ですが、魔境と離れた所でも、似たような話は良く聞きます」
話を聞いていたエリナが、お茶のお代わりを入れてくれながら言った。
「そう言えば2年くらい前に王都の西の方の村で、村人全員が“魔物憑き”になってしまった事件がありましたね」
「あ! 有った、確か西の公爵家の騎士団が出て、村人全員殺して村を焼き払った事件。30人位の山間の小さな獣人の村だったけど、大騒ぎになっていたわ」
ベアトリスが大きな声を上げる。
「村人全員ですか。そんな事が有るんですか?」
「うん、なんか村人が全員姿も魔物の様な姿になって暴れ出して、討伐した騎士団にもかなりの被害が出たっていう話だったわ」
「原因は何だったのか解っているのですか?」
何か、伝染病みたいなものなのだろか。
「解らないわね、国の偉い人なら何か知っているかも知れないけど、何の情報も流れていない筈よ」
マリウスはふと疑問を感じて、ベアトリスを見た。
「ベアトリスさんは教会の女官なのに、随分とそう云った情報に詳しいのですね?」
「あっ! そ、そうですかね? た、ただの噂好きなだけです。あー! 教会のお掃除をしなくちゃ!」
ベアトリスは狼狽しながらエリナを連れて部屋を出て行った。
エルマは仕方なさそうに笑ってマリウスに言った。
「黙っていて申し訳ありません。あの子たちも御義母様が私の為に付けてくれた護衛なのです。確か王都の冒険者だと聞いています」
エルマはシェリルから王都の冒険者としてベアトリスとヴァネッサ、エリナを紹介されていた。
無論ベアトリスとヴァネッサが宰相ロンメルの隠密で、エリナが王室付の最高認証官エレーネ・ベーリンガーであることまでは知らされていない。
「そうでしたか。王都の冒険者ですか。それなら情報に詳しいのも納得ですね」
エルシャも聖騎士たちの護衛を連れてきている。シェリルがエルマに、腕利きの護衛を付けるのは当然である。
結局、ハティ達が杭を超えられる原因は良く解らなかった。
「今日は色々と有難う御座いました」
「いえ、何時でもいらっしゃって下さい。この村には病気の人がいないので、私達も本当はあまりすることが無いのですよ。」
そう言って笑うエルマに礼をしてマリウスは外に出た。
★ ★ ★ ★ ★ ★
崩れた木柵の門を潜って、オルテガの部隊とニナの部隊が縦列になって、廃村の中に入って行った。
100メートル四方位を囲んでいた木柵は、彼方此方が朽ちて崩れていた。
ゴート村とノート村のほぼ中間の、やや魔境寄りに入った森の中にある廃村である。村は深い森の中に、まるで隠れる様に作られていた。
村に至る林道は木々や雑草に所々塞がれていたが、兵士達は木々を切り払いながら正午には村に到着した。
恐らく100年くらい前に放置されたらしいこの廃村は、嘗てマリウス達に討伐された盗賊たちがアジトにしていた場所であった。
ゴート村から魔物を狩りながら、“魔物除け”の杭を南に広げて来たニナ達の部隊と、ノート村から北上してきたオルテガの部隊が遂に合流した。
今後、討伐隊はいよいよ魔境に向けて東の森の奥深くに入って行くのだが、マリウスはこの廃村跡を魔境に入る中継の砦にできないか調査するように、ニナとオルテガに命じていた。
マリウスはこの村に関する記録を、エールハウゼンのホルスに問い合わせてみたが、結局何も解らなかった。
領府の倉庫の中の過去の台帳も調べたが、そんな村が存在した記録は一切なかったそうだ。
もしかしたら100年よりも、もっとずっと昔に廃棄された村なのかもしれないが、ホルスからの報告では、恐らくこの村の位置は地図の上では、元々のアースバルト領の領境の外になるのではと書かれていた。
つまりライン=アルト王国の外、魔境の一部と云う事らしい。
廃村の中には道の上にも家の周りにも、雑草が生い茂っていた。
壁の彼方此方に穴の開いた、石と木材を使った家屋が三十軒程、草に埋もれる様に建っている。
ニナとクレメンスの率いる兵士達は、数組に分かれて崩れた家を一軒一軒確認していった。
調査の結果、崩れた家の中から、放置された8体の白骨遺体が発見された。村の住人にしては少ないが、他の者は村を捨てて逃げ出したのであろう。
恐らく魔物によって滅ぼされた村なのだろうと推測される。村を囲う柵にも、数箇所破壊された跡が在った。
一つだけある井戸は少し濁っていたが、整備すれば未だ使える様だった。
ニナの部隊がマリウスに報告する為にゴート村に帰還し、オルテガの部隊は此処で野営する事にした。
★ ★ ★ ★ ★ ★
オルテガは発見された白骨を村の敷地内の端の、墓所だったらしい石碑の並ぶ場所に埋葬させると、比較的破損が少ない、一番大きな屋敷を野営地に決め、兵士を三班に分けて屋敷の掃除と応急修理、周囲の草を刈って野営用のテントを屋敷の傍に設置、屋敷とテントを広く囲む様に“魔物除け”の杭を打つ作業を命じた。
オルテガは自警団の隊長のジェイコブと火魔術師のヘンリー、それにノート村の工事に派遣されていた、土魔術師のアグネスを伴って屋敷の中に入って行った。
四人とも勿論、マリウスの付与付きの武具やアイテムを装備している。
二階建ての屋敷はどうやら、この村の村長の家だったようだった。
レンガ造りの家はドアが壊れ、壁に数か所穴が開いていたが、板を打ち付けて大雑把に修理した後があった。
恐らく盗賊達もこの屋敷を拠点にしていたのであろう、屋根は無事の様で中はそれ程荒れていなかった。
四人は崩れかけた階段を、注意しながら二階に上って行った。
「何か薄気味悪いですな」
薄暗い廊下を歩きながら、一番後ろのヘンリーが誰にともなく呟いた。
オルテガが廊下の突き当りのドアを開けて中を覗き込む。大きな事務机と書架のある広い部屋は、どうやら書斎の様だった。
オルテガは中に入ると窓の板戸を開いた。
「ひっ!」
明かりが射し込んだ部屋の中を見て、アグネスが小さく悲鳴を上げた。
書類や瓶の破片などが散乱する部屋の壁や床に、どす黒いシミが広がっていた。
オルテガは顔を顰めると部屋の中を見回して、机の引き出しを開くと、中から手帳らしきものを取り出して明かりにか翳して読んだ。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「“魔物憑き”だって?」
マリウスがオルテガに聞き返した。
「村長の日記らしい手帳にそう書かれています。村長の娘が突然“魔物憑き”になって、異形の姿になった挙句、村人達を襲い始めたと」
つい先日エルマから魔物憑きの話を聞いたばかりだが、あれはフラグだったのかとマリウスは眉を顰めた。
ニナの報告を聞いたマリウスは、廃村跡を自分の目で見たくて、翌日朝早くにハティに乗ってゴート村を発った。
クルトの部隊が後を追って来るが、マリウスは一足先にハティと空を飛んで、廃村に降り立った。
「日記の日付は、今から120年位前のようですね。娘が“魔物憑き”になった話で終っています」
120年前というと、マリウスの祖父のアストリスよりも更にずっと前の祖先の頃になる。
「つまり120年前に一人の娘が魔物付きになって村人を殺し、村を滅ぼしてしまったってことかな」
「恐らくそう言う事なのでしょう。しかし問題はそこではありません」
オルテガの言葉にマリウスも頷く。
この書斎らしい部屋には夥しい数の書籍や記録を閉じた紙の束、調剤に使われるガラス製の瓶類や試験管が棚の中に並んでいる。
日記を読んで分かった事は、この村が王国にも、領主であるアースバルト家にも存在を隠された、薬師ギルドによって秘密裏に造られた隠れ里だったという事だった。
正確に言うとこの村の位置は、アースバルト領の領境からは外れた未踏の地ではあるが、アースバルト領に最も近い場所である。
マリウスは実は120年も昔から、アースバルト家が薬師ギルドと因縁があった事に驚いた。
薬師ギルドが秘密裏にこの村を造った理由は、この村の近く、東の森の中にある沼の周辺が、ウムドレビという魔物の生息地だからだった。
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